25 / 54
第三章 二つの傷
4
しおりを挟む
× × ×
夢子がうちに転がり込んでから早一週間、この日も俺はいつものように座椅子2台を広げた簡易ベッドで目を覚ました。厚着して眠ってはいるものの、やはり朝方は冷える。毛布と掛布団を買った方がいいだろうか。
そんなことを考えながら俺は、かつて俺の物だったベッドの上で寝息を立てる夢子を見た。
あの後、「好きって言ったのに」と何度も確認する夢子を窘めるのが大変だった。まるで洗脳されているような感覚に陥った頃、ようやく許されたのだ。
そういえば以前、中根にも何か物騒なことを言われた気がするが、まああれは酒の席での冗談だろう。深く考える理由はない。
ご飯を早炊きして鍋に水を張り火にかける。いつも通りの納豆、とベーコンエッグだ。これしかいらない。
味噌汁に入れるネギを刻んでいると、夢子が目を覚ました。しばらくぼーっとしていたが、程なくして洗面所へ向かった。
スマホのラジオアプリを起動して、ニュースを流す。この家にテレビはないから、世間の情報を知るためにはこれかニュースのまとめサイトくらいしか方法がない。
「こっち向かないでね」
夢子は制服に着替えているようだった。夢子の学校の制服は、今時珍しいセーラー服だ。セクシャルマイノリティに配慮して服装は自由らしいが、彼女は学校公式の物を改造して着ている。……と言っても、スカートの丈をちょっぴり短くしているだけらしい。
「もういいよ」
言われて、俺は朝食をちゃぶ台に運んだ。ごはんはもう炊けている。
薄い水色を基調としたセーラー服。これが校長の趣味なのだとすれば、かなりの慧眼だと言わざるを得ない。やはり偏差値の高い学校は教師陣のセンスもよいという事なのだろう。夢子の魅力七割増しだ。
「どうしたの?」
問いを適当に誤魔化して、朝食を食べた。
準備を終えて、家を出る。駅までは一緒だ。
定期はどうするのかと訊いたら、次の更新でここから乗れるようにすると言っていた。
俺は山の方へ、夢子は都心の方へ向かう電車に乗る。行ってらっしゃいと見送って別々のホームへ向かったが、そこで再び向かい合わせになって思わず笑ってしまう。
手を振って、スマホに目を落とす。すぐに電車が来たからそれに乗る。その時もまだ夢子は俺を見ていたが、それが急に恥ずかしく思えて俺は照れてしまった。そんなに見ないでくれ。
大学では特に誰と会うわけでもなく、ただいつものように時間が過ぎていった。必修と選択を二科目ずつ、大人しく受けていた。
講義が終わって、バイト先のピザ屋へ向かう。今日のシフトは中根とかぶっていたはずだ。タイミングがなくて返せずにいたこのハンカチも渡そう。
出勤していつものようにメイク台周りの掃除をしていると、十分程遅刻して中根が現れた。
「おはようございますぅ~。遅れてしまってすいません~」
猫をかぶっているときの彼女は、さながらアイドルも顔負けの人気者だ。他にシフトに入っているバイトや、果ては社員までもが鼻の下を伸ばしてニコニコとしている。あれでは別の女子の反感を買いそうなものだが、意外とそうでもなさそうなのが彼女の一番すごいところなのかもしれない。同性の友達と話しているのをよく見かける。
……本当は利用し合っているだけとか、そんなダークなことは考えたくない。
店の奥で皿を洗っていると、中根が横に並んで俺が洗った皿の水をウエスで拭き始めた。
「おはよう、この前ハンカチ忘れてたの、持ってきたぞ」
「あぁ、置いといてよかったのに」
「そういうわけにもいかないだろ」
「うっさいなぁ」
足を踏まれた。ワークブーツを履いているから痛くはないが、割とひどい態度だと思う。
「何かあったのか?」
一段と不機嫌な気がする。普段なら愚痴と嫌味を言うはずだ。もちろん、俺はそれを求めているわけではない。
「……今日あんたの家行くから、そこで話す」
「いや、悪いけどそれは無理だ」
露骨に機嫌の悪い顔をしている。眉間の皺の寄り方が完全に悪役のそれだ。
「なんで?」
「妹がいる。しばらく一緒に住むことになったから」
ガッチャン!
