古代エジプトねこ帝国の大冒険

あきちか

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エジプトの中のギリシア

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 ブバスティスから馬車で西へ行き、ナイルの港からナウクラティス方面行きの船に乗り換える旅だ。
(ナウクラティスでアキレスさんに会えるかなぁ……)
 レイラは自分を助けてくれた碧眼のギリシア人のことがとても気になっていた。命の恩人。あの事件以来ブバスティスで会うことがなかったからだ。
「ねぇ、父さん」
 レイラはためらいがちに言う。
「どうしたレイラ?」
 なんとなく娘の言いたいことに気づく。
「ナウクラティスのギリシア基地でアキレスさんを探してもらうこと出来ないかなぁ」
 レイラは気になって仕方がないことだから、思い切ってお願いしてみた。
「アキレスさんはおまえの恩人だからね。わたしからもお礼を言いたいと思っているよ」
 ムクターはやっぱりといったふうに、ポンとレイラの背中をたたいてにっこりした。
「あたしちゃんとお礼したいの」
 レイラはよこから父親の顔を見上げ、袖をつかんで引っ張った。 
「ナウクラティスに着いたら基地のギリシア人に掛け合ってみよう」
「パパ、約束よ」
 レイラは念をおすように、袖をひっぱった。
「約束するよ」
 ムクターはレイラの前に少し前かがみになり小指を差し出した。
「ありがとう父さん!」
 レイラは小指にしっかり力を入れムクターと指切りした。
 
 父娘を乗せた船は、北へ北へと進んだ。空を見上げると青空がどこまでも広がり雲ひとつなかった。
 ネジムは船の帆柱の一番上に登り、長いヒゲをゆらゆら風になびかせながら涼んでいる。
 ほどなくして船がナウクラティスに着くと「レイラ、着いたぞ」ムクターがリュックを肩に担いだ。
「まるで異国に来たようね」
 レイラは目の前に広がる都市がすべてギリシア風なのにびっくりした。
「ここには、十二のギリシア都市国家の人々が、共同で暮らしているんだ」
「十二の都市国家?」
「うん、ギリシアの人々は大きく分けても、ドーリア人、イオニア人、アイオリス人と様々、いるんだよ」
「じゃアキレスさんが、どの都市国家の人なのか見分けるの大変だね」
 レイラは少しがっかりした。
「とりあえず今日会うギリシア人に訊けば、なにか手掛かりが掴めるかもしれない」
 ムクターはレイラの肩を軽くポンと叩いて励ました。
 
