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293.ガーくんといっしょⅡ
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靴を脱いだり履いたりするのは地味に面倒くさい。だからこういうとき俺はこうする。
「かーさーん! 野菜ここ置いとくよー!」
「ありがとー! あとはいいよ遊んできなーっ」
「あー!」
勝手口から部屋の方に向けて大声で呼びかけた。そうすれば同じく大声の応答を聞くことになる。
戸という戸が開け放たれたウチではこれが日常の光景。中身が野菜でドッサリになったカゴは、適当に端の方に寄せておく。
ド田舎民のとても恥ずかしいやり取りを地方都市ご出身の瀬名さんにバッチリ見せつけ、靴を脱いだり履いたりし直すことなくパパッと仕事を終えて再び外に出てきた。
収穫したての野菜を勝手口から母さんに届けた後は、俺たちの自由時間だ。と言ってもここいらで遊べる場所なんてない。民家と自然しかない。
他にする事もないので、瀬名さんが気にしている裏庭の奥へと向かう。俺のお気に入りのドングリの木ベストスリーを案内して回ることにした。
「見てこれ! いいでしょ」
「立派だな」
ジャンッと両手を広げて示す。俺が生まれる前からここにあるシラカシだ。物心ついた時にはすでに大きなドングリの木だった。こいつを見るとじいちゃんの剪定作業にくっ付いて回った日を思い出す。
瀬名さんも大きな木に敬意を払うように見上げる。それからこいつと比較するように、辺りの木々も見渡していた。
「この木の存在が森っぽさを際立たせてるような気がする」
「デカい木ですけど森じゃないってば。俺ここで迷子になったことないもん」
「迷子になる可能性のある庭とは」
不可解そうに顔をしかめて見せる。人んちの庭を迷路扱いすんな。
似たような木ばっかりあるけどガーくんだって一人で帰ってこられる。
ガーくんは俺たちとずっと一緒だ。グワグワ付いてきてくれるから、そのままもう少々奥へと入った。
土と葉っぱを踏みしめながら二人と一羽で歩くこと少々。目的のそいつが見えてきた。
「ハイ次こちらご覧ください。クヌギです」
主幹から伸びている主枝がとても立派で頑丈なこの木。今の俺の身長で見れば、胸下くらいの位置に来る。幹の最初の分かれ目だ。しっかりした木肌をパンパンと丈夫に叩いた。
「ここの角度が絶妙なんですよ」
「登ってくれと言わんばかりだ」
「でしょう? あとコイツの落とすどんぐり超かわいいです」
「食うのか」
「食わないよ。可愛いって話してんのになんなの」
うちの庭に落っこちるドングリはアクの強い種類が多いのでわざわざ食用にはしない。食えるには食えるけど。ガーくんはたまにくちばしで突っついている。
丸っこい実が辺り一面に散らばっている光景はわくわくする。もう少しすればここもだいぶ秋めいてくるだろう。ガーくんが敷地内のお散歩を最も満喫できる時季でもある。
昔から世話になってきたクヌギからもう少々進み、瀬名さんを最後に案内したのは株立ちしたコナラの木。地上から幹がいくつかに分かれ、そのうち一本がさらに丁度よく二股になっている。
「これはホントよく登った」
「その光景が目に浮かぶ」
「ここに足を乗っけると一気にぐんぐん行けて楽しいんです」
「こいつが鍛えてくれたおかげで俺はお前の尻を楽しめる」
「うちの家族の信頼を一瞬で失う発言ですよ」
やっぱり別れろとかいう話になったらさっきまでの苦労が水の泡だ。
ドングリツアーを終えてもガーくんは俺たちのそばを離れなかった。瀬名さんが気になるのだろうか。瀬名さんも瀬名さんで足元をいちいち気にしてはその様子を観察している。
それにしてもガーくんがこうも気を許すとは。家族以外でこれだけ懐くのは今までショウくんだけだったのに。毎日来てくれる郵便屋さんを追い出そうとするガーくんの姿を生で見たことのない瀬名さんは、平和な感想しか抱いていない。
「ガーくん思ってたより懐っこいな」
