50 / 53
49.たとえばそんな自覚症状
しおりを挟むとんでもない事態である。
元々、かなり鈍い性質ではあった。
自覚もしていたようだし、誰かに言われることもあったのだろうと思われる。
イリオも、何度かは、言ったことがある。
ビスト・ジャクフルが来なくなって、一週間が過ぎた。
「…………」
昼食が終わってからしばらく、アイスはぼんやりしている時間が多くなった。
明らかに、来ない人を待っている。
この一週間、毎日、ただぼんやり紅茶を飲みながら、何もせず待っているのだ。
たとえ、風が冷たく、陽の下であっても外で過ごすにはつらい時期でも、外のテーブルに着いて待っているのだ。
戦乙女としての予定が入っていても、それを少し先延ばしにして、待っているのだ。
そのくせ、自覚していない。
自分がなぜそうしているか、理解していない。
たった四日続いた習性が、その後七日も続いている理由に、答えを出していない。
本当にとんでもない。
アイスの鈍さはここまでだったのか、と。
戦うことについては鋭いくせに色恋沙汰には間の抜けた主に、専属メイドのイライラは募るばかりであった。だから結婚できないんだ、と頭ごなしに言ってやりたい。
――いいかげん、「自分で気づいてほしい」というささやかな望みは、捨てた方がいいかもしれない。
待ちくたびれたイリオは、アイスの尻を蹴飛ばすことにした。
早く先に行け、と。
「――ビスト様が来ましたよ」
ぼんやりしているアイスにそう告げると、アイスは椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。
「来たか!」
この反応がアイスの答えのはずなのに、それでも無自覚だから恐ろしい。
「すみません、嘘です」
「えっ」
「ビスト様は来ていません」
「あ……そう、か。なんだ、冗談か」
飴玉を取り上げられた子供のようにしょげて、アイスは椅子に座り直した。怒る気力もないことに更にイラ立ちが増す。
なんでそんな状態で自分の気持ちに気づかないのか、と。
「冗談じゃなくて、嘘なんですけどね」
笑わせるつもりもからかうつもりも一切ない。
もしアイスが自覚しているなら、期待を裏切る質の悪い嘘である。
自覚していれば、だが。
「アイス様、いくつか質問していいですか?」
「……今は放っておいてほしいんだが」
これだ。
この七日間のぼんやりの時間、十年の付き合いになる間柄なのに聞いたこともない理由で、イリオの干渉を遠ざけようとする。
なぜこれで自覚しないのか。
あまり話をしたい気分ではなさそうだが、構わずイリオは言葉を発した。
「ビスト様はもう来ません。いくら待っても来ません」
「わかってる」
「そうやって毎日待っていますが、どれだけ待っても来ませんよ」
「わかってる!」
明らかに怒りの感情を含んだ声に、しかしメイドは構わない。
「――そろそろ気づかないと、間に合わなくなりますよ」
そう、そろそろ動かないと、手が届かなくなってしまう。
というか、今現段階でも遅れているくらいだ。
「アイス様はビスト様をどう思っているんですか?
傍目には惚れた好きだ、という感情はないように思いますが。
ただ、気にはなっているはずです。気になっているから、そうして待っているのでしょう?」
「…………」
無骨で端的だが、アイスが言葉に窮することは少ない。
その少ない現象が、起こっている。
自分でも引っかかってはいたのだろう心境を、メイドに言い当てられた。
だから言葉も出ず、驚いている。
「その正体を知りたくないですか?」
「……わかるのか? 私にもわからない私の気持ちを、そなたはわかるのか?」
確かにもやもやしている。
イリオの言う通り、この時間は、ビストを待っていた。
この時間。
ただぼんやりと、手合わせで向かい合っていた記憶を反芻するための時間になっていた、この時間。
無為で無意味な時間だと自覚しながら、しかし、やめることはできなかった。
ビストがもう来ないのもわかっている。
待っていたって何がどうなるわけでもないことも、わかっているのに。
それでもやめられない、記憶に惑うこの時間。
この気持ちの正体。
――もしやこれが、昨今はやってみたいと思っていた、恋という感情では――
「それは私にもわかりません」
「おい」
がっかりである。
話の流れからして、イリオなら答えをくれるかと思えば、おもいっきり肩透かしである。
「仕方ないでしょう。私はアイス様じゃないんですから」
あくまでも、外野から見ている第三者の意見である。
ただし、イリオは、十年以上もアイスを見てきた者である。
もしかしたら、アイスよりもアイスを知る人物と、言えるかもしれない。
「でも、だったら、確かめるしか方法はないと思います」
「確かめる……?」
「もう一度ビスト様と会うんですよ」
