ミッドナイトフレーバー

香夜みなと

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09.

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 まるで一秒がとんでもなく長い時間に思えた。
「お前がシエスタで酔い潰れていたとき、マスターが自分の身の上話をしてくれたんだ。その時に少し」
 その言葉に心臓の音がドクドクと早くなっていくのを感じる。思い出したくもない過去。幼少自体。家族。あんな母親がいなければ私はもっとマトモな人生を送れていたのに。
「うっ……はっ、はっ」
「笹村! 大丈夫か!? 落ち着いて、深呼吸しろ」
 自分でも気付かないうちに過呼吸になっていたのか、葉山さんの言葉ではっと意識を取り戻した。大きな手が背中をさすってくれている。葉山さんの呼吸に合わせて深呼吸をすると心臓の音も落ち着いてきた。
「あ、うっ……」
「悪い。お前に辛い思いをさせたいわけじゃないんだ。ただ、どうしても知りたかった。お前のことだから知りたいんだ」
 抱き寄せられて頭を撫でられる。葉山さんに寄りかかると、葉山さんの心臓の音が聞こえてきて、きっとこの人なら受け止めてくれるのではないかと過去の記憶をたぐり寄せた。私自身が、楽になりたかったのかもしれない。
「幼い頃に両親が離婚したんです。私は母親に引き取られたけど……酷い生活だった」
 私の記憶の中に残るお母さんは、まだお父さんと一緒に暮らしていた頃まで遡る。両親が離婚してからはあの女のことを母親だと思ったことは一度も無かった。
「ネグレクトって言うんですかね。仕事はしていたけどご飯は作ってくれなかったし、お金もおいていってくれなかった。私は家にあるものを少しずつ食べながら生きていたんです」
 葉山さんは私の話を聞きながらただ抱き締めて手を繋いでくれる。
「一応高校は父親が行かせてくれたんです。教科書代も母親にバレないように渡してくれて。でも父親にはもう新しい家族があったから、それきりで」
 申し訳なさそうにお金だけを渡してきた父親の顔もおもう思い出すことが出来ない。父親は私だけの父親ではなくなってしまった。新しい家族との生活を大事にしたいからと手切れ金のようなものだったのかもしれない。
「でも大学だけは行きたくて、奨学金で通ってました。でもやっぱりどうしてもお金が足りなくて……」
 そこから先は葉山さんも知っているはずだ。
「そこで身体を売ろうとしたところでマスターに出会ったと」
「はい……」
 携帯電話も満足に持てなかった私は歓楽街にいればきっとお金をくれる人がいるだろうと思っていた。実際声をかけてきた人にホテルに連れて行かれそうになって……私は怖じ気づいた。必死に抵抗していたところで助けてくれたのが今のマスターなのだ。
「幻滅……しましたよね。私、本来はそういうことしようとしてた汚い人間なんです」
 全て話してしまった。生きていくために必要なことだと食べられるものはなんでも食べた。賞味期限が切れていようが、生で食べられないものだろうが、生きるためには必要だったのだ。そして必要ならば自分の身体でさえ売ろうとした。
 葉山さんの家族の話を聞いたときに、この人は私とは生きる世界が違う人だと感じた。葉山さんから見たら私のような生活はきっと考えられないことだろう。
「俺は……」
 ふいにぎゅっと手を握られる。そこれ初めて自分の手が震えていたことに気が付いた。大丈夫だとそう言ってくれるかの様に葉山さんは大事に私の指を絡めていく。
「そうやって必死で生きようとしていたお前のことをむしろ尊敬する」
「え……」
「俺は何不自由ない環境で生活してきたんだって思い知らされた。生きていくことの難しさを、必死にもがして生きてきたお前のことを汚い人間だなんて思わない」
 その言葉に心の中で淀んでいた何かが浄化されていくような気がした。少しずつ心が軽くなっていく。
「無神経なこと言い過ぎたな。お前のことを教えてくれない、だなんてお前にだって言いたくない理由だってあったのに。ほんと好きになると周りが見えなくなるガキみたいだ」
「葉山さんのせいじゃないです。私がいつまでも弱いままで……って、今なんて」
 ふと葉山さんの言葉を反芻する。聞き間違えじゃなければ今好きだと言われたような気がしたのだが聞き間違いだっただろうか。
「その……ごめん。バラすとか色々言ってたけど、笹村がバーで働いているのを見て良い口実が出来たって思って、それで……」
 罰が悪そうな表情をしていた葉山さんの声が段々小さくなる。
「いや、男らしくないな。仕切り直しだ」
 そう言うと葉山さんは私の目を真剣な眼差しで見つめてきた。その表情に胸の鼓動がさっきとは違う別の感情で高鳴っていくのが分かる。
「笹村。お前のことがずっと気になってた。だから改めてやり直してくれないか?」
「私でいいんですか?」
「お前だからだよ。お前じゃなきゃダメなんだ」
 その言葉に今までの自分を全て肯定されたような気がした。生きることに必死でなんでもしてきた自分も全て無駄じゃなかったんだとそう言われたような気がした。
「それに、俺の趣味見ても引くどころか夢中になれることあるのは素敵だ、なんて言われたのも初めてだった」
「それは……私には夢中になれることがなかったから」
 人並の生活が出来るようになった今でも奨学金の返済が残っている。お金に困っているわけではないけれど、これと言った目標や夢中になれることがなかったのも確かだ。
「でも、もしかしたら夢中になれることが見つかるかもしれません」
 それはまだ心の中に芽生えた小さなものだけど、きっとここから大事に育んでいって一生をかけて夢中になれるかもしれない。
「私も葉山さんのことが好きです」
 そう口にすると自分の中でストンと落ち着いた。葉山さんが好き。ずっと口にしたかった言葉だ。
「じゃぁそれ以上のお喋りはベッドの中で、な」

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