戦乙女は結婚したい

南野海風

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42.とある日の一幕  後編

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「終了! 終了です!」

 絶望的な女子力の低さを痛感したイリオは、膠着する場を叩き壊した。

「……え? え?」

 すすっと離れるフォアに、待っても待っても来ない「何か」を待っていたアイスも、何事かと目を開く。

「まさか出会ってすぐの男にキス顔をさらすような真似をするとは思いませんでした」

「え?」

 メイドの目は非常に冷ややかだ。

「紅茶を淹れるほど短い間に口説かれるような、軽い女だとは思わなかったと言っているんです」

「……え?」

 ダメだ。
 今のアイスは何が何やらよくわかっていない。腹も立つし。「え?」じゃないだろ。

 それほどまでに追い詰められていたのか、これこそ余裕がなくなった時の本性なのか。

 なんにせよ、今のアイスでは話もできないので、察してくれなかったネタばらしをちゃんとしよう。

「今の嘘です」

「…………え?」

「今の告白劇、嘘です。全部嘘です。彼はアイス様を口説くよう私がお願いした、いわば演者です」

「…………」

 …………

 …………

「…………待て」

 随分長い沈黙を経て、浮かれたアイスの目に理性が戻り始めた。

「嘘、だと? 今の結婚してくれ云々は、嘘だったのか? 嘘一割真実九割くらいだというのか?」

 やや錯乱状態が残っている気もするが、ようやく話が見えてきたアイスに、イリオは容赦なく事実を突き付ける。

「彼、新婚ですから。もう結婚してます」

 だから、いろんな意味でもちょうどよかったのだ。

「帰れ」

 アイスはフォアを睨みつけた。

 さすが、煮詰めて煮詰めて最後に残った個人的希望が「浮気ダメ絶対」の女である。
 さっきまでは、濁流に乗った流木のようにただただ流されていたくせに、一瞬にして我に返った。

「嫁がいるのに何をしている。嫁を泣かせる男は嫌いだ。帰れ」

 ともすれば泣かす原因になった女が、よく言うものである。

 まあ、さっきの流れで言えば、完全に騙された側ではあるが。
 しかし簡単に騙されすぎだろう。

「彼のことより自分でしょう!」

 イリオは怒っていた。

 いろんな意味でアイスは危うい。
 今の諸々を見る限り、想像以上にダメだった。

 このままでは、街の女ったらしな吟遊詩人どころか、地方の五十名満たない規模の村一番のハンサムガイにさえ簡単に陥落させられる。
 「オイラの大ヤギに乗って崖の傍までデートしねか?」とかいう、ロマンスのカケラもない口説き文句で瞬殺されかねない。

「なんでキスしようとしたの!? 何考えたの!?」

 思わずタメ口にもなるというものだ。
 今のアレはそれくらいの大事件だった。

「え、だって」

「だってじゃない! 王様みたいな男だったら一瞬で唇奪われてたよ!? それやったら側室入り確定なんだよ!? 側室入りたいの!? 入りたかったの!?」

「それはない!」

「じゃあ何なの!? 何がアイス様にキス顔させたの!? 私こんな形であなたのキス顔見ることになるとは思わなかったんだけど!」

「あ、あんまりキス顔キス顔言うな……」

「何照れてるの!? さっきまでやってたでしょ!? ちょっと今やってみなさいよ! 見ててあげるからやってみなさいよ!」

「えぇ……それはちょっと違うのでは」

「言い訳とか聞きたくないんだけど! 事実でしょ! 私の目の前でやったでしょ!」

「あ、はい……」

「ねえ説明してよさっきの! なんで!? なんで出会ってすぐの男にキスされてもいいと思ったの!?」

「あ、それは」

「言い訳しない!」

「聞いたのはそなただろう! しゃべらせろ!」

 突如、女同士のケンカが勃発した。

 この場合一番困るのは、間接的にではあるが、自分が原因となってしまったフォアである。

 さっき「帰れ」と言われた時にとっとと帰ればよかった、と。心底思ったとか思わなかったとか。




「まあまあ、落ち着いて落ち着いて」

 帰るタイミングを完全に逸したと確信したフォアは、とにかく二人をなだめすかし、家屋のテーブルに着けさせた。

 一応、タメ口でキレられた主人とケンカ腰のままのメイドは、言いたいことはだいたい言ってしまったようだ。
 言い合い自体は終わっている。睨み合いは続いているが。

 いや、というか。
 睨んでいるのは、イリオだけだが。

 アイスは、かつてこれほどまでに激怒したイリオを見たことがないので、戸惑いが強いようだ。

「あれだ」

 なぜか一応客であるはずのフォアが紅茶を淹れているテーブルで、アイスは言った。

「確かに、急なことで混乱したのは確かだ。正常な判断をしてなかった疑いもある。
 あの時は、あまり、こう、色々考えられたわけではないが……しかし彼ならいいと思ったのも確かだぞ。結婚してもいいと、思ったから」

「なんでそんなに簡単に思うんですか」

「しっかりしろ、イリオ。愚問だぞ」

 愚問。
 これ以上ないほどの愚問を現在進行形で起こしている人物が、言うに事欠いて愚問とは。

 もうこうなったら一発殴るしかないかと思うイリオに、アイスはさらっと言い放った。

「彼は、見た目ほどゆるくないだろう」

 ここでようやく、イリオも少し我に返った。

 そうだ。
 自分の主は、たとえ恋愛経験がない奥手なお子様レベルであっても、それでもほかの部分までレベルが低いわけではない。

「恐らくイリオの仲間だろう? 相当鍛えているのはすぐにわかった。
 特に、標準的な体型ではない身体の作り方は、局所的に鍛える部位を選ばねばならない。彼の場合は、今の体型がベストな職種なのだろう。

