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第一章 雪の中で出会った温もり
2話 雪の寝床で芽生えた光
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朝は、いつもより少し遅く起きた。家の中が静かすぎて、目が覚めると同時に胸が締めつけられる。もう誰も「おはよう」と声をかけてくれない。誰も、味噌汁の香りを漂わせてくれない。
だから、外に出た。
大須商店街は初詣の人で賑わっていた。アーケードの下を歩きながら、昔の記憶が次々と甦る。妹が手を引いてお店のウィンドウを覗き込んだこと。兄が面白半分で変な帽子をかぶって笑わせてくれたこと。母が優しく私の髪を直してくれながら歩いたこと。父がみんなの写真を撮ろうとスマホを構えていたこと。
元旦の商店街は、普段より少し静かで、でも参拝の人たちが行き交っている。大須の賑わいを抜けて、萬松寺の大きな建物が見えてくる。白龍館のモニュメントが、朝の光に輝いていた。屋上の鐘楼から、遠くに鐘の音が響いてくる。
その後、おみくじを引いた。筒を振って、出てきた紙には「大吉」と書いてあった。末吉とか凶なら、もっと楽だったかもしれない。大吉なのに、どうでもよかった。だって、これで全部終わると思ったから。最後に、家族との思い出の場所にだけ、挨拶をしたかった。
寺を出て、名古屋駅へ向かった。高速バスのチケットを買うとき、手が震えていた。でも、誰も気づかない。新穂高行きのバスに乗り、ロープウェイを乗り継いだ。
防寒装備は完璧だった。ダウンジャケットに厚手のセーター、スキーウェアの下にヒートテック。靴も防水のブーツで、帽子、マフラー、手袋まで。これが私の死装束だとは誰も思わないだろう。
山頂駅に着くと、外はもう深い雪の世界だった。千石園地で降り、散策道を歩き始めた。最初は他のハイカーもいたけど、周囲に誰も居ないのを確認して、すぐに一本外れた道を選んだ。誰も来ない場所へ。
少し歩くと、周りは雪ばかりになった。静かで、白くて、きれいだった。風が雪を舞い上げて、私の銀髪に絡みつく。私も、髪のように真っ白になればいいのに。心の底から、そう思った。
さらに奥へ進む。街の明かりが完全に消えたところで、立ち止まった。手袋を外して、雪を掘り始めた。両手で、必死に。自分が入るだけの、浅い窪みを作る。十分だと思ったところで、掘るのをやめた。
そして、一枚、また一枚。服を脱いだ。まずコートを脱いで、雪の上に置く。次にセーター。厚手のニットが、冷たい空気に触れてすぐに白く凍りつく。シャツを脱ぎ、スカートを脱ぎ、タイツを脱ぎ、下着も全部。まるで、人生のしがらみをすべて脱ぎ捨てるように。
最後に、生まれたままの姿になった。
雪の上に横たわる。最初は刺すような冷たさが全身を襲った。皮膚が縮み、息が白く凍る。でも、だんだん寒さが骨の奥まで染みて、感覚が少しずつ麻痺していく。
これでいい。これで終わる。
目を閉じかけたとき、なぜか、どこか温かいものに包まれている気がした。ぼんやりと、その温もりの方向を見た。
そこに、少女がいた。雪の中に、ぽつんと立っている。見た目は中学生くらい。古風な着物を着ていて、裾が雪に軽く触れているのに、濡れていない。長い銀色の髪が、風に揺れながら雪に溶け込むように美しい。瞳は金色で、人間とは思えないほど完璧で、それでいて優しかった。
「娘よ、なにゆえ……」
古めかしい、柔らかな言葉で、静かに話しかけられた。少女は少し首を傾げて、すぐに首を振った。
「ちがったな。何で命を粗末にする?」
言葉遣いが急に変わった。少し砕けて、でもどこか親しげ。私がぽかんと見つめていると、少女は一歩近づいてきた。
