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CHAPTER1
Episode 20 / 痛み
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汚れたまま乾いてきた手を見ていると、ベルジは「帰るよ」と下を向きながら横を歩いた。声にならない声で返して、ゆっくり足を運んだ。彼の一歩は石畳ひとつ分程だった。見せられた動画のことがよぎる。彼は会った時から秘めていた牙を見せていた。首から下げたカメラを見て、これがあんなことに使われているものだと知った今、投げてしまいたいとも思った。カメラを貰ったお店を背にして、そんなことを考える自分にも嫌気がさす。
「アヴァ……」
「ん?」
彼の声は震えていた。振り絞るように私を呼んだ。
「ごめん」
目で追っていた足が止まった。押し殺そうとしているのが後ろからもわかる。しゃっくりをしているようで違った。彼を隠していた前髪を払えなかった。何に対する「ごめん」なのか、整理できなかった。そのまま彼は続けた。
「俺がこんなところまで、連れてくるからだ。ただでさえ、大変なのに」
頭の中でいろんなものがせめぎ合っている。彼を許そうとも、許さないとも思えない。私もやっちゃいけないことをしてしまった気がする。ジェスターに何も言わず。危ない魔法を持っていると分かっていながら。街で暮らしている人達は過去がどうとか、自分がどんな人だとか、そんな問題を抱えて生きている人は、たぶんそういない。憧れるあまりに、身の程知らずなことをした。誰かが来てくれる、ジェスターも顔を見せてくれるかもしれないとかも考えたが、そんなことも無かった。
「……あの動画、ほんとなんだ」と彼は言った。そんなことは言われなくてもわかっている。だからこんなにぐちゃぐちゃな感じに襲われているのだ。ベルジはひとりで、ぼそぼそと続けた。
「自分でも、分かってるんだ。昔ああやって、物に当たったりして怒られて」
包み込まれた言葉は、彼の震えを加速させた。「そう……」としか返す言葉が無かった。
「直そうって、頑張ってるんだ……」
「そう……」
「俺が家に行ったせいだよな。こんな、つもりじゃなかったんだけどな」
彼は鼻をすすった。写真に撮ったあのベルジに戻ってほしくなった。私はあの男三人とは違う。過去に大変なことをしたかもしれないのは私も同じで、今もそれと戦っている。抑えられないものを無理やり押し込むことの大変さは、よく知っている。今はただ、少し落ち着きたい。
「嘘ついたでしょ」
「え?」
「ジェスターに用があるから来たって、言わなかった?」
血がつかないように、彼の背中を指でつついた。自分の思っていたより、あっさりとした声で聞いた。気が紛れるかと思って、勘づいていたことを言ってみると、崩れかけた顔がこちらを向いた。目が磨かれた真珠みたいだった。
「あ、ああ……。うん。まあそれもあるんだけど。本当は、ちょっと、気になっただけなんだ……」
ベルジはグッとなにかに掴まれたように喉を鳴らし、目を力いっぱいにつむりながらしゃがみこんでしまった。「ちょ、ちょっとベルジくん?」と私は思ってもいないことに追いつかなくなった。そんなに彼を崩すつもりなんて無かったのだ。
「クソ……ちくしょう……俺ったら……」
「ちょっと……」
栓を抜いてしまったようだった。必死に笑って、顔を振っている彼。そんなことしても隠せていない。見るにも耐えがたかったが、同時に、彼はずっと黙っていたことをやっと言えたんだと分かった。何が彼をせき止めていたのか想像もできないが、声を出して泣いているのを見ると、どこか安心もできた。拳を作ってかるく二度たたくと、彼はふっと息を漏らし、笑みを浮かべた。
