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彼女のヒミツ

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 ――僕が魔法少女になってから、一か月が経った。
「おのれ魔法少女、鈴を返せぃ!」
「俺は魔法少女じゃないっすって!!」
 やけに江戸前な口調の、首から上が黒柴、下は剣豪っぽい細身の男の犬人間。それが、男子生徒を襲う。
 朝から嫌なものを見せてくれるじゃないか。通学路のど真ん中で繰り広げられる押し問答に、僕はため息を吐く。
 ――いつの日からか、この街には魔法少女がいるという噂が流れ始めた。主に僕の通う高校で。
 どうやら僕が助けた人たちがしたちょっとした会話をきっかけにして広まっていったらしい。
 それだけなら根も葉もない噂でしかないのだが。
「そうかそうか。ならば、魔法少女が現れるまで貴様を傷つけてやろう」
「やめろ! やめて……助けて――!!」
 ――どうやら、奴らは、関係ない一般市民を襲えば魔法少女がやってくると学習してしまったらしい。
 そして、それが大正解なのである。魔法少女、つまり僕は、自分のせいで他人が傷つくのがどうしても許せないのだ。
 叫んだ男子生徒。僕はささっと電柱の陰に隠れ、小声で唱えた。
「変身(ドレスアップ)」
 次の瞬間、僕――吉水 侑という男子高校生は消えうせ、代わりに猫耳ロリータの少女、否、男の娘が出現する。
 実際は鈴の能力で瞬時に着替えただけなのだが、それだけでも僕は別人になってしまう。
「ぼ……僕はここだ!」
 電柱の陰から躍り出た僕。
 ……死ぬほど恥ずかしい。
 詰まる息。きっと頬を染める僕はとんでもなく可愛らしく見えるのだろうという事実が余計にぼくの胸を締め付ける。
 けれど、それでいま襲われかかっている少年を助けることはできない。
 息を吸って、僕は黒柴の犬人間の腕を狙った。
 彼の反射神経は、僕の猫のような素早さに勝つことはない。彼は腕をひっかかれ、同時に驚愕し、そしてにやりと不敵に笑った。
「でたな魔法少女!」
 叫んだ犬人間。魔法少女はふっと息を吐いて告げた。
「……お望み通り、出てきてやったよ。ここはさっさと片を付ける」
「鈴を渡してくれるのかぃ、お嬢ちゃん」
「お前を片付けるって言ってんだよ。あと僕は男だ!」
 答えながら僕は、助走なしで地面を蹴った。
 慌てて刀を抜く犬人間。だがもう遅い。
「キャットサマーソルト!」
 空中宙返りからの落下の威力を乗せたキックは、犬人間の反射速度を超え、首を的確に刈り取った。
「ア、アバァァァァァ!!!」
 振りぬいた足。靴は電柱にぶつかり、止められる。
 そして、僕の着地と共に、犬人間は爆散した。

 息を切らした僕を、男子生徒は頬を染めて、呆けたように見つめていた。
 ……惚れられて、ないよね? まさかそんなはずは。
「あ、あの……」
 と切り出そうとするその青年に、僕は背中を向ける。
 恥ずかしいし、やっぱ人と話すのは緊張する――!
 そのまま走って跳んで、藪の中に入っていった魔法少女。青年は「あ、ありがとうございまーす!」と叫んでいた。

    *

 昼休みの始まりのチャイム。
「なぁ、吉水……だっけ?」
 いつも氷見さんと一緒に話してる不良めいた女子――浦和さんというらしい――が、僕に話しかける。
「えっ、あっ……はい」
 僕は慌てて――怯えながら、蚊の鳴くような小さな声で返事をした。
 ……普段、誰にも話しかけられることはないのに。怪しいし怖い。というか会話怖い。人怖い。
 そんな怯える僕を見て。
「んな怖がんなって。お前をどうするつもりもねーし」
 と、言葉をかける彼女。威圧感はすさまじいが、危害を加えるつもりはなさそうで少しだけ――ほんの少しだけだが、身の安全を感じた。
「じゃ、じゃあ、何の御用で……?」
 問いに、彼女はため息を吐いて。
「ただ、一言だけ言いたかっただけさ」
 僕を睨んだ。