「なんで死のうとするの?」
声が、少し震えていた。
「……関係ないじゃん。もういいの」
私は掠れた声で答えた。喉が凍りついて痛い。
「お前がよくても、私が嫌じゃ」
初対面なのに、わがままな言い方だった。でも、不思議と腹が立たなかった。だって、周囲だけが、まるで春のような空気だったから。雪が降っていないのに、風が優しくて、温かくて。
「だって……」
言葉が続かない。言い訳なんて、したくなかった。少女はそっと、私の額に手を当てた。冷たいはずの雪の中で、その手だけが信じられないほど温かかった。
次の瞬間、少女が泣き始めた。ぽろぽろと、宝石みたいな透明な涙がこぼれる。頬を伝って、雪の上に落ちるたび、小さな光を放って消えた。本当に、美しかった。
「親兄弟が亡くなったというのに、そんなひどいことを言う輩がいるとは……一緒に暮らそう」
少女は泣きながら、でも笑顔でそう言った。
私は何も言ってないのに、なぜ知ってるのと言いたかった。
その瞬間、少女の頭にふわりと白い狐の耳が生え、背中からふさふさの尻尾が現れた。耳がぴくぴく動いて、尻尾が雪を軽く払う。
「……あなた、人じゃないの?」
私は思わず聞いた。死のうとしてたのに、こんなこと気にする自分がおかしくて、少し笑いそうになった。
「死のうとしてた割には、そういうところは気にするんだな」
少女は涙を拭いながら、くすりと笑った。
「自己紹介が遅れたな、綾」
「なんで……私の名前を?」
「去年、私の分体を助けてもらったからな」
「……何の話?」
少女は少し困ったように微笑んだ。
「去年、白き狐を助けなかったか?」
「あ……ああああ!」
思い出した。あの夏の、あの小さな白い狐。
「うん、罠にかかってて、かわいそうだから助けて、病院に連れてって治療した……」
「その狐のお礼に来た」
「は?」
私は呆然とした。
「私の名前は白雪吒枳尼真天じゃ。お主にもわかるように言うのなら白雪稲荷とも言われてるようじゃな」
「えっと……狐が化かしに来たの?」
死の間際にこんなかわいい子が大須の万松寺に祀られてるお稲荷さんだっけ?を語るなんて少し笑ってしまう。
「違うわ」
ぱしりと、軽く額をはたかれた。痛くなくて、でも温かかった。
「私は、尾張国大須、萬松寺に祀られておる白雪吒枳尼真天の別け身。この姿で、お前に恩を返しに来たのじゃ」
「恩なら……死なせて。もう生きてても、意味がないから、記憶を呼んだようだから分かるでしょ」
そう呟いた途端、胸の奥で何かがぷつんと切れて、涙が止まらなくなった。
私は大泣きした。声を上げて、嗚咽を漏らして、少女にすがりついた。裸のまま、雪の中で。体が震えて、涙が止まらなくて、鼻水まで出て、みっともなくて、それでも止まらなかった。
少女は優しく私の頭を抱きしめ、背中を撫でてくれた。赤子をあやす母親のように、静かに、ゆっくり、ずっと。
「よしよし。もう大丈夫だよ。私は、ここにいるよ」
そんな言葉を、耳元で囁きながら。泣き疲れて、声が枯れて、ようやく落ち着くまで、離さなかった。やがて、自分が全裸のままで抱きついていたことに気づいた。慌てて体を離し、雪の中に散らばった服を拾い始めた。手が震えて、ボタンが留められない。
「裸で死のうとしてた割になぜ恥ずかしがる?」
少女が、少しからかうように聞いた。
「……死んだ後のことなんて、考えてなかったから」
私は顔を赤くしながら答えた。
少女はくすくすと笑った。雪の中で、その笑顔があまりにきれいで、私はまた泣きそうになった。でも、今度は違う涙が込み上げてきた。
「私と一緒に、家族として暮らそう」
少女は私の目を見つめて、静かに言った。その金色の瞳に、嘘はないとわかった。
私は、ゆっくりとうなずいた。涙が止まらなかったけど、今度は温かくて、優しくて、希望みたいなものが少しだけ混じった涙だった。