遠くで走る車の、石との摩擦を感じながら、静かにただ落ち着くのを待っていると、ベルジの服のポケットから低い音が鳴った。あまりに突然で喉が締まった。
「電話だ……アヴァ出てくれないか」
「でんわ……って?」
音はベルジが取り出したスマホからだった。ジェスターの名前が書いてある。木琴で奏でているような軽快な音楽が鳴っている。
「もしもしって」
スマホを渡された。左手で受け取ると、ずしりとした感触が乗ってきた。思えばスマホははじめて手に取る。思っていたより冷たいし重たい。手が滑りそう。横から見るよりずっと眩しい。
「もしもし……?」
「――アヴァ?なんだ、一緒にいるのか。ベルジはどうした?」
わ、と後ろからつつかれたような感じだった。こんなに小さなスマホからジェスターの声がする。しかも話せる。何をどうやっているのかさっぱりだったが、それも飲み込んで今は伝えることに集中する。
「それが……。それが、あんまり話せる感じじゃないの」
「――はぁそういうことか。んーまあとにかく、暗くならないうちに帰ってくるんだぞ。コンパスはー忘れてないよな?」
「うん。ある」
「――ん、じゃあ待ってるからな。気をつけて帰れ」
「わかった。ありがとう……」
物を落とすような音と一緒に、ジェスターの声は途絶えた。風に揺さぶられて音を立てている窓が、心配そうにこちらを見ている。太陽もまた、雲から顔を覗かせていた。暗いようで明るい空の下で、ベルジは咳払いをした。
「ごめんアヴァ。なんか込み上げてきて、あはは」
元に戻った。顔は晴れていた。目の周りが赤くなっているが、かまわず瞳はちゃんと私を見ていた。それが何よりも嬉しくて可笑しくて、でも怖い彼がよぎって。今度は私が目を逸らしてしまった。
「やっと目合わせてくれた」と、私はそっぽを向いて軽く笑いながら言った。
「う、お、だって見つめてるとさあ……!」
「なに?」
「き、気持ち……悪いとか、思わないのか?」
「ええ?何言ってるのそんなのないよ……そんなこと?」
「うん……」
目を合わせられることを、どう気持ち悪く受け止めるのかは、想像するのが難しかったが、これも彼なりの考えや身についた感性なのかもしれないな、と私は静かに呑んだ。ため息と合わせて吹いてきた風が手のひらにかかり、キリキリとした痛みが走る。
「いたた……」
右手を広げると、無造作に刃物で切ったような傷ができていて、干からびた皮と滲む血は見るのも辛かった。ベルジは立ち上がって「近くに公園ある。手洗おうぜ。黴菌いたら、いけないだろ?」と言ってくれた。私はいつも通りの歩幅で、彼に続いた。
「なんかさ」
「なに?」
「ありがとう……やさしい、よな。アヴァ」
「らしくないよ?」
「いやー、そうか?ははは」
花壇と形の整った木々に囲まれ、走り回れるくらいに広い砂場の公園。入口の石をすれ違い際にコツンとつつくと、爪が震えた。鮮やかな色をした何かが建っている。ひとつは編み目状に組まれて、骨組みのままの四角い建物。もうひとつは波打つ金属の坂が眩しい建物。さらには振り子みたいなものがある。立ち止まって、何や何やと見つめた。
「アヴァ」
「あ、ごめん、その……何かなって……思って。手洗わないとね!」
「それもそうだけど……ほんとに……なんか、寂しいな」
「え?」
「知らないんだろ?ブランコ」
「そんな名前なんだ。おもしろいね」
これらも知っていて当然なのだろう。彼のまつ毛が長く見えた。ジェスターの、この街の人間ではないかもしれないという言葉がよぎって、お腹の真ん中辺りが引いていく。
「こっちに洗えるとこある」とベルジが十歩先で呼んでくれた。肩に手を当てて待ってくれる彼の元へ、駆け足で向かう。瞬きする度に彼の顔は下がり、指をさした。
蛇口を軽く捻ると、勢いよく音を立てて水が出てきた。排水溝を絶え間なく叩いて、飛び跳ねる水滴が靴を濡らした。
「……たぶん服濡れる」
「ちょっとひねっただけなんだけど……」
