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第一部〜ランゲ伯爵家〜

奇跡は二度起きる〜オスヴァルト⑪〜

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 翌日昼過ぎに部屋から出てきたディートリヒを、オスヴァルトたちは顔を強張らせて見ていた。
 寝不足気味な彼の表情には憤怒が宿っているからだ。
 自身の望まぬ事を強いられ、怒りが隠し切れない英雄は、今回の件を許さないと如実に態度に表す。

「無事で戻って何より」

「ご迷惑をおかけしました。それで、行方は掴めているのですよね?」

 目を座らせ低く唸るように言葉を発する彼に誰もが息を飲む。

「あ、ああ。貴殿を待って突入するつもりだったから」

「ではすぐに行きましょう。私は今回の所業を引き起こした輩を許すつもりはありません」

 苦虫を噛み潰したような表情に、周りは否やは言えない。
 すぐに出発する準備を各々が始めた。


「兄上」

 自身の剣を確認するディートリヒをオスヴァルトは呼び止めた。

「……奇跡とは二度起きないと思っていたよ」

 弟の存在を認め、ぽつりともらす。

 英雄たるディートリヒの奇跡とは、妻であるカトリーナと結婚できた事。
 想いを寄せていたが嫌われていた為奥底にしまいこんだものは、度重なる偶然により相思相愛にまで昇華した。

 一生かけて愛し、守りたいと誓った妻を裏切るなど、何があっても許せたものではない。

「辺境伯令嬢が好きなんだろう?
 しっかり守るんだぞ」

 その言葉はオスヴァルトの瞳に決意を宿らせる。

 もしも奇跡を望めるならば。


 テレーゼを守りたい。
 彼女を幸せにしたい。
 彼女の隣に並び立ちたい。

 戦場を駆け回る彼女を支えたい。

 昨日、「自分が相手をする」と言った彼女を行かせたくなかった。
 例え苦しむ兄にも、彼女の肢体を暴かせたくなかった。
 湧き上がる自分の感情はどす黒く、その瞬間彼の全身を駆け巡り、ある1つの気付きをもたらした。


『テレーゼを誰にも渡したくない』


 そう思った瞬間、例え兄が苦しんでいても、テレーゼを抱かせるなど絶対に反対だった。

 だから昨日の事は、オスヴァルトにとっても奇跡だったのだ。



 昨日の奇跡────

 薬師の元から戻って来て、ディートリヒにどう話そうか悲壮な決意をしながらエントランスへ向かったオスヴァルトとテレーゼの視界に、女性二人と荷物を持った護衛らしき男が映った。

 こちらに気付いた女性が、安堵したような顔を見せた後、顔を綻ばせ。

「オスヴァルト様!」

 自分の名前を呼んだ。

 その見た目は簡素で動きやすそうな服装。
 だが、一目で貴族の奥方と分かる雰囲気。

 何より輝くような金の髪に、青空を摸したような瞳は、今オスヴァルトたちが一番会いたい女性だった。

 その姿を見た瞬間、オスヴァルトの目はじわりと滲む。

(何なんだ、ほんと、何なんだ、これは?どういう奇跡なんだ?)

 一睡もしてない思考はあまり働かず、だが身体は一目散に女性へと駆け出す。

 そして、思わずオスヴァルトは女性を抱き締めた。




「義姉上ぇえええ!!」




 情けない叫びがエントランスに響く。
 だが、そんな事は彼にとってはどうでも良かった。

「兄上を……兄上を助けてください!!」

 いきなり抱き着かれた事に驚き、隣にいた──侍女は自身の髪に差したかんざしを抜き取った。

「エリン、待って。何か事情がありそうよ」

 抱き着かれた女性──ディートリヒの妻であるカトリーナは、いつに無い義弟の様子に冷静に言葉を発した。
 その言葉を受けて、侍女エリンは簪を再び髪に戻す。

 目の前の女性の存在に安堵したのか、オスヴァルトはよろよろと抱擁を解いた。
 そこへ、ゆっくりと近付いてきたテレーゼに気付き、少し気まずそうに紹介する。

「テレーゼ様、こちらは兄上の奥方である、カトリーナ夫人です」

「えっ、あっ……ランゲ卿の……」

 呆然と見ていたテレーゼは、慌てて意識を浮上させ、カトリーナに向き合った。

「初めまして、主人がお世話になっております」

「あ……は、初めまして、テレーゼと申します」

 顔を強張らせたまま、テレーゼは挨拶をした。
 先程の光景が瞳に焼き付いて、彼女を惑わせているのだ。

「あら……んふふ、オスヴァルト様もしかして」

 いたずらっぽくにやりと見やると、オスヴァルトは顔を赤らめた。

「そっ、れはっ、そのっ……!
 と、とにかく、義姉上はこちらへ!」

 しどろもどろになったオスヴァルトをにまにまと見ながらカトリーナも後に着いて行く。
 カトリーナの後に、エリンと護衛もあとに続き、最後にテレーゼものろのろと歩き出した。


「オスヴァルト殿!?帰って来たのか!それで、薬師は何と……」

「辺境伯殿、奇跡です。奇跡が起きたんです」

 オスヴァルトの希望に満ちた声に、辺境伯は訝しんだが、彼の後ろからぞろぞろと着いて来ている女性たちを見て目を見開いた。
 勿論、辺境伯だけでなく、フランツを始めとしたその場にいた騎士たちもだ。

「事情は道すがらオスヴァルト様から伺いました。略式の挨拶で失礼します。ディートリヒ・ランゲの妻、カトリーナと申します。
 夫はどちらですか?」

「ランゲ伯爵夫人……!歓迎致します。ようこそ辺境伯邸へ。
 ご主人はこちらの部屋です。
 ……その……何と言うか、卿は…」

 状態を説明しようにも、ナントモ言い難く。
 代わりにオスヴァルトが前に出る。

「義姉上。兄上は誰も入れるなと言ってました。ですが、義姉上なら気付いてくれるはずです。そしておそらく……兄上は正気を失っています。ですが、このままでは兄上の命が危ない……」

「大丈夫です。私がここに来たのは何かの縁でしょう。ディートリヒ様の事は私にお任せください。
 ……その代わり、犯人の場所を特定して下さいね」

「必ず!……兄上を頼みます」

 カトリーナはふわりと笑み、扉の中へ消えて行く。

 その姿を見送ると、オスヴァルトは力が抜けたのかその場に座り込んだ。

「オスヴァルト様!」

 誰よりも先にテレーゼが駆け寄る。

「すみません、何か、安心したら気が抜けて……」

「二人は休んで無いのだろう?今のうちに休んでおけ」

「いいえ、休んでる暇はありません。特定しなければ……兄が出てきた時に顔向けできませんから」

 疲労感は確かにある。
 今直ぐベッドに突っ伏したいくらいには疲れている。
 しかしそうも言ってられない。

 だが。

「言っただろう、裏切り者に自白剤を飲ませたと。アジトは割れている。
 見張りから常に連絡は来ている。トラウト卿と……盗賊団首領もそこにいるようだ。
 ランゲ卿が出て来次第向かう。だから今のうちに休んでおけ」

 辺境伯に促され、オスヴァルトは借りている部屋に戻って来た。
 そこにあるベッドにどさりと倒れ込むと、すぐに微睡みが訪れる。
 朝から何も食べていないが眠る方が先だった。


 今日は一日が濃すぎた。



 自分の気持ちに気付いた事が一番残っている。


「…テレー……ゼ……さま……」

 その名を呼ぶだけで心地良い。
 抱きしめた時の温もりと柔らかさを思い出し、熱に浮かされたような気持ちの中、オスヴァルトは意識を手放した。

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