 ギリシア人がエジプト王イアフメス二世から与えられたナウクラティスは、ナイル・デルタ西端にあるギリシア植民都市で、エジプトで最初の通貨が使われた都市でもある。およそ十二のギリシア都市国家の人々が集まり、ヘレニオンと呼ばれる聖域(神殿がある丘)を共同で管理しながらお互いに助け合って暮らしていたという。
 レイラは、目の前に広がるギリシア風の都市を見て度肝を抜かれた。
「ここがエジプトなの?」
 建物の建築様式から色彩まで、もちろん行き交う人々や言語でさえもギリシアだった。
「まさにここはエジプトの中のギリシアだ」
 ムクターも感慨深い面持ちで都市を見渡す。
「建物に使われている一本一本の柱に美しいギリシア風の装飾が施されているわ」
 レイラは通りに立てられた幾本ものギリシア風の柱を触った。
「この街の全てが芸術作品のようだ」
 ムクターの目の前に広がるギリシア芸術はエジプトのものに比べてきめ細やかで静寂さを感じる。
「父さん、重厚なエジプトの芸術に比べると、ギリシアの芸術は重厚な中にも繊細さを感じるね」
 感性の鋭さが父親譲りのレイラは、ギリシア芸術を一目見るとムクターと同じように感じいった。
「あの大理石のプレートに刻まれたオリーブの葉の装飾、なんて繊細で美しいんだ」
 ムクターはオリーブ油専門店入り口の大理石のプレートを指さした。
 プレートにはギリシア文字で店の名前が刻まれ、きめ細やかな幾本もの線でオリーブの実と葉が描かれている。
「すごいわ……」
 レイラは思わず息を呑んだ。
「そろそろ予約していた宿舎に行ってチェックインしよう」
「はーい」
 親子は宿舎に向かう道すがら、通りに面したギリシア風の様々な建築物を見て感嘆の声を上げ続けた。
 ムクターとレイラとネジムが、予約していたアルテミス(猫)という名の宿舎に着いたのは、朝の九時を少し過ぎた頃だった。
 三階の部屋に通されるとムクターは早速仕事の準備に取りかかり「ギリシア人と商談してくるから部屋で待っているんだよ。終わり次第すぐに迎えに戻るから」と言って仕事に出かけてしまった。
 レイラとネジムが宿舎の窓を開けると階下から三階の窓を見上げるムクターと目が合った。
 するとすぐにムクターが笑顔で「お昼までには帰るよ」と二人に手を振る。
「行ってらっしゃーい!」
 レイラも大きく手を振った。きっとお父さんが良い知らせを持ち帰ってくれる。胸は期待に膨らんだ。
 ムクターは繁華街に出ると、ギリシア人と手紙で約束していた事務所に急いだ。事務所に向かう道の両側にはギリシアから取り寄せた陶器や、珍しい動物、果物や野菜などの屋台がぎっしりと立ち並んでいる。ブバステスの市場も活気に満ちているが、ここはそれとは違うギリシア風の独特の賑わいを醸し出している。
 ギリシア商人の事務所で取り引きを開始したムクター、さっそくエジプトの質の良い穀物を大量に売りさばき、ギリシアから安くて品の良いワインを大量に仕入れることに成功。
 商談がスムーズに済んだムクターは、早速、レイラから頼まれていた傭兵アキレスのことをギリシア商人達に訊いてみた。
「じつはアキレスという軍人を探しているのですがご存知ありませんか?」
 すると赤い髭のギリシア商人の一人が「アキレスなら知ってるよ」すぐに返事をした。
「ほんとですか! その方はどこに行けば会えますか?」
 ムクターはレバノン杉で作られた商談用のテーブルに両手をついて乗り出した。
「軍の基地かな。もし基地にいなけりゃ、ヘレニオンの神殿に一人でいることが多いよ」
 赤髭の男は丘の上の城壁に囲まれた神殿を指差した。
「ありがとうございます。助かりました」
「彼に会うのか?」
 男は怪訝そうに訊いてくる。
「ええ、娘の恩人なのでお礼が言いたくて……」
 そんな顔であらためて訊かれムクターは戸惑いを隠しきれない。
「そうかい。でも、たぶん奴は会わないだろう」
「どうしてですか?」
 ムクターは思わず訊きかえした。
「あいつは変わり者だからね」
「え?」
 意外な答えがかえってきた。
「まぁ、行ってみればわかるさ」
 赤ひげの男は両腕をオーバーに広げ顔をすくめた。
「あ、ありがとうございます」
 ムクターはギリシア商人と握手すると、嬉しいやら、戸惑いやら複雑な気持ちをともないながら、さっそく宿舎に帰った。
 宿舎にはレイラが首を長くしてまっている。きっと喜ぶぞ。
「レイラ! アキレスさんの手掛かりが掴めたよ」
「え、ほんと!」
 目を擦りながらレイラが起きると、レイラの足元に寝ていたネジムも目を覚まし大きく背中を曲げた。
「ほんとさ。取り引き相手のギリシア人が教えてくれたんだ」
 ムクターは娘の喜ぶ顔が見れるのが嬉しくてつい語気が強まってしまう。
「父さん、凄い! で、どこに行けば会えるの?」
 いっぺんで目が覚めたレイラはテーブルの椅子をかかえ、ムクターのとなりに置いて座った。
「ギリシア基地かヘレニオンの神殿にいることが多いって」
 ムクターがガッツポーズをとる。
「やったね!」
 レイラもそれにこたえた。
「お昼を食べたら出発だ」
 ムクターとレイラはパンとスープを、ネジムは魚の白身を食べるとすぐに宿舎を出た。
「まずはギリシア軍の基地に行ってみよう」
「ギリシア軍って、エジプトの街で暴れたりして、よく不祥事をおこしているのをニュースで聞くから少し怖いわ」
「軍人も人間だから、良い人もいれば悪い人もいるよ」
 赤ひげのおとこの言葉がチラッと頭をよぎった。
「アキレスさんは良い人間だよね」
「おまえを助けてくれたんだ間違いないさ」
「そうだよね」
 レイラはムクターを見上げて微笑んだ。 
 内心、ムクターもレイラと同じ不安を感じていた。というのも、エジプトがギリシアと同盟関係を結んでいるとはいえ、現政権がギリシアの軍事力に大きく依存していたからだ。特にナウクラティスのギリシア傭兵団はエジプトに駐屯するギリシア兵の中でも精鋭部隊で、改革が遅れているエジプト軍に、近代戦の戦法や最新鋭の軍艦の航海術などを訓練するほどだった。ギリシア傭兵団の中でもエリート部隊はイアフメス二世の親衛隊も兼ね、さらにイアフメス二世はペルシアの脅威と国内の反体制派の反撃に備えて、ナウクラティス基地に莫大な援助をしていた。当然そのつけは重い税金となってエジプト国民にのしかかっていたので、イアフメス二世はギリシアのファラオとまで揶揄されるほどだった。
 その上、イアフメス二世は「ギリシアなくしてエジプトなし」と公言し、ギリシアと同盟関係を締結する際かなり譲歩した盟約を結び、それがエジプトの中のギリシア基地の優位性を保障したので、ギリシア兵の犯罪をエジプト国内であってもエジプト人が裁けない不平等性を生み出していた。こうしたことから基地周辺のエジプト国民は、ペルシアの脅威を感じながらも増加するギリシア兵の不祥事と重くのしかかる税金に不満が爆発寸前だった。
 
