188 / 188
シーズン2 私の邪悪な魔法使いの友人の弟子
エピローグ3)復帰
しおりを挟む
私は二流の画家だ。今、それを知った気がする。だって私が優秀な画家であったなら何もかも差し置いて、とにかく描くことを優先したに違いないのだ。
さっき感じた痛み、悲しみ、衝撃、それを絵にする。つまり、先程のフローリアの姿、彼女の涙。フローリアと、私に似た男が抱き合っている絵など描いて、私は自分を癒そうとするかもしれない。現実には起きそうのない願望を絵にして、この苦しみから逃走するのだ。
しかし今の私は絵筆を持つ気にもなれなかった。フローリアを追いかけたい。それしか考えられない。
もう、部屋に籠っていられない。彼女だって私を待っているかもしれないではないか。彼女に大切なことを伝えなければいけない。
行動の中へ、いつもの日常の中に。そこが私の居場所だと思う。絵を描くことで私は救われない。
私は髭を剃り、服を着替える。扉と私との間に立ちはだかるキャンパスを押しのけ、部屋を出た。
どこに行けばフローリアと逢うことが出来るのかわかっている。アビュに尋ねればいいのだ。彼女はきっと喜んで教えてくれるだろう。いや、彼女に聞かなくても、何となく見当はついている。
朝の太陽の光が、高窓から差し込んでいる。どれくらい振りであろうか、こうやって中央の回廊を渡るのは。
その果てにある鋼鉄の大きな扉を、私は押し開ける。その向こうが中央のホール。探す手間もなく、すぐそこでアビュと会った。
「ボス! 待っていたのよ! 本当に逢いたかった!」
アビュが私を見つけて、彼女のほうから声を掛けてきた。アビュの癖に何という殊勝な言葉であろうか。彼女は抱き着きそうな勢いで近づいてくる。
「やあ、アビュ。仕事に戻るよ。どうだい、そっちは?」
「ああ、うん」
彼女の表情が曇った。「何ていうか最悪っていうか。はっきり言って、私は嫌だ。あんな奴と仕事をするのは」
「そ、そうなのかい」
嬉しい言葉だった。私だって未練がある。その仕事をやらされていたときは迷惑で仕方なかったが、その地位を失った今、気づいた。私はけっこうこの仕事を楽しんで勤めていたのだ。
出来ることならば、前の地位に戻りたい。その新しい管理人を追い出せるものならば、追い出したい。
とはいえ、中央の塔は荒れた様子はない。ゲオルゲ族の掃除夫たちも一生懸命に仕事に勤しんでいるようだ。
管理人が新しくなってそれほど日数が経ったわけではないが、特に異常は感じられない。むしろ円滑に運営されているようだ。
これでは私のつけ込む余地がないではないか。
「サンチーヌたちは?」
「うん、皆、ボスが返ってくるのを待っているわ。サンチーヌさんの執務室が新しく出来たから、そこに案内するよ」
そこは中央のホールの二階層下の部屋らしい。日当たりも悪く、窓もないという話し。このような部屋しか確保出来なかったことが、新しい管理人の権力の強さの証しだ。
そんな説明を聞きながらその部屋に向かっている途中、私はアビュに尋ねなければいけないことがあることを思い出していた。
絶対に尋ねなければいけない、とても大切なこと。そもそも、それを動機にして、私は部屋を出たのだ。あんなにも熱い気持ちで、急かされるようにして。
しかしそれが何だったのか、思い出せなかった。突然、大きな黒い幕が下りてきたように意識が断ち切られ、闇が広がり始めた。
「アビュ、君に何が何でも聞かなければいけないことがあったんだ」
私は困惑したまま、アビュに言う。
「うん。何でも教えるよ。私たちはボスが頼りだからね、何?」
「いや、でも思い出せないんだよな」
「え? え? え?」
アビュは心配そうにして私を見る。私の口調が、あまりにも深刻味に溢れていたからかもしれない。
私の心は本当に沈み始めていた。何か大切なものを失おうとしている。しかしそれが何かわからない。見当もつかない。
とんでもなく暗い虚無が押し寄せてくる。心が塞いで、不安で、どうしようもない気分。
「君に聞きたいことがあったんだ。とても重要なことだ」
「う、うん・・・」
「しかしそれが消えた」
「消えた・・・? まあ、物忘れって、何ていうか、けっこう、うん、私もあるしさ」
アビュが無理やり明るい声を出して、私を励まそうとしている。しかし彼女自身も私の喪失が、そのような類のものではないことをわかっているようだ。
