異世界喫茶「銀」

虚仮橋陣屋(こけばしじんや)

文字の大きさ
46 / 61

第四十五話 玄人仕事

しおりを挟む
「……はぁ。こりゃまた厄介やっかいなことになってきやがったな」

 戻るなり香織子かおりこから話のいきさつを聞かされた銀次郎ぎんじろうは、かぶっていた黒杢くろもく色のハンチング帽を脱ぎ去って、ため息を吐き漏らしながら白い頭をぽりぽりといてみせた。

「ともかくだ。……留守中、済まなかったな、バイト。おめえさんに任せておけば、万事安泰だと思ってはいたが……なかなかどうしてやるじゃねえか。城のお偉いさんを叩き出すたぁ」
「……あのね? ちゃんと聞いてた? 丁寧に応対して、丁重にお帰り頂いただけですから」
「それでもさ。さすがおいらの自慢のバイトだぜ」
「そういう時は、、じゃなくて、、っていうモンですーっ!」
「ははは。こりゃおっかねぇ」


 なんとも危なっかしいやりとりに思えるが、銀次郎と香織子の『祖父と孫』の関係性は、いつかの夜の打ち明け話がきっかけとなり、極めて良好になっていた。それは、今までの空白を埋めるような、そんな親密でひとつひとつをじっくりと確かめるようなやりとりになっていた。


 しかし、ひとたび店に出れば、銀次郎はマスターで、香織子はバイトになる。

 それは最初に交わしたふたりの間の約束ごとだったが、それ以上に、それぞれの肩書に誇りと責任をもっているからでもあった。銀次郎は決して、趣味や余生のたしなみでこの店にこだわり、続けているわけではない、と香織子が肌で感じ取ったからでもある。


「さて、夜のひと仕事だぞ、バイト」

 銀次郎は、手の中のハンチング帽を三和土たたきの脇のフックにかけ、代わりにその隣のエプロンを手に取ると、闘牛士マタドールの操るムレータのごとく鮮やかにひと振りして、きゅっ、と身にまとう。

「っと……。そういやあ、シオンの奴はどうした?」
「今、あたしの出した宿題と格闘中」
「へへ。そりゃあ大変てえへんだ」


 頼まれたことはきっちりとこなす。それが香織子のモットーだ。

 だが、その徹底した姿勢のおかげもあって、シオンの知識や知能レベルはすっかり遅れを取り戻し、今や銀次郎より物知りで賢く育っていた。なにより、それでふたりの孫娘の仲がこじれるどころか、以前にも増して仲睦まじくなっているのだから、銀次郎には言う事なしである。


 と、急に香織子は何事かを思い悩むように眉を寄せてこう言った。

「あの人……ハーランドさんが最後に言ってた、、って一体なんなのかな?」
「ん? 魔性の者、ってぇ奴か? そんなモン――」

 そう言って、鼻で笑い飛ばそうとした銀次郎の脳裡のうりに、ふと、浮かんできた顔があった。



(ははは。楽しみですよ、その時が。無様に這いつくばって、わたくしどもに慈悲を乞う日が)



 が、銀次郎は口元をゆがめてため息をつくと、かぶりを振ってこう続けた。

「俺らの知ったこっちゃねえ。そんなモンは、この街きっての腕自慢共に任せておきゃあいい」
「ま、そうだよね。……でもさ?」

 香織子が最後まで言わぬうちに、居間の引き戸が、がらり、と開いて、笑顔が顔を出した。

「終わったぁー! ね? ね? おねえちゃん! シオン、ちゃんとできたよ!」
「あら、ご苦労様。……ちょっと見せて。合ってるかどうか採点するから」
「へへーん! 今回は自信あるんだー! お願いしまーす!」
「どれどれ……」

 香織子は、シオンの隣の居間の縁に腰掛け、差し出された赤鉛筆を片手に、お手製の問題用紙に目を走らせる。すると、じきにその顔にみるみる驚きと笑みが浮かび上がってきた。