それはそれはシンプルな答えだった。
そうだ。
アイスは思いつかなかったが、その手があった。
来ない人を待つくらいなら、来ない人に自分から会いに行けばいい。
もやもやした感情を抱えているのは、間違いないのだ。
会うことでこの気持ちが解消できるなら、充分会いに行く理由になる。
「ビスト様はもう来ません。なら、今度はアイス様から会いに行けばいいんです」
そして。
「もう一度会って、別れて、また会いたいと思ったら。それはもう、恋かもしれません」
恋かもしれません。
不思議なほどに、そのフレーズはアイスの心に染み込んだ。
「よし」
アイスは再び立ち上がった。
「元々私は行動派だ、考えるばかりで動きを止めるのは性に合わない。
この気持ちに決着をつけるため、会いに行くぞ」
ぼんやりしている時はだいぶ腑抜けた顔をしていたが。
立ち上がったアイスは、いつも通り凛々しかった。
まあ、でも、あれなのだが。
「立ち上がってもらってなんですが、ビスト様の都合や居場所を調べるところから始めないといけませんので、二、三日お待ちください」
「何を言う」
何を言うと言えば、イリオはかなりまっとうなことを言ったつもりだが。
「今すぐ行く」
「えっ」
やる気になったアイスの行動は、早かった。
「珍しいな」
イリオが止める間もなく動き出したアイスは、珍しく城内に踏み入った。
擦れ違う使用人や、警備のため立っている兵士が二度と言わず三度四度もチラ見し、アイスの動向を見張るよう命じられているのだろう誰かが走り出す。
アイスが自分の居住地を離れて城に来ることは滅多にないので、ちょっとした騒ぎになっていた。あとのことを考えると、追従するイリオは気が重い。
本人は周囲のことなどお構いなしに、とある執務室に一直線だったのだが。
「ここで会うのは何年振りだろうか、団長殿」
「三年か、四年か、それくらいだったはずだ」
訪ねた先は、騎士団長ブレッドフォークの執務室である。狭い部屋だが、執務用の机と応接用のテーブルがちゃんとある。
書類仕事をしていたブレッドフォークは、アイスの訪問を驚きながらも歓迎し、応接用テーブルを勧めた。
「茶でも用意してもらうか」
ブレッドフォークには専属メイドはいないので、紅茶などを準備するなら使用人を呼び出さなければならない。
「いや結構。団長殿も忙しいだろう、用事だけ済ませたらすぐに引き上げる」
時間が掛かるのでそれは断り、向かい合う初老の男にアイスは単刀直入に訪ねた。ちなみにイリオは傍に控えて立っている。
「ビスト殿に会いたい。居場所はどこだ?」
「ああ……ふっ、なるほど」
さすがはアイスの倍は生きている人生の先輩、その質問だけでおおよその流れは理解したようだ。
「惚れたか? 私が言うのもなんだが、アレはなかなかの男だぞ。入隊当時は少々軟弱だったが、先の遠征から一端の騎士の顔になった」
売り込まれるまでもなく、アイスもそれくらいはわかっている。
春に会った時から印象が変わったのは、何も表情が厳しかっただけではない。
あの頃の彼の記憶はだいぶ薄いが、確かあの時は髪も長かったし、体も一回り細かったはずだ。
「惚れたかどうかはわからない。それを確かめるために会いたいんだ」
そして剣を交えてよくわかった。
ひねくれ者や驕った者が多い貴族出の子息には珍しく、素直な太刀筋をしていた。
相手の性格は、打ち込みや足さばき、動きに自然と滲み出るのだ。
そういう意味では、アイスはビストの剣を、気に入っている。
来ないビストを待っていた理由がそれなのかどうかは、わからないが。
「しかし、少々遅かったな」
ブレッドフォークの話は、簡潔だった。
「――奴は騎士隊をやめたよ。家名も捨て、この国を出た」
返事さえできないアイスに、騎士団長は続ける。
「辞める前に、どうしてもアイス殿に会いたい、手合わせしたいと頼んできてな。だから私は、引退する部下への餞別のつもりで、アイス殿に引き合わせたのだ。
そういう気配というか、雰囲気というか、覚悟を感じただろう? だからアイス殿は申し出を受けたんじゃないのか?
予定通りビスト・ジャクフルは、国から拝領していた剣を返上し、騎士ではなくなった。
そして、実家から諸々を怒られる前にこのグレティワールから出ていくと言って、数日前に発ったはずだ」
覚悟を感じさせた緑の瞳。
王妃の庭に入ったり、厳重監視体制が敷かれているアイスに近づくという暴挙に出ることができた理由。
それは、最初から「全てを失う覚悟」ができていたから。
「……いない、のか。もう、会えないのか……」
表面上は、アイスにはあまり変化はなかった。
だが、心の中までは、そうではなかった。
――なぜだかとても心臓が痛い。
0
あなたにおすすめの小説
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!