私は立ち止まる。薄暗い廊下が果てしなく伸びて、どこにも行きつくことが出来ないような恐怖を感じて、足がすくんだ。
消えたのだ。
何かとても大事なものが。
しかしそれがどんなものなのかわからない。
「だ、大丈夫?」
「ああ、大丈夫さ、仕事に戻ろう」
私はこれ以上、彼女を心配させるべきではないと、朗らかに声を出す。
さっき感じた痛み、悲しみ、衝撃、それを絵にする。つまり、先程のフローリアの姿、彼女の涙。フローリアと、私に似た男が抱き合っている絵など描いて、私は自分を癒そうとするかもしれない。現実には起きそうのない願望を絵にして、この苦しみから逃走するのだ。
しかし今の私は絵筆を持つ気にもなれなかった。フローリアを追いかけたい。それしか考えられない。
もう、部屋に籠っていられない。彼女だって私を待っているかもしれないではないか。彼女に大切なことを伝えなければいけない。
行動の中へ、いつもの日常の中に。そこが私の居場所だと思う。絵を描くことで私は救われない。
私は髭を剃り、服を着替える。扉と私との間に立ちはだかるキャンパスを押しのけ、部屋を出た。
どこに行けばフローリアと逢うことが出来るのかわかっている。アビュに尋ねればいいのだ。彼女はきっと喜んで教えてくれるだろう。いや、彼女に聞かなくても、何となく見当はついている。
朝の太陽の光が、高窓から差し込んでいる。どれくらい振りであろうか、こうやって中央の回廊を渡るのは。
その果てにある鋼鉄の大きな扉を、私は押し開ける。その向こうが中央のホール。探す手間もなく、すぐそこでアビュと会った。
「ボス! 待っていたのよ! 本当に逢いたかった!」
アビュが私を見つけて、彼女のほうから声を掛けてきた。アビュの癖に何という殊勝な言葉であろうか。彼女は抱き着きそうな勢いで近づいてくる。
「やあ、アビュ。仕事に戻るよ。どうだい、そっちは?」
「ああ、うん」
彼女の表情が曇った。「何ていうか最悪っていうか。はっきり言って、私は嫌だ。あんな奴と仕事をするのは」
「そ、そうなのかい」
嬉しい言葉だった。私だって未練がある。その仕事をやらされていたときは迷惑で仕方なかったが、その地位を失った今、気づいた。私はけっこうこの仕事を楽しんで勤めていたのだ。
出来ることならば、前の地位に戻りたい。その新しい管理人を追い出せるものならば、追い出したい。
とはいえ、中央の塔は荒れた様子はない。ゲオルゲ族の掃除夫たちも一生懸命に仕事に勤しんでいるようだ。
管理人が新しくなってそれほど日数が経ったわけではないが、特に異常は感じられない。むしろ円滑に運営されているようだ。
これでは私のつけ込む余地がないではないか。
「サンチーヌたちは?」
「うん、皆、ボスが返ってくるのを待っているわ。サンチーヌさんの執務室が新しく出来たから、そこに案内するよ」
そこは中央のホールの二階層下の部屋らしい。日当たりも悪く、窓もないという話し。このような部屋しか確保出来なかったことが、新しい管理人の権力の強さの証しだ。
そんな説明を聞きながらその部屋に向かっている途中、私はアビュに尋ねなければいけないことがあることを思い出していた。
絶対に尋ねなければいけない、とても大切なこと。そもそも、それを動機にして、私は部屋を出たのだ。あんなにも熱い気持ちで、急かされるようにして。
しかしそれが何だったのか、思い出せなかった。突然、大きな黒い幕が下りてきたように意識が断ち切られ、闇が広がり始めた。
「アビュ、君に何が何でも聞かなければいけないことがあったんだ」
私は困惑したまま、アビュに言う。
「うん。何でも教えるよ。私たちはボスが頼りだからね、何?」
「いや、でも思い出せないんだよな」
「え? え? え?」
アビュは心配そうにして私を見る。私の口調が、あまりにも深刻味に溢れていたからかもしれない。
私の心は本当に沈み始めていた。何か大切なものを失おうとしている。しかしそれが何かわからない。見当もつかない。
とんでもなく暗い虚無が押し寄せてくる。心が塞いで、不安で、どうしようもない気分。
「君に聞きたいことがあったんだ。とても重要なことだ」
「う、うん・・・」
「しかしそれが消えた」
「消えた・・・? まあ、物忘れって、何ていうか、けっこう、うん、私もあるしさ」