少女の手を取った。温かかった。あの狐を抱いたときと同じ、温かさだった。
そうして、私、紫微綾と、白雪荼枳尼天の別け身の女の子との、奇妙で、でも確実に温かな同居生活が始まった。
だから、外に出た。
大須商店街は初詣の人で賑わっていた。アーケードの下を歩きながら、昔の記憶が次々と甦る。妹が手を引いてお店のウィンドウを覗き込んだこと。兄が面白半分で変な帽子をかぶって笑わせてくれたこと。母が優しく私の髪を直してくれながら歩いたこと。父がみんなの写真を撮ろうとスマホを構えていたこと。
元旦の商店街は、普段より少し静かで、でも参拝の人たちが行き交っている。大須の賑わいを抜けて、萬松寺の大きな建物が見えてくる。白龍館のモニュメントが、朝の光に輝いていた。屋上の鐘楼から、遠くに鐘の音が響いてくる。
その後、おみくじを引いた。筒を振って、出てきた紙には「大吉」と書いてあった。末吉とか凶なら、もっと楽だったかもしれない。大吉なのに、どうでもよかった。だって、これで全部終わると思ったから。最後に、家族との思い出の場所にだけ、挨拶をしたかった。
寺を出て、名古屋駅へ向かった。高速バスのチケットを買うとき、手が震えていた。でも、誰も気づかない。新穂高行きのバスに乗り、ロープウェイを乗り継いだ。
防寒装備は完璧だった。ダウンジャケットに厚手のセーター、スキーウェアの下にヒートテック。靴も防水のブーツで、帽子、マフラー、手袋まで。これが私の死装束だとは誰も思わないだろう。
山頂駅に着くと、外はもう深い雪の世界だった。千石園地で降り、散策道を歩き始めた。最初は他のハイカーもいたけど、周囲に誰も居ないのを確認して、すぐに一本外れた道を選んだ。誰も来ない場所へ。
少し歩くと、周りは雪ばかりになった。静かで、白くて、きれいだった。風が雪を舞い上げて、私の銀髪に絡みつく。私も、髪のように真っ白になればいいのに。心の底から、そう思った。
さらに奥へ進む。街の明かりが完全に消えたところで、立ち止まった。手袋を外して、雪を掘り始めた。両手で、必死に。自分が入るだけの、浅い窪みを作る。十分だと思ったところで、掘るのをやめた。
そして、一枚、また一枚。服を脱いだ。まずコートを脱いで、雪の上に置く。次にセーター。厚手のニットが、冷たい空気に触れてすぐに白く凍りつく。シャツを脱ぎ、スカートを脱ぎ、タイツを脱ぎ、下着も全部。まるで、人生のしがらみをすべて脱ぎ捨てるように。
最後に、生まれたままの姿になった。
雪の上に横たわる。最初は刺すような冷たさが全身を襲った。皮膚が縮み、息が白く凍る。でも、だんだん寒さが骨の奥まで染みて、感覚が少しずつ麻痺していく。
これでいい。これで終わる。
目を閉じかけたとき、なぜか、どこか温かいものに包まれている気がした。ぼんやりと、その温もりの方向を見た。
そこに、少女がいた。雪の中に、ぽつんと立っている。見た目は中学生くらい。古風な着物を着ていて、裾が雪に軽く触れているのに、濡れていない。長い銀色の髪が、風に揺れながら雪に溶け込むように美しい。瞳は金色で、人間とは思えないほど完璧で、それでいて優しかった。
「娘よ、なにゆえ……」
古めかしい、柔らかな言葉で、静かに話しかけられた。少女は少し首を傾げて、すぐに首を振った。
「ちがったな。何で命を粗末にする?」
言葉遣いが急に変わった。少し砕けて、でもどこか親しげ。私がぽかんと見つめていると、少女は一歩近づいてきた。
「なんで死のうとするの?」
声が、少し震えていた。
「……関係ないじゃん。もういいの」
私は掠れた声で答えた。喉が凍りついて痛い。
「お前がよくても、私が嫌じゃ」
