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外伝の章

茉莉花堂のできた日(その三)

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 それからの日々は慌ただしく過ぎていった。

 本格的に雪が振り始めるすこし前のとある晴れた日。その日はついにオルネラの引っ越しの朝であった。

 店にあった品物は、一ヶ月ほど前に店内売りつくしのセールを行って、そのほとんどが買われていった。
 メルも手伝いに駆り出されるほど、店内は多くの冒険者や好事家が品物を見て回り、中に入れず並ぶ客もいるほどだったのだ。
 その店内も、今は大きな家具を残すだけになっていて、どうにも言葉にできないがらんとした寂しさを醸し出している。


「メルちゃん、荷物を運ぶの手伝ってくれてありがとうね、メルちゃんは力持ちさんだね」
「どういたしまして、オルネラおばあちゃん。というかこのぐらいの労働じゃあ、とてもおばあちゃんの残してくれるこの家具の対価にはならないもの」
 メルは店内に残されている、天板のふちに薔薇の花模様が彫刻されたテーブルを愛おしげに撫でる。
「ふふ、しっかり可愛がってあげてちょうだいね。それじゃ私はもう行かなくちゃいけないわ」
「うん……それじゃ、乗り合い馬車の場所まで送っていくね、オルネラおばあちゃん」

 オルネラは『琥珀のランプ』だった店の入口に鍵をかけ、それはそのままメルに手渡した。小さい鍵のはずなのになぜかずっしりと重たく感じた。



「お店の名前はもう決めたのかい?」
「うん、シャイト先生が決めたよ。一応店主だしね。茉莉花堂っていうの。ドールブティック茉莉花堂だって」
「茉莉花か、シャイト君もずいぶんロマンチックな名前つけるものだねぇ」
 ふたりでうふふふふ、と笑うと、息が白くけむりのように漏れ出てくる。
 もう冬はすぐそこまでに迫っていた。
「だよね。ロマンチックだよね、シャイト先生のゆかりのひとのお名前からとったんだってさ」
「お店の名付けにはいろいろあるものねぇ」
「オルネラおばあちゃんは、どうして『琥珀のランプ』って名前のお店にしたの?」
「そうねぇ…………『琥珀のランプ』というのは私の冒険者時代の二つ名なのよ、琥珀色の杖を愛用していたからなの。ランプというのは……私がいつも遺跡の探索なんかではランプ持ちをしていたせいね。戦士なんかは戦うときは手が塞がってしまうからねぇ、私が毎回持っていたのよ」
 オルネラはふと立ち止まり、空を見上げる。

「でも、その二つ名を名付けた男は――すぐに死んでしまったわ、とある遺跡の罠にかかって……あっけなく、ね」
 呆然としているメルを置いて、オルネラはさっさと歩き出した。

「私はきっと――そのバカな男が好きだったんだわ。きっと、多分、ね……」




 オルネラの乗り込んだ馬車が走り去るのを、手を振り見送る。
 やがて、完全に見えなくなって、少ししてからメルはようやくベオルークの家に戻る道を歩く。

 オルネラは、なぜ最後にあんなことを教えてくれたのか――

「仕方がないよ、好きっていう気持ちってそんなものだと思うよ」
「白……」
 後ろをついてきていた白が、くるくると踊るような足取りでメルの前に出る。白は誰かにぶつかる心配はないといっても、見ていてとても危なっかしい。
「何かを好きになる、誰かに恋するってそういうことさ。メルだってドールのことになると後先考えないだろ?」
「……」
 メルはこくん、と小さく頷いた。
 まだわからないけど、なんとなくだけど、分かった気がした。
 ――自分も誰かに恋をしたら、あんな風になれるのだろうか
 立ち止まり、オルネラから手渡された鍵をポケットから出して眺める。
「……」
 やっぱりその小さな鍵は、メルの手にはずしりと重たかった。





 そして――雪解けも近い季節に、ようやくドールブティック茉莉花堂の開店準備がほとんど整った。
 あの日、家具だけが並んでがらんと寂しかった店の中とは、ずいぶんと様変わりしている。
 
「これが、四十センチぐらいの身長の子たち用の靴でしょ、こっちが六十センチぐらいの子用の靴で、こっちが三十センチで、こっちの小さいのはどのサイズだったかな……」
 もともとは靴屋のおかみさんが趣味で作っていた小さな靴を、オルネラから貰い受けた棚に丁寧に並べていく。
 靴屋のおかみさんの作る小さな靴をドール用として販売をしたいと申し出をしたら、最初はずいぶんと渋られたものだった。曰く、人に売れるようなものではないとか、曰く、たとえ人形用でも履くためにつくってはいなかったとか。
 それでもメルはあきらめず、説得と交渉を続けて、とうとう勝ち、今こうして棚に彼女の作った靴を陳列している。

「こっちの箱は……っと、ピシュアーの宝飾職人さんの作ったアクセサリーかぁ……これ小さいけど本物のダイヤモンドなんだよね……なくしたら大変……」
 このアクセサリーを作ったピシュアーの宝飾職人はやたらにしたたかで、ずいぶんと対価をふっかけられた。予算が決して潤沢にあるわけではないので、まさかアクセサリーで全額使ってしまうわけにも行かず、交渉にはとても苦労した。

「こっちの大きな箱は、キュルテの職人さんが作ったドールハウスだ。おもったよりずいぶん大きいや……どこにディスプレイしようかなぁ。やっぱり窓際かな……うん、小さい方の窓際にしよう」
 頑丈な大きな箱に、緩衝材の枯れ草とともに入ったいたのは大きなお屋敷の形のドールハウスだった。
 これを作っているキュルテの職人にはもっと苦労させられた。
 ふっかけられたというのではなくその逆に、ただで持っていくようにと完全な善意で言われてしまったのである。
 その職人も自分の『作品』がようやく他の人に認められたのが、ずいぶんと嬉しかったらしい。
 しかしそんなわけにも行かなかった。職人には適正な手間賃と材料費そのほかをきっちり支払わねばいけない。そうしなければ、職人はちゃんと作品を生み出すことができない。材料費などを払えなくなって作れない、ということもあるし、作品作りのモチベーションの問題もある。
 そういったことを説明してもなお、キュルテの職人は頑固に、金はいらないと言い張ってきたので、これまた説得に苦労した思い出がある。

 そして――

「ドールドレスは……これは夏物だし在庫にしておくか。倉庫にしまっておこう、こっちのは春物ぽいから、出して大丈夫、と」
 シャイトの作りためたドレスは、季節感を考えて在庫と店頭分を振り分ける。
 ドール用とは言えブティックなのだから、ちゃんと人間用のブティックと同じように、季節に相応しい服を店頭に出しておくべくだろう。今度からシャイトにお店の分の服を作ってもらうとき、季節も考えるように言っておかなくてはいけない。
「どれ着せようかな……」
 
 どのドールにどのドレスを着せるか。
 そんな、多分小さいけれどものすごく幸せな悩みを、今メルはを抱えていた。



 茉莉花堂の開店まで、あと三日に迫っていた。

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