金属のプレートを中根が叩きつけた。その音で野次馬が集まってくる。
「すいません。失礼しました」
そういって事を収める。周りはきっと、俺が皿を落としたのだと思ってくれているはずだ。程なくして場が落ち着いてから。
「落ち着け。愚痴なら付き合うから。な?」
「当たり前でしょ!」
そういうと、中根はウエスを放ってどこかへ行ってしまった。相当虫の居所が悪いらしい。おっかねえ。
その後は配達をしていたから中根の様子はわからなかったが、あいつのことだ。きっとうまくやったのだろう。
夢子には帰りが遅くなると連絡を入れておいた。『わかった』とだけ返事があったが、胸中穏やかではないかもしれない。何かしらのお詫びは用意しておくのが吉だ。
一緒に退勤すると角が立ちそうだから、少し離れたところにあるコンビニで待つことにした。
中根はすぐに来た。駅裏にある居酒屋に行くという。何を言うつもりなのだろうか。恐ろしくて漏らしてしまいそうだ。
夢子がうちに転がり込んでから早一週間、この日も俺はいつものように座椅子2台を広げた簡易ベッドで目を覚ました。厚着して眠ってはいるものの、やはり朝方は冷える。毛布と掛布団を買った方がいいだろうか。
そんなことを考えながら俺は、かつて俺の物だったベッドの上で寝息を立てる夢子を見た。
あの後、「好きって言ったのに」と何度も確認する夢子を窘めるのが大変だった。まるで洗脳されているような感覚に陥った頃、ようやく許されたのだ。
そういえば以前、中根にも何か物騒なことを言われた気がするが、まああれは酒の席での冗談だろう。深く考える理由はない。
ご飯を早炊きして鍋に水を張り火にかける。いつも通りの納豆、とベーコンエッグだ。これしかいらない。
味噌汁に入れるネギを刻んでいると、夢子が目を覚ました。しばらくぼーっとしていたが、程なくして洗面所へ向かった。
スマホのラジオアプリを起動して、ニュースを流す。この家にテレビはないから、世間の情報を知るためにはこれかニュースのまとめサイトくらいしか方法がない。
「こっち向かないでね」
夢子は制服に着替えているようだった。夢子の学校の制服は、今時珍しいセーラー服だ。セクシャルマイノリティに配慮して服装は自由らしいが、彼女は学校公式の物を改造して着ている。……と言っても、スカートの丈をちょっぴり短くしているだけらしい。
「もういいよ」
言われて、俺は朝食をちゃぶ台に運んだ。ごはんはもう炊けている。
薄い水色を基調としたセーラー服。これが校長の趣味なのだとすれば、かなりの慧眼だと言わざるを得ない。やはり偏差値の高い学校は教師陣のセンスもよいという事なのだろう。夢子の魅力七割増しだ。
「どうしたの?」
問いを適当に誤魔化して、朝食を食べた。
準備を終えて、家を出る。駅までは一緒だ。
定期はどうするのかと訊いたら、次の更新でここから乗れるようにすると言っていた。
俺は山の方へ、夢子は都心の方へ向かう電車に乗る。行ってらっしゃいと見送って別々のホームへ向かったが、そこで再び向かい合わせになって思わず笑ってしまう。
手を振って、スマホに目を落とす。すぐに電車が来たからそれに乗る。その時もまだ夢子は俺を見ていたが、それが急に恥ずかしく思えて俺は照れてしまった。そんなに見ないでくれ。
大学では特に誰と会うわけでもなく、ただいつものように時間が過ぎていった。必修と選択を二科目ずつ、大人しく受けていた。
講義が終わって、バイト先のピザ屋へ向かう。今日のシフトは中根とかぶっていたはずだ。タイミングがなくて返せずにいたこのハンカチも渡そう。
出勤していつものようにメイク台周りの掃除をしていると、十分程遅刻して中根が現れた。
「おはようございますぅ~。遅れてしまってすいません~」
猫をかぶっているときの彼女は、さながらアイドルも顔負けの人気者だ。他にシフトに入っているバイトや、果ては社員までもが鼻の下を伸ばしてニコニコとしている。あれでは別の女子の反感を買いそうなものだが、意外とそうでもなさそうなのが彼女の一番すごいところなのかもしれない。同性の友達と話しているのをよく見かける。
……本当は利用し合っているだけとか、そんなダークなことは考えたくない。
店の奥で皿を洗っていると、中根が横に並んで俺が洗った皿の水をウエスで拭き始めた。
「おはよう、この前ハンカチ忘れてたの、持ってきたぞ」
「あぁ、置いといてよかったのに」
「そういうわけにもいかないだろ」
「うっさいなぁ」
足を踏まれた。ワークブーツを履いているから痛くはないが、割とひどい態度だと思う。
「何かあったのか?」
一段と不機嫌な気がする。普段なら愚痴と嫌味を言うはずだ。もちろん、俺はそれを求めているわけではない。
「……今日あんたの家行くから、そこで話す」
「いや、悪いけどそれは無理だ」
露骨に機嫌の悪い顔をしている。眉間の皺の寄り方が完全に悪役のそれだ。
「なんで?」
「妹がいる。しばらく一緒に住むことになったから」
ガッチャン!
