密教僧・空海 魔都平安を疾る

カズ

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その一 怪し(あやかし)の森

十二

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綱虫を先頭に、空海、田村麻呂の順で進んでいく。綱虫がよく、わら人形を打ち付けていたという樹があり、そこに向かっているのだ。
「田村麻呂、どう思う?何か気づかないか?」
「ああ、この前より、空気が重くなっているような気がするな。しかも進めば進むほど、重くなっていく」
「お前もそう感じるか。わずか二、三日前なのに、確実に悪くなっている。気をつけろよ」
空海は背中で田村麻呂が大きく頷く気配を感じた。
先頭を歩く綱虫は、一向に何も感じないようで、歩く速さを変えずに淡々と歩いている。
しばらく歩いていると、ふいに綱虫が立ち止まり、空海に顔を向けた。
「なんか妙だよ。あたしは今までこんな気を感じたことは無い。この森はおかしいよ。引き返そう!」
「遅い。森に入った時からそうだったのだ。婆さんは何もしなくていい。とにかく俺たちを、人形を打ち込んできた樹のところへ連れていけ。この広い森の中、あんたがいなければ、辿り着くことなど出来ないからな」
空海はそう言って、嫌がる綱虫の背中を押した。綱虫はブツブツと文句を言いながら再び歩き出した。
しばらくして、綱虫が声を出した。
「もうすぐだよ。あたしは、その樹のところに着いたら、さっさと帰るからね。それでいいだろう」
「ああ、それでいい。あとは俺と田村麻呂でどうにかする。・・・むっ」
「空海、これは・・・」
空海と田村麻呂がほぼ同時に声を上げた。
「何だい、この匂いは!何かが腐ってるよ!」
綱虫はそう言うと、口から唾を吐き出した。
とてつもなく嫌な匂いがしているのだ。体全体にまとわりつくようである。風呂に入り体を洗っても2,3日は消えないような強烈な腐臭が漂っている。
「あそこに見えるだろう。あの樹に打ち込んできたんだ」
綱虫が前方を指さした。
大樹である。
見事なまでに雄々しい大樹がそそり立っている。
異臭はその大樹のあたりから漂ってきている。
「さて、やるか」
空海は手に持っていた斧を肩に担ぎ、木に向かって歩き出した。
「あたしの用は済んだね。ここでおいとまするよ。約束だからね、今まであたしのしてきたことは、無かったことにしてもらうよ。ヒッ、何だいこれは!」
立ち去ろうとした綱虫が悲鳴を上げる。
三人の周りを小さく赤い光が、囲んでいたのだ。
三十、四十ではきかない数だ。
光がゆっくりと近づいてくる。それは赤く異様な光を放つ目であった。
狐、狸、イタチ、リス、山犬たちが両目を赤く光らせ、三人に近づいてきた。

グルル グルル グルルルル
グオーッ グオーツ グオーツ
グウー  グウー グウー グウー

低くうなり声を響かせながら獣たちの輪が少しずつ縮まりだした。
通常、森にすむ動物が人間を襲いかかるようなことは無い。
この獣たちは、明らかに異常だ。
「空海、田村麻呂、どうすんだよ!こいつらあたしらを襲うつもりだよ!だからあたしは嫌だって言ったんだよ!」
「婆さん、ここから動かない方がいいぞ」
田村麻呂はそう言うと、腰の大剣を抜き放った。

ギャーッ

一匹の狐が綱虫に飛び掛かってきた。
綱虫は手で自分の顔を防ぐ。それしかできない。

ガァー 

狐が声をあげ、そして両断され地面に落ちた。田村麻呂だ。田村麻呂が風の如く動き、稲妻の如き迅さで剣をふるったのだ。

ギャーッ ギャーッ
グオー グオー
グルウー グルウー グウー

狐が両断されたその瞬間、狸が、イタチが、リスが、山犬が一斉に三人に飛び掛かってきた。 
田村麻呂は綱虫の前に立ち、自分と綱虫に襲い掛かる獣たちに大剣を振るう。大剣が旋回する。常人では振ることも困難なほどの長さと重さを持つ大剣を軽々と操る。まるで舞を舞うかのような美しさだ。華やかな剣舞のような太刀さばきだ。
田村麻呂の周囲は、無数の獣の死骸で埋め尽くされた。
空海が大樹に向かい走り出した。
一頭の大きな山犬が、空海を追う。狐、狸がその後をに続き、空海を追う。
「危ないぞ!空海!待っていろ、今行く!」
田村麻呂が叫んだ。