「言いたいことがあるんならきちんと言いやがれ」

 どういうことなのだろう。
「いっつも席を勝手に明け渡して。ほんとは取られたくねぇんだろ? 言えよ、そのくらいさ。言わないとわかんないぜ?」
 いやいや、言う権利なんてないだろう。僕よりあなたの方が偉いんですから。
 腹の底の冷笑。しかし、彼女は告げる。
「あたしたちはクラスメイト。対等な立場なんだ。だからさ――」
 うるさいなぁ!
 軽い憤りとともに席を立つ僕。
「おい、ちょっ、待てよ!」
 引き留めようとする浦和さん。ちらっと隣を見ると、氷見さんはいなかった。
 てっきり今日も氷見さんの隣の席に座りたかったんだと思ったけど……じゃあ、なんのために僕に話しかけたんだ? もしかしてあの説教のためだけに、か?
「ちぇっ、一緒に弁当食ってやろうと思ったのに」
 一瞬そんな声が聞こえた気がして――しかし、幻聴だと決めつけつつ、僕はいつも通りトイレに向かうのだった。

「そういえば、今朝の魔法少女の話聞いた?」
「ああ、聞いたよ。かっこいいんだな、魔法少女ってやつは」
 便所の個室の薄い壁越しに聞こえてくる個室外の誰かの会話を小耳にはさみながら、僕は頭を抱える。自分のことが噂になるって相当恥ずかしい。
 うなだれ悶える僕の様子など知る由もない先日知り合った便所飯仲間の美袋さんは、個室の薄い壁越しに、けだるけに話しかけてきた。
「……吉水くんってさ、何組なの?」
「二組ですが」
「おなクラじゃーん……それにしては教室では見たことないなー。あれ、もしかして一年じゃなくて……?」
「二年ですけど」
「あー、せんぱいだったかー」
 美袋さんがなんで女子なのに男子トイレにいるのかはいまのところ謎のままだが、きっと大層な秘密が隠されているに違いない。
 にしても、今日の美袋さんは元気がなさそうだ。
「なにかあったんですか?」
「後輩相手に敬語なんて使わなくてもいいのにー……ま、いっか」
 いや、他人に敬語を使うのは当たり前でしょう。先輩も後輩も関係なく。
 それはともかく、彼女は話をはじめる。

「今日、見ちゃったんだよね……。『カツアゲ』ってやつ」

「授業サボっていつも通り体育館裏でゲームしてたらさ、黒髪の美人な……たぶん見たことないから先輩なんだろうね。不良っぽい人に連れてこられてた」

「で、隠れて見てたんだけど。その美人な先輩……お弁当を差し出してたんだ。――差し出してたってか、脅され諦めて、って感じで」

 怖くてちびりそうで思わず逃げ出してしまった、という。
「もー、本当に怖くて。あのやけに美人な先輩が不憫で仕方なかったよ。うちの学年の荒くれで有名な奴もいて――」
 なおも話そうとする美袋さんに、僕は「待って」と口にする。
 やけに美人で黒髪の先輩? それってまさか氷見さんじゃ――いやいや、黒髪で美人な先輩なんて情報だけで決めつけるのは早すぎるか。
 でも、待て。――なんで今日、昼休みが始まるとき氷見さんは教室にいなかった?
「どうしたんすか、せんぱい。……まさか、その先輩、吉水せんぱいの恋人だったり――」
「僕に恋人なんているわけないでしょう。……でも」
 ――僕は、けっこう反射的に物事を判断して動いてしまう節がある。
 この前の、うるかを助けたことだってそうだ。魔法少女になってからも、よく知らないひとのために身体を動かしている気がする。よくそれで後悔してばかりだ。
 だけど、だからかもしれない。
「知ってる人が傷ついてるかもしれないなら、助けたい」
「……せんぱい正気っすか? そうすれば、次に狙われるのは――」
「もう慣れっこさ」
 こうして僕は便器の水を流す。
 弁当のゴミを入れたバッグを背負って、個室のドアを開ける。なりふり構わない。
 向かう先は、体育館の裏だ。

