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本編〜アリアベル編〜
20.正妃と側妃候補
しおりを挟む王太子テオドールの正妃であるアリアベルと、側妃候補のリディアとの邂逅は、彼女が後宮入りして二月程過ぎてからだった。
簡単な顔合わせはあったが、アリアベルには王太子妃としての執務が毎日あり、それに加え孤児院や救貧院への慰問など精力的に活動している為多忙で、中々予定が合わせられなかったからだった。
「王太子妃アリアベルと申します。これからよろしくお願い致しますね」
笑みを浮かべ、アリアベルが挨拶をするとリディアは深く腰を折り頭を垂れた。
「リディア・ローレンツと申します。多々至らない点がございますが、よろしくお願い申し上げます」
侯爵家令嬢としてしっかりと教育がなされていたリディアは、きれいに挨拶をした。
(この方がいずれ――)
じわりと、アリアベルの心の奥底に黒いものが湧き上がろうとして、ゆっくりと呼吸をした。
「顔を上げて。これから二人で王太子殿下をお支えする事になるでしょうから」
ゆっくりと顔を上げたリディアは、深く蒼い瞳でアリアベルを見つめた。
輝くような金の髪に、優しげな菫色の瞳。
リディアより年上だが少し小柄で、守ってあげたくなるような空気を持っていて、なるほど王太子が手放さないはずだと思った。
王太子が冬の冷たさを持つとすれば、王太子妃は春の暖かさを持つ。
二人の印象は互いを補い支え合う、理想の夫婦だとリディアは感じた。
その後二人は交流会として向かい合わせにお茶を飲んでいた。
当たり障りない会話をし、互いの本音は見せていない。
王太子に愛される正妃、子を成す為だけの側妃候補。
ともすれば夫の寵愛を争う二人となる。
周りはピリピリとした空気になると予想し、姿勢を正して直立不動となり固唾をのんで見守っていた。
だが。
「今度孤児院へ慰問に行くのだけれど、リディア様もご一緒にいかが?」
王太子妃はニコニコと誘い、これにはリディアもたじろいだ。
何と答えるのが正解か考えたが、なんとか笑みを浮かべた。
「お誘い頂きありがとうございます。ですがまだ教育が始まったばかりで覚える事が沢山ございますのでまたの機会にお願いしますわ」
「そう。分かったわ。でもいずれは一妃の公務として行って頂く事になると思うから、余裕ができたら教えて」
「かしこまりました」
相変わらずの笑顔に、リディアはどうすれば良いか分からずお茶を口にした。
牽制なのか、純粋な好意なのか図りかねた。
もしも牽制ならば、自分は王太子に好意は無く、二人の間に子を授かれば消える存在なのだと伝えた方がいいのか。
純粋な好意ならば何度も断るのは失礼にあたるのではないか。
そもそも自分の夫と子作りをする女性に対して嫌な気持ちは無いのだろうかとぐるぐる思考が駆け巡った。
穏やかな表情の王太子妃に、リディアは何とも言えない気まずさを感じる。
その後も当たり障りの無い会話をして、結局終始笑みを浮かべたままの正妃と、気まずさを残したままの側妃候補とのお茶会は終了した。
自室に戻ったアリアベルは、ソファに座ると長く息を吐いた。
キリ……と痛む胃を押さえ、ゆっくりと呼吸をする。
王太子妃として正しい判断をしたつもりだった。
成婚から四年と数カ月。
変わらずに来る月のモノに何も感じなくなったと言えば嘘になる。
愛する夫に抱かれ、実を結ばない事に諦めの気持ちもある。
それでも国を思い、王太子妃として判断した。
(きれいな女性だわ)
まともに対峙し正面から見たリディアの姿を思い出し、胸の奥がざわついた。
深く澄んだ蒼い瞳が印象的で、一目見たときから吸い寄せられた。
事前に彼女の経歴に目を通したが、婚約破棄をした男性の気持ちが分からないほどリディアは魅力的な女性に見えた。
(テオが心変わりしてしまったら……)
再びキリ……と胃が痛んだ。
テオドールが潰しているせいか、アリアベルの耳に二人の話はあまり届かない。
