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第三十七話 ようこそ異世界へ
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次の日の朝である。
「ね……ねえ!? これ……どういうことなのか、きちんと説明してもらえますか!?」
「泊めてくれ、って泣きべそかいて頼んだのはおめえさんじゃねえか」
「泣きべそはかいてないから! ……ま、まあ、確かに頼みました! 頼みましたけど!」
そう語気荒く言い返し、香織子は店の正面の扉に向かい、からん、と開いて――。
どどどどどどどどどどどどどどどどどどどど!!
刹那、目と鼻の先を埃を舞い上げながら二頭立ての馬車が通り過ぎていく。いや、引いているのは、まるで映画かアクションゲームに出てくるような瑠璃色の鱗がびっちり生えた、二足歩行の恐竜のような生き物だった。一瞬、その縦長のスリット状の瞳孔が自分を見た気がする。
ぱたん……。
店の扉をそっと閉め、香織子は、はぁ、とため息をついてがっくりと俯いた。そうしてしばらく経った頃合いで振り返り、シオンに朝食の『オッツの柔らか煮』を食べさせている銀次郎を睨みつけてから、香織子は額に手を当てて何度も首を振った。
「なんなのよ、ここ……」
「異世界ってえんだってよ。『ぐれいるふぉーく』ってな街だそうだ。案外いいとこだぞ?」
「そういうことを聞いてるんじゃなくって――」
香織子を見つけたシオンが抱きつこうとでもするように、椅子の上でしきりに飛び跳ねている。その姿が昨日より明らかにワンサイズ大きくなっていることには、朝一番に驚き済みだ。
仕方なく香織子は、銀次郎の手からスープ皿とスプーンをひったくると、身体で押し退けるようにしてシオンの前に座った。はい、あーん、とスプーンを差し出し、銀次郎を見上げる。
「おかしいと思わないの? ここ、日本じゃないんだよ? 別の国どころか別世界なんだよ?」
「そりゃ、おかしいおかしくねえって言ったら、頭抜けておかしいわな」
「だったら――!」
「……だったら?」
そのままオウム返しに問い返された香織子だったが、続く言葉が思いつかず『あ』の口の形のままフリーズしてしまっていた。おかしかったら――何だって言うつもりだったのかしら。
はぁ、と肩を落とす。
「まあ……問題はない、か」
「だろ? オマケもついてる。電気にガス、水道は使い放題。ここなら請求書も届きゃしねえ」
「そのへん、深く考えたら負けよね……」
「ったく――」
すでに腹の据わっている銀次郎は、香織子の煮え切らない態度に軽い苛立ちを覚えて吐き捨てた。
「さっきから聞いてりゃあ、何ブツブツ御託抜かしてやがんだ。んなモンどうだってぇいいだろうが。それよりきっちりやることやって、早えとこ一人前になってもらわにゃあ困るんだよ」
その突き放したような科白に、香織子の顔色が変わった。手が止まったことで、途端シオンが抗議の声をあげはじめたが、それすら耳に入っていない様子である。
まさか――と口に出す。
「え……? ホントにアルバイトさせる気なの? あたしに?」
「でなきゃ、宿料払うか? 払えねえだろ?」
「あ、あたし……銀次郎の孫娘なんだよ!?」
「自分の爺さんを呼び捨てにする孫なんざいるもんか」
「じ――自分だってちゃんとあたしのこと呼べない癖に……」
お互い様である。
それでも銀次郎は鼻息荒くそっぽを向くとこう言い放った。
「おめえって呼ばれるのが嫌なんだったな? なら、今日からはおめえの名は『バイト』だ」
「バ、バイト!?」
「いいか、バイト。おめえさんの仕事はこうだ。
ひとつ、シオンが自分の足で歩けるようになるまで面倒を見ろ。
ひとつ、シオンに言葉と字を教えてやれ。
ひとつ、昼と夜、店が混んできたら手伝え。
ひとつ、俺のこたぁ『マスター』と呼べ。
ひとつ、給金は一日あたり『ぐれいる鉄貨』一〇〇枚だ。
……どうだ?
あとは寝床も只だし、三食風呂付きだぞ。文句はあるめぇ。いいな?」
悪くはない。
悪くはないのだが――。
香織子は眉を顰めたまま、こう尋ねてみる。
「その……『ぐれいる鉄貨』一〇〇枚って、高いの? 安いの?」
「おっと。そんなことも知らねえってのかい、バイト。不勉強なのは俺らのせいじゃねえわな」
「ずるいわよ!?」
「さあ、どうする? 嫌なら他をあたんな。俺は一向構わんぜ。さあ、さあ!」
香織子はしばし悩んだが――特に意味はなかったようだ。
「はぁ……」
その分、ため息が大きくなっただけだった。
「あの……ぜひ、その条件でよろしくお願いします、マスター」
「よぅし! 決まりだ!」
ひとつ皺ぶいた手を打ち鳴らし、しめしめ、と上機嫌で早速開店の準備をはじめる銀次郎だったのだが――実のところ香織子の方はこのように考えていたのだった。
(よく考えたらさ……妹の面倒を見て、たまにお店が混んだら手伝えってだけじゃない……)
自分の下に弟妹を持つ者であれば、比較的誰でも普通にやっていることに過ぎないのである。それを約束させてすっかり上機嫌になっている銀次郎の子どもっぽさがなんだか妙に可愛らしく思えてしまい、くすり、と笑い声が漏れ出てしまった。
「ん? なんか言いやがったか、バイト?」
「いーえ。なんでもありませんよ、マスター」
「ね……ねえ!? これ……どういうことなのか、きちんと説明してもらえますか!?」
「泊めてくれ、って泣きべそかいて頼んだのはおめえさんじゃねえか」
「泣きべそはかいてないから! ……ま、まあ、確かに頼みました! 頼みましたけど!」
そう語気荒く言い返し、香織子は店の正面の扉に向かい、からん、と開いて――。
どどどどどどどどどどどどどどどどどどどど!!
