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第一章 勇気ある者へ

第二十四話 されど旅は続く

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 領主邸の最上階は、他の階に比べて窮屈とした印象だった。
 廊下の奥行きもさほど無く、部屋数も片手で数えるほど。窓も設置されておらず日も当たらない。昼間にも関わらず薄暗いなか、頭上から心許ない魔鉱石の明かりが辺りを照らしている。必要最低限の機能だけを集めたような場所だった。
 一際、重厚感のある扉の前に立つと、ユウキは後ろのシスターとメリアに視線を向ける。 

「…書斎って本当にここであってんの?」 

「あってるはずだよ?これ以上、上の階は無いみたいだし」 

「本当に?雰囲気終わってない?普通こんなとこに人呼び出す?」 

 ユウキの調子が戻りだした昼時、3人はステラから書斎に来るように伝えられた。ユウキ達はそれを二つ返事で返したのだが、まさかこんなに薄暗い場所だとは思ってもいなかったのだ。
 扉を開けようか戸惑っていると、後ろにいたシスターが顔を覗き込んだ。 

「もしかして、ビビってるんですか?」 

「うん」 

「即答しないでくださいよ。恥はないんですか恥は」 

「あると思うか?」 

「まぁないか。ユウキだし」 

「あぁ!?なんつった!?」 

「沸点がわからないんですけど!?」 

「2人とも行くよ~」 

メリアはドアノブに手を掛けると、思い切り捻った。 

「頼もー!」 

 年季の入った金具が音を立て、扉が徐々に開いていく。部屋から漏れる光が、薄暗い廊下にいたユウキには眩しくて、思わず目を細める。 

「やぁいらっしゃい!」 

 部屋の中から聞き覚えのある声が耳に届く。明るさに慣れ始めたのか、視界が徐々に鮮明となる。 

 1人で使うには広すぎる書斎の中は、廊下とは打って変わって光で満ちていた。部屋の左右と、正面に備え付けられた窓から満遍なく外界の光が当たる。
 部屋の奥には、今まで見てきた中で最高級の物だと一目で分かる、領主に相応しい机が1つ設置されていた。そんな貫禄ある机から、声の主は笑顔で手を振っていた。 

「こんなところまで悪いね」 

「いやそれはいいんだけどさ...」 

 視線を僅かに左にずらすと、またもやこちらにも、見覚えのある姿が2人並んでいた。
 片や愛嬌の良い金髪の騎士。片や鋭い目付きを見せる赤髪のメイド。 

「どうも!ご無沙汰してます!」 

「皆様、お待ちしておりました」 

「セラさんとレニィもいるんだ」 

「俺が呼んだんだ。2人も関係者に変わりないからね」 

 会釈をする2人に、ユウキも会釈で返す。
 ユウキがレニィと会うのは魔獣と戦ったあの日以来だ。期間としては1週間くらいしか経っていないが、それでも顔を会わせるのが久しく感じる。 

「元気にしてた?」 

「とっても元気!ユウキさんよりね!」 

「何も言い返せないのが情けないよ俺」 

 苦笑いを見せるユウキに「冗談ですよ」とレニィが悪戯に笑う。
 流石は美少年だ。その笑みがあまりに魅力的すぎて、危うく恋に落ちるところだった。気をつけよう。
 己にそう言い聞かせていると、「あっ!そういえば!」とレニィが目を見開いた。 

「ユウキさん、魔獣の親玉と戦ったって聞いたよ!よくやりましたね!もうめっちゃ褒めちゃう!」 

「いや~そんなことあるけどさ?レニィのおかげで勝てたようなもんだよ」 

「え?僕?」 

「そうそう。レニィが剣を教えてくれたから俺は戦えたんだ。それに呼吸が大事って言ってただろ?あれのおかげで、勝てはしなかったけどどうにか瀕死まで追い込めたんだ。本当にありがとう」 

「な、なるほど…そうですか…」 

「おう!…って、どうした?大丈夫?」 

 突如としてレニィは、耳まで赤くなった顔を両手で覆いだした。
 どこか体調が悪くなったのかと心配になっていると、レニィは深く呼吸をしだしたかと思えば突然顔をあげた。 

