【完結】淑女の顔も二度目まで

凛蓮月

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二回目

20.母と息子

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 リリミアは扉を閉めて溜息を吐き、目を瞑る。

 時を戻ったと知った時から婚約解消に動いていたが、彼らは応じなかった。
 時戻り前からリリミアの思う事を何一つ聞いてくれず、何も変わらない事に諦めの気持ちが強くなる。
 これからどうしようか、ともう一度溜息を吐いた。

「母上」

 その声にハッとし、リリミアは顔を上げた。

「クロス、まだ起きてたの」

 夜着姿のクロスが心配そうに母を見上げる。帰って来た時の雰囲気に、また母が何か嫌な事をされているのでは、とこっそり扉の外で聞いていたのだ。

「母上も、時戻りの前の記憶があるのですね」

 その言葉にリリミアは目を見開いた。
 薄々感じてはいたが、明確にはしなかった。

「……あなたも?」

 クロスはゆっくりと頷いた。

「すみません、父上との話を聞いていました。
 ……少しお話してもよろしいですか?」

 リリミアは「分かったわ」とクロスの頭を撫でた。それから立ち話でするものではないと、部屋に戻る事にした。


 湯浴みを終え、着替えてからリリミアはクロスとソファに座っていた。

「公爵家が、母上を縛り付けていたのですね」
「……そうね。私のなにが良いのか分からないけれどね」

 マクルドは常にメイを優先させていた。
 不憫だと言うなら、日陰の身が可哀想だと言うならばリリミアと離縁して正式に妻とすれば良かっただけの事。
 母である公爵夫人もメイを気に入っていた。
 エクスはマクルドの血を引いた男の子。
 優秀だからと後継にもしたがり、王太子と共に庶子を後継にできるような法案を推し進めていた。
 だがこれも反発されながら無理に変え、社交界の正妻たちの恨みを買うより、リリミアと離縁してエクスを嫡子変更する方が簡単だ。
 メイを正妻にすれば全てが丸く収まるのにマクルドは決してそうしなかった。
 結果、いたずらにリリミアを束縛しずっと彼女を手放さない。
 リリミアは彼がなぜそうまでするのか意味が分からなかった。

 養子の件もリリミアが認めなかったからと言えど、監禁までしていた彼が無理矢理認めさせれば良いのだがそれもしなかった。

 時折リリミアを気遣うような事が尚更彼女を傷付けた。
 期待させるだけ期待させて、結局裏切るのだ。
 二回目の今、リリミアは彼に期待するのを止めた。
 愛する気持ちを手放してからは憎しみながらも穏やかにマクルドに接していられる。
 その分クロスの教育にも集中できている。
 そして辛くなったらアーサーとデウスを思い浮かべるだけで良い。
 そうする事でなんとか自分を保ってきたのだ。

「父上の本心は分かりませんが、僕はちょっとだけ母上を選ぶ気持ちが分かる気がします」
「そう……?」
「ええ。母上は本当はとても優しい穏やかな木漏れ日のような方です。
 それを求めている父上は、たぶん今迷子なんだと思います。そうさせたのが僕の生みの母なんでしょうけど」

 クロスは生みの母をまるで他人のように扱う。今世は生まれてすぐに亡くなった為抱き締められた事も無いから仕方ないのかもしれないが、前世の記憶があると知った今は違和感があった。

「貴方は……メイ様のことを好きではないの?」

 リリミアの言葉にクロスは顔を顰めた。

「僕は母から抱き締められた記憶がありません。それは前回から。あの人はいつも男ばかりを見ていた。僕の事は自分が楽しく暮らす為の道具としか思っていないんじゃないですかね」

 忌々しげに歪められた顔を見るからにいい思い出は無さそうだ、とリリミアは感じた。
 離れにいるとき、夜は男たちと爛れた生活、昼は夜の為の準備期間。
 子どもに構う暇など無かったのだろうか、と思うと同じ母としてやるせなくなった。

「父も、マキナといる時は目を掛けてくれましたが僕一人の時はさほど興味無さそうにしてました」

 リリミアはクロスから聞いた話に言葉が出なかった。
 離れでの出来事を詳しく知っているわけではない。意識的に気にしないようにしていたから。
 気にすれば嫉妬心でドロドロになりそれこそ苦しみで満たされ生きていられなかったから。
 だが今エクスがどんな風に過ごしていたかを知り、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
 同時にマキナがエクスに付きっきりだったのも、幼いながらに何かしら感じるものがあったのかもしれない、とも思った。
 だからずっと側にいたのかも、と。

「貴方の状況も知らずに……私は何もしなかったわ。そんなふうだったなんて知らなかった。
 ただ、四人で幸せなのだと、思っていたわ……」
「寄宿学校に行くまでは僕もそう思っていました。マキナも。けれど外から見た僕たちは、家の中がどれだけ歪かを知った」
「……マキナも……?」

 クロスは頷いた。

「マキナは寄宿学校で自分と比べて同級生はきちんと貴族令嬢としている事に羞恥心を覚えていました。ちゃんと母の言う事を聞くべきだった、って」

 幼い頃から公爵家令嬢として将来恥ずかしくならないように躾としてリリミアはマキナに時には厳しくしていた。
 王家に次ぐ身分であるゆえ周りの目は必然的に厳しくなる。婚約が決まってから公爵家の立ち振る舞いを少しずつ習得していったリリミアは、もう少し時間があればと何度も思ったものだった。
 だからマキナには早めに教育を開始したのだ。