初対面なのに、わがままな言い方だった。でも、不思議と腹が立たなかった。だって、周囲だけが、まるで春のような空気だったから。雪が降っていないのに、風が優しくて、温かくて。
「だって……」
言葉が続かない。言い訳なんて、したくなかった。少女はそっと、私の額に手を当てた。冷たいはずの雪の中で、その手だけが信じられないほど温かかった。
次の瞬間、少女が泣き始めた。ぽろぽろと、宝石みたいな透明な涙がこぼれる。頬を伝って、雪の上に落ちるたび、小さな光を放って消えた。本当に、美しかった。
「親兄弟が亡くなったというのに、そんなひどいことを言う輩がいるとは……一緒に暮らそう」
少女は泣きながら、でも笑顔でそう言った。
私は何も言ってないのに、なぜ知ってるのと言いたかった。
その瞬間、少女の頭にふわりと白い狐の耳が生え、背中からふさふさの尻尾が現れた。耳がぴくぴく動いて、尻尾が雪を軽く払う。
「……あなた、人じゃないの?」
私は思わず聞いた。死のうとしてたのに、こんなこと気にする自分がおかしくて、少し笑いそうになった。
「死のうとしてた割には、そういうところは気にするんだな」
少女は涙を拭いながら、くすりと笑った。
「自己紹介が遅れたな、綾」
「なんで……私の名前を?」
「去年、私の分体を助けてもらったからな」
「……何の話?」
少女は少し困ったように微笑んだ。
「去年、白き狐を助けなかったか?」
「あ……ああああ!」
思い出した。あの夏の、あの小さな白い狐。
「うん、罠にかかってて、かわいそうだから助けて、病院に連れてって治療した……」
「その狐のお礼に来た」
「は?」
私は呆然とした。
「私の名前は白雪吒枳尼真天じゃ。お主にもわかるように言うのなら白雪稲荷とも言われてるようじゃな」
「えっと……狐が化かしに来たの?」
死の間際にこんなかわいい子が大須の万松寺に祀られてるお稲荷さんだっけ?を語るなんて少し笑ってしまう。
「違うわ」
ぱしりと、軽く額をはたかれた。痛くなくて、でも温かかった。
「私は、尾張国大須、萬松寺に祀られておる白雪吒枳尼真天の別け身。この姿で、お前に恩を返しに来たのじゃ」
「恩なら……死なせて。もう生きてても、意味がないから、記憶を呼んだようだから分かるでしょ」
そう呟いた途端、胸の奥で何かがぷつんと切れて、涙が止まらなくなった。
私は大泣きした。声を上げて、嗚咽を漏らして、少女にすがりついた。裸のまま、雪の中で。体が震えて、涙が止まらなくて、鼻水まで出て、みっともなくて、それでも止まらなかった。
少女は優しく私の頭を抱きしめ、背中を撫でてくれた。赤子をあやす母親のように、静かに、ゆっくり、ずっと。
「よしよし。もう大丈夫だよ。私は、ここにいるよ」
そんな言葉を、耳元で囁きながら。泣き疲れて、声が枯れて、ようやく落ち着くまで、離さなかった。やがて、自分が全裸のままで抱きついていたことに気づいた。慌てて体を離し、雪の中に散らばった服を拾い始めた。手が震えて、ボタンが留められない。
「裸で死のうとしてた割になぜ恥ずかしがる?」
少女が、少しからかうように聞いた。
「……死んだ後のことなんて、考えてなかったから」
私は顔を赤くしながら答えた。
少女はくすくすと笑った。雪の中で、その笑顔があまりにきれいで、私はまた泣きそうになった。でも、今度は違う涙が込み上げてきた。
「私と一緒に、家族として暮らそう」
少女は私の目を見つめて、静かに言った。その金色の瞳に、嘘はないとわかった。
私は、ゆっくりとうなずいた。涙が止まらなかったけど、今度は温かくて、優しくて、希望みたいなものが少しだけ混じった涙だった。
少女の手を取った。温かかった。あの狐を抱いたときと同じ、温かさだった。
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