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第一章/時を戻った私
5.対立
しおりを挟む「お早いお帰りでございますね」
「……仕事が立て込んでいた。仮眠したらすぐ戻らねばならぬが……」
前回この日のカールハインツはどうしていたっけ?と記憶を辿るが思い出せない。
何年も幽霊をやっているうちに喪失してしまったらしい。
「マルレーネ……ユリアーナ……」
名前を呼びながらジリジリと近付いてくる。
けれど私はユリアーナを抱き締めたまま部屋へと促し、そのまま扉を閉めた。
手を伸ばされて反射的にはたきおとす。
仕事なんて嘘だ。
いつから繋がっていたかは知らないが、愛人と過ごしてきただろう男を、大切な娘に触れさせるわけにはいかない。
「仮眠されるのでしたら、湯浴みをなさってはいかがです? あなたの衣装に真っ赤なルージュが付いてますわよ」
「……ルージュ?」
訝しげな顔をして、カールハインツは指摘した場所を手のひらで拭った。
襟元から首筋にかけて付いているそれはおそらく愛人のもの。
そんなものを付けて帰宅し、娘に会いに来るなんて相変わらずデリカシーの無い男だわ。
手にべっとりと付いたルージュにぎょっとしているのも、おそらく演技だろう。
「なんだこれは。……マルレーネ、私は知らないぞこんなもの」
「言い訳は結構ですわ。随分と主張の激しい御方ですわね。……ティアナさんとおっしゃったかしら」
カールハインツは目を見開いて絶句した。私が知らないとでも思っているのかしら。
「まあ、ここで話すような内容ではありませんね。
これからもどうぞ二人でよろしくなさいませ」
「ま、待て! ティアナとはそんな関係では……! いや、そもそも」
「ユリアーナに聞こえていますわ。お引き取りを」
まだ何か言いたそうな彼を無視して、ユリアーナの部屋に入り鍵をかけた。
緊張が解けたせいか膝から崩折れてしまった。
「マルレーネ! 扉を開けてくれ。話をさせてくれ」
扉を背にしたまま目を瞑る。
私はもうユリアーナの幸せの為だけに生きると決めたのだ。
前世で娘の幸せを邪魔した者は全て排除すると誓った。
ユリアーナを死に至らしめたクラーラや、クズの寵愛を盾に正妻の子を虐めたティアナは勿論、王太子と父親も絶対に排除する。
特に父親のくせに見捨てようとしていたのは許せない。
私の死後愛人を後妻として迎え、ユリアーナと一つしか変わらない義姉もいた。
相変わらず仕事人間だったけれど、ユリアーナが寂しくないようにと迎えたはずが、その二人が筆頭になって虐げていたのだから許せるはずもない。
それならばいらない。
好きなだけ仕事をして、好きなだけ愛人と過ごせばいい。
しばらく「誤解だ」だの「ティアナとは愛人でもなんでもない」だのと喚いていたけれど、やがて諦めたのか足音が遠ざかる。
未だに恋心を昇華できていない私はすぐにでも扉を開けたがったが、それでは前世の二の舞いだ。ユリアーナを守れない。
ようやく気配が消えてホッとする。
「お母さま、大丈夫ですか?」
胸を撫で下ろしていると、ユリアーナはしゃがみ込みそっと手を握ってくれた。
「今にも泣きそうな顔をしてらっしゃいます」
「ユリアーナ……」
子どもの目の前で愛人だのという生々しい話をしたのは失敗だった。
「大丈夫よ、ユリアーナ。ごめんなさいね……」
「私は、お母さまがいればそれでいいです」
まだぎこちないけれど、今まで顧みなかった生んだだけの母に対して気遣いができる優しい子。
どうして気付かなかったのだろう。
「ユリアーナ、お腹空いたでしょう? 食事を持って来させるわね」
「……っ……」
立ち上がり、ベルを手にしようとした私の手を握ったまま、くんっと引っ張った。
振り返って見れば不安そうに見つめる瞳は震えている。
まだ心配してくれているのか、と思うけれど、何かどこか違和感がある。