よく目を凝らして、まるで細かな線を、間違い無く慎重に描く画家のように、逆にひねる。音も鳴らぬほどだったのに、勢いが目に見えてわかるほど弱まった。
「壊れてるだろこれ……水道」
「あはは、勢いすごかったね」
手を恐る恐る、筒を描いてゆったりと落ちる水にあてる。「ひやっ」首の後ろまで冷たい感触が行き届いた。そのせいで、痛みも吹き飛んでいる。指のほうが痛くなってきた。息を吹きかけたり、曲げたり広げたり、両手をすり合わせたりした。そこまで寒くないのにも関わらず、この水は氷で冷やしているんじゃないかと疑うほどだ。
「冷たいの苦手なのか?」
「あんまり……」
「氷出すのに?」
「たしかに?」
「……これで拭いてから巻いてなよ」
腕の長さほどで真っ黒のハンカチを貸してくれた。「ケガした時用に持ち歩いてるんだ」網目模様に入った傷を覆い隠すようにして、人差し指と親指の間に通して一巻二巻する。毛布のような質感だけれど、何も無い左手も相まって違和感が凄まじかった。
公園の橋にあったベンチに「ちょっと休憩」と端っこへそっと座った。彼は相変わらず落ち着きは無く、私の前をぐるぐる歩き回っている。座らないのかは聞かないでおいた。
「言いにくかったらごめん……あの、さっきの人たちは、友達なの?」
「んなわけ」
「なんかちょっと、仲良さそうにしてたじゃん?」
「演技だよ演技。そんなに上手かった?」
「え?ほんと?……うん」
「…………マジか」
ベルジは顔を見せず、揺らしながら足元の石を蹴った。鼻で笑ったのが聞こえた。
「私ね、正直ね、その……苦手かも」
「何が?」
「あの人たち」
「ごもっとも」
「あんな人がいっぱいいるのかな、学園にもいっぱい、いるのかなって。ちょっと、怖くなった」
「全員があんなヤツじゃない。昔の俺がやらかさなけりゃ、こんなことにもなってない」
「そう……」
「でもさっきんとこは、厄介なやつが住んでたりしてるからさ。ネーベはいい街だよ。……ああ、マジで頭真っ白んなって、どこ歩いてるかとか……考えてなかった」
「真っ白?大変だねベルジくん……」
「…………おかげさまで」
明日にも明後日にも、外に出て歩いてみようとは思っていた。あの三人みたいな人で溢れているのなら、まだ考えただろう。それでも今日は、カメラという新しい手がかりを見つけられた。レンズのカバーを外して、カメラと目を合わせた。私はあなたを誰かを傷つけるために使いません。大事にします。心の中でそう唱えた。レンズは月を歪ませて円を描いている。
一息ふとつくと、ベルジが傍からいなくなっているのに気がついた。
ブランコと呼ばれたものに、ベルジが乗っかり、彼が一緒になって揺られている。いつの間にやら、と思いながら、荒波に揺さぶられる船みたいに動く彼に近づいた。しゃがんでは立ち上がってを繰り返し、見る見る彼は速くなっていく。錆び付いた柵に手を置いて、じっと見つめてみた。彼の顔はただまっすぐを向いていた。あの細い鎖がちぎれたりしたら。あの手を放してしまったらと考えてしまって、両手を結んで見守った。彼は街灯に負けないほどに光った顔を見せていた。
「いやー、久々にブランコやったわ、あはは。アヴァもやってみる?手痛いか」
「……ちょっとだけ」
✱ ✱ ✱
「なんかごめん。こないだ次会ったら楽しいところ行こうって言ったのに、嫌な思いさせた」
二人でブランコに揺られて、足も一緒に振りながら、ふわふわとした感覚を味わっていた。私は肩を鎖にまかせて、両腕を手で軽く掴んで支えていた。風が背中を押してくれるから、揺り籠に入っているようで落ち着く心地の中。ベルジの足が砂に触れた。
「ベルジくんは謝ってばかりだね」
「え……」と言ったベルジは、ブランコから降りて、鎖を掴んで揺らしはじめた。ぐらぐらと音を鳴らすのを見つめているだけの数秒が過ぎる。「ベルジくんがいないと、このカメラと……会えなかったし?」私は彼の手を見ながら言った。