アビュが無理やり明るい声を出して、私を励まそうとしている。しかし彼女自身も私の喪失が、そのような類のものではないことをわかっているようだ。
私は立ち止まる。薄暗い廊下が果てしなく伸びて、どこにも行きつくことが出来ないような恐怖を感じて、足がすくんだ。
消えたのだ。
何かとても大事なものが。
しかしそれがどんなものなのかわからない。
「だ、大丈夫?」
「ああ、大丈夫さ、仕事に戻ろう」
私はこれ以上、彼女を心配させるべきではないと、朗らかに声を出す。
0
この作品は感想を受け付けておりません。
あなたにおすすめの小説
99歳で亡くなり異世界に転生した老人は7歳の子供に生まれ変わり、召喚魔法でドラゴンや前世の世界の物を召喚して世界を変える
ハーフのクロエ
ファンタジー
夫が病気で長期入院したので夫が途中まで書いていた小説を私なりに書き直して完結まで投稿しますので応援よろしくお願いいたします。
主人公は建築会社を55歳で取り締まり役常務をしていたが惜しげもなく早期退職し田舎で大好きな農業をしていた。99歳で亡くなった老人は前世の記憶を持ったまま7歳の少年マリュウスとして異世界の僻地の男爵家に生まれ変わる。10歳の鑑定の儀で、火、水、風、土、木の5大魔法ではなく、この世界で初めての召喚魔法を授かる。最初に召喚出来たのは弱いスライム、モグラ魔獣でマリウスはガッカリしたが優しい家族に見守られ次第に色んな魔獣や地球の、物などを召喚出来るようになり、僻地の男爵家を発展させ気が付けば大陸一豊かで最強の小さい王国を起こしていた。
竜皇女と呼ばれた娘
Aoi
ファンタジー
この世に生を授かり間もなくして捨てられしまった赤子は洞窟を棲み処にしていた竜イグニスに拾われヴァイオレットと名づけられ育てられた
ヴァイオレットはイグニスともう一頭の竜バシリッサの元でスクスクと育ち十六の歳になる
その歳まで人間と交流する機会がなかったヴァイオレットは友達を作る為に学校に通うことを望んだ
国で一番のグレディス魔法学校の入学試験を受け無事入学を果たし念願の友達も作れて順風満帆な生活を送っていたが、ある日衝撃の事実を告げられ……
《完結》当て馬悪役令息のツッコミ属性が強すぎて、物語の仕事を全くしないんですが?!
犬丸大福
ファンタジー
ユーディリア・エアトルは母親からの折檻を受け、そのまま意識を失った。
そして夢をみた。
日本で暮らし、平々凡々な日々の中、友人が命を捧げるんじゃないかと思うほどハマっている漫画の推しの顔。
その顔を見て目が覚めた。
なんと自分はこのまま行けば破滅まっしぐらな友人の最推し、当て馬悪役令息であるエミリオ・エアトルの双子の妹ユーディリア・エアトルである事に気がついたのだった。
数ある作品の中から、読んでいただきありがとうございます。
幼少期、最初はツラい状況が続きます。
作者都合のゆるふわご都合設定です。
日曜日以外、1日1話更新目指してます。
エール、お気に入り登録、いいね、コメント、しおり、とても励みになります。
お楽しみ頂けたら幸いです。
***************
2024年6月25日 お気に入り登録100人達成 ありがとうございます!
100人になるまで見捨てずに居て下さった99人の皆様にも感謝を!!
2024年9月9日 お気に入り登録200人達成 感謝感謝でございます!
200人になるまで見捨てずに居て下さった皆様にもこれからも見守っていただける物語を!!
2025年1月6日 お気に入り登録300人達成 感涙に咽び泣いております!
ここまで見捨てずに読んで下さった皆様、頑張って書ききる所存でございます!これからもどうぞよろしくお願いいたします!
2025年3月17日 お気に入り登録400人達成 驚愕し若干焦っております!
こんなにも多くの方に呼んでいただけるとか、本当に感謝感謝でございます。こんなにも長くなった物語でも、ここまで見捨てずに居てくださる皆様、ありがとうございます!!
2025年6月10日 お気に入り登録500人達成 ひょえぇぇ?!
なんですと?!完結してからも登録してくださる方が?!ありがとうございます、ありがとうございます!!
こんなに多くの方にお読み頂けて幸せでございます。
どうしよう、欲が出て来た?
…ショートショートとか書いてみようかな?
