天使のお迎え〜転生BLに憧れる僕の、美しい義兄弟から愛される生活〜

星寝むぎ

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守りたいもの

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鈴原すずはらくん、ちょっといいかな。今日の入荷分のことなんだけどね……って、鈴原くん? おーい、鈴原くーん」
「……はっ! はい!」

 店長から話しかけられていることに、杏樹あんじゅはすぐに気づけなかった。指示をもう一度聞いて、しっかりメモを取る。

「それじゃあ、届いたらチェックよろしくね」
「はい、承知しました」

 ここ一週間、杏樹は考えこむ時間が増えてしまった。とは言え、仕事中にぼーっとしてしまうのはまずい。店長の優しさと、どうにか戻ってきてくれた自分の意識に安堵の息をつく。

 こんなにも思い悩んでいるのは他でもない、立て続けに告白を受けたからだ。すい銀河ぎんが、それから壱星いっせい。まさかの、生活を共にする美しい兄弟たちから。ドッキリにでもしかけられているのではと、本気で考えた。それくらい、今までの人生を振り返ってみてもあり得ないことだからだ。

 だが、自分なんかにしかけて誰が得するだろう。それになにより、あの三人が人を陥れて嗤うはずがない。天使と見紛うほどの彼らは、その心だって宝もののように美しいのだから。

「どうしよう……」

 悩ましいのは、自分の優柔不断さのせいだ。これを恋と呼ぶのだろうと感じられる、熱い想いがたしかに胸にある。ただ、それを口にすることはきっと許されない。いや、自分自身が許せないのだ。


「店長、今日は仕事中にぼーっとしていてすみませんでした」
「ん? もしかして気にしてたの? 大丈夫だよ、鈴原くんは本当によくやってくれてる。今日もお疲れ様」
「ありがとうございます、お疲れ様でした」

 店長のあたたかい言葉に、胸を撫で下ろす。とは言え、同じような失敗はしないようにと心に誓いながら外へ出る。暮れ始めた空はどんよりと暗く、少し前から雨が降り始めていた。遠くのほうでは雷が鳴っている。

 早く帰ろう。肌寒いから、今日の夕飯にはスープも作ろう。そう決めて歩き出した時だった。

「こんにちは」
「…………?」
「いや、もうこんばんはかな」

 声をかけられたのが自分なのか、最初は分からなかった。だがあたりを見渡してもそれらしい人はいなくて、杏樹は立ち止まる。

「こんばんは……」

 一体誰だろう。お互い傘を差しているから、余計に分かりづらい。だが覗き見えたその顔に、杏樹は覚えがあった。例の男性客だ。ミステリー小説を探していた、あの後も何度か来店しては目が合っていた、男性客。

 客から店外で声をかけられるのは、初めてのことだ。思わず身構える。近づいてくる男の様子に、つい少しずつ後ずさってしまう。

「はは、急にごめんね。怖がらせちゃったかな?」
「……いえ」

 そう問われてしまい、杏樹は立ち止まる。そうしないと、怖いと認めることになると思ったからだ。目的は分からないが、万が一にも神経を逆撫でするわけにはいかない。

「今日はちょっと、君に話があってきたんだ」
「……僕に、ですか? えっと、本のことでしょうか」
「いや、君自身のことだよ」
「それは、どういう……」

 男は傘を肩に預け、距離を詰めてきた。逃げ出しそうな体に、杏樹はぐっと力をこめる。なにを言われるのだろう。なんで近づくんだ? 今すぐにでも、この場を去りたい。

「鈴原くん」
「……っ!」

 名前を呼ばれ、思わず肩を跳ね上げた。警戒するにはまだ早いだろうか。仕事中は名札をつけているし、じっと見られていたことだってあった。いやでも、知ったところでわざわざ呼びかけるものだろうか。  

 やはり逃げたほうがいい気がしてきた。杏樹の中の危険センサーが、赤く点滅しはじめる。

「えっと、すみません。僕用事があるので……」

 そう言って背を向け、走り出そうとした時だった。

律子りつこは元気?」
「っ、え?」

 あまりの衝撃に、足が強くブレーキをかけた。つんのめって、水たまりが跳ね上がる。

 男が口にしたのは、母の名前だ。

 なぜ母を知っている? なぜ一店員と客に過ぎないのに、僕と母の関係を見出した?