 幼いマキナは遊びたい盛りで中々思うようにいかなかったが。

「だから、マキナは後悔していました。謝らなきゃって。……その前に母上は亡くなってしまったから……」

 リリミアはマキナの気持ちを聞いて胸がざわざわしていた。
 今世で生まないと決めたのはマクルドとの閨を拒否したい為。それでも授かった日の辺りになると眠れず落ち着かない日々を過ごした。
 更に懐妊報告をした日を過ぎた時は人知れず涙が溢れた。
 前回確かにいた娘を生まない事は、その存在を殺してしまう事になるのではないか。
 リリミアはその罪も背負わねばならなかったのだ。

「私はマキナを生めなかった。愛しているから傷付けたくなかった。
 生んだら私は今以上に憎しみに囚われてしまう。
 あの子をそんな対象にしたくない」

 それはリリミアが今世で初めて吐露したマキナへの気持ち。
 生まない、と決めても一度はお腹を痛めて生んだ子。七年間は寄り添い慈しんでいたのだ。
 裏切られたと思いはしても憎みたくない。
 全てを許し、慈しみに溢れた母のままでいたかった。
 マキナの前では「母」でありたかったのだ。

「ごめんなさい……。私は結果的に子どもたちを犠牲にしているわ。デウスも、エクスも、クロスも、マキナも、みんな。
 マクルド様のことを悪く言えないわね……。最低よ……」

 リリミアは唇を震えさせ目頭を熱くさせた。
 自分には泣く資格などない。そう言い聞かせた。

「僕は……母上が苦しみから解放されて幸せになれるのなら、構いません」

 クロスの言葉にリリミアはハッとする。

「僕の存在が母上の幸せの邪魔をしてしまった」
「いいえ、貴方に罪は無いわ。悪いのは裏切ったマクルド様、傷付いたままの子どもたちを放置している私も」
「母上は、悪くありません。本当は父上と分かり会いたかったはずだ。前回母上の気持ちを少しでも父上が思いやれていたら、母上はきっと自害なんかしなかったはずだ。今回だって父上が最初から謝ってれば、母上の話を聞いていれば良かったんだ」

 クロスの言葉がリリミアに染み渡る。
 本当は、マクルドときちんと話し合い解決したかった。
 彼がリリミアと真剣に向き合い、真摯に謝罪していたなら、何とか折り合いをつけられたかもしれない。
 全て彼女の意思を無視された事が一番辛かった。
 いない者として扱われるのが彼女の中で苦しかったのだ。

「母上、もう楽になってください。
 父上との離縁は僕も説得します。お祖母様も何とかします。だから、母上ももう、自分を憎しみから解放してあげてください」
「クロス……」
「僕は時戻りで、母上から沢山の愛を頂きました。前回欲しくて叶えられなかった事が叶ったから、全てが悪かったとは思いません。
 だから、母上も、時を戻れて良かった、って思えるように、これからは自分の幸せを考えてください。
 これ以上母上が父上の犠牲になる必要はないはずです。
 やり直ししてこれなら、どうしようもないでしょう?」

 クロスの言葉にリリミアは涙を溢れさせた。
 こんなにも彼女を思ってくれている子が近くにいたと気付かなかった。
 前回孤立無援だったが、子どもたちはリリミアを思ってくれていた事を今知ったのだ。

「ごめんなさい、エクス。ごめんなさい、クロス。ごめんなさい、デウス。……ごめんなさい、……マキナ……」
「母上、そこは『ありがとう』ですよ」

 息子に指摘され、リリミアは泣きながら微笑んだ。

「そうね……。ありがとう、みんな……。私の子どもたち……」

 クロスは「私の子どもたち」の中に自分も入っている事が嬉しかった。

「あ……、一つ、母上に仕返ししてもいいですか?」
「ええ。……何かしら?」
「僕は結婚できません。閨事ができないんです。父上たちの……そういう現場を見てからどうしても無理になってしまって。それに生みの母の血は遺したくない。
 せっかく教育をして下さいましたが、公爵家はいずれ親族に譲ろうと思います」

 リリミアは目を見開いた。離れでの出来事を見てしまった彼はそれが一種のトラウマとなっていたのだ。
 前回寄宿学校を卒業したエクスが神職に就いたのはそういう事情もあったせいなのだろうと納得した。

「私は構わないわ。そのときは親族会議なんかもあるだろうからきっと大変よ?」
「大丈夫です。それまでに立派な大人になって、誰にも文句は言わせません」

 意志の強い瞳は誰に似たのだろうか。
 血は繋がらないのに母思いの優しい子に育ってくれてリリミアは嬉しいが複雑な気持ちでいた。
 時戻り前の記憶はあるがクロスはまだ七歳。将来の道を狭めてしまうのは悲しくもあった。

「これから成長するにつれて素敵な出逢いがあるかもしれないわ。もしかしたら気が変わるかもしれない。その時は貴方の可能性を大切にしてね」
「……ありがとうございます。……そうですね。母上くらい素敵な女性と出逢えたら、その時また考えます」

 クロスの笑顔にリリミアは胸が高鳴った。
 いつかクロスが素敵なお嫁さんを連れて来て自分に紹介してくれる、そんな情景が目に浮かんだ。

「ええ、待っているわね……」

 母の笑顔にクロスも笑った。


 けれど、リリミアとクロスに、そんなささやかで幸せな日が来る事は、無かったのだ――。
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