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8.反比例
魔女との約束の一週間が過ぎた。
「おはようございます、お嬢様」
目にクマを作ったシアンは枕元にいて、目を覚ました主に声をかけた。
「シアン……」
喉が焼け付き声が掠れてしまったが、ルーチェは目の前の男にゆっくりと手を伸ばした。
シアンはルーチェを支えながらサイドテーブルに置いてあった水差しを傾けコップに注ぐ。
それをルーチェに渡すとベルを鳴らした。
目覚めたばかりで力が上手く入らず、ルーチェの口端から水が溢れる。シアンはそれを吸い取るように口付けた。
「ん……」
端から唇にスライドし、小さく音を立てる。
離れようとすればルーチェから追い掛けた。
「お嬢様、旦那様がいらっしゃいますから」
何度か軽く重なった唇を離し、シアンが囁くとルーチェは顔を真っ赤にさせた。
「……ごめんなさい、はしたなかったわね」
「いえ、役得で嬉しいです」
慈しむような眼差しを向けられ、はにかむような照れたような笑みを浮かべたルーチェはもう一度シアンに口付けた。
お互いもっと、という気持ちは一旦落ち着けて離れた。
「ルーチェ、目覚めたと聞いたよ」
「お父様」
オスクロル公爵はシアンから事情を聞いて全てを知っている。
ルーチェがリリィに憑依していたこと、王太子とルーチェの気持ちのベクトルが入れ替わること。
「気分はどうだい? ……事情はシアンから聞いているよ」
「何だかとてもスッキリしているの。……憑依している間に色々知ることができたのだけれど……」
一瞬の憂いを浮かべたが、ルーチェは気分を切り替える。
「王家に嫁ぐときはシアンを連れて行ってもいいのでしょう?」
不安そうに尋ねる姿を見て、公爵は王太子に対して失望をおぼえ、ルーチェの覚悟を思い目頭が滲むようだった。
「陛下と婚姻に関する取り決めをしてある。
今後王家に嫁ぐ者は支えとなる人物を一人だけ持てると。……それを決めたとき場にいらっしゃった王妃殿下も同じくになってしまったが」
「まあ」
国王に尽くし、側室や愛妾を多数迎えても微笑んでいた王妃が支えとなる人物を迎えることは国王は衝撃だったようで、公は王妃、私はその他と分けていた彼はプライベートでも王妃が気になっているという。
現時点で王妃の支えは候補者の中から見繕う段階だが、ずっと独身を貫いてきた騎士団長が退陣しそばにいたいと立候補しているらしい。
女っ気も無く、かといって王妃と私的に接触していたわけでもない男、更に地位も身分もある、王妃のそばにいても護衛という面目が立つ。
使用人たちの間では実は王妃を一途に思っていたのだろう、だが手出しできないから騎士団長として国ごと支えていたのだろう、とまことしやかに囁かれ始めているという。
「何かあったら自分に、と王妃殿下はおっしゃってくださった。ルーチェも頼りなさい」
「ありがとうございます、お父様。王妃殿下と良い関係が築けるように努力致しますわ」
ルーチェは久しぶりに心からの笑みを浮かべた。
スッキリしたという言葉通り、婚約する前に戻ったかのようで公爵は安心していた。
娘が婚約者のことで頭を悩ませ、とうとう東の魔女に縋ったということは親として不甲斐ない思いだった。
精神に作用する魔法を使う魔女に頼らざるをえない程追い詰めてしまった。
もっと己に力があって、王家に苦言を呈して聞き入れてもらえる家門なら、と何度も思った。
けれどそれでもルーチェの笑顔が戻るなら魔女の力も良いと思った。
苦しんでいるより笑ってくれた方がいい。
ルーチェがシアンを見つめ、シアンもルーチェに優しく接し、大切にする様を見れば二人をどうにかしてやりたいという気持ちも湧いてくる。
「ルーチェ、婚約は……」
「大丈夫ですわ、お父様。家門の安寧の為にもこのままで。これ以上王家に睨まれてもよいことはありません。私は大丈夫です。立派に役目を果たしますわ。……何があっても、シアンがそばにいてくれるなら」
