女ふたり、となり暮らし。

辺野夏子

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ややしばらくして顔を上げる。湯も、アイスティーも、すっかりぬるくなってしまった。

 風呂から上がり、顔にシートマスクを貼り付ける。一枚の値段を換算すると四百円程度だが、それだって毎日使うのははばかられる。

「食べるもの……っと」

 冷蔵庫をぱかりと開ける。食材は豊富にあるが、朝から肉野菜炒めという気分ではない。

 小さなガラスの耐熱容器に作っておいた浅漬け、インスタント味噌汁と冷凍のご飯を取り出す。インスタ映えとはよく言ったもので、彩りと皿と照明がおしゃれであれば   なんだかいい感じに見えるのである。納豆、卵焼きを追加すればさらに完璧だ。

 早い朝食を食べながら、今日の予定を立てる。完全にフリーの日ではあるが、このまま家にいたところで、すっきりと晴れやかな気持ちにはならないだろう。

 沈んだ気分を明るくする方法はいくつかある。睡眠。運動。それでも無理だったら?

 その次は「浪費」にかぎる。賛否両論あるかもしれないが、自分としてはかなりの改善が見込めるはずだと考える。

 早めの睡眠、半身浴、念入りなスキンケアで心を奮い立たせ、準備運動をし、いつもの部屋着ではなくお出かけ用の服に着替える。

 髪の毛を巻き、化粧をする。鏡の中の自分は「わたくしは仕事の時だけでなく、普段からこのような装いですの。ほほほ」といった雰囲気を醸し出す。

 電車に揺られ、ターミナル駅、つまりは池袋まで繰り出し、そのまま駅直結の百貨店へ向かう。店内に入るとそれだけで何かを達成したような気分になってくる。
 
 日曜日とは言え、何か明確な目的がなければ、この時間に来店することはないだろうから開店直後は人がまばらだ。

 化粧品売り場のフロア販売員が声がけをする暇も無いほどのスピードで突っ切り、辿り着いたのは端にあるとある化粧品ブランドだ。メイクアップよりはアロマやリラクゼーションを押し出しており、普段使いには高いが貰うと非常に嬉しい、そのような位置づけの店である。

 まさか開店直後に客が来るとは思っていなかったのだろう、販売員があわててカウンターの奥から顔を出した。

「すいません、この入浴剤のミニボトルをひとつ……あと、大きいボトルもください。袋は別で」

 百合にプレゼントする分だけ買おうと思ったのだが、ついその場の雰囲気に流されて自分用も購入してしまった。愛想のよい、髪の毛をぴしりとお団子にまとめた販売員が、おまけの試供品をくれる。

  次に向かうのは地下食料品売り場のフロアだ。たまに購入する紅茶専門店で定番の茶葉を一缶買う。普段はスーパーに売っているお得用のティーバッグだが、余裕のあるときにきちんとした手順を踏んで煎れた紅茶は美味しいのだ。

 化粧品と紅茶専門店の紙袋を持って歩いていると、なんだかお金持ちになった様で気が大きくなってしまうので危険だ。これ以上物欲が刺激されないうちに、目的の物を購入して帰らなければならない。

 惣菜売り場を抜け、やってきたのは洋菓子売り場だ。色とりどりのケーキやチョコレートがこれでもか、とばかりに並べられている。その中から、フルーツパーラー直営のケーキ店に近づき、ショーケースを眺める。

「むむ……」

 季節は初夏にさしかかろうと言うところで、この時期はマンゴーを使った商品が多く並んでいる。しかし……高い。

 もともとデパートのテナントで値段の水準が高いところに、高級果物である。消費税を加味すると、一ピース千円にぎりぎり届かないぐらいだ。最初から購入する覚悟でやってきたのに、値段を見るとひるんでしまう。一玉三十円のうどんが三十個。つまりこのケーキと一ヶ月毎日うどんが食べられる権利が同等と言うことになる。つまりケーキはとてつもない贅沢品なのだ。

 数千円程度の浪費は社会人としてはごく普通なのだが、ここでためらうという事は、自分の中の「これにはこのくらい出してもいい」の水準を超えているからであろう。

「あたしはこういう時のために働いている……」

 と自分に言い聞かせるための独り言を聞き取ったのか、おばちゃんの店員は朗らかな笑顔を向けた。その表情に背中を押されたような気分になり、季節のマンゴータルトとイチゴのショートケーキを選び出す。

「また節約すればいっか」

 両手は紙袋でいっぱいである。時計が正午を指し示す前に、あたしは岐路についた。


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