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幼稚園
第4話 ピアノ発表会に出る
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愛華先生のピアノ教室に通い始めて、気付けばもう一年半が経っていた。
最初は鍵盤に指を置くだけで精一杯だったのに、今では両手で旋律と伴奏を自在に操れるようになっている。スキル《模倣》と《表現》の恩恵もあるが、それ以上に毎日の積み重ねが大きいのだろう。電子ピアノの鍵盤の感触は、もはや私の指の一部のように馴染んでいる。
「燈由ちゃん、表現力もついてきたしピアノ発表会に出てみない?」
レッスン終わり、柔らかな笑みを浮かべた愛華先生がそう言った。
「発表会ですか?でもそれって小学生が出るのですよね?」
私は椅子の上で背筋を伸ばしながら答える。
どう考えても、私はまだ幼稚園児。精神年齢はともかく、見た目は完全に4歳児だ。
「燈由ちゃんはエリーゼのためにが弾けるから発表会に出ても問題ないわよ。コンクールでもないし、気楽に弾いて楽しむのが目的だから大丈夫よ。」
にこにこと微笑むその様子は、既に参加確定と言わんばかりである。
「う~ん、愛華先生が言うなら……」
私が渋々頷くと、先生は嬉しそうに手を打った。
「じゃあ、曲はどの曲にしようかしら?」
「ショパンのノクターンを弾いてみたいかも。」
前世でも好きだった旋律。
夜の静寂を思わせる、あの繊細で甘美な音の流れ。
私はクラシック一辺倒ではない。J-POPや邦楽、アニソンも好きだ。だが、ノクターンだけは別格だった。
「じゃあ、楽譜を用意しておくわね。」
話がどんどん進む。
ここで一番の問題を確認しておかねばならない。
「コンクールじゃないから衣装とか要らないよね?」
母がフリフリのお姫様ドレスを用意する未来が見える。
「そうね、でも皆お洒落してくると思うわよ?」
ですよね。
「母にはワンピースで良いって言って欲しいなぁ。」
精神年齢ババアにフリル地獄は拷問である。
私の性格を知る愛華先生は苦笑した。
「でも発表会でバレちゃうわよ?先生、怒られるのは嫌よー」
裏切られた。
「じゃあ、フリフリじゃない地味なのにするには?」
最後の抵抗を試みると、先生は少し考えてから言った。
「私の子供の頃のドレスを貸してあげるわ。フリフリじゃないし、どうかな?」
救世主降臨。
スマホに映し出された写真には、小さな愛華先生。
グリーンを基調としたグラデーション。裾に繊細な刺繍。気品があり、無駄がない。
「愛華先生、とっても綺麗ね。」
「でしょ?お気に入りなの。サイズは直すけどね。」
こうして私は、先生の思い出のドレスを借りることになった。
◇◇◇
発表会当日。
こども文化センターの小さなホールに15人の出演者が集まった。
母は当然のように張り切っていた。
ドレスは借り物で阻止できたが、代わりに靴、小物、ティアラ、イヤリング、ネックレス――しかも本物。
「お金の心配なんてしなくて良いんだよ。」
父の一言で全てが決まった。
いや、そういう問題じゃない。
「燈由ちゃん、緊張しているの?」
母の表情は心配と期待が入り混じっている。
「大丈夫だよ。トイレ行ってくるね。」
私は個室に入り、こっそりとアイテム欄を開いた。
表現上昇補正(20%・効果1時間)を使用。
さらにスキル《表現》の熟練度を5へ。
――心が澄み渡る。
音の輪郭が、より鮮明に脳裏に描かれる。
舞台袖で順番を待つ間、他の子供達の視線が刺さる。
最年少は目立つのだ。
「ねぇ、あんたみたいなガキがいたら演奏会が台無しよ。」
