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27.ルーチェの愛は
しおりを挟む後宮から戻るまでは最初こそ勇み足だったが段々と足取りは重くなっていく。
妻が懐妊中、しかも国にとって重要な後継かもしれないのに安定時期に腹を押さえて意識を失い、三日は目を覚まさなかった。
そんな中元恋人と一晩過ごした事はシュトラールの中で重くのしかかってくる。
怒りに任せ半ばヤケになったまま欲をぶつけ、相手がルーチェでないことに更に苛立ち止まる事がなかった。
冷静を取り戻しつつある今、それがいかにルーチェに対して不誠実だったか。
あれだけ側室も愛妾も取らないと言っていたのに、結局過去の精算を曖昧にしていた為にルーチェに後始末をさせリリィを愛妾として迎えなければならなくなった事に吐き気がした。
しかもそれが成婚から一年経過しようかとする時期の話だからどれだけ最低な男なのかということは嫌でも理解できる。
「たった一年じゃ、信じられなくても仕方ないか……」
アカデミーにいる間、リリィをそばに置いていた期間は一年以上。
入学して一年半が過ぎた頃、令嬢たちに囲まれていたのを助けたことがきっかけだった。
以後同じ事が無いように友人だからとそばに置き、いつしか恋になり純潔を捧げられてからは常に一緒にいた。
登下校でさえ守る目的でルーチェと通うよりリリィと通った回数の方が多いだろう。
ルーチェからの諌めにも耳を貸さず好きにしていた結果、現在ルーチェはシュトラールの言葉に耳を貸さず突き放している。
愛の言葉を素通りさせ応えることは決して無い。
アカデミーでシュトラールがしていた事をそのままルーチェがしているだけだ。
ルーチェからの思いを無視し、リリィに逃げた。
今回も、ルーチェの献身を無視し、リリィに逃げた。
何も変わっていない、変えられていない自分に笑いが込み上げる。
ルーチェの私室に近付くにつれ足取りが重くなっていく。
後宮に行く前に見た光景を思い出し胸がムカムカして苦しくなる。
唇を噛み締め強く手を握り締めて憤りをやり過ごそうとするが湧いてくるのは押さえきれない衝動ばかり。
今すぐルーチェを暴き誰のものなのか分からせたい。
けれど倒れて目覚めたばかりの病人を襲うわけにもいかない。
かといって再び怒りの矛先をリリィにぶつけられるはずもない。
考え事をしながらもルーチェの私室前に辿り着き、気持ちを落ち着かせようとシュトラールは深呼吸をした。
扉を叩くと声がしてより一層緊張が増す。
逃げ出したい衝動を押さえながら緊張を悟られないようにするので精いっぱいだった。
「ルーチェ……その……私だ。目が覚めたと聞いて……」
弱々しくなる己を叱咤しながら、シュトラールは唇を引き結ぶ。身重の妻が倒れている間に裏切った自分が、今更何を言うつもりだと正気に返っては喉奥がつかえたような苦しみを感じる。
「どうぞお入り下さい」
侍女に招かれた事にホッとして中に入ろうとすれば、先日見た男がルーチェのそばにいてシュトラールを睨みつけるように佇んでいた。
「ルーチェ……」
ゆっくりと近付くが泥濘に嵌ったように足が重い。先日この部屋で繰り広げた失態を思い出し、謝罪を、言い訳を、と口を開いては閉じた。
「……すまない」
少し離れた場所で立ち止まり出た言葉は謝罪。
己で誓った言葉を、信じてもらいたい気持ちを反故にし裏切った事はシュトラールを苦しめた。
だがルーチェは穏やかに微笑んだ。
「殿下、謝罪など要りません。貴方はこの国の王太子。何人女性を迎えても誰も咎めません」
「え……」
「国が側室や愛妾を迎える事を罪としないのですもの。誰が反対できましょう」
まるで幼子を諭すような穏やかな口調。
それでいて突き放すような言葉。
「私達は政略結婚で結ばれた仲。義務を果たせばそれで良いと今まで何度も申し上げてきました。
私は殿下の本当に愛する女性を教育し、王家に迎えても問題無いと判断したからここで働かせていました」
愛人の教育を妻がしていた衝撃と惨めさはシュトラールの心を容赦無く抉る。
リリィと別れただけで終わったと思っていた。
肉体関係まで発展していた男女がただの別れ話で済むのは平民くらいなものだろう。
ルーチェはシュトラールの尻拭いをし、リリィの未来を救うべく動いていた。
それがどれだけルーチェにとって残酷か、何もかも諦めたような表情の彼女が物語る。
「違う、違うんだ、ルーチェ。私が今愛しているのはルーチェだけなんだ。本当だ。信じてほしい。……昨夜はその……怒りで我を忘れただけで、気持ちはルーチェにしかないんだ」
「分かっておりますよ、殿下。私は常に殿下の幸せを願っています。殿下が王太子としてこれからもいられるように努めるのが私の使命でもありますし」
ルーチェはお腹を擦りながら自分に言い聞かせるように語る。シュトラールはそんな危うい彼女に違うんだとうわ言のように繰り返した。
「もうすぐ成婚一周年の式典がありますね。申し訳ございませんが、入場のエスコートのみお願いしてもよろしいでしょうか?」
「当たり前だろう! 夫として妻をエスコートするのは当然……」
「その後はリリィ様にお譲りしますので」
儚げな笑みを浮かべるルーチェに言葉が詰まる。
怒りに任せて言ってやろうと思っていた言葉は霧散していた。
「私はもう、十分に殿下から愛していただきました。あとはもう、殿下、ご自由になさってください」
堪らずルーチェに近寄り抱き締めようとするが、その前にシアンが立ち塞がった。
風貌から昨夜ルーチェのそばにいた男だと思い当たる。
「そこを退け。お前は何なんだ。なぜルーチェのそばにいる? そもそもここは王太子妃の私室だぞ? 私の許可無く男がいる理由は何だ」
「殿下、彼はシアン。以前も紹介しましたよね。お忘れですか?」
「ああ、そうか。シアン、思い出した。公爵家の護衛がなんだ」
「彼は私の護衛です」
「だから護衛がなぜ病人の私室にいるんだ!」
「私が彼にそばにいてほしいと願ったからです」
ルーチェの言葉にシュトラールは目を見開き、顔を強張らせた。
「婚約している時から貴方に裏切られた私を支えてくれたのが彼です。シアンを連れて来て良いと許しを貰えたから私は貴方に嫁ぎました」
信じられず何度も頭を振るがルーチェの真剣な眼差しにそれが嘘ではないと分かってしまう。
「この事は婚姻の契約時に国王陛下の許可を得たという証明をいただいております。殿下も……許可のサインをしております」
「妻のそばに男を置くなど許可したおぼえはない! なあ、護衛だろう? ただの護衛だろう? それなら許してやるから……」
シュトラールが一歩近付くと、ルーチェはビクッとし無意識的にシアンの手を握った。
シアンもその手を握り返したのを見ると、嫌でも二人が親密なのだと分かってしまった。
「嘘だろ……嘘だよね、ルーチェ、なんで……」
信じたくない、信じられない現実はシュトラールを絶望の縁に追いやった。
ルーチェは自分のものなのに。
ルーチェの愛を喉から手が出る程欲しているのに。
「ですから殿下、どうぞ、ご自由に」
完全に失ってしまったことをシュトラールは受け入れられず、その場に呻きながら崩折れた。
~~~~~~~~~~
お読み頂きありがとうございます。
本日より完結まで12時と21時の一日二回更新となります。
よろしくお願いします。
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