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大厄と成りし兵編

三話

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 雪と婚約を結んで数日、顔の傷は跡が残りつつも塞がった。
 しかし、目元の少し下にくっきりと刻まれたその傷は、凄みがでて堅気の雰囲気ではなくなる。

 「傷の治りは早いのに、跡まで治らないのは不便ね」

 雪が洋助の傷を触る、あの時の出来事を忘れぬように。

 「そもそも、何故か異常な治癒速度を持ってるだけよしとするしかない、これで傷跡まで治ったらそれこそ朧様のように不老不死じみてる」
 「―――それもそっか、仕方ない、ね」

 名残惜しくその手を離すと、洋助に抱き着く雪。
 もしこの現場を見ている人間がいるとすれば、甘すぎてむせ返る程の密着具合であり、それはもう爆発するレベルである。

 「今日は出動あるだろ?行かなくていいのか?」
 「―――もうちょっとだけ、こうしてる」
 「……わかった」

 噛み締めるように手を背中に回す雪。
 もしこの現場を見ている人間がいるとすれば、甘すぎて吐き気を催す程の憎悪がこみ上げ、もう破砕するレベルである。

 「……そういえば、武装組織篝火の動きが止まって、大厄も艱難辛苦の侵攻後は大人しいよね、しばらくは暇になるかな」
 「いや、天草姉妹が未だ痕跡すら残さず隠れているし油断は出来ない、それに大厄だって…いや、大厄は今後も現れる、休んでいられない」

 朧が語った大厄の真実、それを裏付ける赤城の真の目的。
 この内容を雪に話すのは時期尚早と判断し、大厄の情勢を濁して誤魔化す。

 「何か隠してる?洋助くん」
 「えっ…いや、そんな事は…」
 「嘘、さっき目線逸らして手を強く握った、いつもの癖だよ」
 「―――ごめん、けど時期が来たらちゃんと言うから、今は許して」

 少しだけむっとしていじける雪は、おもむろに顔を近づけて洋助の瞳を覗く。

 「絶対?ちゃんと時期が来たら言うって約束する?」
 「――ああ、勿論、内容が機密情報でもあると思うから、簡単には言えないんだ」
 「ふーん、そっか…なら仕方ないね」

 諦めて尋問を切り上げ、そのまま唇を重ねる二人。
 もはや交わす言葉は距離を縮める建前で、その温もりを感じる事が本音であった。

 「―――さぁ、もう行かないと時間になるだろ?いくら施設内の社宅でも遅刻は軍規違反だ、急がないと」
 「わかってる、けど…」
 「お務めを果たさないと、それが巫女だろ?」

 真面目に諭され、距離を離される雪は嫌そうに目を細める。
 洋助もまさかこんなにも雪がべったべたになるとは思わず、困った顔で上着を羽織る。

 「今日は結界の管理をしている焔さんに会ってくる、領域内で不審な動きをしている巫女がいないか話を訊こうと思う」
 「うん…わかった、帰りは?家に戻るの?それともここに帰る?」
 「いや、関東を出て京都まで向かうから帰らないと思う、何かあれば連絡するよ」
 「――――わかった」

 明らかに寂しかがる雪に罪悪感を覚え、刀を背負って洋助は自室である部屋を出る。
 このまま一緒にいると何かがダメになりそうな気がして、早足でその場を後にする。

 「……参った、可愛すぎるだろ…」

 惚気切った洋助は、気持ちを切り替えて前を向く。
 
 ――そして、彼はこれから起こる絶望を知らずに歩いた。
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