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第一章/時を戻った私
3.前回の私は
私とカールハインツは典型的な政略結婚だった。
互いの父親が事業提携をし、年頃の娘息子がいたからちょうどよく婚約をした。
最初から仲はそれほど良くなかった。
美丈夫だけれど何事にも興味を示さないカールハインツは、婚約者の交流の場として設けられた席でも目線を外したままお茶を飲んでいた。
「ブランシュ公爵令息様」
「……婚約者となったのだからカールハインツで構わない」
「……かしこまりました。カールハインツ様」
名前を呼んだだけで眉をしかめられ睨まれて、まだ十歳くらいだった私は萎縮してしまった。
交流の場では沈黙が支配し会話も弾まない。
何杯かお茶をおかわりして、きっちり一時間程で帰路につく。
手紙を書いても返事も来ない。
諦めかけた頃に、小さく優しさや気遣いを見せた。
「これ……」
「まあ、ブローチですか?」
「この花が……好きだと言っていた」
「ありがとうございます。大切に、します……」
それは彼の瞳の色の宝石を使った、ひまわりのブローチだった。
初対面のときに緊張しながらも確かに好きなものをお伝えした記憶はある。そのうちの一つを覚えていて下さったのね、と感動したものだ。
たったそれだけがきっかけで、カールハインツを意識し始めた。
相変わらず無口で無愛想だったけれど、それでも少しずつ手紙の返事をくれるようになり、節目節目のお祝いには欠かさずプレゼントを贈ってくれていた。
花嫁修業をひと通り終えた15の頃。
16になると擬似的な社交の場として王国設立のアカデミーに通うことになる。
アカデミーは将来の為の練習ということで、男女が交流する時間もある。
カールハインツはそこでティアナと出会ったらしい。
私の二つ上になる彼は先に通い出し、仲間と共に有意義な時間を過ごしたそう。
婚約者としての交流する時間は誰がどんな事業を手掛け、どれだけ成果を上げたかを高揚に語り、楽しそうに私の知らない話をしていた。
私は話の内容についていけず、曖昧に相槌しか打てない。
そうこうするうちに交流の場が減り、手紙の返事も減っていった。
二年が経過して私がアカデミーに入ったときには、もうカールハインツと当時の王太子殿下を中心としてグループができており、その中に自然に溶け込んだようにティアナの姿があった。
話し掛けても「また今度」とあしらわれ、その度ティアナから嫌な笑みを向けられる。……男性たちから見えないように。
私と同じ年にアカデミーに入って来た第二王子殿下のリュディガー様と、婚約者であるイルゼ・ヴァインロート公爵家令嬢様が見かねてお誘いして下さって、それからはイルゼ様たちと一緒に食べていた。
時折苦言を呈されて、その度一度は戻るがすぐに戻ってしまっていた。
そして、時は過ぎ、カールハインツたちが卒業をする年のラストパーティーにて。
「リーラ・ヴェール公爵令嬢! 私、フォルクハルト・カシミニアはそなたとの婚約を破棄しティアナ・グラウ子爵令嬢と新たに婚約を結ぶことをここに宣言する!」
そう。
婚約破棄騒動はユリアーナだけではなかった。
当時王太子だったフォルクハルトはリーラ様に婚約破棄を突き付けたのだ。
だが流石にアカデミー入学より蔑ろにされていたリーラ様は準備をしていたようで、婚約中の不貞を理由として逆に婚約破棄を突き返した。
国王陛下が下した裁可はフォルクハルトの廃嫡、断種をした後市井に出されることになった。
ティアナは牢獄へ入れられた。
そして同じグループだった令息たちは主を諌められなかったとしてそれぞれ後継者を返上したり婚約解消されたりと様々だった。
そんな中、一番近しい存在のカールハインツと私が結婚できたのは、カールハインツが婚約解消に反対したのだと父から聞いた。
「マルレーネを守ります」
そう言ったらしい彼は、確かにアカデミー入学前に戻ったような気がしていた。
けれど、仕事が忙しく中々屋敷に帰らない。王太子殿下となられたリュディガー様の側近に抜擢されてからは余計に戻らなくなった。