「レニィ?」 

「いやぁ、嬉しさと恥ずかしさが合いまっちゃって。ニヤけないようにしたんですけど無理でした。へへ」 

 えっやだっ好きになっちゃう。 
 頬を赤らめ少女のように笑うレニィに、このままだと本気で落とされてしまう。どうにかして気を逸らさねば。
 そうして視線を向けたのは、ユウキと同じくしてこの部屋に入室した白髪の少女。 

「どうかしました?人の顔じっと見て」 

「……」 

「なんでそんな聖人のような眼差しで見るんですか」 

「いやさ、シスター見ると落ち着くんだよね。シスターは何も変わらないなぁって」 

「なんでか少し腹が立つんですけど。もしかして馬鹿にされてる?」 

「気のせいだよ」 

「気のせいか」 

 話を一段落させたところで、部屋中に拍手が2回鳴り響いた。音の方へ視線を移すと、ステラが両手を組み直していた。 

「一旦挨拶はそこまで。一先ず本題に入ろう」 

 ステラの一声に、セラはステラの横に、ユウキ達は机の前に横並びとなった。 

「まず皆には、魔獣が大量発生したことの原因の解明と解決。更にベルダンシア侵攻の阻止、防衛に尽力してくれたこと、心より感謝する」 

 普段の物腰柔らかな印象とは違い、硬く芯のある声色が部屋中を通り抜ける。圧すら感じるその姿は、紛れもなくこの街を統治する者としての威厳があった。 

「皆の応援、協力、連携無しには、街を守ることはおろか、民の命さえ危ぶまれるところだった。しかし、民だけに非ず、兵の1人も命を落とすことが無かった。そのあまりに多大な功績を称えるため、俺からひとつ贈り物をしようと思う。セラ、これをお願い」 

 ステラがセラに何かを渡す。それを受け取ったセラはゆっくりと歩き出し、やがてユウキ達の前で立ち止まった。 

「どなたか1人、前へどうぞ」 

「ここはユウキが」 

「ここはユウキくんが」 

 ほぼ同時に発する2人が早すぎて、最早何も言い出せない。
 溜め息を吐きながらも渋々前に出る。するとセラから、手の平よりも一回り小さいぐらいの、丸い記章を手渡された。星の装飾が施された白い盾を持ち、横を向く天使が描かれている記章は、どういう作りなのか角度を変える度に色を変えてみせた。 

「すげぇな、なんだこれ」 

「それの名は『虚章《きょしょう》』。これからユウキ達は立場上、動きづらいと感じるタイミングが必ずある。そういう時にこれを見せてごらん。君達が起こす行動の全ては、空の称号を持つ者の意思として認識される。限度はあるけれどね」 

 えぇ、受け取りづらっ。 

「受け取りづらっ」 

 この修道女は一々口に出さないと気が済まないのだろうか。なんて思っていると、メリアがシスターの頭を叩くのが見えた。流石のメリアもこれには思うところがあったのだろう。 

「そんなことは言わずに受け取ってよ。俺からの最大限の気持ちなんだから。本当に困った時に必ず力になるよ」 

 頭をさすり声を抑えるシスターに、ステラは和やかな笑みを向ける。 

「ではこれにて、ユウキ・アルバーン、シスター、メリア、レニィ・ヴェリオロス。計4名の任務を完了したものとする。皆、本当にありがとう」 

 ステラとセラが深々と頭を下げた。
 任務の完了を言い渡されたからか、押し寄せた安心感がユウキを包み込む。無意識に張り続けていた緊張感が、徐々に溶け出していくのを感じる。 

「さてとそれじゃあ、今後の任務について詳細を話そうか」 

「「「え?」」」 

 ユウキ、更にはシスターとメリアの声が重なる。 

「私達、これで王都に帰るんじゃないんですか?」 

「え?いやいやまさか、そんなわけない」 

 さも当然かと言うように、ステラは淡々と話し続ける。その間にも笑顔は崩さない。 

「君達一行はかなり特殊なんだ。驚くべきは勇者と認知されていないこと。まあ実際のところ勇者ではないからね。ここに来たのだって、王都からの応援ってことになってる」 

 ステラの言ってることは何も理解出来ない。なのに何故だか、ユウキにはとんでもなく厄介なことが起きてるのだろうと確信だけはあった。 

「騎士団に所属しているわけでも、王の下で動いているわけでもない。君達の内情を知っているのは、レニィを除けば王都のなかでも上層部の人間だけであり、会ったことがあるのなんて片手で数えるくらいしかいないだろう。そこでだ」 