「そ、そうか……。俺さ、慣れてないんだ、その――」
「慣れ?」
「ううん、なんでもないや」
私はつま先とつま先を重ねて擦っている自分の足を、じっと見つめた。
「なあ、俺の事、怖いか?」
彼の方を見ると、まじまじとした真っ直ぐな視線が飛び込んできた。水面の光の波みたいに、その目は揺らめいている。そんなことを言い出すとは思ってなかったもので、彼以外の音がなにかに吸い込まれていくように感じた。足の動きも止まった。
「こ、怖いって……。怖いかと言われたら……うん」
「だよな。そう、だよな」
「だからといってさ、知らんぷりなんか、したくないからね。友達だもん」
息を多く吸って飲み込んだ音。ポケットから鳴っているそれには気づいていない。固まっている。私は瞬きだけを続ける彼の目の前で、手を振った。
「……ベルジくん?大丈夫?」
「……そ、それよりアヴァ、見ててよ」
顔に被ったものを払うように首を振って、ベルジは袖を捲った。視界を点滅させながら
彼の手を見ていると、指先に火の玉が小さく煌めいた。腕を大きく上に上げると、それは宙に舞い、どこかへ目がけて飛んでいく。獲物を捉えた鷹のように線を描いた先には、誰かが捨てた飲みかけのボトル。火の玉はそれを一瞬で真っ黒にしてしまった。埃のような臭いが寄ってくる。
「まだ小さい時、魔法はみんなを守る綺麗な必殺技なんだと思ってた」
私は黒焦げになったボトルを見つめる彼の傍に近寄った。
「でも現実違うんだよアヴァ。自分自身に勝てる人にしかそれは無理なんだ。俺はまだこんなちっぽけなのじゃないと、抑えられないんだ。ほら、見てよこれ。震えてる。イライラするとさ、勝手になるだろ?こう、吸い取っちゃうっていうか、周りのさ、分かるだろ?はは、大丈夫、アヴァのせいじゃないから。勘違いしないでくれな。ただちょっと、知って欲しかっただけなんだ」
彼は袖で今度は手を覆い隠し、口を閉じて微笑んだ。同じ。同じだよ。そのちっぽけなのさえ私には無理だ。自分の意思でそうやって、自在に操れもしない。誰かに預けたまま忘れてしまいたい。でも、これが私。なにかを言ってあげたかったけれど、彼の微笑みに答えるように笑うことしかできなかった。
「……だからさ、頑張ろうな。俺、アヴァの魔法、今まで見た事ないくらい綺麗だと思ったんだ。それに、意味わかんねえくらい、泣きそうになる。どんなのか想像はつくよ」
「えへへ……そうこなくちゃね」
「っと、てか暗くね?今何時だろ」
「いまさら……?」
「うわ、ヤバいヤバい九時半!不在着信8件!?ジェスターさんから……あーやっべ、めっちゃ無視してた」
「あちゃ……」
ベルジは両手の指を器用に使って、虫の足みたいな速さでいじっている。私はジェスターが怒ってなきゃいいなと願うばかりだった。
「よし急ぐぞ、アヴァこっち近道!」
「う、うん……!」
ジャケットが追い風でばっさりと開いた彼は、全速力で走りながらジッパーをしめた。じたばたとした靴の音がただ響いている。物音がすっかりしなくなっていた街中、窓から誰かに見られるんじゃないかとよぎりながらも、彼の足を追った。
✱ ✱ ✱
「つ、ついた!」
窓からカーテン越しに漏れる夕陽色の光は、見るだけでも暖かく感じる。それでも息は戻ってこない。こんなに走ったのははじめてだ。よく休まずに何分も走れたものだ。首のまわりも足の裏も汗ばんでいる。妙に冷たくて気持ち悪い。
「あ、ありがとうベルジくん……」そう言うと、玄関から甲高い音が鳴った。顔を出したのは、マルを抱えて目を半開きにしたジェスターだ。私は無性に彼の元へ、手足の痛みも忘れて駆けて行った。ベルジは手を小さく振ってから、おかしな走り方ですっ飛んでいった。
「え、えっと……」
どんなことを言えばいいのだろう。遅くなってごめんなさい?心配させてごめんなさい?