「す、凄い……全部合ってるじゃない! よく解けたわね、とびきり難しいのにしたのに」
「えへへへ……。教える先生が上手だからだよー!」

 ぎゅっ。

 まだ甘えたがりなところのあるシオンに抱きつかれて目を白黒とさせながら、香織子はにやけかかった顔を怖いくらいに引き締め、わざと素っ気ない口ぶりで言う。

「――!? ……ま、まあ、それもそうよね」
「えー? もっとめてよー! シオン、褒められて伸びるタイプだからー!」
「あんまり褒めると調子にのるから駄目。……ち、ちょっと! あんまりくっつかないでよ!」

 身体の成長はかなり緩やかになっていたものの、すべてがこざっぱりと、するする、すとん、とした香織子の体型とは違い、シオンは出るところはもれなく出て、引っ込むべきところはくまなく引っ込んでいるという、同性の身からしてもかなり色香を感じる体型で扱いに困るのだ。

「えーん。ギンジロー? おねえちゃんが冷たいー!」

 真っ赤に顔を染めた香織子に容赦なくぐいぐいと押し退けられて、シオンは泣きべそをかく。しかし、子どもっぽさと大人の女性の両方の素養を持ち合わせているシオンの扱いに困っていたのは、銀次郎とて同じであった。だっこをせがむようなシオンの手を一瞥いちべつしてこうこたえる。

「ありゃ照れてるだけだ。いいから、おめえさんも早く支度したくしな。そろそろ客が来る頃合いだ」
「はーい!」

 一度出てきたシオンはたちまち居間の奥へと引っ込んだ。
 すると、香織子が困ったような顔つきで、銀次郎の隣に立ってつぶやいた。

「ちゃんと勉強しないと店は手伝わせない、って言われたら、喜んでわよね、普通は」
「はは。そりゃそうだ」

 だが、ふたりと一緒にお店で働きたいシオンは、そのためにはどんな難しい問題でも解いてしまう――いいや、違う。シオンにとっては、三人一緒であることがなにより大事なのだろう。

「ね? マスター? 今日シオンに出した問題、見て欲しいんだけど……?」
「よ、よせやい!」

 いきなりで慌てふためいた銀次郎は、突きつけられたのがあたかも刀かなにかだったかのごとく甲高い悲鳴を上げると、大袈裟に顔や身体をしきりに手で覆い隠しながら後ずさりする。

「お、お勉強なんてからきしの俺ぁにゃちんぷんかんぷんだ! ……そいつぁ、難しいのか?」
「あまりになんでも解いちゃうから、今日試しに出してみたんだ。……去年の大学入試テスト」
「おいおい……」
「……全部合ってるの。来年の準備でたまたま鞄に入れておいた奴なんだけどね……嘘みたい」
「おいおいおい……」

 我が孫のことだけに誇らしく思う気持ちもあるものの、さすがに話が出来すぎていて、少し気味悪くもある。やはり、人間と魔族とはすべてが同じとはいかないらしい。銀次郎は言った。

「……なら、今度はお堅いお勉強だけじゃなく、もっとありきたりなことを教えてやりゃいい」
「ありきたりなことって?」
「ありきたりなことって言やぁ、そりゃおめえ――」


 と、言い出した源次郎も上手く説明できる自信があまりない。
 が、思いついたままを口にした。


「惚れただの腫れただの、そういう奴のこった。化粧でもお洒落でもいい、おめえさんが好きなことを、夢中になれることを、あいつ――シオンにも教えてやりゃあいいんだ。できるか?」