夫の愛を疑う事など無いと思っているが、リディアを目の前にして自信が無くなってしまう。
慎ましく、控えめな印象もアリアベルを焦燥に駆り立てた。
(王妃殿下が仰っていたのはこういう事だったのね……)
『一度相手に疑問が湧くと、以後ずっとついてまわる』
夫からの愛を疑う事はしたくない。
けれど、目に見えない愛を証明できる術など限られている。
今はまだ、その時ではなく信じていられる。
テオドールの寵愛はアリアベルにあると誰もが自信を持って言えるだろう。
だがテオドールとリディアが肌を合わせるようになる時が来たら。
「……っぅ…」
胃からせり上がるものがアリアベルを襲った。
息が苦しくて、生理的な涙が出てくる。
自分が決断した事なのにこんなザマでは周りに何と言われるか、とアリアベルは自嘲した。
ゆっくりと呼吸をして、手元のベルを鳴らし侍女を呼ぶ。
「ごめんなさい、侍医を呼んで下さる?少し体調が悪くて」
「――っ、直ちにお呼びいたします!」
侍女が慌てて駆けて行くのを見て、アリアベルはソファに身体を預け目を閉じた。
『どうして?愛してくれていたはずではなかったの?』
『あなたを大切にしたいんだ。だからもう』
『嫌よ、行かないで!』
『……すまない』
女性は手を伸ばすけど、男性は振り返らない。
必死に追い掛けても前に進まない。
どんどん遠ざかる背中を泣きながら追いすがり、やがて男性は別の女性の腰を抱き消えてしまった。
『待って、お願い、やめて』
残された女性は悲痛に泣き叫ぶ。
それを見ていたアリアベルは、女性に手を伸ばし抱き締めたところで霧散してしまった。
目の前で起きた事が信じられず辺りを見回すが真っ暗な空間が続く。
嫌な予感がして走り出して――
「ベルッ!」
聞き慣れた声がして振り返ると、眩しいほどの光に包まれた。
ハッとして目を見開くと、心配そうな顔をしたテオドールがアリアベルを覗き込んでいた。
「あ……私……」
「執務の合間に様子を見に来たんだ。そしたら侍女がベルが体調不良だと言っていた。気分はどうだ?」
気付けば寝台に横たわり、テオドールからしっかりと手を握られていた。
その手が温かく、アリアベルは苦しかった息が楽になるのを感じていた。
「ベル、何かあった?」
テオドールの表情は心からアリアベルを心配していた。
ずっと手を握り、自分の口元に押し付けている。
まるでアリアベルが生きている事を確かめるかのように。
「……少し、胃が痛くて」
「それだけ?俺が来た時ベルはソファに蹲っていたよ。無理をしてるんじゃない?」
「大丈夫……。心配かけてごめんなさい」
目を伏せるアリアベルに、テオドールはまだ言いたい事はあったがぐっと堪えた。
胃が痛む程悩んでいる。けれどそれはきっと……。
そう思えば自分が何かを言えた立場では無いと思った。
「侍医は寝不足だろうって。無理しないで。
ベルに何かあれば俺は……」
悲痛に顔を歪め、テオドールは握ったままの手を額にあてる。
アリアベルの手を両手で包み込んで離さない。
その様をアリアベルはただ、見ていた。
夫の愛を一瞬でも疑ってしまった事が、情けなくて。
アリアベルが口を開こうとした時、テオドールを呼びに来たらしい側近の声がして、再びつぐんだ。
出入口で二人が何かやり取りをしているのをぼんやりと眺める。
やがて溜息を吐いて、テオドールはアリアベルのもとに戻って来た。
「仕事だって悪魔が呼びに来たから戻るよ。
……ベルはゆっくり休んで」
そっと頭を撫で、額に口付けてテオドールは退室した。
その背中が先程の夢の中の男性と重なって、漠然とした不安が過る。
夢の中の女性は自分のようだ、とアリアベルは涙をこぼした。
(行かないで。そばにいて。抱き締めて)
そう、思ったのは誰だったのか。
アリアベルは再び目を閉じ、微睡みの中に落ちていった。
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