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女たち
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小上がりに上がった三人の参加者たちは長机の前の座布団に等間隔に鎮座していた。相も変わらずひふみの三人の子どもたちはそこら辺を駆け回っている。残りの双子は母親の背中で静かに寝息を立てている。四左衛門は今か今かと、厨房の方へ忙しなく目配せをし、五郎七は処刑される前の罪人のように静かに目を閉じて座禅を組んでいた。
しばらくすると、遊郭から助っ人として仕向けられた女たちが看板娘のはなの教習を終えて戻ってきた。女たちの衣装は来た時のものとは異なっていたので、どうやら店の作業着に着替えたらしかった。
お手伝いさんたちは厨房と小上がりを行ったり来たりしながら、お椀や添え物など、わんこそばに必要なものを手際よく運んでいた。なんでも初めて給使係をするものばかりであったが、あたかもこの店でずっと働いているかのような手際だと、感心する四左衛門であった。
「彼女たち、なかなか手際が良いな。嫁に欲しいくらいだ」
長机の真ん中に居た四左衛門は心のなかで言ったつもりであったが、口からはぼそっと漏れ出ていた。向かって左側の五郎七は相も変わらず目を瞑りながら、
「お侍さんや、心の声が漏れ出ているぜ」
と横槍を入れた。はっと、両手で口を押さえた四左衛門であったが、ちょうど来ていた給使のひとりの小耳に入ったらしく、
「あら、いい男じゃないか。あんたのとこにならあたしゃ嫁いだっていいよ」
なんて、本気なのか冗談なのか分からないようなことを言われてしまったものだから、四左衛門は咳払いをひとつして、
「拙者、必ず優勝してみせるでござる」
などと、妙に凛々しく言ってみせた。
「そうそう、男ってのはそうでなくっちゃあ」
そう言い残してまた厨房の方へそそくさ戻っていった。
「けっ」
隣の五郎七はつまらなさそうに、また座禅を組もうとしたが、自分の元へやってきた給使のひとりと目があった。
「ご機嫌麗しゅう」
そう言って五郎七へと微笑みを振りまいていた。
「う、うるわしゅう」
五郎七は思考が麻痺したかのように片言になっていた。五郎七の異変に気がついた四左衛門は左隣を見ると、同じようにその給使と目が合った。
「「あ」」
と、ふたりとも同じような音程の声を発し、一瞬時が止まったようだった。それそのはず、彼女は四左衛門が昨日相手をしてもらった遊女なのである。
「今日はやけに天気がいいでござるなぁ」
侍の放った決まり文句のようなもので止まった時が動き出すと、給使は少し微笑みを浮かべて厨房へ潜った。そんなことは知らない五郎七は、
「旦那ぁ、挨拶にしてもそれぁ、雑ってもんだぜぇ」
とまたしても横槍を入れた。もう一度咳払いをした四左衛門は、妙に頬を赤らめ、俯き加減に下を向いていた。
反対側に座ったひふみは泣き出した背中の双子をあやしつけながら、そこら辺を走り回る三人の子どもたちを叱っていた。
「こら、みんな準備しているんだから。ぶつかったらどうするの」
最早わんこそばどころではなく、家の様子と同じだとひふみは思った。それに見かねた給使ひとりがひふみのもとへやって来て、泣き出した双子を優しく抱っこした。
「べろべろばあ」
はじめこそ泣いていた双子だったが、しばらくすると泣き止んで、鼻水を垂らしながらきゃっきゃと笑い始めた。
「あたい、子守が得意なんだぁ。この子たちと同じように、五人兄妹で貧乏だったから、出稼ぎに行っていた親の代わりをいつもしていたっけなぁ」
「ありがとうございます」
ひふみは涙を浮かべながら給使に向かってお礼を言った。
「あたいが子どもたちの面倒見ているからさ、あんたはそばに集中しなよ。絶対勝つんだよ」
ひふみは大きく頷いた。先程まで紅一点だったひふみにとって、女性同士のこのような言葉は心強かった。泣き出したい気持ちを抑えて、溢れる涙を拭って気合いを入れ直した。
三人の目の前には色とりどりの小皿が並び、ようやくわんこそばの準備が整った。空腹が限界に達している男ふたりにとっては、この小皿に載った刺身だの薬味だのも今すぐ食べてしまいたいくらいであったが、もう少しの辛抱だと、きっと我慢した。
そんな三人の元へ、看板娘のはなが気前良く飛び出てきて、