真紅のドレスの少女。高学年くらいだろう。
「どうせきらきら星ぐらいの腕前なんでしょうけど。」
あらあら。
「貴女は何の曲を弾くの?」
「チャイコフスキーの白鳥の湖のテーマよ。」
初心者向けアレンジだろう。
「ふーん。」
それ以上は何も言わない。
言葉で争うのは三流。
鍵盤で黙らせるのが一流だ。
◇◇◇
名前が呼ばれ、舞台へ。
スポットライトが眩しい。
観客席は暗く、ざわめきが波のように揺れる。
深く一礼。
椅子に座り、ペダルの位置を確認。
そして――最初の一音。
静かな夜の始まり。
柔らかな旋律がホールを満たす。
憂い、孤独、切望。
それらを指先に込める。
4歳児の身体から紡がれるとは思えぬ、深い夜想曲。
音が重なり、空気を震わせ、観客の胸を揺らす。
誰かが息を呑む気配。
涙を拭う気配。
私はただ、夜を描いた。
終わらないでほしい静寂を。
最後の和音が消え、静寂。
一瞬、失敗したかと思った。
――次の瞬間。
割れんばかりの拍手。
私は立ち上がり、もう一度深く頭を下げた。
袖に戻ると、あの少女が真っ青な表情で俯いている。
「残念だったね。」
小声で囁く。
これくらいの仕返しは可愛いものだ。
◇◇◇
帰宅後、母はビデオを何度も再生してご満悦。
「燈由ちゃんの将来はピアニストね。」
「いや、公務員だよ。」
即答。
「パパもピアニストで良いと思うなぁ。」
味方ゼロ。
私は断固として言う。
「安定した公務員になるの!」
売れない芸術家なんて御免だ。
ホワイトで堅実な人生を歩むのだ。
その夜、ステータス確認。
《表現》6へ上昇。
ミニステータス:魅力72、芸能74。
順調だ。
私はまだ知らない。
あの日、客席の後方で腕を組みながら静かに微笑んでいた男が、芸能プロデューサーだったことを。
その視線が、秋月燈由という4歳児に強く向けられていたことを。
そして。
それが、私の「安定公務員計画」を根底から揺るがす第一歩になることを――。
最初は鍵盤に指を置くだけで精一杯だったのに、今では両手で旋律と伴奏を自在に操れるようになっている。スキル《模倣》と《表現》の恩恵もあるが、それ以上に毎日の積み重ねが大きいのだろう。電子ピアノの鍵盤の感触は、もはや私の指の一部のように馴染んでいる。
「燈由ちゃん、表現力もついてきたしピアノ発表会に出てみない?」
レッスン終わり、柔らかな笑みを浮かべた愛華先生がそう言った。
「発表会ですか?でもそれって小学生が出るのですよね?」
私は椅子の上で背筋を伸ばしながら答える。
どう考えても、私はまだ幼稚園児。精神年齢はともかく、見た目は完全に4歳児だ。
「燈由ちゃんはエリーゼのためにが弾けるから発表会に出ても問題ないわよ。コンクールでもないし、気楽に弾いて楽しむのが目的だから大丈夫よ。」
にこにこと微笑むその様子は、既に参加確定と言わんばかりである。
「う~ん、愛華先生が言うなら……」
私が渋々頷くと、先生は嬉しそうに手を打った。
「じゃあ、曲はどの曲にしようかしら?」
「ショパンのノクターンを弾いてみたいかも。」
前世でも好きだった旋律。
夜の静寂を思わせる、あの繊細で甘美な音の流れ。
私はクラシック一辺倒ではない。J-POPや邦楽、アニソンも好きだ。だが、ノクターンだけは別格だった。
「じゃあ、楽譜を用意しておくわね。」
話がどんどん進む。
ここで一番の問題を確認しておかねばならない。
「コンクールじゃないから衣装とか要らないよね?」
母がフリフリのお姫様ドレスを用意する未来が見える。
「そうね、でも皆お洒落してくると思うわよ?」
ですよね。
「母にはワンピースで良いって言って欲しいなぁ。」