「今日はだいぶご機嫌みたいです。初対面の人がいるといつもならもっとピリピリします」
普段は初対面の鳩にすら厳しい。種類の近い生き物よりも、なぜか瀬名さんに気を許す。
他の人間と何が違うのだろう。歩き方。声のボリューム。視線。分からない。この人間の何がいいんだ。
瀬名さんはさっきからアヒル一羽分くらいの距離を保ちながらガーくんに気を配っていた。確認するように時々振り返り、いくらか後れを取っていればそれとなく待ってやる。
歩き方がドンくさい鳥類に最大限の優しさを見せる割に、どうしてなのか一切触ろうとはしない。それどころか手も伸ばさない。
「……なんとなく気になってるんですけど、なんでガーくんに触らないんですか?」
「触っていいのか」
「いいですよ。ていうか触ってあげてよ。どう見ても撫でられ待ちですからそれ」
「初対面で馴れ馴れしくして嫌われねえか不安で」
「あなた俺と初めて会った時のこと覚えてる?」
馴れ馴れしいどころの騒ぎじゃなかった。俺には迷惑なまでにグイグイ押してくるはずの男が、ガーくんには紳士的。なんか複雑。
「見た目より羽毛柔らかいんで触ってみてください」
「嫌われねえか」
「嫌われません。あなたが敷地に入った瞬間に飛び蹴り食らわせに来なかった時点でガーくんに敵意がないのは確定してます」
そこまで言ってようやく瀬名さんは慎重にしゃがみこんだ。ゆっくり手を伸ばすその動作。猫の鼻に嗅がせるみたいな仕草でガーくんの顔に指先を近づけ、拒否を示さないのを見てから手のひらをくちばしの下に差し出した。
残念だがそんな事をしてもアヒルはお手的なことはできない。犬猫のように匂いをクンクン確かめるような感じでもない。
俺はそう確信していたが、なぜか今日はそうじゃなかった。ちょこんと頭を下げたガーくん。瀬名さんの大きな手のひらに、トンッとくちばしを押し当てた。
「…………」
「…………」
固まる瀬名さん。それ以上にピシッとなる俺。
え。何それ。待って。何それ。嘘だろガーくんそんな事すんのか。長いこと一緒にいたけどそんなの初めて見たぞ何それ今の何。
言葉も出ない。ちょっと。これはちょっと。かなり、ショックだ。もちろんおやつを持っているわけでもない。初めて会った人間に、なんだそれ。
「……ガーくんは本当に賢い」
「お手らしき動作を目にして俺は今倒れそうです……」
芸を仕込んだ覚えはない。大昔に試してみたこともあったがガーくんがそっぽを向くから、嫌われたくなくてそういうのはやめた。なのに。それなのにやりやがったこの男。俺だってされたことないのに。
なんてことだ。まさかこんな。俺の親とばあちゃんをたぶらかした男は、アヒルも簡単に手懐けた。
そこからは瀬名さんも普通に撫でるし、ガーくんも撫でられたところで全然嫌がらない。嫉妬心も芽生える一方、これならガーくんハウスに立ち入ったとしても威嚇されないだろうと思い至って、試しに案内してみた上等なおうち。
自分の家に瀬名さんが入っても思った通りガーくんは落ち着いていた。
「これが寝床になるんだな」
「ええ。ガーくんお気に入りの干し草です」
ベッドの用意を手伝ってもらう。俺たちの足元からガーくんが見上げてくる。
沸点低めのガーくんが上機嫌になるポイントはいくつかあるが、干し草の入れ替えもその一つ。細かい調整はガーくんが自分のくちばしで引っこ抜いたりなんだりしている。好みがうるさいお嬢様が優雅に眺めてくる中で、二人でせっせと寝床を整え、それから本人にも確認してもらう。
モサモサと干し草を踏みしめるガーくん。グワグワと満足げに鳴いて見せた。オッケーって意味だ。知らないけど俺はそう思ってる。チェックの厳しいアヒルのお許しを得てから、広いお部屋を後にする。
寝る時間にはまだまだ早いのでガーくんも一緒に出てきた。相変わらず後ろをフリフリくっ付いてくるのを振り返り、瀬名さんがしゃがみこんだので俺も隣でそうする。
「ガーくんの部屋が想像以上に上等だった」
「言ったでしょ。じいちゃんの力作です」
「人間の家の中にいるのは嫌な子なんだろ?」
「嫌っていうか、雪降った日とか家に入れると外ばっか恋しそうに見るんですよ」
