浮き世にて

わこ

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1.幸運の鏡

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 経済ピラミッドの裾野にいる人間には一生かかっても訪れない好景気。
 俺がいま思っていることは三つだけだ。絶望。絶望。それに絶望。今月のバイト代、全額スッた。

 パチンコ店の前で灰になる俺。二十七歳。独身。彼女なし。
 毎朝でっかいビルのゲートを堂々と顔認証で通って、バリバリ働きバリバリ稼いでキラキラな人生を送っていたかった。
 しかし現実の俺はフリーター。先の見えない貧しき若者に、不名誉にも与えられる称号だ。







***







「ほら葵、あんたも一つくらい持っていきなさい。残ってる物から好きなの選んで」

 遡ること一週間。母方のじいちゃんが他界して、四十九日を過ぎた頃。
 形見分けを行うからと母さんから呼び出しがかかった。実家との距離はすごく遠いと言えるほどのものでもないため、バイト終わりにフラリと立ち寄った日のことだ。

 母親に急かされつつ形見を物色。チラリとばあちゃんに目をやった。広い家に一人残されたばあちゃんはさぞかし憔悴しているに違いない。と思っていたものの、非常に元気だ。葬儀の時も多くの親族や参列者たちから気使われていたが、気丈に振る舞うばあちゃんのそれは、偽りでもなんでもなかった。
 幼い頃から祖父母はいつも同じ部屋で並んで過ごしていた。仲の良い老夫婦。ご近所からもそう評判だった。
 しかし天命を全うしたじいちゃんの最後をきちんと見届けた今、これからの余生を一人湿っぽく過ごす気はサラサラないのだろう。元より明るい気質のばあちゃんは俺のそばに腰を下ろし、丁寧に並べられた遺品の前で正座をしながら一点を指さした。

「葵ちゃん、これ持ってきなさい。鏡は魔除けになるから。嫌なものは払ってね、良いものを呼び込んでくれるんだよ」

 ばあちゃんが指さしたのは小さな鏡。漆塗りのそれはだいぶ古い物だろう。しかしそう劣化はしていない。大切に扱われてきたのか、桔梗の模様をかたどった金箔は剥がれることもなく綺麗なままだ。
 ばあちゃんにそっと渡されたそれを、ひとまずは大人しく受け取ってみる。手のひらに収まった鏡を改めて見下ろし、苦笑しながら首を左右に振った。

「いいよばあちゃん。鏡なんて持ち歩かないしさ。俺はやっぱ別に何もいらないから残りはばあちゃんが持ってなって。その方がきっとじいちゃんも喜ぶよ」
「さて、どうだかねえ。それはあの人がよその女に贈ろうとしていた物だよ。その前に私に見つかったもんだからそれっきりさ」

 ばあちゃんは笑顔。反対に俺はピシリと固まる。

「……なんてもんを孫に寄越そうとしてんの」

 マジかよ。じいちゃんそんなことしてたんか。仲のいい老夫婦の過去は触れてはいけない怖い話だった。
 頬を引きつらせる俺に気づいているのかいないのか、いやおそらくは気づいているのだろうが、ばあちゃんはさして気に留めた様子もなく穏やかなままニコニコと。差し出した鏡は最後まで受け取ってもらえず、結局は俺がその鏡を分け与えられることになった。

 昭和時代の女性ならば好んだであろう丸型のコンパクトミラー。それを上着のポケットに収め、電車に一時間半ほど揺られて住み家のある町へと戻ってきた。
 帰路はすっかり日も暮れ夜の色。街灯やら道路に面した店の蛍光灯やらによって視界だけは明るく白いが、自宅アパートへと向かう最中もポケットの中の僅かな重みが少しばかり気にかかる。

 母方の叔父叔母だけで四人もいる身だ。形見の品よりも遺産が欲しかった。などと罰当たりなことまではさすがに思わないものの、正直なところ俺の手には余る代物だ。
 今の時代の女の子にあげたところで喜ばれないだろうし。形見をプレゼントすんのもあれだし。ていうかプレゼントするような彼女もいないし。部屋に帰ればどこかしら引き出しの中にでも入れてきっとそのまま忘れ去る。

 上着のポケットは鏡の分の重さが増したが、薄い財布を入れてあるズボンのポケットは悲しいまでに軽い。
 ばあちゃんによれば悪いものを払って良いものを呼び込むというこの鏡。財布の中身を裕福にさせてくれるとでも言うのであれば、嬉しいことこの上ないのだが。

 現実逃避にも似た妄想を抱きつつ夜道をトボトボ歩いていると、目の前には先週オープンしたばかりのパチンコ店が不意に現れた。
 思わず進めていた足が止まる。そしてふと、頭によぎった。良いものを呼び込む。そんな言葉が。