 頭がこんがらがり、恐怖で振り向くこともできない。

「あの書店で初めて君を見た時、なんだか律子に似てるなあと思ったんだよ。名札が鈴原だから、もしかしたらってずっと思っててね。なんだか気になって、こっちに出張に来る度に寄ってたんだ」
「…………」

 水たまりを踏む音と共に、男の声がゆっくり近づいてくる。

「そうしたら先日、君に杏樹あんじゅって呼びかける男の子が現れた。鈴原杏樹。確信したよ。俺の……息子だって」
「っ、は?」

 恐る恐る顔を上げると、すぐ隣に男は立っていた。杏樹より少し背が高い体は痩せていて、貼りつけたみたいに口元だけ笑んだ顔が、正直怖い。

「な、なにを言っているのか意味が分かりません……僕に、ち、父親はいません」
「そうだね。最後に会ったのは、君がまだ一歳にもなっていない頃だったし」

 なぜそんなに言い切れる? 確かに父親の記憶は全くない。でも記憶がないだけではない、父親なんているはずがないのだ。この男は、間違っている。

「そういう意味では、ありません。父は、もう、死んでいます」

 そう、だからこの男は嘘をついている。嘘をついて、自分を騙そうとしている。

 だがなにがおかしいのか、男は小さくふき出した。

「はは、そうか。そういうことになってるのかー……いや、さすがにちょっと悲しいものだね」
「……母が嘘をついている、と言いたいんですか?」
「んー、責めたいわけでは全くないけど。結果的にはそういうことになるね。現に俺は、こうして生きているし。信じられないなら、律子に聞いてくれてもいいよ。これ、俺の名刺」

 男が取り出した名刺に、杏樹は目もくれなかった。だが苦笑を漏らしながら、男は勝手に杏樹のバッグへとねじ込んだ。

「……なにが目的なんですか」

 仮に、仮にだ。この男の言うことが本当だとして。なぜ今更、接触してきたのだろう。検討もつかないが、母が傷ついてしまうようなことだけは避けたい。

「目的とかそんなんじゃないよ。ただ、もう会えないと思っていた息子に偶然会えて嬉しくてね。それで……そうだな、やり直せたらなって思ったんだ」
「……やり直す?」
「ああ。今も律子と暮らしてるのかな?」
「……いえ、ひとりです」

 母が再婚してアメリカに移住したことも、自身が天羽あもう家で暮らしていることも、言う必要はない。男は杏樹の答えを聞いて、眉を下げてさみしそうに笑う。

「じゃあ、俺と同じだ。なあ杏樹くん、俺と一緒に暮らさない?」
「……え?」
「出逢ったばかりのようなものだけど、それでも俺たちは家族だ。家族は一緒にいるのがいい、そうは思わない?」
「…………」
「まあ、急に言われてもそんな簡単に答えなんて出ないよね。さっきの名刺に、電話番号もメモしておいたから。連絡してくれたら嬉しい。じゃあ、またね」

 返事ができなかったのはなにも、迷ったからじゃない。絶句したからだ。家族だとか、一緒にいるのがいい、だなんて。母が「あなたの父親はもうこの世にはいないのよ」と言った理由までは分からなくても、そうさせるだけのなにかがあったはずなのに。今更都合がよすぎる言葉たちを並べられて、改めて幻滅しただけだ。

「…………」

 去っていく男の背中がやけに小さく見えて、なんだか目が離せないけれど。そう、本当にそれだけ。
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