育つにつれて生活の場が定まっていった。ヒヨコ時代を卒業するとガーくんはお外を選んだ。俺も実家を出るときガーくんを連れていきたいくらいだったが、たとえペット可の賃貸だとしても狭い部屋に閉じ込めるのは可哀想だ。
庭のある家で本当に良かった。ガーくんはお外が大好き。
俺たちの目の前までグワグワやって来たガーくんの頭を、指先でちょんちょんと撫でた。
「でもこっちとしても正直なとこ助かってはいるんですよね。完全に人間側の都合ですが」
「うん?」
「ガーくんおトイレがちょっとフリーダムなので」
ペタペタと数歩分動いたガーくん。絶妙なタイミングでちょうどプリッと、茶色い土の上に変化が。ガーくんの落し物がそこに。
「ね?」
「なるほど」
フリフリッと尾羽を揺さぶる。ガーくんは今日も元気だ。
***
夕飯にはまだいくらか早いので、散歩でもしてくることにした。
正面の出入り口とは違う方。こっち側から出ればすぐ田畑が広がる。今の時期はちょうど稲刈りでご近所中がもう大忙しだが、この時間帯なら田んぼからは撤収している。人と会うことはそうないだろう。
生垣と生垣の間には大人一人分が余裕で通れるくらいの出入口ができている。この生け垣もじいちゃん作だ。俺が生まれた時にはとっくにあったが。
昔はぐるりと一周偉そうな門を構えていたらしく、じいちゃんがそれを嫌って見晴らしのいい前庭に作り替えたそうだ。大昔の写真なら俺も見たことがあるけど、確かにあの壁は偉そうだった。
俺も今の方がいい。秘密基地みたいな幅のそこを一列にゾロゾロ通り、右に曲がりがてら振り返った。瀬名さんのあとからガーくんもペタペタとついてくる。
「ガーくん外出ていいのか」
「大丈夫ですよ。家族の誰かが一緒なら。アスファルトは足に負担かかっちゃうからあんま遠くへは行けませんけど」
舗装された道は所詮人間用。ガーくんにはやわらかい庭土がいい。それでも俺が呼べば来てくれるから、みんなでささやかな散歩に出発だ。
ガーくんを間に挟んで目的もなくゆったりと進む。オレンジの深くて濃い色が、辺り一面を覆いつくしていた。ガーくんの羽毛も今は黄金だ。
すぐにでももう日が落ちる。昨日まで、いや、今日だって。この人とこんな田んぼ道を、のどかに歩いていられるとはまるで思っていなかった。
「……なあ」
「はい?」
瀬名さんが静かに足を止めた。半歩遅れて俺も止まる。ガーくんもペタッとそこで足踏み。
「猫らしき誰かがいる」
目をやる。前方五メートル先くらい。どこからともなくトコトコ出てきた少々小柄なキジトラ猫が、道にペタンと寝転がると背中をウネウネくねらせ始めた。
背中がかゆいのか。単にアスファルトの質感が気持ちいいのか。何がしたいのか分からないけど遠目でも間違いなく可愛い。
「道変えた方がいいんじゃねえのか」
かわいい猫とかわいいガーくんを交互に見ながら瀬名さんは言う。その提案はガーくんが襲われる心配だろうか。それとも猫の身を案じているのか。
くねくねと背中を地面にしつこく擦らせているそいつは、俺たちを警戒する素振りを見せない。というか見向きもしない。自分の背中に夢中のようだ。
「あいつたぶん顔見知りの猫です。おっとりしてますし平気ですよ。俺らがいる前でわざわざアヒルに襲い掛かってこないんで」
「こっちが襲われんのはもちろん困るが、ガーくんあの猫よりだいぶデカいだろ」
どうやら猫の方の心配だった。
一般的にはアヒルの方が圧倒的にか弱い存在であるが、瀬名さんはガーくんの武勇伝をすでにいくつも聞き知っている。ウチに入ってきた野良猫を追い立て、獰猛に蹴散らしたエピソードも知っている。
「アヒルにも猫にも怪我してほしくない」
「ガーくんも家の外では人様に因縁はつけません。縄張り意識が普通よりもちょっと過剰気味なだけなので」
「ガーくん本当にアヒルでいいんだよな」
アヒルだ。なので少し距離は取る。一応相手は野生の猫だから、注意を引かないようやや大回りに歩いた。
俺にはガーくんを怪我病気その他から遠ざけて守り通す義務がある。ガーくんも賢い鳥だから、俺の足元にピッタリくっついて進んだ。