 本当はこんなこと思いたくない。食事に宿に何から何まで提供してくれたのに。惰性で来たのにも関わらず贈り物までくれたのに。
 そう思っている間にも、ステラの口からは無慈悲に発せられる。 

「君達、俺のお使いを頼まれてくれないか?」 

 めんどくせぇって...。




 真っ暗な神殿の中を、壁に沿って置かれた魔鉱石の明かりだけが辺りを照らす。
神殿内に空気口はなく、黴や金属臭が入交り悪臭が漂っていた。閉塞感と鬱屈とした雰囲気で満ちたその中央には、石畳の上に赤黒く広がる魔方陣と、祭壇が一つあった。 

 狭く、ただでさえ息苦しさを感じる場所であるにも関わらず、祭壇の前には襤褸に身を包んだ人達が長蛇の列を作っていた。
 揺らめく灯が影を作り、その表情はよく見えない。
 1人、また1人と祭壇の前に立ち、ナイフで手の平を切ると、流れる血を祭壇に置かれた純白の盃に溜めていく。 

 異常な光景が広がるなか、司祭服を身に纏った男が一人、列を押し退けるように進む。 

「はぁ…全く不愉快だ。臭いはキツいし、じめじめしていて嫌なんですよねぇ」 

 足元すら満足に照らされていないこの場所で、用心する様子もなく祭壇まで辿り着くと、血溜まりとなった杯を覗き込んだ。 

「んー、もう大丈夫ですかねぇ。そろそろ始めましょうか」 

 男はそう言うと、祭壇の前に立っていた男を殴り倒した。人形のように力なく倒れた男を一瞥もせず、杯を高く掲げる。 

 そして、魔法陣に向け一気に傾けた。 

 音を立てて勢いよく地面に落ちると、瞬く間に魔法陣に吸収されていく。渇きを潤すように赤黒い魔方陣に染み渡っていくのを、男は半ば待ちきれないような様子で見守る。それはまるで、おもちゃ箱を開けたくてたまらない子供のように。祭壇に体を預け前のめりで見つめる。 

「儀式の邪魔ですよ。ここから去りなさい」 

 男の声に従い列は崩れ、潮が引いていくように神殿を去っていく。騒々しい靴音が遠くに聴こえ出した時には、神殿の中には既に男一人だけとなった。
 男も続くように魔法陣の外に立つと、懐から紫に輝く石を1つ取り出し投げ入れる。すると魔法陣は、まるで息を吹き替えしたかのように光りだした。 

「あぁ…もうすぐです…」 

 男は頬を赤く染め、息を漏らす。慕情と愉悦に浸りながら、光りを強める魔法陣を見つめる。 

 先日、黒ローブの男から渡された紫有石と呼ばれる魔鉱石。どうやらあの男が言うには、この魔鉱石には魔王の血肉が溶かしてあるようだ。魔王の肉体を粗末に扱うのは許せないが、魔王がなにもしないということは魔王がそれに協力的ということ。ならば今は親交を深めておくべきだ。魔王がそれを望んでいるのなら、それは自分が望んでいることと同義なのだから。 

 魔法陣の縁に沿うように、紫有石から流れ出す黒い霧が渦を巻く。膜が張られているかのように霧は魔法陣の内側に滞留し続け、かと思えば中心に向かって次々に流れ出した。吸い込まれるように祭壇へと霧は流れ、段々と渦が小さくなっていく。 

 やがて祭壇を囲むように集まった霧は、大きな球のようになり動きを止め、そして弾けた。 

 男の向ける視線の先、祭壇の上には1人の青年が横たわっていた。
 ピクリとも動かない青年の元へ男は進む。靴音が響く代わりに、赤い波紋が広がってはぶつかり、互いに打ち消しあった。 

 男は祭壇の前で止まると、未だ目を覚まさない青年の顔を覗き込む。整った顔立ちの青年は、この世界の人間ではないことが一目でわかった。軍服のような黒い上着に、花を象った金属製のボタン。一見軍人のようにも見えるが、決して筋肉質とは言い難い体格からしてそうではないだろう。 

