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5.冷えていく心
しおりを挟む王太子シュトラールは常にリリィをそばに置いた。
婚約者がアカデミーに来ていないことなど気にもせず、ただひたすらリリィに愛情を注いだ。
「リリィ、愛している」
リリィの顔をしたルーチェに囁く様を見て、ルーチェの気持ちは冷えていく。
愛していると言いながら、中身が変わった事など気付きもしない。それは本当に愛していると言えるのだろうか。
「リリィ?」
「……すみません、殿下。少しぼうっとしていました」
「どうしたの? いつものリリィらしくないね」
頬を持ち、ちゅ、ちゅ、と口付けが降ってくる。
いつものリリィとはどんな感じだろう、と少し焦ったが、シュトラールは「おとなしいリリィも好きだよ」と頭を撫で、口付けてきた。
一分の隙間も無い程愛情を注がれ、抱き締められ、ルーチェはこれでは自分に向けられる余裕なんて無いとどこか達観したような気持ちだった。
「ところで殿下」
「シュティだよ」
殿下と言えば拗ねたような表情になるシュトラールに苦笑し、また気持ちが冷えていく。
「シュティ、あなたの婚約者は放置してていいの?」
一瞬にして冷酷な瞳になったのをルーチェは見逃さなかった。何も映さない深淵の闇。どきりとしたがすぐにシュトラールは笑みを浮かべた。
「リリィ、きみと一緒にいるときに他の女の話は止めよう。あれとは結婚したら何十年と一緒にいなければならないんだ。ウンザリする程に」
心底嫌そうにシュトラールは言う。
それ程までに嫌われるようなことをしただろうか、とつきりと胸が痛んだ。
「そんなこと言っちゃかわいそうよ。ただでさえシュティの愛情は私が独り占めしてるのに、シュティに愛されないなんて」
「結婚したらそれなりに相手してやればいい。どうせあっちも好きにするだろう。それより」
シュトラールは瞳に情欲を浮かべリリィを熱く見つめる。
リリィに憑依して三日、王太子に抱かれなかった日は無い。
二人は特別室だけでなく夜も王城に連れて行き交わっていた。
どれだけ求めても足りないとシュトラールはリリィの身体に溺れきっている。
それでも王太子として割り振られた執務はこなしているから誰も文句は言わないのだろうと思った。
身体をまさぐられ弄られ沢山の口付けを送られ、リリィの身体は素直に悦びを溢れさせる。
ルーチェとしての心は冷えたままシュトラールの熱を受け入れる。
彼に愛されたいと願っていた。
ある意味叶った今、ただ虚しさを感じていた。
リリィが疲れて眠った後、シュトラールはその髪を手で鋤きながらじっと見ていた。
三日程前から様子がおかしい。
いつもは奔放で求めてくるリリィが、苦しげに涙を浮かべ「殿下」と呼ぶ。
初対面から馴れ馴れしく「シュトラール様ぁ」と甘ったるく話しかけて来たのに今はどこかよそよそしい。
あまつさえどこかチラチラと過る婚約者の影。
婚約を結んだ頃は仲良くしていた。
恋心は芽生えず、政略結婚ならこんなものだろうと冷静でいられた。
だが必死に話し掛け笑みを向けられるのが気持ち悪くて不快になった。
どうせ死ぬまで夫婦として扱わねばならない事が嫌で嫌で堪らないのに、幼い頃から足枷のようにまとわりつかれる事に辟易していた。
それでも笑みを貼り付け婚約者として最低限の態度はとっていた。贈り物は従者に命じて欠かさなかったし、エスコートも最初から最後まで義務を果たした。
しょせん義務なのだ。
王太子として生きる権利を果たす為だけに存在する義務。そんな相手を愛する、親愛を抱くなど無理な話だった。
常にご機嫌伺いで気を遣うのも面倒で、婚約者がいなくなるとどっと疲れが滲み出た。
国王も同じだった。
シュトラールの母である王妃とは義務的な関係だった。
公務で最低限会話をするだけで、プライベートでは寵愛する側室や愛妾と共にいた。
王妃は我関せずと無視していた。
自分もそのような関係でいい、面倒だと最初から関係性構築を放棄した。
そんな彼が気取らなくていい存在であるリリィ・クロウゼンにのめり込むのは時間の問題だった。
気遣いもいらない、顔を見ただけで考えが分かる、頭を使わなくていい楽な存在。
少し愛を囁やけば顔も身体も綻ばせ悦んで甘えてくる。
若く性欲にまみれたシュトラールに実に都合のいい存在だった。
ルーチェとは結婚しなくてはいけない、面倒で嫌だと思っていたが、リリィには結婚したい、いつも笑顔でいてほしいと常に思うようになった。
どうにか気を引きたくて贈り物をしても謙虚な姿も好感しかなかった。
「私は男爵令嬢です。あまり多くの物をいただいても危険が及ぶだけ。私は小さな宝石と殿下からの愛があれば十分です。
大きな物はどうか婚約者の方に……」
