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9.胸のもや
オスクロル公爵邸に到着したシュトラールを、門番は快く出迎え、玄関で執事はにこやかに一礼した。
使用人達も以前と比べて雰囲気が柔らかくなり歓迎の意を感じていた。
メイドに案内されて着いた先はルーチェの私室ではなく応接室。
そのことに不満をおぼえるが自身の行いを思い返して溜息を呑み込んだ。
「お待たせ致しまして申し訳ございません」
「いや、今来たところ……」
ルーチェがシアンに手を引かれて入室したのを見て、チリリと胸の奥が疼いた。もやもやが拡がり思わず胸の辺りに手を当てる。
ルーチェは柔らかな笑みを浮かべ、シアンもルーチェの歩幅に合わせるようにしてゆっくりと歩く。
まるで二人だけの世界にいるように、割って入れない空気がそこにはあった。
「……シュトラール殿下? どうなさいましたか?」
「あ、ああ、いや、すまない、少しぼうっとしてしまった」
「お忙しい中ご来訪頂きすみません。家人が大袈裟に報告してしまったのでしょう? 大したことないのにお恥ずかしいですわ」
微笑みを崩さないルーチェに違和感がある。そして一週間も目を覚まさなかったことを大したことないと言える彼女に拒絶されたような気がしてシュトラールはショックを受けた。
「体調はどうだい? きみこそ無理をしてしまったのではないか?」
「私はいたって元気ですわ。ほら、何ともございませんでしょう?こんなですのにわざわざ御見舞に来て頂くなんて……」
「いや、婚約者の様子を伺うなんて当然だよ。ずっと眠り続けていると聞けば心配にもなる」
ぴくりとルーチェの表情がかわった。
笑みは崩さないのに、空気が張り詰めていくのが感じられた。
失言をしたとは思わない。婚約者として心配するのは当然だ。それを伝えてなぜか責められるような空気になることなどシュトラールに思い当たる節は無い。
「王太子殿下に心配していただけるなど、光栄ですわ。私としては自己管理ができておらず恥ずかしいばかりですが、殿下に心配して頂けるならずっとこのままでもよろしいかもしれませんわね」
「……いや、目覚めて良かったよ」
「そうですか? 私が目覚めないなら、殿下の思う通りになったかもしれませんのにね……」
出された紅茶を飲もうとして手が止まる。
鋭い刃で斬られたような気がして息を呑む。
「……ルーチェ、どうしたんだい? きみらしくない」
「私らしいってどんなでしたかしら」
小首を傾げ、可愛らしく微笑む。
感情などどこかに置き去りにしたような彼女の行動に、シュトラールは焦燥をおぼえた。
「……ところで、そちらの男は誰かな。まだ紹介してもらってないけど」
「彼は数カ月前から私の護衛をして頂いているシアンですわ。まだ紹介していなかっただなんて、失礼いたしました。
……でも、殿下は私の事を気にされておりませんでしたから、知らないのも無理ないですわね」
「ルーチェ!」
話題を変えたつもりがチクリと嫌味を言われたと感じ、シュトラールは思わず声を荒げた。
咄嗟の反応でシアンがルーチェを守るように一歩を踏み出し、それを手で制してから下がらせる。
「申し訳ございません。病み上がりなもので、少々口が過ぎたようですわ」
「いや、すまない。こちらこそ無理をさせてしまったようだ」
今まで放っておいたのに、急に目を覚まさないからと見舞いに来るようになったのを警戒されても仕方がないだろう。
今更何の思惑があるのだと。
「殿下、私たちは政略結婚を控えている身ですが、今まで通りで構いませんよ」
そこに何の感情も宿らない。
けれど微かに憂いや寂しさが含まれているような気がしたのはシュトラールの願望か。
ここで「ハイそうですか」と引き下がっては溝は深まるばかりだろう。
「政略結婚するからこそ今からでも関係を構築したい。私の不実でそなたを追い詰めたことは謝る。これからはしっかりと婚約者として接することを誓う」
シュトラールは頭を下げた。その行動にルーチェは目を見張り、戸惑うようにシアンを見上げる。
シアンは厳しい表情のままシュトラールを見据え真意をはかっているかのようだった。
ルーチェは笑みを浮かべる。それはシュトラールの望まないもの。
「殿下、過分なお気遣いありがとうございます。
私こそ至らないばかりで申し訳ございません。これからは次期王太子妃として精進して参りますわ」
ルーチェが何も無いように微笑むだけでシュトラールは己の業の深さを思い知る。
今ルーチェが浮かべるのは以前のような温かみも慈しみも失くしたかのような義務的な笑み。
不貞を責める事も嫉妬を顕にする事もない。煩わしささえ感じていたキラキラした瞳も無い。
婚約者ではない女性にかまけている内に熱は冷めてしまったかのようで気付かぬ内に胸の奥が痛んだ。
見えない壁を壊す勇気も無く、シュトラールは体調を慮ることを理由に公爵邸をあとにした。
どこか消沈したような面持ちでルーチェは気になったが、今からリリィに慰めてもらうのだろうと思えば何てことないように思えた。
「義務的に結婚しなくてはならない相手のご機嫌をとらないといけないなんて、ね……。早くお役目を果たして解放して差し上げないとね」
後ろからシアンに抱き締められながら、ルーチェは窓越しにシュトラールの後ろ姿を見ながら呟いた。
「解放されたら私と過ごしていただけるのでしょう?」
シアンは髪に口付けながらルーチェの頬を擦り唇を親指でなぞる。
濡れた吐息がルーチェの口から漏れて、気持ちを落ち着けるように大きく息を吸っては吐いていく。
「シアン、私はあの方に抱かれなくてはならないわ。子を生むことにもなる。初めても何もかもあの方に捧げなくてはいけない」
シアンに向き直り、見上げる。互いに熱の篭った瞳が交わり潤んでいく。
「それでもいいの? 貴方に耐えられる?」
「お嬢様、私はどんな道でも貴女と共にある事を誓いました。貴女が必要だと言うのなら、どんなことでも見届けます」
そっと手を取り口付ける。指先から付け根、手の甲に触れるだけのもの。
「シアン、せめて口付けだけは貴方に……」
潤む瞳が、濡れた唇が訴える。
「貴女の支えになりましょう」
口付けは唇へ。啄むように触れるだけ。
それはやがて離れがたくなり角度を変えて何度でも、そして深くなる。
ルーチェが口付けをしたのはシアンが初めてだ。深いものは勿論、唇に触れるだけのものさえした事が無い。
ルーチェに深い口付けを教えたのはシュトラール。
リリィに対し何度もしていたことだった。
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