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第十一話 データヲ引キ継ギマスカ?

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        2。
            1。
                ごうん。


「ううう……酷い目にあったんですけど……」


 例の薄ぼんやりした緑色の壁が消え去るや否や、おぼつかない足取りであたしはそこから脱出した。生まれたての小鹿のような弱々しさである。

 とは言っても、特に何かをされたって訳じゃなくって、ただただ暇だっただけ。

 一人乗りのエレベーターらしきものの室内も真っ暗じゃなく適度な明かりが灯っていたし、密室は密室に違いないんだけど周りの様子が見えていた。ただし、どこまで降りて行っても同じような風景――少し違うかも。途中までは岩だらけのごつごつした壁で、それが少しずつ金属っぽい壁に変わっていった。

 でも、それだけ。

 なので、今あたしの目の前に広がっている薄暗いぽっかりとした空間はとてつもない安心感を与えてくれていた。広さは居間と同じくらいで六畳くらい。高さも同じくらいみたい。


「ん?」


 足元にどこかで見たようなスリッパを見つけ、くすり、と笑いがこぼれた。

 これ、銀じいのじゃん。
 失くしちまった、とか言ってたけどここにあったんだ。


「お借りしまーす」


 迷わず履いてみる。
 金属っぽい床はいかにも冷たそうだけど、じんわり暖かい。銀じいのスリッパのおかげだね。


「ええと……次はどうするのかな?」


 答えるように、ぴこん、と例の矢印クンが表示されたけれど、暗さに目が慣れてきたあたしにはもう迷う必要がなかった。というのも、その部屋にはそれきりしかなかったからだ。


「VR……ルーム?」


 そうでかでかと刻まれた鋼鉄の扉しか、その部屋にはなかったからだ。


「って言うかルームも何も、もう仮想世界ってのには入れてるんじゃないの? 何でわざわざ……」


 ぴこんぴこん。


「分かったってば」


 その扉の中央あたり、閉じた合わせ目の両脇に、手のひらをに似た一対のマークが浮かび上がっていた。そこに手を押し当てろ、ってことなんだろう。


「銀じいの手じゃなくってもいいのかな……」



 ま、やってみたら分かるでしょ。



 ぴと。



『――承認シマシタ』
「うわっ! びっくりした!」


 今までうんともすんとも言わなかったVRゴーグルのスピーカーから、突然硬い人工音声が聴こえてきたので驚いた。


『――驚キマシタカ?』
「驚きましたです」


 我ながら変な会話だなぁ。


『――所有者ノ変更ガアリマシタ。データヲ引キ継ギマスカ?』
「って言われましても」
『――データヲ引キ継ギマスカ?』
「うーん……もし、引き継がない、って言ったらどうなるの?」
『――今マデノデータハ削除サレマスネ。キレイサッパリ。データヲ引キ継ギマスカ?』


 それは……やだな。

 このVRゴーグルは銀じいがくれた大事な大事な宝物だ。
 すきにしな、そう言ってくれたんだから――。


「データを引き継いでください。お願いします」
『――承認シマシタ。電源ハ切ラナイデクダサイ』


 言われなくてもはなから電源を切るつもりなんてこれっぽっちもないあたしは、目の前に浮かび上がった処理中を示す横棒が徐々に伸びていくのをぼんやりと見つめていた。

 うーん、暇だなぁ。


「ね? 話しかけても大丈夫?」
『――許可シマス』
「あなたの名前、あるの? 教えて」
『――私ノ名前ハ、総合人工論理案内インターフェース、略シテTALAIデス』
「タ、タライ……?」


 思わず絶句するあたし。さすがはあだ名の付け方に定評のある――いや、悪名高い銀じいである。けれど、おかげでこのVRゴーグルを銀じいが愛用してたってことがますます確信できた。


「ね、ね? タライさんは、この扉の先に何があるのか知ってるんだよね?」
『――モチロンデス』


 しばらく待ってみたけれど、それ以上喋ってくれなかった。
 はい/いいえ、で答えられる質問だと、それだけで終わってしまうみたい。


「何があるの? 教えてくれない?」
『――VRノ世界デス』
「それは言われなくても分かってるんだけど……」


 タライさんとの付き合い方がうまく掴めないんですけど。


「んと。その『VRの世界』であたしは何をすればいいの?」
『――オ好キナヨウニ。アナタノタメノ世界デス』
「勝手にしろ、ってこと?」
『――ソウトモ言イマスネ』


 これ、本当に人工知能とか何かなの?
 受け答えが斬新すぎる気がするんですけど。


「もっと詳しく教えて欲しいんだけど――」
『――データノ引キ継ギガ完了シマシタ』


 さらに喰い下がったあたしに向けて、タライさんは有無を言わさぬ口調でそう言ったきり沈黙してしまった。


「あのー! 聞いてるんですけどー!?」





 し……ん。

 へんじがない。
 ただのタライのようだ。





 いくら待っても返事がない代わりに、目の前の扉が音もなく左右に開いた。あたしは仕方なく溜息をこぼしつつ、さらに先へと足を踏み入れる。


『――ソウ。全テハアナタノ意ノママニ』


 最後の最後の一瞬、かすかにそんなセリフが聴こえた気がした。
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