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第一章/時を戻った私
1.残酷な未来
「ユリアーナ・ブランシュ公爵令嬢! 私、ラルス・カシミニアは貴様との婚約を破棄する!」
右手を前に突き出し、左手は全身ピンクまみれの小動物系の令嬢の腰を掴んだ金髪碧眼の青年は、表情を硬くした令嬢に宣言した。
対する令嬢は父譲りの銀の髪と美貌、母譲りの薄紫の瞳に宿る意志は強く、壇上に立つ二人を目に焼き付けるかのように見ている。
「お前は私の隣にいる義姉でもあるクラーラを日頃より虐げていたそうだな」
「虐げていた……? 私は一度もクラーラを害したことなどございません」
「嘘をつけ! クラーラは毎日泣きながら私にお前の所業を訴えてきた。
ドレスを仕立てれば引き裂かれ、父から宝石を貰えば奪われる。挙句勉強ができないことをネチネチと嫌味たらしく言われるとな」
「クラーラの礼儀が公爵令嬢として見過ごせないからでございます。食事の際に音を立てる、婚約者のいる殿方に胸の開いたドレスで近寄るなど、令嬢としてはしたない行動を慎むように注意したまで。
ドレスを引き裂いたり父が与えた宝石を奪ったことは一度もございません」
「うるさいうるさい! 注意するにしても、毎日泣くまで責めなくてもよいだろう?
俺はお前のような女が生涯を支え合う妻になるなどまっぴらゴメンだ!」
ユリアーナは美しい顔を悲痛に歪ませ、震える指先を窘めるように擦った。
「俺はクラーラのような可憐で守りたくなるような女性がいい。
……クラーラ、俺と結婚してくれるか?」
「ラルス……! 嬉しい……!」
婚約者でもないのに、お互いの名前を呼び合うことは貴族社会では御法度だ。
それを王太子であるこの男が知らないはずないだろう。
何の茶番を見せられているの、とユリアーナは蒼白になり、唇を噛み締めた。紅を引いた唇はよれ、けれどもそれを気にしていられない程に俯きドレスを握り締めた手を震わせる。
この場は国王も臨席するアカデミーの卒業パーティーのはず。
ちらりと見れば剣呑な顔をしているが我が子の暴走を止めることをするでもない。
隣の王妃にいたっては無表情で静観するのみ。
国王の後ろにいる令嬢の父も相変わらずの無表情でただ突っ立っているだけ。
誰も、令嬢のことを気に留めない。
……そりゃそうだ。
相手は王族、下手に逆らえば一族郎党に悪影響を及ぼす。
それでもほとんどがとばっちりが来ないように静かに見守る中、何人かの令嬢は痛ましげな表情を浮かべ、中には駆け寄りたそうにしているのを止められている令嬢もいる。
茶番を終えた二人は再び寄り添い、ユリアーナの方を向いた。
「皆のもの、たった今私とクラーラの婚約が成立した! 王太子である私の妻となるクラーラは、将来の王妃である」
高らかに宣言したラルスをうっとりと見つめるクラーラ以外、誰もが戸惑いを隠せない。
やがてどこからかぱちぱちと音が鳴り、徐々に拡がりやがて大きな音が会場を埋め尽くした。
それに気分を良くした二人は喜色満面の笑みを浮かべ、国王陛下と王妃のように手を振る。
婚約は、国王陛下が認めて初めて成り立つものなのに。
茶番に見飽きたのか、国王、王妃、令嬢の父親は会場を退室しようと席を立ち、その他何人かも会場をあとにしようとする者が現れた。
「ねえ」
そんな中、軽やかな声が響き渡る。
「この女の処刑、してくれるのよね?」
笑顔で鈴が鳴る様に王太子に強請る言葉にしてはいささか物騒で、拍手をしていた手も、退室しようとした足も止まった。
「え……あ、ああ、国外追放する予定だ」
「そんなのつまらないわ。私がどれだけ傷付けられて、悲しかったか知っているでしょう?
ちゃんと目の前で処刑してくれなきゃ安心して王妃になれないわ」
可愛い顔して悪魔のように微笑む彼女に、ラルスの顔が一瞬引きつった。
国王たちはその場に立ち止まったまま動かず、令嬢の父は目を見開いて唖然とするのみ。
令嬢の中には恐ろしくて気絶する者さえいる中、ピンク女だけは可愛らしい笑みを浮かべて王太子を上目遣いに見ている。
「し、しかし、クラーラ、この者は仮にもそなたの義妹で……」
「私が義妹から受けた仕打ちはお忘れになりましたの? とっても傷付きましたのよ」
正直に言って、ユリアーナは処刑されるようなことはしていない。
誰もがクラーラの言い分を呑み込めず、場は静まり返ったまま動かない。
「衛兵、その女を処罰して」
指された衛兵は肩を跳ねさせ、クラーラを見やる。
彼は男爵家の次男でようやく近衛騎士になったと喜んでいた前途ある若者だ。
──やめなさい
そんな女の言うことなんか聞かないで。
真っ白になった衛兵の手は震え、剣の柄を握ろうとしてカチャカチャ音が鳴る。
恐怖に顔が引きつり、震える足を笑わせながら操られたかのように一歩、また一歩と令嬢に近付いた。
王妃が異常事態を察し、周りに指示を出し、令嬢の父が縫い止められていた足を前に出した。
ユリアーナは悲し気な目をしてそれでも小さく後ろに下がる。
あの女だけが嘲笑っている。
──やめて! その子に手を出さないで
私の叫びも虚しく、がくがく震える手を宥め、衛兵は剣を抜いて、叫び声と共に剣先をユリアーナへ突撃させる。
王太子も目を見開き一歩前へ出たところで、──ユリアーナは諦めたようにその胸に刃を受けた。
「──っきゃああああああああ!!」
そこかしこで悲鳴が上がり、令嬢たちが崩折れていく。
ユリアーナの血飛沫が王太子の頬を濡らすと、驚愕に見開かれた目玉だけがゆっくりと動き頬から垂れた血を追った。
「狼藉者を捕らえよ!! 令嬢令息はただちに避難せよ!」
カラン……と血の付いた剣が、私の身体を素通りした。
ユリアーナを刺した衛兵は正気を失ったかのように叫び声を上げ続け、王妃が差し向けた衛兵が数名がかりで押さえていた。
──守れなかった
この場にいたら、どんなことをしても駆け付けて守ってあげられたのに。
光を失くしたユリアーナは、青白い顔をして既に事切れている。
それでも止まらない血溜まりで、彼女のドレスが赤く染まった。
今更到着した父親面した男が膝を突き、娘の遺体に触れる。
──お前が……お前があの女を引き入れたせいで!!
男は娘の白くなった頬に触れ、その頬に雫が落ちた。
──ユリアーナに触るな!! お前にそんな資格は無い!!
引き剥がしたいのにすり抜ける。
殴ってやりたいのに気付かれもしない。
男は娘を腕に抱き締めて、呼吸が無いのを実感したのか肩を震わせた。私が振り上げた拳はスカスカと素通りし、何のダメージも与えられない。
血溜まりで正装が汚れるのもお構いなしにそれはやがて嗚咽となった。
今まで何もしなかったくせに、今更慟哭を上げてももう遅い。
──お前が……お前があんな女を愛さなければ……!!
そんな男の悲しみも虚しく、柔らかな光を帯びたユリアーナの魂が天に還ろうとしている。
──待って。
こんな結末はあんまりだ。
お願いします。
どうか、どうかこの子に幸せになる未来をください。
私の……
私のたった一人の大切な娘なのです──
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