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第七話
この前は、とんでもない目に遭った。
――数日後。有給休暇を取った俺は、王都港に急いでいた。仕事に行くタクスを見送りにいくためだ。タクスはまた、船に乗って海に出て行くのだ。
今回は長く乗船するらしく、帰ってくるのは月末になるという。しばらく会えなくなるが、いい機会だ。これからタクスとの別れ方を考えなければ。
でも。
『シルフィ』
俺の前で無邪気に笑うタクスのことを思い出す。なんだか、胸が締め付けられるようにつらい。きっと、ひどく傷付けてしまうだろう。けれどそれさえも、自業自得だ。甘んじて受け入れるしかない。
「タクス!」
人がまばらにいる早朝の王都港に、騎士服姿のタクスを見つける。駆け寄ろうとしたところ、誰だろう。誰かがタクスと話している。俺の姿に気付くと、軽蔑した顔で俺を見つつ、そそくさと立ち去っていった。
タクスも俺の方を振り向いたが、なんだか不安そうな、それでいて俺を信じているというような、藁に縋るような表情を浮かべている。俺はなんとなく、嫌な予感を覚えた。
――もしかして、俺の思惑がバレてしまったのでは。
「……シルフィ、おはよう」
「お、おはよう。あの……」
こわごわとタクスの顏を窺うと、真剣な目と目が合う。ぎくりとした。やっぱり、俺の所業がバレてしまったのだと、一目で悟った。
「嘘だよな? ――俺を騙して付き合ってたなんて」
「!」
俺は震えそうになる唇を、ひとまずきゅっと引き結んだ。咄嗟になんと返したらいいのか、分からなかった。
どうしよう。なんと答えたらいい。あっけらかんと「そうだよ」なんて、いくら俺でも答えられるわけがない。
悩んだ末、俺は白状することにした。謝罪の言葉とともに。
「……ごめん。本当だよ」
瞬間、タクスの顏がショックを受けた顔に変わる。信じていた者に裏切られて絶望しているといった表情だ。しかし声を荒げることはなく、ただ静かに「……なんで」とだけぽつりと呟いた。
俺はいたたまれなくなって、目を伏せた。洗いざらい、伝えることにした。子どもだけが欲しいがために、タクスを騙して利用しようとしていたことを。
詳しい理由までは伝えなかった。聞いても不快なだけだろうし、言い訳がましいものになりそうだから。
「本当に……申し訳、ありませんでした」
頭を下げると、タクスは今にも泣き出しそうな表情を浮かべている。
「嘘だって言ってくれよ。そうしてくれたら、俺……」
「嘘じゃない。事実だよ」
容赦なく現実を突きつけると、ようやくタクスは理解したようだ。悲しげに目を伏せた。本気で好きだったのに、とぽつりとこぼす。
「……」
本気で好きだった。その言葉に、抉られるほどの痛みが胸に走る。
タクスはそっと踵を返した。
「ごめん」
一言そう言って、その場を去っていく。その言葉は多分、『別れ』を告げるものだったのだろうと思う。
終わった。
終わってしまった。
誰がタクスに真実を伝えたのか分からないものの……特定しようとは微塵も思わなかった。自分のせいだし、そもそも問い詰めたところで意味はない。
気付いたら、つっと水滴が頬を滑り落ちていることに気付いた。思わず手で触れてしまったが、間違いない。涙だ。
もしかして、俺――。
思うところはある。でも、もう終わったことだ。それ以上は考えないようにして、俺もまた踵を返した。
――さようなら、タクス。
タクスと別れた後、俺はしばらく仕事に身が入らなかった。タクスがショックを受けていたあの表情が記憶から離れてくれない。本当に申し訳ないことをした。
もう、シングルファザー志望はやめよう。ようやく目が覚めた。相手に対しても、生まれてくる子どもに対しても、不誠実で最低な考え方だった。
これからは、医者として一人で生きていく。
「兄上。どうかされましたか」
医務塔に顏を出したオリハバートが、心配そうな顔をしている。
俺ははっとする。オリハバートに胃腸薬を処方しているところだったのだが、手から薬瓶がするっと滑り落ちる。瓶は幸い割れなかったが、中身が散乱してしまった。
「あ……」
急いで拾おうとしたが、その動きは緩慢なものになる。どうにも、体の調子が悪い。
「悪い、オリー。落とした薬でも大丈夫か?」
「それは構いませんが……本当にどうされたんですか。お体の調子でも悪いのですか」
一緒に胃腸薬の錠剤を拾いながら訊ねるオリハバートに、俺は「うん、まぁ……」と曖昧に笑って答えた。嘘ではない。朝から体がなぜか重苦しいから。
「仕事は早退して、医者に診てもらってはどうですか。父上にも伝えておきますよ」
「だ、大丈夫だ。大袈裟だな」
「ですが……」
「ありがとう、心配してくれて。本当に大丈夫だから」
仕事を休むことは比較的簡単だが、今は少しでも何か作業をしていたい。没頭しようにも集中できないが、何もやることがないよりはマシだ。
心配するオリハバートの忠告を無視して、俺は宮廷医の仕事に打ち込んだ。といっても実務はほぼなかったため、医務塔に整理整頓、片付けに勤しんだ。少しでもタクスのことが頭から離れるように。
あいつは、今頃怒っているんだろうか。それとも、悲しんでいるんだろうか。
どうせなら前者の方が精神的にも楽だ。責めてもらった方がよほどいい。それで怒りをバネに、いい人を見つけてほしい。
そんなある日のことだ。薬剤の調達をするために王都の街に下りた時――。
ぐらっ。
「あれ?」
急に眩暈がして、足元がふらつく。目の前が真っ暗になって、とてもじゃないが立っていられず、その場にしゃがみ込もうとした。
――と、力強い腕が俺の体を横合いから支える。
俺は内心不思議に思った。誰だ。親切な通りすがりの街人か?
顔を向けた俺は、言葉を失った。思わぬ人物の顏がそこにあったから。
「タ、クス……?」
かつての恋人――タクスだった。仕事帰りなのか、騎士服だ。
「大丈夫か? 部屋まで運ぶ」
「えっ、あ……ちょっと」
横抱きに抱えられる。驚きつつも、まだ具合が悪かったため、タクスにしがみつく。そのまま、おとなしく連れて行かれるしかなかった。
どうして……こんな俺のことを助けてくれるんだ。あんなに傷付けたのに。
タクスの横顔を見つめてから、俺は目を伏せる。流れに身を任せることにした。
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