「お待たせしました~。それではこれから百八屋わんこそば大会を始めたいと思いま~す。皆さん、もう一度言いますが、蓋を閉めるまでそばは入りますからね。くれぐれも吐かないで下さいね~。準備は良いですか」
「待ちくたびれたぜ」
五郎七が眉毛を八の字にしながら酒臭いため息を着いた。四左衛門は目を閉じて首をばきばき回している。ひふみも同じく目を閉じて精神を統一させている。皆思い思いの一瞬を過ごし、戦いの火蓋は、ついに切って落とされた。
「それでは、はっけよ~い、のこった~」
しばらくすると、遊郭から助っ人として仕向けられた女たちが看板娘のはなの教習を終えて戻ってきた。女たちの衣装は来た時のものとは異なっていたので、どうやら店の作業着に着替えたらしかった。
お手伝いさんたちは厨房と小上がりを行ったり来たりしながら、お椀や添え物など、わんこそばに必要なものを手際よく運んでいた。なんでも初めて給使係をするものばかりであったが、あたかもこの店でずっと働いているかのような手際だと、感心する四左衛門であった。
「彼女たち、なかなか手際が良いな。嫁に欲しいくらいだ」
長机の真ん中に居た四左衛門は心のなかで言ったつもりであったが、口からはぼそっと漏れ出ていた。向かって左側の五郎七は相も変わらず目を瞑りながら、
「お侍さんや、心の声が漏れ出ているぜ」
と横槍を入れた。はっと、両手で口を押さえた四左衛門であったが、ちょうど来ていた給使のひとりの小耳に入ったらしく、
「あら、いい男じゃないか。あんたのとこにならあたしゃ嫁いだっていいよ」
なんて、本気なのか冗談なのか分からないようなことを言われてしまったものだから、四左衛門は咳払いをひとつして、
「拙者、必ず優勝してみせるでござる」
などと、妙に凛々しく言ってみせた。
「そうそう、男ってのはそうでなくっちゃあ」
そう言い残してまた厨房の方へそそくさ戻っていった。
「けっ」
隣の五郎七はつまらなさそうに、また座禅を組もうとしたが、自分の元へやってきた給使のひとりと目があった。
「ご機嫌麗しゅう」
そう言って五郎七へと微笑みを振りまいていた。
「う、うるわしゅう」
五郎七は思考が麻痺したかのように片言になっていた。五郎七の異変に気がついた四左衛門は左隣を見ると、同じようにその給使と目が合った。
「「あ」」
と、ふたりとも同じような音程の声を発し、一瞬時が止まったようだった。それそのはず、彼女は四左衛門が昨日相手をしてもらった遊女なのである。
「今日はやけに天気がいいでござるなぁ」
侍の放った決まり文句のようなもので止まった時が動き出すと、給使は少し微笑みを浮かべて厨房へ潜った。そんなことは知らない五郎七は、
「旦那ぁ、挨拶にしてもそれぁ、雑ってもんだぜぇ」
とまたしても横槍を入れた。もう一度咳払いをした四左衛門は、妙に頬を赤らめ、俯き加減に下を向いていた。
反対側に座ったひふみは泣き出した背中の双子をあやしつけながら、そこら辺を走り回る三人の子どもたちを叱っていた。
「こら、みんな準備しているんだから。ぶつかったらどうするの」
最早わんこそばどころではなく、家の様子と同じだとひふみは思った。それに見かねた給使ひとりがひふみのもとへやって来て、泣き出した双子を優しく抱っこした。
「べろべろばあ」
はじめこそ泣いていた双子だったが、しばらくすると泣き止んで、鼻水を垂らしながらきゃっきゃと笑い始めた。
「あたい、子守が得意なんだぁ。この子たちと同じように、五人兄妹で貧乏だったから、出稼ぎに行っていた親の代わりをいつもしていたっけなぁ」
「ありがとうございます」
ひふみは涙を浮かべながら給使に向かってお礼を言った。
「あたいが子どもたちの面倒見ているからさ、あんたはそばに集中しなよ。絶対勝つんだよ」
ひふみは大きく頷いた。先程まで紅一点だったひふみにとって、女性同士のこのような言葉は心強かった。泣き出したい気持ちを抑えて、溢れる涙を拭って気合いを入れ直した。
三人の目の前には色とりどりの小皿が並び、ようやくわんこそばの準備が整った。空腹が限界に達している男ふたりにとっては、この小皿に載った刺身だの薬味だのも今すぐ食べてしまいたいくらいであったが、もう少しの辛抱だと、きっと我慢した。
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