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第十一話 居候する勇者

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「審問会か……。ようするに『裁判』みたいなモンなんだよな、きっと。だけど――」


 俺自身『裁判』がどのように進められるのかを完全に理解しているワケじゃなかったが、まず疑問に思ったことは、今の段階では訴状そじょうも何も無いということだった。

 いや。

 元の世界のような形式ばった手続き書類のような物が存在しなかったとしても、俺にかけられている嫌疑の内容くらいは最低限伝えられてもいいはずだろう。なぜなら、そうでなければ弁護する側も被告人に対する何の訴えについて弁明・釈明すればいいのかわからないからだ。


 それに、である。


 この世界の法律に相当する物を知らなければ、その中の何に違反しているか、何が犯罪行為と見なされているのかが判断できない。

 あの時、オークの刑務官――ン・ガジとかって名前だったか――が言っていたけれど、『勇者である』ただそれだけの理由で断罪されるというのはあまりにナンセンスすぎるじゃないか。それじゃまるで中世ヨーロッパの『魔女狩り』と同じだ。

 もちろん、その嫌な推測が正しい可能性もゼロではないけど、仮にそうだとしたらわざわざ裁判なんてまどろっこしい手順を踏まず、即刻火あぶりの刑にでもかけられていたんじゃないかと思うのだ。


「ここ……確か《ラッテラ》とか言うんだっけ。この世界の法律を調べられないかな……?」


 ぶつぶつとひとりごとをつぶやき、ついつい反射的に後生大事に隠し持っているスマホを取り出して――苦笑する。表示はもちろん『圏外』。電波が届いてないのだから使えるワケがない。

 あらためて部屋の中を見回してみる。

 さっきバルトルはここを納戸なんどとして使っていると言っていた。だったら、この世界を知るために役立つ物が何かしら見つかるかもしれない。今は少しでも情報が必要な時だ。


「よっと……。好きに使えって言われたんだから、遠慮なくそうさせてもらうか」


 部屋の入口を除く三方の壁に据え付けられている家具らしき物体を覆っているシーツを引き剥がしてみると――あった。本棚が大小二つ。ついでに見つけた丸椅子を引き寄せて、手始めに大きな本棚から適当に二、三冊抜き取ってから腰を降ろした。


 ぺらり――。


「あ。異世界の言語で書かれてたら読めないんじゃあ……。おっ? 読めるぞ、これ!」


 もしかするとエリナが言っていた共用語コモンってヤツなのかもしれない。そういえば、オークの刑務官たちが胸に付けていたネームプレートだって不思議と読むことができたじゃないか。こいつはラッキーだぞ。


「ん……なになに? こっちは『手軽でおいしい夜の男飯』って……すっごく興味はあるけど、今は後回しだな。こっちのは……『毎日習慣! 賢いお片付け術』かー。それからこっちは……『賃貸宿経営のコツ・三〇のポイント』だと? ま、まさかこれ……バルトルさんの本棚じゃないだろうな……? ここ、賃貸マンションか何かかもしれないし」


 そう思ったとたん、むっつりと顔をしかめたイケオジバルトルの花柄エプロン姿が鮮明に脳裏に浮かんでしまい、堪え切れずにぶっとふき出してしまった。

 やばい、腹筋が崩壊する……!


「い、いててて……ただでさえ、投げ飛ばされて全身バッキバキに痛いってのに。くだらない妄想してないで、次はこっちの本棚から適当に、っと」


 この世界に来てからというもの、人とのコミュニケーション不足で独り言が増えた気がする。まあ、気にしてもしようがない。

 俺は小さい本棚から何冊か引き抜いて再び腰かけた。

 そうしてからパラパラと気まぐれにぺージをめくっていると、どこかに挟んであったらしい一枚の紙がひらりと落ちた。反射的にキャッチして裏返してみた瞬間、思わず息を呑む。