どこまでいってものド田舎の風景が続く。上の暗くなった橙の空に、稲刈りの跡が分かる田んぼに。真っ直ぐの、でも少しガタつく舗装済みの農道に。
途中ですれ違ったのは一羽のカラスだ。なぜか飛ばずにピョンピョンと徒歩移動するおかしなそいつ。あっちで背中の痒い猫とはち会ったとしても喧嘩せずに通り過ぎるだろう。
ただでさえのどかなのに、日中の生き物が姿を隠し始める頃合いだからシンとしている。風はいくらか冷たくなったか。どこかに帰る数羽の小鳥が、慌てた様子で頭の上を横切っていく。
「ガーくん疲れた?」
「ぐわっ」
上から呼びかけると返事をくれた。疲れたと答えたのか、まだまだ余裕だぜとでも言ったのか。分かんないけど元気そう。
「ガーくんの足が疲れないうちに戻りましょうか」
「そうだな」
「夕飯もいい感じにできる頃です。お客様はめっちゃ食わされますよ」
「覚悟しとく」
その覚悟はおそらく足りてない。ド田舎のおもてなしをナメてかかると痛い目にあう。
適当な所で角を曲がり、来た時とは道を一本ずらした。ぐるりと進行方向を変えたら、まだ真っすぐ行くと思って数歩進んでしまったガーくんが慌てたように駆け戻ってきた。
ドテッと寄ってくる。置いてかないから大丈夫だ。瀬名さんと顔を見合わせ、二人分の笑い声が澄んだ空気にやわらかく溶けた。
平和に過ぎるこの時間。それと同じくらいゆっくりした調子で帰り道を進んでいると、夕方特有の穏やかな、けれどもどこか、心なしか焦るような雰囲気に紛れ、横の道からサッと飛び出してくる。
急ぎ足な可愛い茶白の猫が、俺たちには目もくれずにトコトコトコッと駆けていった。
「かわいい」
「ケツがモフい」
「あんなに慌ててどこ行くんだろ」
「ディナーのお呼ばれに遅れそうなんじゃねえのか」
「瀬名さん時々メルヘンっすね」
「ロマンチックな大人の男に惚れとけ」
「ロマンチックな大人の男はケツがモフいとか言いません」
ガーくんの真っ直ぐなオッポもフリフリで可愛いので、ケツにばかり興味が湧く男の目からは俺がガードしなければ。
「かーさーん! 野菜ここ置いとくよー!」
「ありがとー! あとはいいよ遊んできなーっ」
「あー!」
勝手口から部屋の方に向けて大声で呼びかけた。そうすれば同じく大声の応答を聞くことになる。
戸という戸が開け放たれたウチではこれが日常の光景。中身が野菜でドッサリになったカゴは、適当に端の方に寄せておく。
ド田舎民のとても恥ずかしいやり取りを地方都市ご出身の瀬名さんにバッチリ見せつけ、靴を脱いだり履いたりし直すことなくパパッと仕事を終えて再び外に出てきた。
収穫したての野菜を勝手口から母さんに届けた後は、俺たちの自由時間だ。と言ってもここいらで遊べる場所なんてない。民家と自然しかない。
他にする事もないので、瀬名さんが気にしている裏庭の奥へと向かう。俺のお気に入りのドングリの木ベストスリーを案内して回ることにした。
「見てこれ! いいでしょ」
「立派だな」
ジャンッと両手を広げて示す。俺が生まれる前からここにあるシラカシだ。物心ついた時にはすでに大きなドングリの木だった。こいつを見るとじいちゃんの剪定作業にくっ付いて回った日を思い出す。
瀬名さんも大きな木に敬意を払うように見上げる。それからこいつと比較するように、辺りの木々も見渡していた。
「この木の存在が森っぽさを際立たせてるような気がする」
「デカい木ですけど森じゃないってば。俺ここで迷子になったことないもん」
「迷子になる可能性のある庭とは」
不可解そうに顔をしかめて見せる。人んちの庭を迷路扱いすんな。
似たような木ばっかりあるけどガーくんだって一人で帰ってこられる。
ガーくんは俺たちとずっと一緒だ。グワグワ付いてきてくれるから、そのままもう少々奥へと入った。
土と葉っぱを踏みしめながら二人と一羽で歩くこと少々。目的のそいつが見えてきた。
「ハイ次こちらご覧ください。クヌギです」
主幹から伸びている主枝がとても立派で頑丈なこの木。今の俺の身長で見れば、胸下くらいの位置に来る。幹の最初の分かれ目だ。しっかりした木肌をパンパンと丈夫に叩いた。