「家に帰ったら、なんて言うんだっけ?」
玄関に敷かれたマットの模様を見ていると、ジェスターが想像の何倍も柔らかい声でそう言った。私はマルの顔を見てから、ジェスターと目を合わせた。
「ただいま、だろ?」
「た、ただいま……!」
「アヴァ……」
「ん?」
彼の声は震えていた。振り絞るように私を呼んだ。
「ごめん」
目で追っていた足が止まった。押し殺そうとしているのが後ろからもわかる。しゃっくりをしているようで違った。彼を隠していた前髪を払えなかった。何に対する「ごめん」なのか、整理できなかった。そのまま彼は続けた。
「俺がこんなところまで、連れてくるからだ。ただでさえ、大変なのに」
頭の中でいろんなものがせめぎ合っている。彼を許そうとも、許さないとも思えない。私もやっちゃいけないことをしてしまった気がする。ジェスターに何も言わず。危ない魔法を持っていると分かっていながら。街で暮らしている人達は過去がどうとか、自分がどんな人だとか、そんな問題を抱えて生きている人は、たぶんそういない。憧れるあまりに、身の程知らずなことをした。誰かが来てくれる、ジェスターも顔を見せてくれるかもしれないとかも考えたが、そんなことも無かった。
「……あの動画、ほんとなんだ」と彼は言った。そんなことは言われなくてもわかっている。だからこんなにぐちゃぐちゃな感じに襲われているのだ。ベルジはひとりで、ぼそぼそと続けた。
「自分でも、分かってるんだ。昔ああやって、物に当たったりして怒られて」
包み込まれた言葉は、彼の震えを加速させた。「そう……」としか返す言葉が無かった。
「直そうって、頑張ってるんだ……」
「そう……」
「俺が家に行ったせいだよな。こんな、つもりじゃなかったんだけどな」
彼は鼻をすすった。写真に撮ったあのベルジに戻ってほしくなった。私はあの男三人とは違う。過去に大変なことをしたかもしれないのは私も同じで、今もそれと戦っている。抑えられないものを無理やり押し込むことの大変さは、よく知っている。今はただ、少し落ち着きたい。
「嘘ついたでしょ」
「え?」
「ジェスターに用があるから来たって、言わなかった?」
血がつかないように、彼の背中を指でつついた。自分の思っていたより、あっさりとした声で聞いた。気が紛れるかと思って、勘づいていたことを言ってみると、崩れかけた顔がこちらを向いた。目が磨かれた真珠みたいだった。
「あ、ああ……。うん。まあそれもあるんだけど。本当は、ちょっと、気になっただけなんだ……」
ベルジはグッとなにかに掴まれたように喉を鳴らし、目を力いっぱいにつむりながらしゃがみこんでしまった。「ちょ、ちょっとベルジくん?」と私は思ってもいないことに追いつかなくなった。そんなに彼を崩すつもりなんて無かったのだ。
「クソ……ちくしょう……俺ったら……」
「ちょっと……」
栓を抜いてしまったようだった。必死に笑って、顔を振っている彼。そんなことしても隠せていない。見るにも耐えがたかったが、同時に、彼はずっと黙っていたことをやっと言えたんだと分かった。何が彼をせき止めていたのか想像もできないが、声を出して泣いているのを見ると、どこか安心もできた。拳を作ってかるく二度たたくと、彼はふっと息を漏らし、笑みを浮かべた。
遠くで走る車の、石との摩擦を感じながら、静かにただ落ち着くのを待っていると、ベルジの服のポケットから低い音が鳴った。あまりに突然で喉が締まった。
「電話だ……アヴァ出てくれないか」
「でんわ……って?」
音はベルジが取り出したスマホからだった。ジェスターの名前が書いてある。木琴で奏でているような軽快な音楽が鳴っている。
「もしもしって」
スマホを渡された。左手で受け取ると、ずしりとした感触が乗ってきた。思えばスマホははじめて手に取る。思っていたより冷たいし重たい。手が滑りそう。横から見るよりずっと眩しい。
「もしもし……?」
「――アヴァ?なんだ、一緒にいるのか。ベルジはどうした?」
わ、と後ろからつつかれたような感じだった。こんなに小さなスマホからジェスターの声がする。しかも話せる。何をどうやっているのかさっぱりだったが、それも飲み込んで今は伝えることに集中する。