 さっそくナウクラティスのギリシア軍基地に向かったムクター、レイラ、ネジムの二人と一匹は、基地の入り口近くまで近づくことは出来たが、それから先は二重、三重のゲートがあって、民間人は見学どころか立ち入ることすら出来なかった。
「父さん、これじゃ見つけようがないね」
「うん、残念だ」
「にゃー」 
 ムクター達が軍のゲート付近から基地の中を覗き込んでいると「おい! そこのエジプト人、ここからすぐに立ち去れ!」ゲートを監視していたギリシア人の衛兵がやってきて怒鳴り声を上げた。
「すみません、私たちはアキレスさんを探しているんですが」 
 ムクターが丁寧に訊ねると「軍の機密だ! そんな人物がいるかどうかを答えることはできない。さっさと帰れ!」衛兵は答えられないの一点張りで取り合ってくれない。 
「わかりました。他をあたってみます」
 ムクターはこれ以上話しても埒が明かないと思い、レイラとネジムを連れてすぐにその場を立ち去った。 
「ヘレニオンに行ってみよう。あそこならアキレスさんがいるかもしれない」
 ムクターは意気消沈のレイラを励ます。 
 レイラはよほどがっかりしたのか「うん」小さく頷き黙ってムクターの後を追う。 
 しばらく歩き続けていると、レイラがムクターの袖を引っ張った。 
「父さん、ヘレニオンに行くのはやめよう。アキレスさんには時期がくればきっと会えるような気がする」
 ムクターは立ち止まってレイラを振り返り「そうだね、タイミングが合えばきっとアキレスさんに会えるよ」娘の意思を尊重した。
「ね、父さん、せっかくギリシア都市ナウクラティスに来たんだから、ギリシアの美しい絵や陶器を見にいこう」 
「じゃ街に引き返すか」
「うん」
 ギリシア基地から引き返してきたムクターたちはすぐに商店街に行った。そして軒先に並んでいる、ブバスティスの市場では手に入らないギリシア風の珍しい絵柄の壷や、大小さまざまな絵皿、彫刻、金や象牙の彫像、さらにワインやオリーブ油、果物類などを手に取ってみたり触ったりしながら買い物を楽しんだ。
「父さん、このお皿に描かれているのはなに?」
 レイラが手にしたお皿には、兜をかぶり槍を持った美しい女性がなにかの碑文を読んで物思いにふけっているような絵が描かれていた。
「パラス・アテナだよ」 
 二人の会話を聞いていたお店のギリシア人がニッコリしながら教えてくれた。
「パ・ラス・ア・テナ?」 
 レイラがたどたどしく名前を復唱する。
「パラス・アテナはギリシアの女神様だよ」 
「女神様……」 
「オリュンポス十二神の一柱で、芸術、知恵、工芸、戦いの女神様さ」 
 そう言いながらギリシア人の店主は同じ絵柄の、さらに小さなお皿も見せてくれた。
「わぁ! 可愛い。お皿の塗や絵の線の滑らかさ、エジプトにない技法が使われているわ」
「そのお皿が気に入ったみたいだね」
 ムクターが微笑む。 
「父さん、買ってもいいかなぁ。大切に使うから」 
 レイラは遠慮がちに言う。
「いいよ」 
 ムクターはそう言ってパラス・アテナが描かれた小さめのお皿を娘に買ってやった。
「父さん、ありがとう! やった!」
 レイラは思わぬお土産が出来たと大喜び。
「プルルー」 
 なかなか出番がないネジムも一緒に喜んだ。
 ムクターが、銀貨でお皿の代金を支払うと店主がその皿をギリシア風の絵柄の袋に丁寧に入れてレイラに手渡した。
「大切にするね」
「母さんに見せたらびっくりするかも」
「ほんとね」 
 レイラはお皿を落とさないように、両手で胸にしっかり抱く。
 ムクターたちがギリシア商店街をあちこち見て回るうちに、いつのまにか日が傾いていた。
「レイラ、そろそろ宿舎に戻ろう」
 商店街とはいえ、基地の町、治安が悪いことに変わりはない。
「もう少し見て回りたいな……」
 レイラはもう少し町の空気に触れていたかった。
「日没後の基地周辺は治安が悪くなるって、取引先のギリシア人が忠告してたよ」
 ムクターは娘の気持ちもわかるだけにつらいところだが、今は引き上げるべきだと判断した。
「父さん、わかった。また明日も連れてってね」
 頭でわかっていても心がいうことをきかないレイラも、ここはお開きにしたほうがいいと感じた。
「勿論だとも。また明日いろいろ見て回ろう」
「うん」
 ムクター達はこうして宿舎に引き返すことにした。
 その後、一週間のあいだナウクラティスに滞在したムクター一行だったが、アキレスの消息は掴めないままだった。
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