虹霞~僕らの命の音~

朱音

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第四章

09

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 ハルが元に戻ったからだろうな。さっきまでの雷鳴や暗雲はすっかり晴れて、残っているのは水溜りと、ほんのりとした雨のにおい。
 そして大好きな人の体温を感じられるのは、生きているからこそなんだなぁと、しみじみと噛み締めていると。
 人の感動を断ち切るように、突如大きな地鳴りが聞こえてきた。いや、正確には普通の人間には聞こえない、大きな魔力の音が。
「尋常じゃないな、この力は……」
 当然のごとく、それに気付いた時雨は眉間にしわを寄せる。
 まさか、不知火が仕組んだ罠には第二幕があったのかな……。覚悟と不安を抱きながらも、そちらの方に歩いて行ってみる。

 先ほどの雷晶の暴走によって、一部分だけ焼け野原になっている森。
 どことなく焦げ臭さが漂う空気を手で払いながら進むと、その中に人影を見つけた。
 長い紫の髪に、高い身長。いつでも目を細めて、にこにこしているあの人は。
「妖華!」
「げっ!? あれって、死神なんじゃ……」
 言い方は違うものの同じ人物を呼んだ僕らに、その人も気付いてこちらを向いた。
「やぁ、六耀。久しぶりだね」
 ふんわり笑いながらも、彼の大きな手にはいつ放たれてもおかしくない状態の爆発系呪文が待機している。
 そして、その手が向けられている先には物語の創始者である不知火が。
「どうして、あなたがここにいるの?」
「山奥でひっそりと暮らしていたんだけど、封印されるべき冥音の威力を感じてね。そうしたらなんと、六耀がそれを唱えたんだって? 彼のせいで」
 ここまで言って、静かに開眼した赤紫の瞳。数か月に目の当たりにした、威圧感溢れる力に思わず怯んでしまう。
「我の大切な六耀を、妹の代わりにしようとしたんだろ? そんなくだらないことをよく考えられるね。桜は死んでなんかいないのに」
 え? との呟きを、不知火と僕は同時に唇に乗せる。桜は妖華に殺されたと言っていたはずなのに。
 少し強めに吹いた風によってざわざわと鳴る木の葉と、鼓動の音だけが耳に響く。
「おいで、桜」
 妖華の呼びかけに、お姫様は木の陰からそっと姿を現した。
 胸の前でか弱げに拳を握って、切なそうな表情を浮かべている。胸元くらいまでの長さの髪を下して、身体はほっそりしていて。
 嘘でしょ。鏡に映った自分を見ているみたいに、本当に僕に瓜二つだ。
「お兄様っ……」
「桜……? どうして、お前は……」
 戸惑う兄に、妹自身が語りだした真実。それは、不知火が入念に立てた計画を冒頭から覆す物語だった。
「私は、お兄様を愛してしまったことにいつしか罪悪感を抱くようになっていました。ですから世界的にも有名な妖華様を探し出し、殺してくださいと頼んだのです。ですが……」
 そっと目を伏せた桜の言葉を、妖華が引き取る。
「魔法は相手を傷付けるに使うものじゃないから、断わったんだ。それに彼女は我の可愛い六耀にそっくりだったし、とてもじゃないけど殺すなんて出来なくて」
 へらへらと笑いながらも、手の平から生み出している魔法を消そうとはしない。それどころか、こうしている間にも魔力を蓄えていっている気がするけれど……?
「それでも桜は諦めなくてね。だから、『しばらくの間兄から遠ざかって、本当の気持ちを見つけたらどう?』と提案したんだよ。その時に桜に移動の呪文をかけたんだけど、それを見た人に『桜様が魔術師に殺された!』って騒がれちゃってさ」
 あぁ、そうか。全ては勘違いから生まれた悲劇なんだね。
 大切な人の心を知るのが、不知火も僕も遅れた。だけど、真実はいずれ必ず伝えられて……本当の気持ちが見つかるから。

「山奥に建てた小屋に桜を移動させて、当分は一人で考えを煮詰めてもらったよ。だけどね、考えたんだ。この子は姫として甘やかされてきたから、突然一人きりにさせても大人になれないんじゃないかって」
 桜は僕よりもずっと落ち着いているように見えるけれど、心まで似ているところがあったんだ。
 皆、誰にも言えない悩みや悲しみを抱えて、泣きたいのに泣けなくて。
「反対に、今までずっと一緒にいた六耀は自立させなきゃ大人になれない。そう判断して、我は今まで桜と一緒にいたんだ」
 思い出してみると、妖華が僕の傍を離れたあの日に「しばらく、もう一人の六耀と一緒に暮らすことにするよ」と言っていた。
 全くもって意味不明だった言葉は、容姿がそっくりな桜のことを指していたのか。
「桜からは君の良いところをたくさん聞いたよ。優しくて人のために頑張れて……。だが、実際は違ったようだね。勘違いとは言え、復讐のためには関係のない人間すら巻き込むような低俗な人間だった」
 赤紫の瞳が鋭く不知火を睨み付け、語尾を放つと同時に魔力は一層大きくなった。魔法が手から離れてしまう。
「妖華、やめて。大切な人を、自分のせいで失ってしまうのは耐え難い苦しみなんだ。あなたにとって、桜は大切な人になったでしょう? だったらそんな桜の愛する人を傷付けないで……!」
 手首を両手でぎゅっと掴み、震える声で制止を促す。
 僕は知っているから。傷付けられる痛みも、傷付ける痛みも。誰かが涙するのはもう終わりにしたいんだよ。
「やれやれ。我は六耀のお願いには弱いんだよね」
 そんな風におどけながら言って、魔力は大人しく消えていく。
 さっきまでは憎しみに塗れていた大きな手は、僕の頭を優しくぽんっと撫でてくれた。

 良かった。本当に良かったよ……。
 遠回りして、たくさんの悲しみに出会って、複雑色した感情に心を蝕まれて。
 でも、一人の男が仕組んだ罠の物語もこれで完結だね。
「酷いことをしてすまなかった。本当に申し訳ない……」
 妖華の威圧感から解放された不知火は、力無く頭を垂れて、意外にも素直に謝罪を口にする。
 どうしてかは分からないけれど、僕は時雨と顔を合わせてしまう。
 彼がハルにしたこと、時雨へ宛てた発言の全ては僕の胸に突き刺さっている。どうすればいいんだろう、と何も言えないでいると、
「許してやれよ、六耀。結果的に見れば、何のマイナス要素もないだろ?」
「リク、トキの言う通りだよ。お互いが嫌い合っているよりも、仲良くしてた方が楽しいよ!」
 お気楽そうに笑う、僕にとってかけがえがなくなってしまった二人。
 何なんだよ。僕は君達のことを想っていたからこそ、許そうか許さないか悩んでいたと言うのに。
 だけど、ハルの言う通りだ。これからは不知火とも桜とも、良い友人になれるよね。
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