「ん? エリナか!? い……いや、違うみたいだな。隣にいるのは……若い頃のバルトルさん?」


 エリナと見間違えてしまった写真の中の女性の髪は、同じ青白い銀糸のような輝きを帯びていた。だが、俺の知っているエリナとは髪型が違う。肩口までですっぱりと切り揃えられた髪。瞳の色もそうだ。エリナのそれよりももっと深く冷たい、昏い海の底の色。しかしそれでも、彼女の瞳は毅然きぜんと前を見据え、希望と愛情に満ち溢れているように思えた。



 なぜなら――。



「そういうことか……この人が、エリナのお母さんなんだな……」


 慈しむように、愛しそうに、彼女の両手はふくらんだお腹を優しく抱きかかえるように包み込んでいたからだ。隣に立つ若き日のバルトルは、そんな彼女へ愛憎入り混じった複雑な視線を向けていた。


「……」


 俺は古びた写真の表面をそっとなぞってから、再び本の中に挟んでしまいこんだ。





 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆





「ふわぁ……」


 気づけば次の日の朝が来ていた。

 結局、何とか少しは役に立ちそうな本をいくつか見つけられたところで俺は力尽き、本棚にもたれかかるような姿勢でそのまま寝てしまったらしい。けれど、俺が眠りこけているうちにバルトルさんがやってきたようだ。掛けられていた茶色い縞模様の毛布はうすっぺらかったが、それでも十分快適な目覚めを迎えることができた。ちょっぴり背中と尻は痛いけれど。


 そして、昨日は無かったはずの小さなテーブルが部屋の中央にあって、そこにまだ少し湯気の立ち昇るスープとパンと目玉焼きが置いてあった。なんだかんだ言って面倒見のいい人である。


「せっかくだから、冷めないうちにいただくことにしよう」


 丸椅子を引き寄せ、テーブルの前に向かう。手には昨夜の収穫の一冊。タイトルは『ラッテラの歩き方』、チラ見した感じではこの世界版の観光ガイドブックみたいなものらしい。ちょっと行儀は悪いが、膝の上に広げて片手でめくりつつ、読み進めながらパンをかじる。


「ふむふむ……。通貨の話はありがたいけど、比較対象が円じゃないからなあ……っと」


 しばらくすると、がちゃり、と戸の開く音がしたので、朝食に夢中な俺は振り返りもせずにもごもごと挨拶した。


「昨日の夜は、毛布、ありがとうございました。あと、このスープ、とっても美味しいですね」

「……っ!?」


 ……ん?

 思っていた反応と違ったせいでカップを持つ手が止まり、はて、と首をかしげる俺。で、振り返ってみると――。


「エ――エリナ!?」


 いやいや!
 驚いてる場合じゃないだろ!


「じ、じゃなかった! あ……あの、昨日は本当にごめん! なんにも事情が分かってないくせに傷つけること言っちゃって……。いまさら取り消せないけど、どうか許してくれないか?」


 あまりに唐突すぎてとまどいを隠せずうろたえるばかりのエリナの目の前で、さらに輪をかけて困惑させるだけのジャパニーズDOGEZAの姿勢をとった俺は、しどろもどろになりながらもココロを込めて謝罪の言葉を連ね、ひたすらに額を床にこすりつけた。



 しばらくすると。



「そのスープ……おいしいって本当?」

「……え? あ、ああ。うん、すごくおいしいよ。バルトルさんって料理もうまいんだな」

「それ作ったの……あたしなんだけど」

「………………そ、そうなの!? 俺はてっきり――でも、おいしいってのは嘘じゃない」

「ふーん」


 エリナはそっけなくつぶやいたっきり、黙り込んでしまった。

 その横顔をそっと覗き込むと、気のせいか頬が少し赤くなっている気がする。長い髪を人さし指でもてあそびながらくちびるをとがらせ、もごもごと動かしているその様子を見ているうちに、なんだかこっちまでにやけてくすぐったい気持ちになってしまう。と、エリナが気づいた。


「……なによ?」


 なんだ、かわいいところもあるんじゃないかよ。


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