2025年7月8日 お気に入り登録600人達成?! うそぉん?!
欲が…欲が…ック!……うん。減った…皆様ごめんなさい、欲は出しちゃいけないらしい…
2025年9月21日 お気に入り登録700人達成?!
どうしよう、どうしよう、何をどう感謝してお返ししたら良いのだろう…
罠にはめられた公爵令嬢~今度は私が報復する番です
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
ファンタジー
【私と私の家族の命を奪ったのは一体誰?】
私には婚約中の王子がいた。
ある夜のこと、内密で王子から城に呼び出されると、彼は見知らぬ女性と共に私を待ち受けていた。
そして突然告げられた一方的な婚約破棄。しかし二人の婚約は政略的なものであり、とてもでは無いが受け入れられるものではなかった。そこで婚約破棄の件は持ち帰らせてもらうことにしたその帰り道。突然馬車が襲われ、逃げる途中で私は滝に落下してしまう。
次に目覚めた場所は粗末な小屋の中で、私を助けたという青年が側にいた。そして彼の話で私は驚愕の事実を知ることになる。
目覚めた世界は10年後であり、家族は反逆罪で全員処刑されていた。更に驚くべきことに蘇った身体は全く別人の女性であった。
名前も素性も分からないこの身体で、自分と家族の命を奪った相手に必ず報復することに私は決めた――。
※他サイトでも投稿中
処刑された勇者は二度目の人生で復讐を選ぶ
シロタカズキ
ファンタジー
──勇者は、すべてを裏切られ、処刑された。
だが、彼の魂は復讐の炎と共に蘇る──。
かつて魔王を討ち、人類を救った勇者 レオン・アルヴァレス。
だが、彼を待っていたのは称賛ではなく、 王族・貴族・元仲間たちによる裏切りと処刑だった。
「力が強すぎる」という理由で異端者として断罪され、広場で公開処刑されるレオン。
国民は歓喜し、王は満足げに笑い、かつての仲間たちは目を背ける。
そして、勇者は 死んだ。
──はずだった。
十年後。
王国は繁栄の影で腐敗し、裏切り者たちは安穏とした日々を送っていた。
しかし、そんな彼らの前に死んだはずの勇者が現れる。
「よくもまあ、のうのうと生きていられたものだな」
これは、英雄ではなくなった男の復讐譚。
彼を裏切った王族、貴族、そしてかつての仲間たちを絶望の淵に叩き落とすための第二の人生が、いま始まる──。
【完結】見えてますよ!
ユユ
恋愛
“何故”
私の婚約者が彼だと分かると、第一声はソレだった。
美少女でもなければ醜くもなく。
優秀でもなければ出来損ないでもなく。
高貴でも無ければ下位貴族でもない。
富豪でなければ貧乏でもない。
中の中。
自己主張も存在感もない私は貴族達の中では透明人間のようだった。
唯一認識されるのは婚約者と社交に出る時。
そしてあの言葉が聞こえてくる。
見目麗しく優秀な彼の横に並ぶ私を蔑む令嬢達。
私はずっと願っていた。彼に婚約を解消して欲しいと。
ある日いき過ぎた嫌がらせがきっかけで、見えるようになる。
★注意★
・閑話にはR18要素を含みます。
読まなくても大丈夫です。
・作り話です。
・合わない方はご退出願います。
・完結しています。
悪役令嬢が行方不明!?
mimiaizu
恋愛
乙女ゲームの設定では悪役令嬢だった公爵令嬢サエナリア・ヴァン・ソノーザ。そんな彼女が行方不明になるというゲームになかった事件(イベント)が起こる。彼女を見つけ出そうと捜索が始まる。そして、次々と明かされることになる真実に、妹が両親が、婚約者の王太子が、ヒロインの男爵令嬢が、皆が驚愕することになる。全てのカギを握るのは、一体誰なのだろう。
※初めての悪役令嬢物です。
初恋が綺麗に終わらない
わらびもち
恋愛
婚約者のエーミールにいつも放置され、蔑ろにされるベロニカ。
そんな彼の態度にウンザリし、婚約を破棄しようと行動をおこす。
今後、一度でもエーミールがベロニカ以外の女を優先することがあれば即座に婚約は破棄。
そういった契約を両家で交わすも、馬鹿なエーミールはよりにもよって夜会でやらかす。
もう呆れるしかないベロニカ。そしてそんな彼女に手を差し伸べた意外な人物。
ベロニカはこの人物に、人生で初の恋に落ちる…………。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる