密教僧・空海 魔都平安を疾る

カズ

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その二 不動明王呪

十二

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ガリガリ ガリガリ ガリッ
ガリガリ ガリガリ ガリ

空海の周囲に十をこえる猫が集まり、空海の張った結界に歯を立てている。目には見えない壁を喰らい、壊そうとしている。
「待っておれよぉ、空海。今に貴様の結界を喰い破ってくれるわ。一日、二日はかかるやもしれぬなぁ。いやもっとかかるかも・・・。だがいつかは、いつかは破るぞぉ。その時が楽しみよなぁ。どうやって殺してやろうなぁ」
空海の目の前に熊ほどの大きさの巨大な猫が舌なめずりをしている。この巨大な猫の尾は途中で二つに分かれている。
猫又である。
空海を憎しみのこもった目でじっと見つめながら話しかけている。

ガリガリ ガリガリ ガリッ
ガリガリ ガリガリ ガリ

結界の周りに群がる猫たちは、一心不乱に歯を立てている。
たまらない光景だ。
大抵の者なら、恐怖で押しつぶされてしまうだろう。
「お前、誰かが助けに来てくれるとでも思っているのだろうなぁ。だがな、それは無理な話だ。この屋敷には入れても、ここまでは来れやしないんだ。だぁーれも来れやしないよ」
弥生は笑顔を浮かべながら、すさまじい目で空海を見つめている。
空海は平然と座っている。目を閉じ、両足を両腿の上に組み合わせ、両足の裏が上を向いて座っている。
「結跏趺坐」である。
ふと空海の目が開いた。
一匹のイノシシほどの大きさの猫が叫びながら飛び込んできたのである。
「弥生姉ぇ、助けてくれーっ。俺たちでは無理だ。姉ぇ、なんとかしてくれーっ」
「何!どうしたんだい!」
「あの男、人間じゃあないっ。とんでもなく強いんだ。俺たちではどうする事も出来ないっ」
「騒ぐんじゃあないよっ。案内もなくここまでは来れやしない。安心しな」
弥生はいきなり飛び込んできた弟妹達を見て叫んだ。
「駄目だよっ!あいつは、もうそこまで来てるんだぁ。ここにもうすぐ来るよぉ!」
「何だって!そんな馬鹿な」
「ここかあ、屋敷の中が真っ暗で苦労したぜ。何とか間に合ったようだな、空海」
場違いにのんびりした声を出しながら、大きな男が風のように部屋の中に入ってきた。坂上田村麻呂である。
「田村麻呂、ちゃんと分かったようだな。匂い好きな性癖もたまには役に立つものだな」
「その言い方はよせと言ったろ!お前、歩きながら『臭水』を流したな。その匂いを追ってきた」
巨大な猫又がいて、空海の周りに猫が群がっている。そんな異様な場に立ちながら、田村麻呂の表情はいつもと同じだ。
空海の顔にあの「仏像の笑み」が浮かんだ。
「田村麻呂、お前が言ったんだ。『臭水でも何でも、持っていけるものは持っていけ』と。その通りにしたまでさ。お陰で結界も張れた」
空海はそう言って、結界の中で立ち上がった。
シャッーッ
弥生が田村麻呂に襲いかかる。大きな右手を田村麻呂めがけて打ち下ろしてくる。なんという速さであり、力強さであろう。
田村麻呂は軽く下がる。鼻先に巨大な爪が通過した。持っていた太刀を弥生に振り下ろす。弥生の左手の爪が太刀を受けた。がら空きになった弥生の腹に、田村麻呂が右足で前蹴りを放つ。見事に命中し、弥生の巨大な体が崩れ落ちる。
その首筋にめがけて、田村麻呂の太刀が落ちた。
弥生は咄嗟にかがみこみ、そのまま前転し太刀から逃れた。
ミャーッ ミャーツ ミャーツ
周りにいた猫たちが田村麻呂に飛び掛かってきた。その猫たちに火球が飛んできた。空海が結界の中から放ったのである。猫たちに命中こそしなかったが、田村麻呂の周りに火が落ちて燃え上がる。猫たちは火を恐れて、近づくことが出来ない。
空海が結界から出てきた。
「空海ーっ」
弥生が空海に迫る。田村麻呂が弥生の右側から切りかかる。それを両の手で防いだ。空海が音もなく進み、がら空きとなった弥生の左わき腹に右の掌を叩きつけた。武術の打撃系の技・「掌底(しょうてい)」である。
弥生は後方へ吹き飛んだ。
「空海っ、許さんぞぉ、何があってもお前だけは喰ろうてやるわっ」
弥生は立ち上がろうとするが、足がもつれて立ち上がることが出来ない。
呼吸もどんどん早くなっていく。
「俺は唐の国で密だけを学んだわけではない。かの国の古来からの体術、天竺・西域の武術を身につけてきた。寺の中だけにいる頭でっかちの青白い坊主たちとはちと違うのだ。掌打に気を乗せて打った。無理をするといかに猫又と言えども、無事には済まんぞ」
「小賢しいわ!この程度で我を倒したと思うなぁ!」
弥生がよろけながら立ち上がる。そして、ふらつきながらも飛び掛かろうとする。
その時である。
『弥生、もうおやめ。お前らしくもないぞ。お前は誰よりも優しい子ではないか』
年配の男の声だ。優しさに満ちた穏やかな声。
弥生の動きが止まる。
猫たちは盛んに耳を動かす。
「この声は!この声は!お父様!お父様なの!」
「田主殿の御霊にございますな」
空海は天を見上げた。
『お前たちのおかげで本当に幸せだった。本当に楽しかったよ。今度はお前たちが幸せになる番だ。私はいつでもこうしてお前たちに会えるのだよ。だからもうやめておくれ。優しいお前たちに戻っておくれ。優しくて可愛らしい、本当のお前たちに戻っておくれ』
「お父様!お父様!お父様ーっ!」
弥生の体がどんどん小さくなり、通常の猫に戻っていく。
ミィヤウ ミィウー ミュー ミユー
弟妹猫たちも元の大きさに戻り、周囲を見回し、鳴き声を上げる。
ミュー ミュー ミューン
「弥生殿、田主殿の御霊はこれからもずっと、あなた方と一緒だ。田主殿との想いは永劫に消えることはない。あなたやあなたの子どもたちへも続いていくことだろう。これこそが『不老不死』なのです」
ミヤーッ ミューウ ミヤーッ
空海の言葉が猫たちには、聞こえたのかどうか?
部屋の中は猫たちの切ない声が響き渡る。
空海と田村麻呂は互いにうなづき、静かに田主の部屋から出ていった。

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