金属のプレートを中根が叩きつけた。その音で野次馬が集まってくる。
「すいません。失礼しました」
そういって事を収める。周りはきっと、俺が皿を落としたのだと思ってくれているはずだ。程なくして場が落ち着いてから。
「落ち着け。愚痴なら付き合うから。な?」
「当たり前でしょ!」
そういうと、中根はウエスを放ってどこかへ行ってしまった。相当虫の居所が悪いらしい。おっかねえ。
その後は配達をしていたから中根の様子はわからなかったが、あいつのことだ。きっとうまくやったのだろう。
夢子には帰りが遅くなると連絡を入れておいた。『わかった』とだけ返事があったが、胸中穏やかではないかもしれない。何かしらのお詫びは用意しておくのが吉だ。
一緒に退勤すると角が立ちそうだから、少し離れたところにあるコンビニで待つことにした。
中根はすぐに来た。駅裏にある居酒屋に行くという。何を言うつもりなのだろうか。恐ろしくて漏らしてしまいそうだ。
0
あなたにおすすめの小説
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
友達婚~5年もあいつに片想い~
日下奈緒
恋愛
求人サイトの作成の仕事をしている梨衣は
同僚の大樹に5年も片想いしている
5年前にした
「お互い30歳になっても独身だったら結婚するか」
梨衣は今30歳
その約束を大樹は覚えているのか
苦手な冷徹専務が義兄になったかと思ったら極あま顔で迫ってくるんですが、なんででしょう?~偽家族恋愛~
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「こちら、再婚相手の息子の仁さん」
母に紹介され、なにかの間違いだと思った。
だってそこにいたのは、私が敵視している専務だったから。
それだけでもかなりな不安案件なのに。
私の住んでいるマンションに下着泥が出た話題から、さらに。
「そうだ、仁のマンションに引っ越せばいい」
なーんて義父になる人が言い出して。
結局、反対できないまま専務と同居する羽目に。
前途多難な同居生活。
相変わらず専務はなに考えているかわからない。
……かと思えば。
「兄妹ならするだろ、これくらい」
当たり前のように落とされる、額へのキス。
いったい、どうなってんのー!?
三ツ森涼夏
24歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』営業戦略部勤務
背が低く、振り返ったら忘れられるくらい、特徴のない顔がコンプレックス。
小1の時に両親が離婚して以来、母親を支えてきた頑張り屋さん。
たまにその頑張りが空回りすることも?
恋愛、苦手というより、嫌い。
淋しい、をちゃんと言えずにきた人。
×
八雲仁
30歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』専務
背が高く、眼鏡のイケメン。
ただし、いつも無表情。
集中すると周りが見えなくなる。
そのことで周囲には誤解を与えがちだが、弁明する気はない。
小さい頃に母親が他界し、それ以来、ひとりで淋しさを抱えてきた人。
ふたりはちゃんと義兄妹になれるのか、それとも……!?
*****
千里専務のその後→『絶対零度の、ハーフ御曹司の愛ブルーの瞳をゲーヲタの私に溶かせとか言っています?……』
*****
表紙画像 湯弐様 pixiv ID3989101
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
出逢いがしらに恋をして 〜一目惚れした超イケメンが今日から上司になりました〜
泉南佳那
恋愛
高橋ひよりは25歳の会社員。
ある朝、遅刻寸前で乗った会社のエレベーターで見知らぬ男性とふたりになる。
モデルと見まごうほど超美形のその人は、その日、本社から移動してきた
ひよりの上司だった。
彼、宮沢ジュリアーノは29歳。日伊ハーフの気鋭のプロジェクト・マネージャー。
彼に一目惚れしたひよりだが、彼には本社重役の娘で会社で一番の美人、鈴木亜矢美の花婿候補との噂が……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる