密教僧・空海 魔都平安を疾る

カズ

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その五 地獄変

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たたら場に足を踏み入れた途端、空海、田村麻呂、やおは顔をしかめた。たたら場には、濃密な血の匂いが充満していたのだ。着ているものを突き抜け、地肌にまで染みこみそうな血の匂い。息を吸えばむせかえる。目がヒリヒリとしてきた。
「たまらないね。肌に血がまとわりついてくるみたいだよ」
さすがに、斬られた者達の「体」はない。しかしそこら中に血の跡がある。壁にも床にも、そこら中に赤黒い染みが広がっている。土間の土でさえ変色している。
たたら場の中には空海、田村麻呂、やおの三人しかいない。田村麻呂の配下の五人は、全て外にいて、何か異変があればすぐに知らせに来ることになっている。
「ん?」
「何だい!これは!」
「聞こえたか?」
田村麻呂、やお、空海がほぼ同時に声をあげた。小さな、消え入るほどに小さな声が聞こえてきたのである。

オオオーン オオオーン
苦しい 苦しいい
ひもじいよぉ ひもじい おなかすいた
嫌だ まだ死にたくない 死にたくない
おいてかないでおくれ  おいてかないでおくれよっ
怨(オン) 怨 怨 怨怨怨 ・・・・

「向こうだな。あそこから聞こえてくる」
空海はたたら場の北側を指さした。
田村麻呂とやおが目を向ける。
そこには刀掛けがあった。
上から下にかけて刀を掛けるようになっているもので、計十本の刀が掛けられていた。
その刀掛けの前に人が立っている。

一重の目を見開き、首をゆっくりとまわしている二十歳前後の女。
苦悶の表情を浮かべる中年の男。
手足が枯れ枝のようにやせ細っている女児。
腹部に短刀が突き刺ささり、口から血を流している中年の男。
骨と皮のような白髪の老婆。
・・・・・

十人の様々な老若男女である。共通しているものが一つある。
「恨み」。
十人、全てが底知れぬほどの深い恨みを抱いているのである。深い恨みを持つ目を空海たちに向けて来る。
十人の体は透けている。
現身の存在ではないのだ。
世を、人を、己を呪う霊魂たちなのだ。
「良秀とかいう刀匠が邪法を用いて刀を打っていたというのは、本当のようだね。こいつらは、刀にされちまった人間たち何だろうね」
やおは霊魂たちをじっと見つめながらそう言った。その顔には恐れや怯えの一欠けらもない。
空海が刀掛けの方に歩いて行く。
恨みを込めた十人の霊たちの前に立ち止まった。左手を握りしめ、人差し指を一本立て、その人差し指を右手で握る。大日如来の知恵を表す「智拳印」を作り、マントラを唱え始めた。
「オン アボキャ ベイロシャナウ マカボダラ
マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン」
光明真言。
「餓鬼」や「修羅」に生まれ変わった死者を西方浄土へと導くマントラである。

怨 怨 怨 ・・・
怨 怨 怨 ・・・

恨みの目を空海に向けながら、十人の霊たちは徐々に姿を消していった。
「空海、あの者達は成仏したのか?」
「どうかな。人の恨む気持ちなんて、そう簡単には消えやしない。マントラで誰もが救われるなら、世の中こんな簡単な事はない」
「ちょっと空海、坊主がそんなことを言っていいのかい」
やおが妖艶な笑みを空海に向けた。
空海の顔にも笑みが浮かぶ。あの仏像の笑みである。
その時である。

お前はっ!
どこから現れたっ!
ギャーッ
ウォーッ

外から声が上がり、すぐに聞こえなくなった。
ガラッ
たたら場の戸が開けられた。
小さな中年の男が入ってきた。その男の目は、深く黒い穴となっている。
「これはこれは!化け物が三人もいるじゃあないか」
良秀である。行方をくらましていた良秀が戻ってきたのである。
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