戦乙女は結婚したい

南野海風

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13.確認作業を怠るとこうなる

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 今日のアイスはピリピリしていた。
 朝から口数も少なく、専属メイド・イリオも空気を読んで発言を控えた。

 鍛錬を黙々とこなす姿も、どこか、わずかながら殺気のようなものが漏れている。
 いつもより気迫が増しているというか、単独の鍛錬なのに誰かを倒そうとしているかのような。

 何かあったのは確かだろう。
 ただ、何があったかは、本人にしかわからない。

 いつもと違う様子のアイスにそれとなく注意を払いながら、イリオはメイド仕事をこなしていた。

 そして昼である。

「イリオ」

 風呂に入り汗を流し、昼食の席に着いたアイスは、おもむろに口を開いた。

「アプリコットが婚約した」

 イリオは納得した。

「それはおめでたいですね」

 ピリピリしていた理由は、口に出すのも憚られるほど腹に据えかねていたから。
 親友とも言えるメイドにさえ話したくない話題で、しかし話さずには済ませられないから。

 午前中いっぱいを使って、心の整理を付けたのだろう。

 あまり急な話でもないので、驚くこともない。
 弓の乙女アプリコットの様子がおかしかったのは噂になっていたし、もしかしたらって話も出ていた。
 つまり、予想通りとも言えるのだから。

「おめで、たい……よな?」

「ええ、おめでたいと思いますが」

「私は『みんな死ねばいい』と思ったが」

「もうそれは気にしなくていいんじゃないですか? いつも通りだし」

 怨嗟の声を漏らしたり、誰かを心底疎み嫉むのは、最近のアイスならいつものことである。
 今更そこをどうこう言うつもりは、イリオにはない。

「――怖いのだ」

 アイスはテーブルの上で手を組み、沈んだ瞳でそれを見詰める。

「後輩が、私より後に戦乙女となり活動していた後輩が、私を追い抜いて結婚し引退する。どんどん追い抜いていく。いつか全員に置いていかれるかもしれない。私だけが取り残されるかもしれない。それが堪らなく怖い」

 深刻である。

 「戦乙女」という部分を「就職、職業」という意味に捉えたら、イリオにも気持ちはよくわかった。

 イリオも、アイスと同い年の二十四歳で、独身だ。
 この城に招かれた時、傍仕えは同い年の方がお互いやりやすいだろうと、イリオが選出されたのだ。

 ただイリオは、アイスが結婚するまで自身の結婚はまったく考えていない。

 いや、もっと言うなら、アイスに仕え続けられるなら結婚しなくても構わないと思っている。
 だからそういう方面の危機感がない。

 しかし、嘆く理由は理解できる。
 少なくともアイスが不特定のカップルを妬む気持ちよりは共感できる。

「ところでイリオ、先日こんな本を入手してな」

 すっと、テーブルの上に小冊子が置かれた。

「……『恋人を作るための五十一の法則』?」

 表に書かれたタイトルを読み、また胡散臭いものを……とイリオは思ったが、口には出さなかった。

「これを読み解こうと思う」

「まあそれは好きにしたらいいと思いますが」

 本一つ読めば恋人ができるなら、この世に独り身などいなくなる。
 あくまでも著者はそれでなんとかなったのだろうが、他人がそれに当てはまるかどうかはまた別問題だろう。
 更に言うなら、行き遅れで焦っている戦乙女に適用されるかどうかも、怪しいものだ。