 しかし、異界から使い魔を召喚する儀式なのだが、使い魔と呼ぶには些か人間のようだ。書物によれば憎悪や悲哀を餌とする神獣が召喚される筈だが、先程からこの男は筋一つ動かさず目も覚まさない。もしやこれは失敗なのか?仮に失敗したとすれば、全てはあの怪しげな男のせいだ。あの男が持ちかけた話なんだからな。よし、奴は殺そう。 

「失敗なら破棄しなければ」 

 落胆を漏らすようにそう呟いた男は、「失敗作」に向け手を伸ばした。指先が触れるその瞬間、痺れ、拒絶されたように男は勢いよく弾かれた。
 身体がよろめき片膝をつく。そして気づいた。これは決して失敗ではなかったと。 

「触れるな」 

 全身の毛穴が開く、心臓が早鐘の如く鼓動を鳴らす。動けない。正しく言えば、動くことを許されていない。そこには明らかに人知を超えるナニカがいるということを、理解することしか出来なかった。男は本来、神というものを信じていない。信仰対象は魔王のみだ。それ以外のものは有象無象でしかないのだ。それにも関わらず男がここまで抱いているのは、少なくとも畏怖であった。たった一言で男は「逆らえない」と思わされた。 

「お前は誰だ。ここはどこだ。答えろ」 

 言葉の一つ一つに計り知れない程の圧があった。返答を誤れば間違いなく死ぬ。俯いたまま男は、うめき声とそう大差ない声をどうにか絞りだし、慎重に言葉を選ぶ。 

「私の…名は…ケルン…ここは…アステノの…地下神殿…」 

「アステノ?聞いたこともないな…どこかの地名か?」 

「セリ…ノア…」 

「また聞いたことのない場所だな。ここはーーーではないのか?」 

「…」 

 何を言ったのかわからなかった。その瞬間だけ音が世界から消えたかのようだった。この世界では許されない情報なのだろうか。黙りを決め込むケルンを見て、ソレは溜め息を吐いた。 

「わからないか、どうしたものかな。この夥しい血の量、地面に記された文字や紋章はわからないが、お前、禁術を用いて俺達を呼び寄せただろう」 

 重い首をどうにか縦に振る。鼻筋を辿って汗が地面に落ちてから、初めて自分が汗だくなことに気づいた。今はただ、己の命の手綱を手放さないようにするだけで精一杯だった。 

「目的は?」 

「魔王…に…会うため…」 

「魔王?…ははっ、魔王だって?可笑しなことを言う。居座るだけでその悉くを凶とする、かの大鬼神の名を語るとは。まあいい、顔を上げろ」 

 歪みなく張っていた糸が切れたかのように、身体が急に軽くなった。ケルンが恐る恐る顔を上げると、祭壇の上で胡座をかくそれは首の骨を鳴らした。 

「ケルンと言ったか。この際お前が何を為そうとしているかはどうでもいい。だが、この子が死のうものなら俺はお前を殺す。首を折り、火で炙り、丸飲みにしてやろう」 

 発せられる言葉が地を這いずり、ケルンの喉元へ巻き付くと、緩やかにその首を絞めていく。 

「まるで蛙のようだな。よく聞け、そして片時も忘れるなよ。俺の名は騰蛇とうだ。精々、藪をつつかぬようにな」 

 それが目を閉じた瞬間、空気が変わったことをケルンは直ぐ様肌で感じとった。息ができる。鼓動の音が聴こえる。生き長らえたことが奇跡のようだった。 

「あれ…ここは…?」 

 目の前の青年は目を開くと、頼りのない弱々しい声でそう言った。
 先程の神のような貫禄は既にそこにはなかった。眉をハの字に曲げ、情けない様子の青年がいるだけだった。 

「あなたは、一体なんなのですか…」 

 ケルンの問いに、青年は一瞬目を見開くもすぐに表情を殺した。そして少し微笑むと、ゆっくりと口を開く。 

「僕の名前はハルアキ。きっとあなたの望みを叶えられますよ」 

 ハルアキと名乗る青年は、ケルンの願いを見透かしたかように力なく笑った。
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