 香織子はうなずいた。

「できるわよ」
「そりゃあいい」



 香織子は――急に視線を泳がせる。



「………………あ、あたしもだけど」
「はっ。そりゃあなおいいや」


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

平凡なサラリーマンが異世界に行ったら魔術師になりました~科学者に投資したら異世界への扉が開発されたので、スローライフを満喫しようと思います~

金色のクレヨン@釣りするWeb作家
ファンタジー
夏井カナタはどこにでもいるような平凡なサラリーマン。 そんな彼が資金援助した研究者が異世界に通じる装置=扉の開発に成功して、援助の見返りとして異世界に行けることになった。 カナタは準備のために会社を辞めて、異世界の言語を学んだりして準備を進める。 やがて、扉を通過して異世界に着いたカナタは魔術学校に興味をもって入学する。 魔術の適性があったカナタはエルフに弟子入りして、魔術師として成長を遂げる。 これは文化も風習も違う異世界で戦ったり、旅をしたりする男の物語。 エルフやドワーフが出てきたり、国同士の争いやモンスターとの戦いがあったりします。 第二章からシリアスな展開、やや残酷な描写が増えていきます。 旅と冒険、バトル、成長などの要素がメインです。 ノベルピア、カクヨム、小説家になろうにも掲載

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

大学生活を謳歌しようとしたら、女神の勝手で異世界に転送させられたので、復讐したいと思います

町島航太
ファンタジー
2022年2月20日。日本に住む善良な青年である泉幸助は大学合格と同時期に末期癌だという事が判明し、短い人生に幕を下ろした。死後、愛の女神アモーラに見初められた幸助は魔族と人間が争っている魔法の世界へと転生させられる事になる。命令が嫌いな幸助は使命そっちのけで魔法の世界を生きていたが、ひょんな事から自分の死因である末期癌はアモーラによるものであり、魔族討伐はアモーラの私情だという事が判明。自ら手を下すのは面倒だからという理由で夢のキャンパスライフを失った幸助はアモーラへの復讐を誓うのだった。

40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです

カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私 とうとうキレてしまいました なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが 飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした…… スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます

俺の伯爵家大掃除

satomi
ファンタジー
伯爵夫人が亡くなり、後妻が連れ子を連れて伯爵家に来た。俺、コーは連れ子も可愛い弟として受け入れていた。しかし、伯爵が亡くなると後妻が大きい顔をするようになった。さらに俺も虐げられるようになったし、可愛がっていた連れ子すら大きな顔をするようになった。 弟は本当に俺と血がつながっているのだろうか?など、学園で同学年にいらっしゃる殿下に相談してみると… というお話です。

チート魔力はお金のために使うもの~守銭奴転移を果たした俺にはチートな仲間が集まるらしい~

桜桃-サクランボ-
ファンタジー
金さえあれば人生はどうにでもなる――そう信じている二十八歳の守銭奴、鏡谷知里。 交通事故で意識が朦朧とする中、目を覚ますと見知らぬ異世界で、目の前には見たことがないドラゴン。 そして、なぜか“チート魔力持ち”になっていた。 その莫大な魔力は、もともと自分が持っていた付与魔力に、封印されていた冒険者の魔力が重なってしまった結果らしい。 だが、それが不幸の始まりだった。 世界を恐怖で支配する集団――「世界を束ねる管理者」。 彼らに目をつけられてしまった知里は、巻き込まれたくないのに狙われる羽目になってしまう。 さらに、人を疑うことを知らない純粋すぎる二人と行動を共にすることになり、望んでもいないのに“冒険者”として動くことになってしまった。 金を稼ごうとすれば邪魔が入り、巻き込まれたくないのに事件に引きずられる。 面倒ごとから逃げたい守銭奴と、世界の頂点に立つ管理者。 本来交わらないはずの二つが、過去の冒険者の残した魔力によってぶつかり合う、異世界ファンタジー。 ※小説家になろう・カクヨムでも更新中 ※表紙:あニキさん ※ ※がタイトルにある話に挿絵アリ ※月、水、金、更新予定!

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

学校ごと異世界に召喚された俺、拾ったスキルが強すぎたので無双します

名無し
ファンタジー
 毎日のようにいじめを受けていた主人公の如月優斗は、ある日自分の学校が異世界へ転移したことを知る。召喚主によれば、生徒たちの中から救世主を探しているそうで、スマホを通してスキルをタダで配るのだという。それがきっかけで神スキルを得た如月は、あっという間に最強の男へと進化していく。

処理中です...