そう少し翳りのある表情で言われれば健気な彼女にもっと貪欲に望んでほしいと願ってしまう。
だから王太子の私室の隣――将来王太子妃が住まう部屋をリリィに貸し与え、大きな宝石はそこに保管した。
「ここに置いておけば周りには婚約者への贈り物とごまかせる。
勿論全部リリィのものだから自由に使っていいからね」
少しずつ、ドレスや宝石を増やしリリィに贈る。
その度目を輝かせて喜ぶのだからシュトラールは更に贈り物をした。
過去を振り返るシュトラールは、婚約者であるルーチェには最近何も贈っていないと気付いた。
最低限の事はしておかないと後に響くと母から忠告されたことを思い出す。
だが何を贈ればいいか検討がつかず、また面倒に思い、従者に適当に見繕うよう指示すればいいか、と思考を放棄した。
「……シュトラール……さま……」
寝ているリリィの頭を撫でていると名を呼ばれどきりとする。
リリィの目頭からぽろりと涙がこぼれた。
「……リリィ……ルーチェ……?」
「……はい……」
心臓がどくりと跳ね上がる。
自分でも何故その名が出たのか分からない。
けれど、言わずにはいられなかった。
そして返事があったことに汗が吹き出、しかし起きる様子がないことに小さく息を吐いた。
(少し、放置しすぎたか……)
婚約者に最後に会ったのはいつだったか。
思い出そうとして思い出せない。
リリィに出会ってから話した事はあっただろうか。
記憶が無い。
シュトラールは眉を寄せるとベッドから抜け出した。
リリィの額に口付けてから寝室から退室して私室に入ると従者を呼んだ。
ガウンだけを羽織り、ソファに腰掛け記憶を辿るがリリィとの思い出ばかりが甦る。
「お呼びでしょうか」
「ルーチェに何か贈り物をしたい。適当に見繕ってほしい」
従者は目を細め、「お言葉ですが」と口を開いた。
「殿下が選ばないオスクロル公爵令嬢への贈り物は禁止されております。贈り物をされるのであれば、御自身でお選びください」
その言葉にシュトラールは目を見開き従者を見た。
「なぜ」
「最近の殿下は愛妾候補に時間を裂きすぎです。贈り物一つ悩む暇さえ婚約者様に向けられない。
愛妾候補を連れ込んでは猿のように盛ってらっしゃる。婚約者をすげ替えるおつもりですか?」
彼は幼い頃から付き従う従者だ。気心も知れている。だからずけずけとした物言いになるがその内容を脳内で理解すると苦虫を噛み潰したように息を呑んだ。
「婚約者を変えることは簡単ではないことは分かっている。だが俺は」
「では継承権を放棄なさいませ。たかが男爵令嬢など何の後ろ盾にもなりません。私の家門も吹き飛ばすおつもりなら私は従者を辞させていただきます」
「トラウ」
従者トラウは最後通牒と言わんばかりに冷たく言い放つ。
彼の本気が伝わり、シュトラールの背中につう、と汗が伝った。
「公爵令嬢の何が不満ですか」
「不満など」
「ご不満がおありだから男爵令嬢の誘惑に引っ掛るのでしょう? 婚約解消できないのをいい事に信頼関係を構築することもなく面倒ごとから逃げ続けて」
「逃げてるわけじゃない!」
「では今すぐ公爵邸へ行かれてはいかがですか。
公爵令嬢殿は三日間目を覚まさないそうですよ」
「なに……」
トラウの言葉にシュトラールは表情を強張らせた。
知らない。自分にそんな情報は誰も伝えていない。
「アカデミーにも来てらっしゃらないのに気付きませんでしたか? どれだけ無関心でいられるのですか」
吐き捨てるような声にシュトラールは二の句が継げない。
「政略結婚ですから愛し合う関係になれとは言いません。ですが他の女性への情愛に溺れ、正妃を蔑ろにする事が貴方の為になるとは思えません」
「父上だって、母上と一緒にいるわけじゃない」
「国王陛下は貴方様がお生まれになってから側室を迎えられました。王妃殿下に子ができないからです。お二人は長く話し合われ、プライベートこそ一緒にはおられませんが公務では信頼関係を築いてらっしゃいます」
貴方は婚約者と信頼関係がありますか?
トラウはそう告げた。
「なんでもっと早く教えてくれなかったんだ」
「恋に溺れた者は頭がバカになります。そんなバカになにを言っても響きません。下半身脳の猿に成り下がった貴方に何を言っても耳を貸さないでしょう?」
流石にバカにされたと思い、シュトラールはトラウを睨み付けた。だが負けじと睨み返され、先に目を逸らしたのはシュトラールだった。
「……明日、アカデミーは休日だったよな。夜が明けたら公爵邸へ行く。時間を調整して馬車をまわしてくれ」
「かしこまりました。……男爵令嬢はどのように」
「リリィはそのままで。正妃にはなれずとも側室として迎える」
その言葉にトラウは軽く失望し、何も言わずに退室した。
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