刹那、目と鼻の先を埃を舞い上げながら二頭立ての馬車が通り過ぎていく。いや、引いているのは、まるで映画かアクションゲームに出てくるような瑠璃色の鱗がびっちり生えた、二足歩行の恐竜のような生き物だった。一瞬、その縦長のスリット状の瞳孔が自分を見た気がする。
ぱたん……。
店の扉をそっと閉め、香織子は、はぁ、とため息をついてがっくりと俯いた。そうしてしばらく経った頃合いで振り返り、シオンに朝食の『オッツの柔らか煮』を食べさせている銀次郎を睨みつけてから、香織子は額に手を当てて何度も首を振った。
「なんなのよ、ここ……」
「異世界ってえんだってよ。『ぐれいるふぉーく』ってな街だそうだ。案外いいとこだぞ?」
「そういうことを聞いてるんじゃなくって――」
香織子を見つけたシオンが抱きつこうとでもするように、椅子の上でしきりに飛び跳ねている。その姿が昨日より明らかにワンサイズ大きくなっていることには、朝一番に驚き済みだ。
仕方なく香織子は、銀次郎の手からスープ皿とスプーンをひったくると、身体で押し退けるようにしてシオンの前に座った。はい、あーん、とスプーンを差し出し、銀次郎を見上げる。
「おかしいと思わないの? ここ、日本じゃないんだよ? 別の国どころか別世界なんだよ?」
「そりゃ、おかしいおかしくねえって言ったら、頭抜けておかしいわな」
「だったら――!」
「……だったら?」
そのままオウム返しに問い返された香織子だったが、続く言葉が思いつかず『あ』の口の形のままフリーズしてしまっていた。おかしかったら――何だって言うつもりだったのかしら。
はぁ、と肩を落とす。
「まあ……問題はない、か」
「だろ? オマケもついてる。電気にガス、水道は使い放題。ここなら請求書も届きゃしねえ」
「そのへん、深く考えたら負けよね……」
「ったく――」
すでに腹の据わっている銀次郎は、香織子の煮え切らない態度に軽い苛立ちを覚えて吐き捨てた。
「さっきから聞いてりゃあ、何ブツブツ御託抜かしてやがんだ。んなモンどうだってぇいいだろうが。それよりきっちりやることやって、早えとこ一人前になってもらわにゃあ困るんだよ」
その突き放したような科白に、香織子の顔色が変わった。手が止まったことで、途端シオンが抗議の声をあげはじめたが、それすら耳に入っていない様子である。
まさか――と口に出す。
「え……? ホントにアルバイトさせる気なの? あたしに?」
「でなきゃ、宿料払うか? 払えねえだろ?」
「あ、あたし……銀次郎の孫娘なんだよ!?」
「自分の爺さんを呼び捨てにする孫なんざいるもんか」
「じ――自分だってちゃんとあたしのこと呼べない癖に……」
お互い様である。
それでも銀次郎は鼻息荒くそっぽを向くとこう言い放った。
「おめえって呼ばれるのが嫌なんだったな? なら、今日からはおめえの名は『バイト』だ」
「バ、バイト!?」
「いいか、バイト。おめえさんの仕事はこうだ。
ひとつ、シオンが自分の足で歩けるようになるまで面倒を見ろ。
ひとつ、シオンに言葉と字を教えてやれ。
ひとつ、昼と夜、店が混んできたら手伝え。
ひとつ、俺のこたぁ『マスター』と呼べ。
ひとつ、給金は一日あたり『ぐれいる鉄貨』一〇〇枚だ。
……どうだ?
あとは寝床も只だし、三食風呂付きだぞ。文句はあるめぇ。いいな?」
悪くはない。
悪くはないのだが――。
香織子は眉を顰めたまま、こう尋ねてみる。
「その……『ぐれいる鉄貨』一〇〇枚って、高いの? 安いの?」
「おっと。そんなことも知らねえってのかい、バイト。不勉強なのは俺らのせいじゃねえわな」
「ずるいわよ!?」
「さあ、どうする? 嫌なら他をあたんな。俺は一向構わんぜ。さあ、さあ!」
香織子はしばし悩んだが――特に意味はなかったようだ。
「はぁ……」
その分、ため息が大きくなっただけだった。
「あの……ぜひ、その条件でよろしくお願いします、マスター」
「よぅし! 決まりだ!」
ひとつ皺ぶいた手を打ち鳴らし、しめしめ、と上機嫌で早速開店の準備をはじめる銀次郎だったのだが――実のところ香織子の方はこのように考えていたのだった。
(よく考えたらさ……妹の面倒を見て、たまにお店が混んだら手伝えってだけじゃない……)
自分の下に弟妹を持つ者であれば、比較的誰でも普通にやっていることに過ぎないのである。それを約束させてすっかり上機嫌になっている銀次郎の子どもっぽさがなんだか妙に可愛らしく思えてしまい、くすり、と笑い声が漏れ出てしまった。
「ん? なんか言いやがったか、バイト?」
「いーえ。なんでもありませんよ、マスター」
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