 過信は禁物だろう。
 五十一項目ある中、有用そうなのが二、三あればいい。それくらいの気持ちでいいと思うが。

「私は恋人を作るぞ」

「……まあ、お好きにどうぞ」

 すっかり信じきっている――否、そう信じたい、信じ込みたい、絶対そうあってほしいと願うアイスは、とてつもなく大きな期待を寄せていた。

 裏切られるオチしか見えないイリオは、どうせ止めても聞かないだろうから、何も言わないことにした。

「時にその本は誰から入手したのですか? ロゼット様ですか? アプリコット様ですか?」

 あのいい加減な性格の戦乙女たちなら、面白がってアイスに渡しそうなアイテムではあるが。

「いや、ブラン殿だ」

 あ。

 イリオの頭に残っていた謎と、この話が繋がった気がした。

「もしかして盗んだ物ですか?」

 先日、元・白の乙女ブランマンジェを訪ねた折、非常に慌しく帰路に着いた。
 その時、確かに彼女は言っていた。

 強盗だとか、どろぼーだとか。

 およそ始めて聞くフレーズだっただけに、忘れることさえできなかった。
 しかも老人の訴える声である、それはもう心に突き刺さった。

 更に言うと、状況と行動を鑑みるに、明らかに容疑者が自分の主だ。 

 アイスに聞いても何も答えないから、ずっと謎のままだった。正直とても気になっていたのだ。

「言葉に気をつけろ。借りただけだ」

 だがアイスは否定しなかった。

「……まあいいですけど」

 ブランマンジェは、何気にアイスをからかうのが好きな御仁だ。どうせ本を見せて動揺するアイスを見て笑い、からかおうとしたのだろう。
 二人の関係の話なので、イリオはどうでもいい。

「ではお早く昼食を済ませて読めばどうですか?」

「イリオ、そなたも付き合え」

「え、なぜ私も?」

「私は常人とは感性がズレている可能性がある。この本に書いてある文章の機微を正しく理解できないかもしれない。そんな時、イリオの意見を聞きたいのだ」

 正直とても面倒臭いが、それも仕事の内だろう。

「では休憩時間に話しましょう。それまでアイス様は本を読み解き、私は仕事をしますから。疑問点があれば後ほど話し合うということで」

 メイド仕事は家事である。
 そのためにイリオはここにいるのだから、それを疎かにはできない。

「わかった、そうしよう」

 城の台所からおやつを調達するかなー、と思いながら、イリオは午後からの仕事の段取りを考え出した。




「焼き菓子か」

「ベリーパイ……の、失敗作ですけどね」

 見た目はよくないが、素材は確かなものばかりだ。
 一応味見もしたが味は抜群である。

 これは、王宮料理人の下働きをしている、言わば料理人見習いが練習で作ったものである。
 元々腕がいい者を採用しているので、普通に作れば普通以上の物を作れるのだが。

 だが、新作を作ろうとすれば、それは失敗もする。
 イリオが持ってきたのは、言わば試行錯誤で生まれた失敗の産物である。いつもならメイドや使用人、時々文官が処理するのだが、それを貰ってきた。

 庭先で、日傘の下のテーブルに着き本を読んでいるアイスは、一旦本を閉じてベリーパイを歓迎した。ちょうど甘い物が食べたかったようだ。

 イリオが紅茶を煎れ、「さて」と向かいの椅子に座った。

「それで、本はどうですか?」

「うむ……」

 アイスは遠い目をして、瞳と同じ色の空の彼方を見た。

「男性用だった」

 静かにそう言った。

「男性用の、恋人を作る方法が、載っていた」

 一言一言確かめるように、そう言った。

「なあイリオ、私はブラン殿を憎んでもいいよな?」

 見えないほど遠い視線の先には、あの寒い山がある。

「もう好きにすればいいと思います」

 元・白の乙女ブランマンジェは、アイスをからかう節がある。
 たぶんそれもからかうネタの一つだったのだろう。

 中身を確認云々はさておき強引に強奪したアイスもアレだし、本気で悩んでいるアイスをからかおうとした年寄りも性質が悪い。

 もうどっちもどっちだから、好きにすればいい。




 ――いや、待て。

「男性の好みを知るのも、逆に得るものがあるのでは?」

 すごく単純に言えば、「本に書いてあることを実践している男」がいれば、それは間違いなく恋人を作りたがっている男と言える。

 どこまで突っ込んだ内容に触れているかはわからないが、情報は武器である。仕入れておいて損はないだろう。

「うむ……」

 静かにアイスは目を伏せた。

「――巨乳は見られたがっている」

「は?」

「――胸を強調する服を着ている女はすぐ釣れる」

「え?」

「――未亡人という夜に飢えたふしだらな生き物」

「……」

「などという項目がずらっと並んでいた。役に立つと思うか?」

「ただのゴミですね。投げ捨てていいです」

 ベリーパイを食べて、アイスはさっさと本を返しに向かい、イリオは仕事に戻るのだった。





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