精神年齢ババアにフリル地獄は拷問である。
私の性格を知る愛華先生は苦笑した。
「でも発表会でバレちゃうわよ?先生、怒られるのは嫌よー」
裏切られた。
「じゃあ、フリフリじゃない地味なのにするには?」
最後の抵抗を試みると、先生は少し考えてから言った。
「私の子供の頃のドレスを貸してあげるわ。フリフリじゃないし、どうかな?」
救世主降臨。
スマホに映し出された写真には、小さな愛華先生。
グリーンを基調としたグラデーション。裾に繊細な刺繍。気品があり、無駄がない。
「愛華先生、とっても綺麗ね。」
「でしょ?お気に入りなの。サイズは直すけどね。」
こうして私は、先生の思い出のドレスを借りることになった。
◇◇◇
発表会当日。
こども文化センターの小さなホールに15人の出演者が集まった。
母は当然のように張り切っていた。
ドレスは借り物で阻止できたが、代わりに靴、小物、ティアラ、イヤリング、ネックレス――しかも本物。
「お金の心配なんてしなくて良いんだよ。」
父の一言で全てが決まった。
いや、そういう問題じゃない。
「燈由ちゃん、緊張しているの?」
母の表情は心配と期待が入り混じっている。
「大丈夫だよ。トイレ行ってくるね。」
私は個室に入り、こっそりとアイテム欄を開いた。
表現上昇補正(20%・効果1時間)を使用。
さらにスキル《表現》の熟練度を5へ。
――心が澄み渡る。
音の輪郭が、より鮮明に脳裏に描かれる。
舞台袖で順番を待つ間、他の子供達の視線が刺さる。
最年少は目立つのだ。
「ねぇ、あんたみたいなガキがいたら演奏会が台無しよ。」
真紅のドレスの少女。高学年くらいだろう。
「どうせきらきら星ぐらいの腕前なんでしょうけど。」
あらあら。
「貴女は何の曲を弾くの?」
「チャイコフスキーの白鳥の湖のテーマよ。」
初心者向けアレンジだろう。
「ふーん。」
それ以上は何も言わない。
言葉で争うのは三流。
鍵盤で黙らせるのが一流だ。
◇◇◇
名前が呼ばれ、舞台へ。
スポットライトが眩しい。
観客席は暗く、ざわめきが波のように揺れる。
深く一礼。
椅子に座り、ペダルの位置を確認。
そして――最初の一音。
静かな夜の始まり。
柔らかな旋律がホールを満たす。
憂い、孤独、切望。
それらを指先に込める。
4歳児の身体から紡がれるとは思えぬ、深い夜想曲。
音が重なり、空気を震わせ、観客の胸を揺らす。
誰かが息を呑む気配。
涙を拭う気配。
私はただ、夜を描いた。
終わらないでほしい静寂を。
最後の和音が消え、静寂。
一瞬、失敗したかと思った。
――次の瞬間。
割れんばかりの拍手。
私は立ち上がり、もう一度深く頭を下げた。
袖に戻ると、あの少女が真っ青な表情で俯いている。
「残念だったね。」
小声で囁く。
これくらいの仕返しは可愛いものだ。
◇◇◇
帰宅後、母はビデオを何度も再生してご満悦。
「燈由ちゃんの将来はピアニストね。」
「いや、公務員だよ。」
即答。
「パパもピアニストで良いと思うなぁ。」
味方ゼロ。
私は断固として言う。
「安定した公務員になるの!」
売れない芸術家なんて御免だ。
ホワイトで堅実な人生を歩むのだ。
その夜、ステータス確認。
《表現》6へ上昇。
ミニステータス:魅力72、芸能74。
順調だ。
私はまだ知らない。
あの日、客席の後方で腕を組みながら静かに微笑んでいた男が、芸能プロデューサーだったことを。
その視線が、秋月燈由という4歳児に強く向けられていたことを。
そして。
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