更にユリアーナを授かってからは、役目は果たしたと言わんばかりに月に一度戻ればいい方。
時折夜会に一人で出ていたそうだから、その頃にはもうティアナと繋がっていたのだろう。
つわりの真っ最中に、フォルクハルトの刑が執行された。
ティアナの情報は無かったが、牢獄に入れられた彼女が早く出られるように尽力していたのかもしれない。
夫が寄り付かないお飾りの公爵夫人。
イライラを解消するために、私は酒浸りになった。
蔑ろにするならば、なぜ結婚したのだろう。
ティアナを愛しているならば婚約解消してくれたら良かったのに。
魅了などの魔法の気配は無かったと聞いた。
つまりはカールハインツの意思なのだ。
夫不在でも必要な夜会には出席しなくてはならない。
すると言われるのだ。
「公爵様は朝まで私を離して下さいませんでしたの」
くすくすと笑いながら耳元で囁かれる。
「奥様のもとへお帰りなっては? と尋ねても、『きみとの時間の方が有意義だ』とおっしゃるのよ」
頬を染めてしなを作り、聞いてもないことを喋り出す。
一人や二人ではない。
何人もの色香を纏った女性たちが彼の話を囁いてくる。
夜会から帰宅して、頭に蘇っては癇癪を起こして。
忘れたくて酒浸りになって。
「結婚したのに私は孤独だわ。たまには一緒に食事でもしましょう」
着替えを取りに来たカールハインツに懇願しても、眉を顰めて目を逸らされた。
「仕事で忙しいんだ。すぐに戻らねばならない」
愛しても、愛しても、愛しても、振り向かない。
どうして、どうして、どうして……!
「おかあさま」
「うるさいわね! あっちに行きなさい!」
ガシャーンとグラスが壁に当たって欠片が飛び散る。
小さなよちよち歩きの娘は怯え、侍女長に抱きかかえられて行った。
全てがどうでもよくなった私は、部屋に引き篭もりとなり食事と酒以外は口にしなかった。
微睡み、起きたら彼がいないことに癇癪を起こし、お腹が空いたら食べ、バカにした使用人を折檻した。
こんな底辺を地で行く腐った私だった。
それでも、カールハインツは顧みないくせに、離縁を言わなかった。
私からも言えなかった。
妻であることしか、縋るものが無かった。
誰にも頼れなかった。
政略結婚に愛など必要ない。愛されないからと弱音を吐くなど、言語道断だった。
──そして、ある冬の晩。
その日は雪が降り積もり、一層冷えた夜だった。
頬はこけ、腕は細く骨と皮だけになり、咳をするだけで胸が苦しくなり吐血する。
ベッドの上で窓の外で振りゆく雪を眺めながら、誰にも看取られない人生の終わりを悟った。
息は苦しいのに、どこか恍惚としてぼうっと天井を眺めていた。
私の人生、どこで間違えたのだろう。
カールハインツと結婚したから?
婚約解消できなかったから?
カールハインツを愛してしまったから?
分からない。答えは出ない。
けれど。
感覚も無くなってきた頃、小さな温もりが左手に触れた。
その方向を見る力も残されていなかった。
やがて意識が遠退き──私は天井から自分の死体を眺めていたことで死を悟った。
小さな少女が泣いていた。
「おかあさま……おかあさま……」
そばにいた侍女長が背中をさすって慰める。
──バカね。
こんなクズな母親の為に、涙を流すなんて……
顧みたことのなかった少女。
抱き締めたことがあっただろうか。
無関心で、縋りついてくるのが鬱陶しくて、振り払ったこともあっただろう。
それなのに。
──あなたの優しさに気付かなかった私は……
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思えば、私がユリアーナにしていたことは、カールハインツからされたことだった。
だから、私はもう間違えない。
私を優しさで包んでくれた、たった一人の娘を守るため。
「──カールハインツ。私はもう、あなたを愛さないわ」
時戻りをした私はそう決意するのだった。
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