ギャン

空海に襲い掛かった山犬が叫び声をあげ、顔を押さえ地面をのたうち回る。山犬の顔に空海が火球を、投げつけたのだ。

グーウ グーッ
ガウー ガウー

空海は自分に襲いかかる獣たちに、次々と火球を投げつける。獣は巧みに火球を避けたが、空海に襲い掛かることが出来ない。
獣たちの悔しそうなうなり声が響く。
「田村麻呂、もう少しだ。もう少しで樹に着く」
「承知した」
空海の横を大剣をふるい、獣を倒しながら田村麻呂が走る。
綱虫は必死に二人の後を追いかける。
「ヒィッ」
走っていた綱虫がいきなり悲鳴をあげ、立ち止まる。前方を指さす。その指先は小刻みに震えていた。
「・・・・何たることだ」
「むう・・・これか。この匂いか・・・」
空海と田村麻呂も立ち止まり、綱虫の指さすものを凝視している。
綱虫が厭魅に使っていた大樹がそこにある。遠くから見た時は気づかなかったが、樹の太い枝に異様なものがぶら下がっている。太い綱が垂れ下がり、その先端にゆがんだ毬のようなものがあった。
それは毬などではない。
それは人の生首だ。
2,3週間は経っているのだろう。腐っている。無数の白いものが蠢いている。ウジ虫だ。
蠅が飛び回り、ウジ虫以外にも多くの虫が生首にへばりついている。
生首の真下には、この生首のものであった「体」がある。これも腐り果てている。骨が飛び出し、ウジ虫、蠅、ムカデ、様々な虫がその上を這いずり回っているのだ。
若いのか、老人なのか。男か、女か。もはや見当のつきようのないほどに腐乱している。
「これが追い打ちをかけたのだな。これで森がおかしくなってしまったのだ」
空海は目を細める。
「空海、どういうことだ?」
「ここで首をつった人間がいた。自ら命を絶ったのだ。絶望、悲しみ、そして恨みを抱え死んでいったのだろうな。そして、誰も気づかない孤独の死だ。悔しかったろうよ、悲しかったろうよ。この者が抱えた絶望や恨み、そして死後の孤独。それらが長年の厭魅により魔性を持った樹に吸い寄せられ、一つとなり、とんでもないものになってしまったのだろうよ。おそらくな」
そう言うと空海は斧を手に持ち、大樹に近づいて行く。空海の口から朗々とした声がリズムよくつむぎ出される。

観自在菩薩 行深般若波羅密多時 照見五薀皆空
度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
・・・・・
・・・・・
・・・・・

摩訶般若波羅密多心経。
空海は般若心経を唱えているのだ。
この経は言うのである。「この世のもの全ては実体がなく、必ず滅びゆくものである。そのことを知れば、執着をする心が無くなり、悩み苦しみから解放される」と。
空海の声が、怪かしの森の中に響き渡る。
経を唱えながら、空海はやおら斧を振り上げ、樹に斧を打ち込んだ。

カツーン カツーン カツーン
カツーン カツーン カツーン

斧を振り上げ、リズムよく打ち込んでいく。白い木片が周囲に飛び散っていく。
「そんなことをしていいのかい?やめておくれ!」
綱虫は悲鳴に似た声をあげた。

ザワザワザワ ザワザワザワ
ザワッ ザワッ ザワッ

森の木々が風もないのに大きく揺れだしたのであった。
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