「それが……。それが、あんまり話せる感じじゃないの」
「――はぁそういうことか。んーまあとにかく、暗くならないうちに帰ってくるんだぞ。コンパスはー忘れてないよな?」
「うん。ある」
「――ん、じゃあ待ってるからな。気をつけて帰れ」
「わかった。ありがとう……」
物を落とすような音と一緒に、ジェスターの声は途絶えた。風に揺さぶられて音を立てている窓が、心配そうにこちらを見ている。太陽もまた、雲から顔を覗かせていた。暗いようで明るい空の下で、ベルジは咳払いをした。
「ごめんアヴァ。なんか込み上げてきて、あはは」
元に戻った。顔は晴れていた。目の周りが赤くなっているが、かまわず瞳はちゃんと私を見ていた。それが何よりも嬉しくて可笑しくて、でも怖い彼がよぎって。今度は私が目を逸らしてしまった。
「やっと目合わせてくれた」と、私はそっぽを向いて軽く笑いながら言った。
「う、お、だって見つめてるとさあ……!」
「なに?」
「き、気持ち……悪いとか、思わないのか?」
「ええ?何言ってるのそんなのないよ……そんなこと?」
「うん……」
目を合わせられることを、どう気持ち悪く受け止めるのかは、想像するのが難しかったが、これも彼なりの考えや身についた感性なのかもしれないな、と私は静かに呑んだ。ため息と合わせて吹いてきた風が手のひらにかかり、キリキリとした痛みが走る。
「いたた……」
右手を広げると、無造作に刃物で切ったような傷ができていて、干からびた皮と滲む血は見るのも辛かった。ベルジは立ち上がって「近くに公園ある。手洗おうぜ。黴菌いたら、いけないだろ?」と言ってくれた。私はいつも通りの歩幅で、彼に続いた。
「なんかさ」
「なに?」
「ありがとう……やさしい、よな。アヴァ」
「らしくないよ?」
「いやー、そうか?ははは」
花壇と形の整った木々に囲まれ、走り回れるくらいに広い砂場の公園。入口の石をすれ違い際にコツンとつつくと、爪が震えた。鮮やかな色をした何かが建っている。ひとつは編み目状に組まれて、骨組みのままの四角い建物。もうひとつは波打つ金属の坂が眩しい建物。さらには振り子みたいなものがある。立ち止まって、何や何やと見つめた。
「アヴァ」
「あ、ごめん、その……何かなって……思って。手洗わないとね!」
「それもそうだけど……ほんとに……なんか、寂しいな」
「え?」
「知らないんだろ?ブランコ」
「そんな名前なんだ。おもしろいね」
これらも知っていて当然なのだろう。彼のまつ毛が長く見えた。ジェスターの、この街の人間ではないかもしれないという言葉がよぎって、お腹の真ん中辺りが引いていく。
「こっちに洗えるとこある」とベルジが十歩先で呼んでくれた。肩に手を当てて待ってくれる彼の元へ、駆け足で向かう。瞬きする度に彼の顔は下がり、指をさした。
蛇口を軽く捻ると、勢いよく音を立てて水が出てきた。排水溝を絶え間なく叩いて、飛び跳ねる水滴が靴を濡らした。
「……たぶん服濡れる」
「ちょっとひねっただけなんだけど……」
よく目を凝らして、まるで細かな線を、間違い無く慎重に描く画家のように、逆にひねる。音も鳴らぬほどだったのに、勢いが目に見えてわかるほど弱まった。
「壊れてるだろこれ……水道」
「あはは、勢いすごかったね」
手を恐る恐る、筒を描いてゆったりと落ちる水にあてる。「ひやっ」首の後ろまで冷たい感触が行き届いた。そのせいで、痛みも吹き飛んでいる。指のほうが痛くなってきた。息を吹きかけたり、曲げたり広げたり、両手をすり合わせたりした。そこまで寒くないのにも関わらず、この水は氷で冷やしているんじゃないかと疑うほどだ。
「冷たいの苦手なのか?」
「あんまり……」
「氷出すのに?」
「たしかに?」
「……これで拭いてから巻いてなよ」
腕の長さほどで真っ黒のハンカチを貸してくれた。「ケガした時用に持ち歩いてるんだ」網目模様に入った傷を覆い隠すようにして、人差し指と親指の間に通して一巻二巻する。毛布のような質感だけれど、何も無い左手も相まって違和感が凄まじかった。
