腹黒優等生の一軍男子に溺愛されるまでの青春ラブストーリー【高嶺の君とキズナを紡ぐ】

Alanhart

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〈5 錯綜クインテット〉

ep92 心の瞳

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 合唱コンクールは、英至町の市民会館のホールで行われる。実行委員の司会進行のもと、つつがなくプログラムが進行され、ついにわたしたちのクラスの出番だ。

 全校生徒の拍手で迎えられる中、3年2組の生徒たちが舞台上のひな壇に並ぶ。わたしはひな壇の中段目に上がると、前列の1年生の視線に、緊張で心臓がバクバクし始めた。さっきから喉の奥が、ぴったり貼り付いているような違和感がある。ちゃんと声が出るか、すごく不安だ。

 観客の視線を意識しているのも辛かったので、なるべく目を遠くに向ける。ライトの当たらない後列の客席は、人の輪郭がぼんやりと浮かんでいる。3年生が座る席のあたりで、ちなちゃんの姿を探したけど、舞台上ここからでは見つけることはできなかった。


 拍手の中、篠原くんが観客席側に礼をして、指揮者台に上がった。篠原くんと目が合うと、変な力が入っていたわたしの身体が、不思議と緩んだような気がした。

 篠原くんが右手を振りかざす。ホール内の拍手が止み、静寂に包まれる。客席から聞こえる、誰かの軽い咳払い。身じろぎした布地のこすれる僅かな音、そして、それすらすべてが消えた後の、空気が止まったかのような瞬間。全校生徒すべての視線が、わたしたちへと集約する。

 指揮者が手を振ると、静かにピアノの前奏が入った。

 3年2組の課題曲は『心の瞳』だ。歌声は、ゆるやかな円を描いてホールの中を響き渡る。貼りついていた喉は、思うように開いてはくれない。それでもわたしは練習したときのことを思い出しながら歌った。人前で歌うのは得意じゃないし、ましてや見られていると思うと喉の奥がきゅっと締まる感じがするのだが、体育際のリレーでは足を引っ張ってしまったし、出来ることで貢献したいと思ったのだ。

 特段大きなミスもなく無事に課題曲を歌いきると、拍手に見送られつつ順番に舞台から降りた。

 わたしはほっとして、改めて客席にいるはずのちなちゃんの姿を探した。5組の席は、2組よりもずっと後方だ。
 ――見つけた。舞台の照明で、ぼんやりとちなちゃんの顔の輪郭が浮かんでいる。こちらには気づいていないようで、隣に座る友達と楽しそうに話している。

 あの日からずっと、ちなちゃんにどう謝ろうか考えていた。送ったLINEには既読がついていないし、ちゃんと話し合いたいと思っているんだけど……。今日こそは、ちなちゃんにちゃんと謝りたい。

 知らなかったんだ。篠原くんと勉強することが、ちなちゃんにとって不快なことだったなんて。わたしにとっては、ちなちゃんも、篠原くんも、同じくらいに大事だったから。

 仲直りしたいと思っているのに、わたしは未だに悩んでいた。ちなちゃんのために、桜花咲を諦めるべきなのかどうかを。




 合唱コンクールが終わり、市民会館のエントランスホールには、学生たちが先生たちの指示で各クラスごとに並んだ。先生からの連絡事項の共有があった後は、このまま現地解散する流れとなる。

 日直の号令で解散したあと、生徒たちが散らばるのと同時に、わたしはちなちゃんを探した。生徒であふれるエントランスホールを歩き回る。
 友達と和やかに談笑しているちなちゃんの姿を見つけて、わたしはほっとして、ちなちゃんに駆け寄った。

「ちなちゃん!」

 わたしがちなちゃんに声をかけると、ちなちゃんは目を大きくさせて、わたしを見た。近くの友達も、「だれ?」と言いたげに、不思議そうな顔をしている。

「あ、あの……、邪魔しちゃってごめんね。ちょっとだけ、ちなちゃんと話がしたくて……。今、いい、かな……」

 わたしがおずおずとちなちゃんの方を見ると、ちなちゃんは困惑した表情を浮かべた。

「えっと……だれ?」

「え」

 ちなちゃんの思わぬ発言に、間の抜けた声が出る。

「えー、なになに? 知らん人?」

「初対面なのに“ちなちゃん”とか、なれなれしいんだけど」

 ちなちゃんの友達が、可笑しそうにくすくすと笑う。わたしはちなちゃんの予想外の反応と、笑われたことへの恥ずかしさに、顔中にカッと熱が溜まるのを感じた。

「ち、ちなちゃんとは、幼稚園からの、とも、だち、で……」

「へー、そうだったの? 稚奈の友達にこんな子・・・・いたんだ」

 「こんな子」という言葉に嫌な含みを感じて、わたしは狼狽えたまま尻込みしてしまった。助けを求めるようにちなちゃんを見る。ちなちゃんは、ますます困惑した顔をして、友達の制服の裾をぎゅっと握った。

「稚奈、知らないよ? この子と喋ったの初めてだもん」

 どうしてちなちゃんがそんなことを言うのか、わたしにはわからなかった。

 ちなちゃんはわたしの親友なのに。ちなちゃんだって、わたしのことは親友だって言ってくれたのに。

 ちなちゃんの友達も、どういう状況なのか全くわからないというように、困った顔で互いの顔を見合わせていた。
 微妙な、気まずい空気が流れていた。まるで、親しい者同士の楽しい会話を、部外者が邪魔してしまったときの居た堪れない冷え冷えとした空気がそこにあった。実際、ちなちゃんの友達にとっては、わたしがその部外者で間違いないのだろう。

「あっ、篠原くんだ! 篠原くん来たから、稚奈もう帰るね。またね、ばいばーい」

「ばいばーい、またねー」

 ちなちゃんは友達に手を振ると、篠原くんの方へ行ってしまった。友達がちなちゃんを見送ると、気まずそうに互いに目配せし合った。

「……あたしたちも、帰ろっか」

「うん、帰ろ帰ろー」

 ちなちゃんの友達も、わたしを奇妙な目で見ながら、逃げるようにしてその場から離れて行く。

 ひとり残されたわたしは、唇を噛み締めて、泣きたいのを必死にこらえていた。





 市民会館の女子トイレの個室に逃げ込んだ。涙はとめどなく溢れてきて、いくら拭っても止まらない。胸が痛くて、とにかく痛くて、泣いても泣いても、痛みは増すばかりだ。

 ――一方的に要求を押し付けてくるような関係は、親友・・じゃなくて奴隷・・だ。

 こんなときに、新島くんに言われた言葉が蘇る。あの時は、なんで赤の他人にいじまくんに、わたしたちのことを悪く言われなきゃ行けないんだろうと、新島くんに憤った。わたしにとって、ちなちゃんは大切な人なのに、って。

 でも、ちがったのかな。大事にしてたのはわたしだけだったのかな。ちなちゃんにとってわたしは、一体何だったんだろう。

 ずっと泣き続けても心の痛みは増すばかりで、喉はひりひりと痛いまま、涙だけは流しつくしてしまった。
 頬についた涙跡を拭って個室のドアを開く。目の前には遠藤さんが、数人の取り巻き達と共に立ちはだかっていた。
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