 薄暗く苔むした、ろくに手入れもされていないのであろうじめじめした狭い空間。体育館の高い壁に阻まれた昼間でも薄暗いその場所。
 彼らは今日も、命令を下す。
「じゃあここでおしっこしてみろよ」
「……え?」
 ――氷見 あやめは、笑顔のまま顔面を蒼白にした。
 なにを思ったのかは知らない。けれど、明らかに嫌がっているのはわかった。
「いちおう、なんでか聞いても」
「そりゃあ面白いからに決まってるだろうが」
 ヒャッハー、と高らかに嘲笑する不良たち。
「そう、ですか……」
 引きつった口角。しかし、それでも笑みは崩れない。
「さあ、さっさっとやりな」
「あ、パンツは脱ぐなよ?」
「……」
 氷見さんは口答えもせず、ただ静かに腰を下ろし――その背中を不良が押そうとする。

 瞬間、シャッター音が響いた。

 スマホのカメラ越しに、不良と視線が合う。
「……おい」
「はは、はははっ。見ちゃった。撮っちゃった。本当に氷見さんがいじめられてるなんて、思いもしなかった」
 僕の喉からこぼれる笑い。極度の緊張状態が、恐怖が、引きつった笑いを喉から引きずり出す。
 ひゅうひゅうと呼吸をする僕は、彼らから見てどう映ったのだろうか。
 滑稽か。道化か。それとも――。
「それをどうする気だ? 観賞用か? オナニーにでも」
「使うわけないじゃないか。人の尊厳が凌辱される様をどうしてそう言える」
 僕の中に湧いたのは、怒り。
「先生に言いつける。氷見さんは人望もすさまじいからな。すぐにうわさが流れるだろう。きっと先生は彼女をかばうし、彼女の友達には腕っぷしが強いひともいるはず。鶴の一声で誰も彼もが動き出す。……そんな人を敵に回して、生きて帰れるなんて思うなよ」
 呪詛のごとく流れ出た言葉。それをハッタリだとでも思ったのか、不良は鼻で笑い。
「ああ、やってみろよ。ただし、できるものならな」
 僕を取り囲んだ不良たち。
 ――氷見さんの能面のように細めた目から、涙が一滴、落ちて。
 よろよろと立ち上がった彼女。駆けだした僕は、その手を取って――。

「行こう、氷見さん」

 その言葉に、彼女はこくりと首肯した。
 僕らは走り出し、十分な助走をつけて、跳ぶ。
「わっ」
 彼女が驚くのも当然だ。何故なら、跳んだ先は体育館の屋根の、さらに上の空中なのだから。
 無我夢中で、力の出し惜しみはできなかった。「変身」していないときの限界、火事場の馬鹿力で。
「つかまっててください。振り切ります……ッ」
 一瞬空中に浮かんだ彼女の首元と膝下を抱き――ちょっと重いしいい匂いがするが、気にしてはいられない――体育館の屋根に着地。間髪入れず、脚をばねのように使って、横に跳躍。
 向かう先は隣の校舎。体育館の屋根はだいたい五階建ての校舎の三階付近。丁度都合よく四階の窓が開いていた。換気中だったのであろう。
 その使われていなかった教室に、僕らはあたかも弾丸のように滑り込む。
 いくつもの椅子と机を押しやって運動エネルギーを相殺し止まった僕ら。
 数秒の静寂。
 息を切らす僕に、氷見さんは「……そろそろ降ろしてくれる?」と言う。
「大丈夫でした!?」
「うん。……ったた……」
「ごめんなさいっ……」
 氷見さんを降ろす僕。机にあたった腰を擦る彼女を横目に、僕は頭を抱えた。
 やってしまった。余計な手を出してしまった。
 半ば反射的だったとはいえ、あの不良たちには悪いことをした気がする。
 それに……超常の力を使ってしまった。なりふり構える状況じゃなかったけど、万が一見られたら……。
 氷見さんにも怖い思いや痛い思いをさせたよな……。なんて言って謝ろう……。
 怖くなってゆっくりと氷見さんの方を向くと、彼女と目が合って――彼女は微笑んだ。
「ありがと。助けてくれて」
 ……余裕そうだなぁ。
 でも、あの瞬間流した涙の跡が、微かに目を腫らしていたことに気付いて。
 ――君を助けたことが、きっと悪いことじゃなかったと信じられる日が、いつか来るのだろうか。
 僕は照れながら目を逸らし――。
「すげー音したけど……何だったんだ? ってか、あやめマジどこ行ったんだ?」
 ……浦和さんの声だ。氷見さんを探しに来たらしい。
 誰もいない教室。押しのけられた机といす。二人きり。床の上。
「ミソノちゃん!」
 氷見さんが浦和さんを少し嬉しそうに呼ぶなか、僕は顔を手で覆った。なんか勘違いされちゃうやつじゃないか、この状況。
 むずがゆくて恥ずかしくて、燃え上がってしまいそうになって。

「――あやめ? こんなところにいたのか!」
「うん。吉水くんも……あれ、いない」
「へー、あのオンナモドキとねぇ。なんかあったのか?」
「なんにもないよ。ただ、ね――」
 そんな会話を聞きながら、僕は教室の外を歩く。
 次第に二人の仲よさげな会話も聞こえなくなって、あまり誰も通りたがらない埃っぽい階段にたどり着く。
 静寂の中、足音だけが響く。
 ……また逃げてしまった。ため息を吐く。
 きっと、氷見さんはいじめられていたことをひた隠しにするのだろう。今までそうしてきたように。
 そうはさせまい。
 ……とりあえず、証拠写真は放課後にでもプリントして廊下に掲示しておこうか。それで僕がどうなったって、どうせ僕に守るべきものなんざないんだ。
 ハナから友達もいなけりゃ、家族は故郷に置いてきた。――中学までの人間関係を断ち切るためにわざわざ親に頼み込んで引っ越してきたってのが実情なのだが。
 はは、なんにせよ無敵感がえげつないや。
 誰もいない階段。僕は背伸びして、シャツの襟を直した。

『証拠写真』
 廊下に設置された掲示板代わりのホワイトボード。貼られたのは、しゃがみこんだ美少女の後ろを不良めいた男が押そうとするという姿が描かれた写真。
 不良の妙にニタニタした顔と少女のどこか余裕のなさそうな笑みが、「異常」を映していることを如実に物語っていて。

 遅めに登校した僕は、朝のうちに何が起こったのかを知る由もない。ただ、すれ違った、他クラスの素行が悪いことで少し有名になっていた生徒の顔面がボッコボコに殴られていて、背筋が少しぞっとした。
 教室のドアを開ける。そしてイヤホンを耳から外すと、浦和さんが近づいてくる。
 ……たぶんあの写真を貼り出したのを怒っているんだ。いじめの告発の証拠写真だったとはいえ、氷見さんを辱めるような内容だったのは確かだったのだから。
 きっと本人から話を聞いている浦和さんには、あの写真が僕の手によるものだってバレているはず。
 殴り飛ばされるくらいの覚悟はしておかなければ。
 恐怖に身をすくめる僕。しかし。
「――お前、やるじゃねぇか」
 予想外の肩透かしに、僕は一瞬戸惑った。
 え、どういうこと?
「あやめから聞いたぜ。アレ、撮ったのお前なんだってな。あと、やられそうになったところを助けたんだって?」
「え、あっ……はい」
「すげーよ! かっけえ!」
 かっこいい、なんて僕には過ぎた言葉だ。というか、そんな大層なことしたか?
「自分の身を顧みずに人を助けるなんてマジ、ヒーローみたいだ!」
「たしかに! 俺たちにはできねー真似だよな! そこにシビれる憧れるゥ!」
「というか吉水くん、磨けば結構かわいいのでは? ねえねえ、ちょっと今度うちに――」
 固まった僕に、クラスメイトは口々に声をかけてくる。
「あっ、あっ……」
 目をぐるぐる回す僕。ああ、もうだめだ……眩暈がしてきた――。
 意識が遠のきかけ、口から朝に食べたカップ麺が出てきそうになったので。
「ご、ご、ごめんなさい――――!」
 僕は走って男子トイレに駆け込んだ。
 はぁ……やっぱり個室は落ち着くな……。
 涙を流しながら便器に座った。いろいろ落ち着いたころに戻ろう。……まあ、それがいつ頃かは知らないが。
 個室の中、ため息を吐いた。
 その日、僕は初めて授業をサボったのだった。
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