密教僧・空海 魔都平安を疾る

カズ

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その三 ファースト・コンタクト

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「夫人様、空海と申します。ご拝顔の栄によくします。この度は大変なご無理を聞いていただきました。誠にありがとうございます」
「この様な状態でお会いするのは、申しわかないのですが、是非とも和尚様にはお会いした方がよいと思いましたので。最近は、夜寝るのが恐ろしくて、恐ろしくて・・・・。ですが、今宵は和尚様がいてくださり大変心強く思います。ありがとうございます」
 嘉智子夫人の寝所である。この場には空海と夫人しかいない。空海は知草に「呪詛から嘉智子夫人を守るために、今晩、夫人の寝所に入らせてほしい」と頼んだのであった。
帝の夫人の寝所に僧侶とはいえ、男性を入れることに知草は大いに難色を示したが、最終的には夫人本人が、空海を寝所に入れることを強く希望したため、空海の寝所入りが叶ったのである。
ただ知草は、空海に注文をつけた。
「夫人様のお望みなので仕方がありません。和尚様を御寝所にお入れすることは了承いたします。それは夫人様がお休みになるまでのこと。お休みになられたら即座に御寝所から出ていただきます。それだけは硬くお約束していただきます」
今までにない強い口調である。
「承知いたしました。元よりそのつもりです。お休みになられたら、しばらくは、何もできませんから」
「何か気になるもの言いにございますね。和尚様、それはどういう事でございますか?」
「いえ、別に何でもございませんよ。知草殿とのお約束は必ずお守りいたします。ご安心ください」
その様なやり取りの末、空海は夫人と話しているのである。 
今、嘉智子夫人は寝具の上に上半身だけを起こし、空海をにこやかに見つめている。
夫人の容姿については、多くの書に「類まれなる絶世の美女」と記されている。
その美しさは、女性を忌避する僧侶までもが「心を奪われ、修行に手がつかなくなる」とまで言われた。
 だが、悪夢にさいなまれ、十日間続く睡眠不足のため、夫人の眼窩はくぼみ、
目の周りには色濃く「くま」が出来、頬もげっそりと肉が落ちている。
類まれなる美貌のため、かえって痛々しい。
「今宵は、私が唐より持ち帰りました『熟睡する妙薬』を持参いたしました。どうぞお飲みください。薬を飲みながら、物語などいたしますので、心安らかにお眠りください」
空海は須恵器の容器から液体を器に注ぎ、夫人に手渡した。夫人の手のひらにおさまるほどの小さな平たい器である。
夫人は口につけ、少しずつ、少しずつ、嚥下していく。夫人の白いのどが動く。
「まあ、何と!和尚様、唐のお国では、この様にお薬が美味なのですか!驚きました」
「夫人様、もう少しお飲みいただきますと、効き目がより増します。いかがにございますか」
「是非ともいただきとうございます。唐では薬がこのように美味しければ、他にもおいしいものがたくさんあるのでしょうね。どの様なものを召し上がっているのですか?」
夫人は薬が効いたのか、やつれ青白くなっていた顔に赤みが差してきた。緊張した様子も徐々に柔らかくなっている。
「かの国では、ありとあらゆるものが食されております。米・麦はこの国とあまり変わりませぬが、小麦からは麺や饅頭が作られ、肉は牛・馬はもとより豚・羊、それに猿やゾウ、ラクダまで食べるのです。果物もたくさんあり、中でもライチは一番の美味にございます」
空海はよどみなく答える。
「まあ、すごいのですねぇ!ゾウって美味しいのかしら?ライチはどんなお味なのかしら!帝もお食べになりたいと仰せになることでしょう」
空海は薬を器に注ぐ。それを夫人は飲み干していく。夫人の目がトロンとしてきた。
「空海様、密の教えとは何でございます?」
「我入入我(がにゅうにゅうが)という事にございましょうか。『仏を自分の中に入れ、仏の中に自分を入れる』ということでありましょうか」
「難しいお話でございますね。もう少し分かりやすくお願いいたします」
「そうでございますね。この夜空を見上げれば大宇宙がご覧になれます。この大宇宙はどうやってできたのか?多くの塵や欠片が集まり出来たのでございましょう。その大宇宙の塵がまた集まり、今私どもが暮らすこの天地(あめつち)が出来、そして幾十億もの歳月を経て、命が生まれ、私ども、人が出来あがってまいりました」
「面白いお話にございます、ねぇ・・・。フワァ」
「はい、面白うございます。であれば、私どもの体の大元は、この天地からできたものであり、この天地そのものは、大宇宙の欠片にございます。つまり人とは大宇宙のかけらの一つ。人とは大宇宙そのものにございます。それを自覚し、大宇宙と一つになることが密の教えかと・・・。夫人様、夫人様・・・。もうお休みになられましたか。今宵は空海がお守りいたします。どうかご安心を」
いつの間にか、夫人は横になり、か細い寝息を立てている。
空海は寝所から静かに出ていった。
寝所から出ると縁に知草が一人座っている。
「夫人様はお休みになられたのですか?」
「はい、ぐっすりと。私はこれで下がりますが、知草殿はどうされるのです?まさか夜通しでここに居られるのではないでしょう?」
「ここに座り、夫人様をお守りいたします。夫人様が夢で怖い思いをされた時には、私が真っ先にお助けに行きます。それが私の役目ですので」
「あなたの方が先に参ってしまいますよ。少しはお休みください。田村麻呂様も、この庭のどこかにおられるのでしょうから」
「私の事はお気になさらずに、どうぞ和尚様はお休みください」
知草は柔らかな表情で空海にそう告げると、夫人の寝所に背を向け、庭を見据えた。
空海は知草の背中に目礼し、その場を去っていったのである。

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