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春待つ花の章

茉莉花堂のドールドレス職人(その二)

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「おう、あいつらは帰ったみたいだな」
 
 ユイハとユウハが寮に戻り、ジルセウスも帰ってしまった静かな店内に、ひょっこりとベオルークが現れた。大きな箱を小脇にかかえている。

「ベオルークおっさん、そっちはもう作業終わり?」
「あぁ、今日の作業は終わったところだ、そらよっと」
 言いながら、ベオルークは抱えていた箱を飴色のカウンターの上に丁寧に置く。
「こいつの胴体ができたんでな、組み立ててたんだ」
 箱の蓋をあけると、まだ何も纏っていないエヴェリアが、傷ひとつない姿で寝かせられていた。
「俺の今回の仕事はこれで終わりだ。あとはメルがドレス着せてやりな」
「うん。それと……ベオルークおっさん、今回は」
「おう」
「今回は、ありがとうね」
「……メルちゃん、二度とこんな仕事は俺にさせてくれるなよ? 他の、あのレナーテイアというお嬢さんの胴体の代わりに、俺の大事な愛娘の一人――エヴェリアの胴体を魔法窯で肌色をいじって、付け替える、なんて所業は、な」
 ベオルークの声は厳しい。
「……だけど」
「あぁ、メルちゃんはきっとまた同じようなことがあったら、何度でも同じようにするんだろうな――すまない、意地の悪いことを言ったかもしれん、だが、ドールを愛する一人の人間として、言わせて欲しかったんだ」



 ベオルークの姿が奥に消えて、それからメルは箱から慎重にエヴェリアを抱き上げて、そして。
「エヴェリア、ありがとうね」
 と優しく彼女をなでた。
 エヴェリアは――どこか微笑んでいるようにメルには見えた。



 久しぶりのエヴェリアのきせかえをあれこれと楽しんだメルは、茉莉花堂をしっかりと戸締まりして二階の自室に戻った。

 ベッドの上には当たり前のような顔をして白が座っている。
「おかえりメル」
「ただいま白」
「エヴェリア、戻ってきたんだね」
「うん、以前と同じ……ううん、以前よりきれいになったような気がしたよ」
「メルと同じようにお胸が育ったのかね」
 真剣な顔でそんなことを言う白に、思わずメルは吹き出してしまった。
「ふふふっ、もう、白ってば」
 ふと、メルは気になった。
 そういえば白の性別はどっちなのだろうか? 今まで聞いたこともないし、もちろん見たこともなかった。
「ねぇ、そういう白には胸はないの?」
「……」
 どうやら……色んな意味で、聞いてはいけないことを聞いてしまったようだ。
 白は、沈黙したまま難しい顔をしている。
 そしてその沈黙の果てに、一言だけ返してきた。

「内緒」



「そういえば、今日はユイハとユウハと、ジルも来てくれたんだ。最近は皆よく茉莉花堂に来てくれて嬉しいよ」
 メルは夜着に着替えながら、白とお話をする。
「メルは皆と居るの、大好きだもんね」
「うん、好き。だけど、時々だけど、思うの……『白もここにいて皆とお話ができたらどんなに楽しいだろう』……って」

「メル、僕にはメルがいる。メルとお話できる。メルに触れることができる。それだけで――満足なんだよ」
 白の表情は、まるで神殿にある神像の微笑みにそっくりだった。
 優しいのに、冷たい。近くにあるのに、遠い。そんな微笑み。

「さぁ、メル。もう今日は寝よう、明日も朝早いんだろ? 明日はミウシア・ファイデア子爵令嬢とメアリーベル・ベルグラード男爵令嬢がお店に来るらしいじゃないか」
「そうなの、あの二人は件のお披露目パーティで仲良くなったらしくて。ミウシアさまのほうが年下なのだけど、大人びておしゃまさんだからメアリーベルさまをリードしてる様子だったわ。二人のドール遊びにファイデア子爵夫人も交ざりたそうにしているみたいなの、それにね、それにね……」
「はいはい、話を長くして寝るのを先延ばしにしない、今日は僕は添い寝できないけど、ちゃんとそばにいるから早く寝るの」
「はぁい」
 言われてしまったので、メルは素直に返事をしてベッドに潜り込み毛布をかぶる。そろそろこの毛布では熱い季節だ。プリムローズおかみさんに言って夏用のものに変えてもらうべきだろうか。
「おやすみ、メル」
「おやすみなさい、白」






 明かりひとつない暗い部屋の中、ベッドのそばに立つ白の姿だけが、名前通り白くぼんやりと浮かび上がっている。
 白は男にしては繊細で女にしては長いその指先で、眠る乙女――メルの柔らかな頬をなでていた。
 その表情は、慈愛に満ちている。

「ねぇ、メル。運命の糸が動いているよ。運命の糸と糸とが交わって、さらに別の運命を紡ぎ出すよ」

 呼びかけられたメルがかすかに身じろぎする、が起きることはない。

「メル……紡ぎあげられた運命に、君はどう抵抗するんだろう。それとも抵抗せずに受け入れてしまうのかな……なんでもいいや、君が後悔しないのだったら、そして君が幸福だと思ってくれるのなら、もう……なんでもいい」

 白は――世界に受け入れられることなく、ただ一人の乙女にしか受け入れられない存在は、微笑んでいる、それでも涙を流しながら。

「一人の人間として、幸せになって欲しい。それだけで僕は幸せだ。それだけで僕は救われる。それだけで僕は――」


 ……その言葉の続きは、夜の闇に飲み込まれていった。










 花の国ルルドの王都、花咲く都とも呼ばれるルルデア。
 そこに走る無数の道の一つに、収集家小路と呼ばれる小さな通りがある。
 収集家小路には、変わった店がたくさんあるが、その中のひとつ、一見平凡な店構えにも見える、その建物。
 掲げられた看板には ドールブティック茉莉花堂 と言う文字と、白い花を模した飾り。
 窓を覗き込めば、ドールのためのドレスや帽子や靴やアクセサリー……そういった品ばかりと、そこで忙しく働く一人の少女の姿が見えることだろう。
 すこしばかり勇気をだしてドアを開けたならば、少女は蕩けそうなほどの極上の笑顔でそんなあなたを出迎える。

「いらっしゃいませ、茉莉花堂へようこそ」


 そう、茉莉花堂のドールドレス職人でもある彼女が、きっとあなたを歓迎してくれることだろう。

 そして、誰の眼にも見えない白い人物も、きっと――



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