「…………」

 道路を挟んだ向かい側に目をやる。都合よくもコンビニが。入口のすぐ横の看板に表示された文字は、ここからだと小さくて読めないもののなんと書いてあるかはよく知っている。
 酒、たばこ、銀行ATM、だいたいそんなもん。あの中に入れば金を引き出せる。

「…………」

 立地に作為を感じるのは俺だけだろうか。とは言え、もはややむを得ない。これこそ神のお告げというやつ。
 数メートル先の横断歩道を目指したのはその数秒後。ATMめがけて一目散に駆けていき、そして戻ってくるや否や迷うことなくパチ屋の中に飛び込んだ。
 一回だけ。一回だけだ。一回でキッチリやめる。そう思った。そしてその一回目で勝負は決まった。

「キタキタキタキタキタキタ……ッ!!」

 自分でも驚くほどの大当たり。未だかつてない大ガチに最初の数秒は半ば唖然とし、五秒後には自分の強運を確信。グレーゾーンな景品交換を経て相当に潤った財布の重みを噛みしめながら、右手をそっと上着のポケットへ。ホクホクした心地を得た。

 ありがとうじいちゃん。本当に呼び込んでくれた。
 よその女に貢ごうとしていたなんとも言い難い経緯はどうあれ、ばあちゃんの言う通りまさしく魔除けだ。良いものをバッチリ呼び込んだ。
 ゆるゆるに緩む口元を隠すことなどできるはずもなく、久々に上々の気分でもって今度こそ帰路についた。



 そしてその翌週。今。現在。
 当該パチ屋前にて呆然とする俺は、一週間前とはまさしく天と地の差。

 七日ぶりに訪れたパチンコ店。懐には幸運の女神ならぬ良いものを呼んでくれる鏡があった。
 自分にはコイツがついている。必ず勝つ。三倍にしてやる。大勝ち大前提で店へと足を踏み入れた。しかし負けた。ただの負けじゃない。いまだかつてないほどの大惨敗だ

「…………」

 詰んだ。生活費まで飛んだ。残ったのは調子付いた後悔それのみ。
 全財産投資する勢いで勝負に出てしまった。あまりに愚かな行為だった。

 あそこでやめておけば。あの一回さえなければ。あれが未来へ繋がる分岐点だった。
 いまさらどうこう思ったところで遅すぎるのは明らかだ。財布の中身は雀の涙どころじゃない。次のバイト代が振り込まれるまでの十日、と数日。食い物さえまともに手に入るかどうか危うい状況になってきた。

「…………」

 やべえ。どうしよう。マジでこれはヤベえ。現在の所持金は駄菓子を三つほど買ったら底を突く、そんな程度。

 どうしてこういうことになる。何をやっているんだろう俺は。大学まで出たというのに就職活動で見事にコケて、実家に帰って来いと言われても聞かずにそれ以来フリーター生活を続け。
 自分がクソ惨めな貧乏人だという自覚はあった。もちろんあった。でもまさか今日の飯にも困る日がこようとは。まさか。まさか。

 一週間前に会ったばかりの母さんに金の無心でもしてみるか。いやだめだ。それは避けたい。長々と説教されるのは目に見えている。いい加減地元に戻ってきて真面目に働けとか絶対に言われる。
 そうかと言ってダチには頼りたくない。泣きつけばみんな貸してくれそうだけどそれだけは嫌だ。クソくだらねえ最後の意地だ。
 親しいダチ連中の間でいまだにチャランポランとその日暮らしを続けているのは俺くらいのもの。自分の中にある大層つまらないミジンコサイズの小さなプライドがどうしてもそれを許さない。生きてるだけでも恥だというのにこれ以上の恥をさらしたくない。

 となると一体、どうすれば。通帳の残高も財布の中身と大差はない。しかも今の俺にとっては引き出し手数料だって惜しい。
 アパートに帰って金目の物でも探して売るか。しまった、駄目だ。ウチに金目のものなんてない。あったら今こんなことになっていない。

 とうとう文字通り頭を抱えた。パチ屋の前からはいまだに一歩たりとも動けていない。
 困った。これは困った。バイト代が出るまでどうやって食い扶ちを繋げばいいのか。

 懐が貧しいと体温も下がるものなのか、冬の冷たい空気は急激に体を冷やした。軽い身震いと共に右手を上着のポケットへとスッと差し入れ、しかしそこで、ハッと気が付く。
 手に触れた堅い物体。幸運の女神じゃなかった漆塗りの鏡。そうだ。俺にはコイツがある。

「…………売ろう」

 じいちゃん、ごめん。
 心の中では亡き祖父に向かって左右の手をそっと合わせた。
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