「……食堂で、がいい?」
おそるおそる尋ねてみると、ユリアーナは瞬きをして頷いた。
前回、私は自分の食事を部屋に運ばせていた。
夫は不在がちだったし、いないときは酒浸りだったので日がな寝て起きての生活だった。
常に二日酔いで起き上がるのも億劫でユリアーナのことを気にしたこともなかった。
「では、お母さまと一緒に行きましょう」
手を差し出すと小さな手できゅっと握った。
言い得ぬ違和感は小さな棘として引っ掛かり、もやもやとさせる。
食堂に着くとカールハインツが一人で食事をしているところだった。
私たちが入って来たのに気付き口を拭うと立ち上がり近付いて来る。
「エスコートは結構よ」
そう言うとピタッと止まり、伸ばそうとした手が宙を彷徨った。
おろおろするユリアーナに微笑みかけ、末席へと移動する。
それを見た使用人がギョッとし、カールハインツすらも驚きに目を見開いた。
「そこは……」
「あら、どうかしまして? 私たちは私たちの席に座ったまでですが。
ああ、お腹が空きました。早く持って来てくださる? 今までここに来なかったせいか、カトラリーの準備もないのね」
どういうことだと言わんばかりにカールハインツが使用人たちを見やると、可哀想なくらいに肩を跳ねさせた。
「マルレーネは公爵夫人だろう……? なぜこんな……当主から遠い、しかも末席などに……?
説明してくれ」
「も、申し訳ございません!」
「謝罪より弁明を。納得のいく説明をしてくれ」
怒声ではないが静かに通る彼の声には威圧が含まれている。
給仕の者たちは青褪めた顔でブルブル震えていた。
「は、発言をよろしい、でしょうか……」
「なんだ」
「お、おそれながらそこのおん……奥様は、常に酒浸りで夫人の仕事など放棄されておりました。
食事もしているかしていないか分からない状態で、残されたのでは食材がもったいないと……」
「……誰のしわざだ」
「えっ……」
「誰の指示だ? いつからだ? 私が仕事で不在がちで見ていないのをいいことに、公爵夫人を蔑ろにしていたのは誰だ!?」
珍しいことにカールハインツの怒声が響く。
この人でも怒ることあるのね。
「私の指示ですわ、公爵様」
初めて聞く父親の怒声に震えているユリアーナを抱き寄せる。
そして既に入り込んでいたネズミに警戒心が湧いてくる。
「きみは……侍女長の娘……?」
「ロッテ……まさか……」
「奥様は滅多にここへいらっしゃいませんでした。
私共も忙しいので、すぐに片付けられるよう、厨房に近い席へのご移動をお願いしたところ、快く引き受けて下さいましたわ」
そんな要望聞いたことないわ、と笑いが込み上げる。
「そのような不躾な要望、初めて聞きましたわ。
あなた、私と公爵様との前じゃ、随分と態度が変わるのね」
しれっと表情も変えないロッテにいらついてくるが、彼女は私が嫁ぐ前からいる。
近くにいる侍女長は私によくしてくれていたけれど、もしかしたらグルだったのかもしれない。
ちなみに前回、私が死んだあと、退職した侍女長の後を引き継いだのはロッテだ。まだ若いのに長になれたのは、ティアナの口添えのおかげだ。
「そう思われるのならば、ブランシュ公爵家に相応しく振る舞って下さいませ。そうでなければ使用人一同付き従うことはできません」
「あら、強気ね。あなたの主はこの私なのだけれど?」
「公爵様にはもっと相応しい方がいらっしゃいます」
「……そう。例えば……グラウ子爵家のティアナ様とか……かしら?」
表情を変えなかったロッテの眉がピクリと動いた。
カマをかけたけれど……そうか。
私が死ぬ前からティアナを招き入れる準備をしていたということかしらね?
とことんバカにされていたようで腹が立つ。
私は笑みを浮かべつつも、目線は鋭くロッテを見ていた。
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