古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。
その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。
『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』
昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。
領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。
一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――
物置部屋に追いやられた伯爵令嬢ですが、公爵様に見初められて人生逆転しました〜妹の引き立て役だったのに、今では社交界の花と呼ばれています〜
丸顔ちゃん。
恋愛
伯爵家の令嬢セレナは、実母の死後、継母と義妹に虐げられて育った。
与えられた部屋は使用人以下の物置、食事は残飯、服はボロ。
専属侍女も与えられず、家の運営や帳簿管理まで押し付けられ、
失敗すれば鞭打ち――それが彼女の日常だった。
そんなある日、世間体のためだけに同行させられた夜会で、
セレナは公爵家の跡取りレオンと出会う。
「あなたの瞳は、こんな場所に閉じ込めていいものではない」
彼はセレナの知性と静かな強さに一瞬で心を奪われ、
彼女の境遇を知ると激怒し、家族の前で堂々と求婚する。
嫁ぎ先の公爵家で、セレナは初めて“人として扱われ”、
広い部屋、美味しい食事、優しい侍女たちに囲まれ、
独学で身につけた知識を活かして家の運営でも大活躍。
栄養と愛情を取り戻したセレナは、
誰もが振り返るほどの美しさを開花させ、
社交界で注目される存在となる。
一方、セレナを失った伯爵家は、
彼女の能力なしでは立ち行かず、
ゆっくりと没落していくのだった――。
虐げられた令嬢が、公爵の愛と自分の才能で幸せを掴む逆転物語。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
幽閉王女と指輪の精霊~嫁いだら幽閉された!餓死する前に脱出したい!~
二階堂吉乃
恋愛
同盟国へ嫁いだヴァイオレット姫。夫である王太子は初夜に現れなかった。たった1人幽閉される姫。やがて貧しい食事すら届かなくなる。長い幽閉の末、死にかけた彼女を救ったのは、家宝の指輪だった。
1年後。同盟国を訪れたヴァイオレットの従兄が彼女を発見する。忘れられた牢獄には姫のミイラがあった。激怒した従兄は同盟を破棄してしまう。
一方、下町に代書業で身を立てる美少女がいた。ヴィーと名を偽ったヴァイオレットは指輪の精霊と助けあいながら暮らしていた。そこへ元夫?である王太子が視察に来る。彼は下町を案内してくれたヴィーに恋をしてしまう…。
見た目は子供、頭脳は大人。 公爵令嬢セリカ
しおしお
恋愛
四歳で婚約破棄された“天才幼女”――
今や、彼女を妻にしたいと王子が三人。
そして隣国の国王まで参戦!?
史上最大の婿取り争奪戦が始まる。
リュミエール王国の公爵令嬢セリカ・ディオールは、幼い頃に王家から婚約破棄された。
理由はただひとつ。
> 「幼すぎて才能がない」
――だが、それは歴史に残る大失策となる。
成長したセリカは、領地を空前の繁栄へ導いた“天才”として王国中から称賛される存在に。
灌漑改革、交易路の再建、魔物被害の根絶……
彼女の功績は、王族すら遠く及ばないほど。
その名声を聞きつけ、王家はざわついた。
「セリカに婿を取らせる」
父であるディオール公爵がそう発表した瞬間――
なんと、三人の王子が同時に立候補。
・冷静沈着な第一王子アコード
・誠実温和な第二王子セドリック
・策略家で負けず嫌いの第三王子シビック
王宮は“セリカ争奪戦”の様相を呈し、
王子たちは互いの足を引っ張り合う始末。
しかし、混乱は国内だけでは終わらなかった。
セリカの名声は国境を越え、
ついには隣国の――
国王まで本人と結婚したいと求婚してくる。
「天才で可愛くて領地ごと嫁げる?
そんな逸材、逃す手はない!」
国家の威信を賭けた婿争奪戦は、ついに“国VS国”の大騒動へ。
当の本人であるセリカはというと――
「わたし、お嫁に行くより……お昼寝のほうが好きなんですの」
王家が焦り、隣国がざわめき、世界が動く。
しかしセリカだけはマイペースにスイーツを作り、お昼寝し、領地を救い続ける。
これは――
婚約破棄された天才令嬢が、
王国どころか国家間の争奪戦を巻き起こしながら
自由奔放に世界を変えてしまう物語。
二十年仕えた王女が私を敵に売った。それでも守ることにした
セッシー
ファンタジー
二十年間、王女殿下の護衛騎士として仕えた。その殿下が、私を敵に売った。
牢の中で事実を知り、一分考えて——逃げることにした。殿下の目的を、まだ果たしていないから。
裏切りの真相を確かめるため、一人王都へ戻る護衛騎士の話。
「地味ブス」と捨てられた私、文化祭の大型スクリーンで王子様の裏の顔を全校生に配信します
スカッと文庫
恋愛
「お前みたいな地味女、引き立て役にもならないんだよ」
眼鏡にボサボサ頭の特待生・澪(みお)は、全校生徒が見守る中、恋人だった学園の王子・ハルトから冷酷に捨てられた。
隣には、可憐な微笑みを浮かべる転校生・エマ。
エマの自作自演により「いじめの犯人」という濡れ衣まで着せられ、学園中から蔑まれる澪。
しかし、彼女を嘲笑う者たちはまだ知らない。
彼女が眼鏡の奥に、誰もが平伏す「真実の美貌」と、学園さえも支配できる「最強の背景」を隠していることを――。
「……ねぇ、文化祭、最高のステージにしてあげる」
裏切りへのカウントダウンが今、始まる。
スクリーンの裏側を暴き、傲慢な王子と偽りのヒロインを奈落へ突き落とす、痛快・学園下剋上ファンタジー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる