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第二部〜オールディス公爵家〜
君がいない絶望
しおりを挟むマリアンヌの葬儀は厳かに執り行われた。
愛する妻を亡くしたアドルフは、表面上は淡々として参列者を迎え入れた。
棺に縋り付き泣きじゃくるのは王妃フローラだった。
短い時間ではあるが、特例で訪れたのだ。
親友を看取れなかった事、自身の懐妊の知らせからマリアンヌが出産を望んだ事を悔やみ、ひと目も憚らず泣き叫んだ。
国王ユリウスはそんな妻を窘め、慰めた。
自身も親友に声をかけたかったが、あまりにも無表情に機械のように動く彼にかける言葉が見つからなかった。
リーベルト侯爵夫妻も参列した。
フィーネは手紙を貰ってすぐに帰国したが、マリアンヌの最期には会えなかった。
肩を震わせ嗚咽する妻の背を擦り、花を手向ける。
棺の前に来て、マリアンヌの安らかな顔を見て、フィーネはその場に崩折れた。
アドルフはどこか呆然と成り行きを見ていた。
学園の入学式で出会い、言い合いから始まった仲。
その間10年にも満たない短い期間。
元々身体が弱く長を生きられないとは言っていたが、こんなに早いとは思ってもみなかった。
どうすれば良かったのだろう。
あの日、あの時を振り返り、アドルフは考える。
だが答えは出ない。
全て最善として選んだ結果だ。
マリアンヌの希望を叶え、幸せであったではないか。
それでも、考えずにはいられない。
何かで頭の中を巡らせていなければ壊れそうだった。
何もかも放り出して、みっともなく泣き縋りたいのはアドルフの方だったのだ。
棺が埋められ、参列者が各々帰宅しても、アドルフは墓の前から動けなかった。
陽が高くなっても、傾いても、陽が沈んでも。
その場に縫い付けられたかのように佇んでいた。
「アドルフ様、そろそろお戻り下さい」
中々帰宅しようとしない主に、執事のフリッツが声をかけた。
だがアドルフは動かない。
「アドルフ様……」
再び声をかけたフリッツは、ハッと息を呑んだ。
アドルフの頬に雫が伝う。
嗚咽するわけでも、肩を震わせるでもなく、ただ、流れ落ちる雫は地面に吸い込まれていく。
それは静かに、声も無く。
両の目から止めどなく溢れてくる。
おそらくアドルフ自身も気付いてはいない。
ゆっくりと、フリッツの方へ顔を向け。
「ああ、暗くなってきたね。帰ろうか。……マリアンヌが待ってる」
「──っ……」
何事も無かったかのように柔らかに笑むアドルフ。だが相変わらずその頬は濡れていて。
その歪さにフリッツは言葉を失った。
帰宅した頃には流石に涙は止まっていたが、アドルフはいつものように寝室へ行く。
「ただいま、マリアンヌ。今帰ったよ。寂しい思いをさせてすまないね」
だが当然のようにそこには誰もいない。
あるはずの返事も無い。
使用人によって整えられたベッドには、いるはずの人が今はもういない。
「マリアンヌ、どこかな。庭にいるのかな」
虚ろな目をしてアドルフは庭へ向かった。
常でない主の様子にフリッツは数名の使用人を側につかせた。
「マリアンヌ、どこだい。……返事をしてくれ」
庭を彷徨うが、静寂があるばかり。
その名を呼んでも己の声以外は響かない。
『アドルフ様』
不意に呼ばれた気がして振り返る。
──そこには誰もいない。
アドルフはたまらず駆け出した。
訳も分からない焦燥感が彼を襲う。
自身の内から溢れ出るものをどこかに吐き出したかった。
視界がボヤケて前が見辛い。それでもアドルフは止まれなかった。
使用人の制止も聞かず、ただ夢中で。
辿り着いたのはいつもの寝室。
愛しい妻が常にいた場所。
ベッドに寝ていた。
調子がいい時は窓辺で景色を見ていた。
ソファに座って本を読んだり、刺繍を刺したりしていた。
その残滓を一つ一つ辿る。
だが幻となって消えた。
アドルフは胸を掻き毟った。
頭を抱え、その場に蹲った。
戻らない。
愛しい人は、もうこの世にいない。
抱き締めたくても、口付けたくても叶わない。
生きていてくれたらそれで良かった。
ただ、己の隣で笑ってくれれば、それだけで良かった。
もう、いない。その事実がアドルフに襲い、苦しめた。
「ふ………ぅ、ぐぅ……うぅう………」
言葉にならない嗚咽が漏れる。
汗と、涙と、涎と。
ぼたぼたと落ちては床に吸い込まれていく。
泣き叫びたかった。
気が狂わんばかりの喪失感に苛まれるが、皮肉にも貴族としての教育の賜物か、どこかで歯止めがかかり狂わせてもくれなかった。
アドルフが素直に感情を曝け出せるのは、いつだって愛しい妻のマリアンヌだけだったのだ。
喜びも、悲しみも、慈しみも、怒りさえも。
マリアンヌだけにしか見せられなかった。
彼女が亡き今、感情の発露先を失い彷徨わせた。
行き場の無い思いは彼の内に溜まりを形成していったのだ。
「おとうさま」
ぽつりと呼ぶ、小さな声。
葬儀の時から視界に入っていなかった娘だった。
『カトリーナも愛して下さいね』
マリアンヌはしきりに言っていた。
とことこと暗い部屋に入り、アドルフの前で立ち止まる。
「おかあさま、いないの。おかあさま、どこ」
まだ3つの幼子だ。母親が亡くなった事を理解できていないのも無理はない。
使用人が慰めはしても、親を求めるのは仕方ない事だろう。
どこ、と聞かれても、むしろ自分が聞きたかった。
妻はどこだ、どこにいるんだ。
今すぐにでも抱き締めたいのに、探してもいないのだ。
その事実を認めたくなかった。
そして、今のアドルフに娘を思いやる余裕が無かった。──その姿を見た刹那、この子さえできなければ、という考えが過り、アドルフは顔を歪め思わず叫んだ。
愛する妻が遺した忘れ形見をそのように思うのは人として最低だと自嘲する。
澄んだ空色の瞳に責められているように感じたのだ。
──結果、アドルフはこの日を境にカトリーナを真正面から見る事ができなくなってしまったのだった。
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