公園の橋にあったベンチに「ちょっと休憩」と端っこへそっと座った。彼は相変わらず落ち着きは無く、私の前をぐるぐる歩き回っている。座らないのかは聞かないでおいた。
「言いにくかったらごめん……あの、さっきの人たちは、友達なの?」
「んなわけ」
「なんかちょっと、仲良さそうにしてたじゃん?」
「演技だよ演技。そんなに上手かった?」
「え?ほんと?……うん」
「…………マジか」
ベルジは顔を見せず、揺らしながら足元の石を蹴った。鼻で笑ったのが聞こえた。
「私ね、正直ね、その……苦手かも」
「何が?」
「あの人たち」
「ごもっとも」
「あんな人がいっぱいいるのかな、学園にもいっぱい、いるのかなって。ちょっと、怖くなった」
「全員があんなヤツじゃない。昔の俺がやらかさなけりゃ、こんなことにもなってない」
「そう……」
「でもさっきんとこは、厄介なやつが住んでたりしてるからさ。ネーベはいい街だよ。……ああ、マジで頭真っ白んなって、どこ歩いてるかとか……考えてなかった」
「真っ白?大変だねベルジくん……」
「…………おかげさまで」
明日にも明後日にも、外に出て歩いてみようとは思っていた。あの三人みたいな人で溢れているのなら、まだ考えただろう。それでも今日は、カメラという新しい手がかりを見つけられた。レンズのカバーを外して、カメラと目を合わせた。私はあなたを誰かを傷つけるために使いません。大事にします。心の中でそう唱えた。レンズは月を歪ませて円を描いている。
一息ふとつくと、ベルジが傍からいなくなっているのに気がついた。
ブランコと呼ばれたものに、ベルジが乗っかり、彼が一緒になって揺られている。いつの間にやら、と思いながら、荒波に揺さぶられる船みたいに動く彼に近づいた。しゃがんでは立ち上がってを繰り返し、見る見る彼は速くなっていく。錆び付いた柵に手を置いて、じっと見つめてみた。彼の顔はただまっすぐを向いていた。あの細い鎖がちぎれたりしたら。あの手を放してしまったらと考えてしまって、両手を結んで見守った。彼は街灯に負けないほどに光った顔を見せていた。
「いやー、久々にブランコやったわ、あはは。アヴァもやってみる?手痛いか」
「……ちょっとだけ」
✱ ✱ ✱
「なんかごめん。こないだ次会ったら楽しいところ行こうって言ったのに、嫌な思いさせた」
二人でブランコに揺られて、足も一緒に振りながら、ふわふわとした感覚を味わっていた。私は肩を鎖にまかせて、両腕を手で軽く掴んで支えていた。風が背中を押してくれるから、揺り籠に入っているようで落ち着く心地の中。ベルジの足が砂に触れた。
「ベルジくんは謝ってばかりだね」
「え……」と言ったベルジは、ブランコから降りて、鎖を掴んで揺らしはじめた。ぐらぐらと音を鳴らすのを見つめているだけの数秒が過ぎる。「ベルジくんがいないと、このカメラと……会えなかったし?」私は彼の手を見ながら言った。
「そ、そうか……。俺さ、慣れてないんだ、その――」
「慣れ?」
「ううん、なんでもないや」
私はつま先とつま先を重ねて擦っている自分の足を、じっと見つめた。
「なあ、俺の事、怖いか?」
彼の方を見ると、まじまじとした真っ直ぐな視線が飛び込んできた。水面の光の波みたいに、その目は揺らめいている。そんなことを言い出すとは思ってなかったもので、彼以外の音がなにかに吸い込まれていくように感じた。足の動きも止まった。
「こ、怖いって……。怖いかと言われたら……うん」
「だよな。そう、だよな」
「だからといってさ、知らんぷりなんか、したくないからね。友達だもん」
息を多く吸って飲み込んだ音。ポケットから鳴っているそれには気づいていない。固まっている。私は瞬きだけを続ける彼の目の前で、手を振った。
「……ベルジくん?大丈夫?」
「……そ、それよりアヴァ、見ててよ」
顔に被ったものを払うように首を振って、ベルジは袖を捲った。視界を点滅させながら
彼の手を見ていると、指先に火の玉が小さく煌めいた。腕を大きく上に上げると、それは宙に舞い、どこかへ目がけて飛んでいく。獲物を捉えた鷹のように線を描いた先には、誰かが捨てた飲みかけのボトル。火の玉はそれを一瞬で真っ黒にしてしまった。埃のような臭いが寄ってくる。