「お嬢様……。私は貴女のそばにおります。貴女を支える役目を果たします。どこへなりともお供いたします」
シアンはルーチェの手を取り、己の額に当てた。
彼の忠誠はルーチェにあると示したのだ。
以降、彼はルーチェが黒と言えば黒、白と言えば白になる忠実な下僕となる。
元より裏切ることは無いが、二人の仲が余計深まったと言えよう。
夫婦として結ばれる事はないが、生涯寄り添って生きていく。
ルーチェがシアンは不要と言う日までは。
「ルーチェ、立派に役目を果たしなさい。父は王妃となるそなたを支えよう」
「ありがとうございます」
ルーチェが目覚めたという知らせは執務をしていたシュトラールにももたらされた。
すぐさまトラウにスケジュールを調整させ、公爵邸へ先触れを出す。
速達で届けられたそれは十分もしないうちに諾の返事が来た。
シュトラールは急いで執務を片付け、着替える為私室へ向かった。
「シュティ! 会いたかったぁ!」
「リリィ……」
リリィとはあの日以来アカデミーの中でも会っていなかった。
相変わらず愛称で呼び廊下を駆け人目も気にせず飛び付いてくる彼女に以前のような恥じらいは無い。
「シュティ、ね、お部屋に入れて? もうずっと会ってなかったでしょ? 貴方の愛を確かめたいの」
胸の大きく開いたドレスから覗く谷間にシュトラールの手を添え、上目遣いに見つめる。
上気した吐息に声を乗せ、リリィは潤んだ瞳でシュトラールを見上げていた。
以前はその愛らしい様に疼き、トラウに一言だけ告げて私室に招き入れて思う存分愛を確かめあっていたが、今は思わず眉をひそめてしまった。
「リリィ、今からルーチェの所に行かなくてはいけないんだ」
「どうして? 婚約者のことなんか放っとけばいいじゃない。ねぇシュティ」
リリィがシュトラールの手を取り、ドレスの隙間から手を差し入れようとしたが、素早く手を引いた。
「リリィ、前に言ったと思うけど、今は大事な時なんだ。婚約解消になりでもしたらリリィとの今後も危ぶまれる」
「何言ってるの? シュティは私を妃にしてくれるって言ってたじゃない……」
困惑するようなリリィに、シュトラールは溜息を吐いた。
つい数日前のリリィは目尻に涙を浮かべさっと身を引いてくれたのに。
「……ルーチェとの後継を設けたら愛妾として迎えるよ」
「愛妾!? 側室でもなくて? どうして? それに正妃じゃないの? 私と結婚したいっていうのは……」
シュトラールの服を掴み、身体を揺する。
そんな仕草も急いでいる彼には逆効果だった。
「リリィ、帰ってから話そう。今はルーチェのところに行かなければ」
リリィを引き剥がし、シュトラールは護衛に目配せをしてから更衣室へ入った。
彼女が呼ぶ声も今は煩わしい。
愛情が冷めたわけではないのに、ただその行動が不快だった。
王太子であるのはリリィの為でもある。
彼女の望みは叶えてやりたい。
新しいドレス、目も眩むような宝石、美味しい食事にお菓子、体調を整える為のマッサージ。
それらは全てお金がかかる。
シュトラールの為に着飾るリリィが愛おしい。
だから王太子であることは必須だ。
決してルーチェに心変わりしたわけではない。
けれど、リリィの中にルーチェを感じたときリリィに対する気持ちとは別の感情が湧いてきた。
それが何なのかは分からない。
だが、今まで以上にリリィを愛する気持ちと結び付け、側室、もしくは愛妾として迎える準備を進めている。
それなのに分かってくれないリリィに苛立った。
ルーチェと結婚しないと王太子ではいられない。
だからそれなりにでも大事にしなければならないのに。
公爵邸へ行き、帰った頃にはリリィも男爵邸に帰宅していればいいのに、などという考えを抱きながらシュトラールはオスクロル公爵邸へと向かった。
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