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16.縁のない話と縁を結びたい意志を断ち切る話
しおりを挟む「アイス様、少しいいですか?」
まだ早朝である。
新聞を読んでいるアイスに、二杯目のミルクティーともに、専属メイド・イリオの呼びかけが付いた。
アイスは新聞を置いて、イリオに視線を向ける。
「珍しいな。そなたの用事か?」
この時間に訪ねて来る者はまずいないので、客が来たわけではない。
急ぎの用事なら、アイスが何をしていても耳に入れるべき用事なので、寝ていたところを起こされる。
落ち着いた時間に話す用事は、イリオの個人的なことであるケースが多い。
「私の用事と言いますか、頼まれたと言いますか」
「誰かに何事か頼まれたのか」
そういうケースもまた珍しい。
立場上、イリオはアイスに近しい人物。アイスへの繋ぎ役として、よく大小様々な頼まれごとをする。
だがイリオは、九割以上は頼まれごとをその場で断る。
だいたいのことは、話せばアイスはやるだろうと確信しているからだ。
この人はもう少し自由でいい。
ただでさえ国のしがらみを一杯背負っている。これ以上わずらわせるような真似はしたくない。
……という信条があるので、この手の取り次ぎは、ものすごく珍しいのだ。
「料理長からの頼まれごとです」
「何、料理長から? 十歳の息子がいるあの料理長か?」
嫌な覚え方をしているなぁ、とイリオは思ったが、それは今は置いておこう。
「双子葡萄が手に入らないか、と」
「双子葡萄……か」
アイスは腕を組む。
「まだ時期ではなかろう」
双子葡萄とは、ある種の葡萄の中で二繋ぎになっているものを指す。わかりやすく言うと、四葉のクローバーのようなものである。
もちろん味も普通のものと変わらないので、むしろ縁起物としての意味合いが強い。
ただ、今は葡萄の季節ではない。もう少し先である。
「南の方では、もう生っているのでは?」
「そうだな。早摘みならばこの国の市でももう出回っているらしいし、ここより温かな国ならあるかもしれんが」
それにしてもだ。
「料理長の頼みなら聞きたいところだが、なぜそれが欲しいのだ? 祝い物か?」
「ええ。側室のお子の誕生日で、王様がケーキを作るように命じたそうです。そのお子が、双子のご兄弟だそうなので」
「ああ、そういうことか」
「最近の王様は、側室やその子供たちに目を掛けているそうですよ」
「ほう」
「…………」
「…………」
…………
「どう思います?」
じっと観察してもなんの反応も示さないアイスに、直接聞いてみた。
先日の「クロカン王子、氷の乙女を側室に迎えたい事件」が割と衝撃的で、最近イリオはずっとそのことを気にしていた。
もしアイスが浮気、愛人、側室を認めれば、数秒で結婚の悩みは解決するのに。
十歳の男の子を、思い詰めた顔で見る必要もなくなるのに。
やはりどう考えても悪い話ではない。
下級騎士の出でありながら王の側室になれるなら、玉の輿だと言っていい。
しかもクロカン王子は、気の多い現王と違い、アイスに惚れ込んでいる。
絵に描いたような家庭だの幸せだのは得られないかもしれないが、でも決して悪い話ではない。
これに関しての問題は、アイスの好みのみだ。
ずっと見てきているイリオだけに、アイスの望みはできるだけ叶えてあげたいとは思うが……
だが本当にずっと言っているのだ。
浮気は嫌だ、愛人はダメだ、側室などもってのほか、と。
もう、今となっては、本当に数少ない「未来の旦那への要求」である。
煮詰めて煮詰めて余分なものを排除した上で残った要求だ。
背が高い低い、収入が多い少ない、たとえ性癖が特殊でもすごく悩んで受け入れる覚悟も、ある。
浮気関係だけ、絶対にダメだと言うのだ。
むしろそこさえ目を瞑れば、今すぐでもどうにかなるのに。
――しかしメイドの心知らず。
「別に何も思わないが? ただの気まぐれだろう」
やっぱり無理そうだ。
「どうせヒゲをむしられるほど怒らせたから、どうしてもその穴埋めをしておきたいのではないか?」
どうしても無理そうだ。
「そういう王じゃないか。散々見てきた。男なんて……いや、王族なんて全部そうなんじゃないか? 私の知る男の王族でまともなのは、十三歳以下でしか見たことがない」
……なんというか、そう、絶対に無理そうだ。
話が逸れたが。
「双子葡萄か。背景はともかく、料理長が欲しいと言っているなら何とかしたいな」
たまにこういうことを言うから、イリオはこの話を持ってきたのだ。
他の関係者は立場だったりなんだりと、いわゆる職務で接触し予定のすり合わせをしたりするが、料理長だけは立場が違う。
料理長は、アイスが一方的に頼み事をすることが多い、稀有な人物だ。
いろんな食材を持ち込み、何か作るよう頼むのだ。
城の台所を預かる彼は忙しいのに、状況も考えずに頼んでしまう。
いつもは一方的に何かしらお礼と称して渡すだけだが、料理長からの注文というケースは初めてである。
料理長には義理も恩もたっぷりある。何とかしたいと思う。
「よし」
アイスは立ち上がった。
「今日の訓練は早めに終わらせ、昼前に出る。準備をしておいてくれ」
「畏まりました」
南の方にある国に行き、まず市場を訪ねると、運よく探していた双子葡萄を発見することができた。
少々値が張ったが無事入手し、ついでに昼食を食べてグレティワールに戻ってきた。
「ではこれを料理長に渡しておいてくれ」
「はい」
アイスは、できる限り借りている敷地から出ないようにしているので、届け物の類もイリオの仕事である。
「あ、待て」
早速行こうとするイリオを呼び止め、アイスはすっとポケットからある物を出した。
「これはドラゴンの鱗を加工した御守りだ」
「ああ、先日の」
「うむ」
アイスは真剣な面持ちで、右手の掌より二周りほど小さいそれを差し出す。
「――料理長の子に。十歳の男の子にと、渡してくれ」
「――あ、それは断ります」
イリオの返答は本当に早かった。何ならアイスが「渡して」と言い出した辺りで即被せてきた。
「なぜだ! ただの贈り物ではないか! たまたま手に入った男の子が憧れるドラゴンの鱗をちょっと上げるだけではないか!」
「へえ? 上げるだけが目的なんですか?」
「そう言っているではないか!」
「じゃあ私からのプレゼントということで渡すだけでもアイス様の目的は果たせると?」
「それでは意味がないだろう!」
「だからダメだって言ってるんですけど」
――口説くな。十歳児を。
それを口に出すのはさすがにキツイものがあるので言わないが、料理長には一言告げておくことにする。
くれぐれも家族を守ってあげて、と。
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