 自分に厳しくないと、そういう身体は作れないからな。いや、むしろ普通に鍛えている者よりも自己管理はしっかりしていそうだ。
 つまり、自分の仕事ややるべきことに真面目に向き合っているという証拠だ。

 そして私も武人のはしくれ。己のやるべきことを見据えて鍛えている者は嫌いではない」

 アイスは少しだけ顔を赤らめて、フォアをチラッとした。

「それに、見た目もそんなに悪くないと思うが……」

 優しそうな表情に、愛嬌のある丸い身体。

「あ、それはどうもありがとうございます」

 のんびりした口調も悪くない。

 かっこいいとは言い難いかもしれないが、見目のいい男は浮気者ばかりなのを充分知っているので、そういう心配をしなくていいというのがアイスには嬉しい。安心して好きになれる。

 元々、アイスは結婚相手に高望みはしていない。
 仮にフォアが独身で、本気で求婚してきたなら、真剣に考えただろう。

「新婚なのか? ほんとに?」

「そうなんです。といっても、もう半年前なので新婚ではないかもしれませんけど」

 ちなみに相手は暗部の同僚、ではなく、一般の街の女性である。

「新婚生活、どう?」

「順調ですよ。出張が多いからあまり家には帰れませんけど、週一で手紙のやり取りをしてます」

「なるほど。……それで、たとえば、たとえばだが、私と新婚生活を送ると考えると、上手くいくと思うか?」

「何地味に口説こうとしてるんですか」

「だって! 嘘ではあるが、プロッ、プロポーズしてくれたし!! 既婚であることも嘘かも知れないだろう!!」

「プロポーズは嘘ですよ。真っ赤な嘘です。でも結婚してるのは本当ですよ」

「わかってる! 何度も言うな! ……わかってるから」

 とにかくだ。

「アイス様が、一応理由があって受け入れようとしたのは、わかりました」

 確かに愚問だった。
 フォアの見かけではなく、本質を見抜いた上での対応だったのなら、一理ある。

 フォアはただの甘ったれの貴族の息子などでは断じてない。
 頭もキレるし、密偵としての腕もいい。

 何より、人に害を与えない性格をしている。
 だからイリオもフォアと個人的な友人関係が続けていられるのだ。

 むしろ、見た目にとらわれず判断したと言うなら、アイスの判断はそこまで間違っていない。

 ただ、ものすごく、尻軽には感じられたが。

「でも、状況に流されてましたよね?」

「うむ……あれだな。実際に痴漢に合うと怖くて声が出なくなるという、あの現象だろうな」

 だいぶ違う気がするが、そこはもういい。

「特訓が必要です」

「ん? ……特訓?」

「はい。これからちょくちょく男を呼んでアイス様を口説いてもらいますので、慣れてください」

「……いや、そういうのは、ちょっと……」

 アイスは胸に手を当てた。

「こ、鼓動が、持たないかも、しれない……」

「だから慣れてもらうんですよ」

 恋人探しの茶話会が開かれたら、いろんな男と知り合うことになる。
 中には、今日のフォアのように、露骨に口説いてくる男もいるかもしれない。

 そのたびに、心臓が心配になるほど、ときめいていたら。

 それこそそっちの方が死ぬだろう。持たないだろう。

「それに、もう少し具体的に詰めた方がいいでしょう」

「ん? 詰める?」

「ええ。アイス様の好みです」

 これまでに、漠然とした希望はだらだら聞かされ続けてきたが、具体的な好みはわからない。
 男性との接点がほとんどなかったアイスは、「具体的な好み」を浮き彫りにできるほど、実例と経験がないのだから。

 茶話会までまだ時間はある。
 こうして男性と接して少しずつ刺激に慣れてもらい、その上で、具体的に伴侶に何を求めるのか、何が好きなのかをリサーチしておきたい。

 一生の問題である。
 結婚相手や恋人は妥協の結果、と言う者もいるかもしれないが、妥協できない部分だってあるはずだ。

 そんな説明をするが、アイスは胸を押さえたままだ。

「……さっきみたいなことが度々起こると、心臓が持たないと思うんだが……」

 胸のときめきに殺される。
 未だ経験のなかった感情と興奮に、アイスは自分の身体にさえ違和感を覚えていた。

「慣れて。今のままじゃ最悪の男に引っかかるから」

「最悪の男と言われてもよくわからないし……」

「王様みたいな男ですよ」

「それはまずいな」

 心臓をかばっていた手が、降ろされた。

「やるか。特訓」

 このままでは、あの国王のような男と結婚することになる。
 そう思えば、踏ん切りが付いた。

 ――事の成り行きを見守っていたフォアは、なんでそこまで王様が嫌いなんだろうと、若干不思議だったが。




 こうして、アイスの男に慣らす特訓が始まった。

「――はぁ……はぁ……こ、これが男のやり方なのか……」

 それは熾烈を極めた。

「――な、なんだこの守ってやりたくなる保護欲……これが可愛い年下の持つ魅力なのか……!!」

 今まで鍛えることのなかった女心が、メキメキと音を立てて成長しているのを実感する。

「――な、なに!? 今日から二人掛かりだと……!?」

 アイスにとっては、魔物を狩る方が簡単だった。
 それほどまでに、彼女にとっては特訓はつらく、厳しかった。

「――一番高い酒持ってこい! ルカくんはまだか!? レイトくんは右に来い! 今日もいっぱい注文するぞ!」

 だが、どんな困難でも、アイスは諦めなかった。
 
 父親の教え通り、誠実に、そして真面目に、アイスは課せられる特訓に真摯に向き合ったのだった。




 瞬く間に一ヵ月が経過し、そして。

 アイスは、運命の男と出会うことになる。





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