「まだ小さい時、魔法はみんなを守る綺麗な必殺技なんだと思ってた」
私は黒焦げになったボトルを見つめる彼の傍に近寄った。
「でも現実違うんだよアヴァ。自分自身に勝てる人にしかそれは無理なんだ。俺はまだこんなちっぽけなのじゃないと、抑えられないんだ。ほら、見てよこれ。震えてる。イライラするとさ、勝手になるだろ?こう、吸い取っちゃうっていうか、周りのさ、分かるだろ?はは、大丈夫、アヴァのせいじゃないから。勘違いしないでくれな。ただちょっと、知って欲しかっただけなんだ」
彼は袖で今度は手を覆い隠し、口を閉じて微笑んだ。同じ。同じだよ。そのちっぽけなのさえ私には無理だ。自分の意思でそうやって、自在に操れもしない。誰かに預けたまま忘れてしまいたい。でも、これが私。なにかを言ってあげたかったけれど、彼の微笑みに答えるように笑うことしかできなかった。
「……だからさ、頑張ろうな。俺、アヴァの魔法、今まで見た事ないくらい綺麗だと思ったんだ。それに、意味わかんねえくらい、泣きそうになる。どんなのか想像はつくよ」
「えへへ……そうこなくちゃね」
「っと、てか暗くね?今何時だろ」
「いまさら……?」
「うわ、ヤバいヤバい九時半!不在着信8件!?ジェスターさんから……あーやっべ、めっちゃ無視してた」
「あちゃ……」
ベルジは両手の指を器用に使って、虫の足みたいな速さでいじっている。私はジェスターが怒ってなきゃいいなと願うばかりだった。
「よし急ぐぞ、アヴァこっち近道!」
「う、うん……!」
ジャケットが追い風でばっさりと開いた彼は、全速力で走りながらジッパーをしめた。じたばたとした靴の音がただ響いている。物音がすっかりしなくなっていた街中、窓から誰かに見られるんじゃないかとよぎりながらも、彼の足を追った。
✱ ✱ ✱
「つ、ついた!」
窓からカーテン越しに漏れる夕陽色の光は、見るだけでも暖かく感じる。それでも息は戻ってこない。こんなに走ったのははじめてだ。よく休まずに何分も走れたものだ。首のまわりも足の裏も汗ばんでいる。妙に冷たくて気持ち悪い。
「あ、ありがとうベルジくん……」そう言うと、玄関から甲高い音が鳴った。顔を出したのは、マルを抱えて目を半開きにしたジェスターだ。私は無性に彼の元へ、手足の痛みも忘れて駆けて行った。ベルジは手を小さく振ってから、おかしな走り方ですっ飛んでいった。
「え、えっと……」
どんなことを言えばいいのだろう。遅くなってごめんなさい?心配させてごめんなさい?
「家に帰ったら、なんて言うんだっけ?」
玄関に敷かれたマットの模様を見ていると、ジェスターが想像の何倍も柔らかい声でそう言った。私はマルの顔を見てから、ジェスターと目を合わせた。
「ただいま、だろ?」
「た、ただいま……!」
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ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!?
それだけではない。
何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!!
私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。
それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。
しかも!
ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!!
マジかーーーっ!!!
前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!!
思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。
世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
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