「ここの角度が絶妙なんですよ」
「登ってくれと言わんばかりだ」
「でしょう? あとコイツの落とすどんぐり超かわいいです」
「食うのか」
「食わないよ。可愛いって話してんのになんなの」
うちの庭に落っこちるドングリはアクの強い種類が多いのでわざわざ食用にはしない。食えるには食えるけど。ガーくんはたまにくちばしで突っついている。
丸っこい実が辺り一面に散らばっている光景はわくわくする。もう少しすればここもだいぶ秋めいてくるだろう。ガーくんが敷地内のお散歩を最も満喫できる時季でもある。
昔から世話になってきたクヌギからもう少々進み、瀬名さんを最後に案内したのは株立ちしたコナラの木。地上から幹がいくつかに分かれ、そのうち一本がさらに丁度よく二股になっている。
「これはホントよく登った」
「その光景が目に浮かぶ」
「ここに足を乗っけると一気にぐんぐん行けて楽しいんです」
「こいつが鍛えてくれたおかげで俺はお前の尻を楽しめる」
「うちの家族の信頼を一瞬で失う発言ですよ」
やっぱり別れろとかいう話になったらさっきまでの苦労が水の泡だ。
ドングリツアーを終えてもガーくんは俺たちのそばを離れなかった。瀬名さんが気になるのだろうか。瀬名さんも瀬名さんで足元をいちいち気にしてはその様子を観察している。
それにしてもガーくんがこうも気を許すとは。家族以外でこれだけ懐くのは今までショウくんだけだったのに。毎日来てくれる郵便屋さんを追い出そうとするガーくんの姿を生で見たことのない瀬名さんは、平和な感想しか抱いていない。
「ガーくん思ってたより懐っこいな」
「今日はだいぶご機嫌みたいです。初対面の人がいるといつもならもっとピリピリします」
普段は初対面の鳩にすら厳しい。種類の近い生き物よりも、なぜか瀬名さんに気を許す。
他の人間と何が違うのだろう。歩き方。声のボリューム。視線。分からない。この人間の何がいいんだ。
瀬名さんはさっきからアヒル一羽分くらいの距離を保ちながらガーくんに気を配っていた。確認するように時々振り返り、いくらか後れを取っていればそれとなく待ってやる。
歩き方がドンくさい鳥類に最大限の優しさを見せる割に、どうしてなのか一切触ろうとはしない。それどころか手も伸ばさない。
「……なんとなく気になってるんですけど、なんでガーくんに触らないんですか?」
「触っていいのか」
「いいですよ。ていうか触ってあげてよ。どう見ても撫でられ待ちですからそれ」
「初対面で馴れ馴れしくして嫌われねえか不安で」
「あなた俺と初めて会った時のこと覚えてる?」
馴れ馴れしいどころの騒ぎじゃなかった。俺には迷惑なまでにグイグイ押してくるはずの男が、ガーくんには紳士的。なんか複雑。
「見た目より羽毛柔らかいんで触ってみてください」
「嫌われねえか」
「嫌われません。あなたが敷地に入った瞬間に飛び蹴り食らわせに来なかった時点でガーくんに敵意がないのは確定してます」
そこまで言ってようやく瀬名さんは慎重にしゃがみこんだ。ゆっくり手を伸ばすその動作。猫の鼻に嗅がせるみたいな仕草でガーくんの顔に指先を近づけ、拒否を示さないのを見てから手のひらをくちばしの下に差し出した。
残念だがそんな事をしてもアヒルはお手的なことはできない。犬猫のように匂いをクンクン確かめるような感じでもない。
俺はそう確信していたが、なぜか今日はそうじゃなかった。ちょこんと頭を下げたガーくん。瀬名さんの大きな手のひらに、トンッとくちばしを押し当てた。
「…………」
「…………」
固まる瀬名さん。それ以上にピシッとなる俺。
え。何それ。待って。何それ。嘘だろガーくんそんな事すんのか。長いこと一緒にいたけどそんなの初めて見たぞ何それ今の何。
言葉も出ない。ちょっと。これはちょっと。かなり、ショックだ。もちろんおやつを持っているわけでもない。初めて会った人間に、なんだそれ。
「……ガーくんは本当に賢い」
「お手らしき動作を目にして俺は今倒れそうです……」
芸を仕込んだ覚えはない。大昔に試してみたこともあったがガーくんがそっぽを向くから、嫌われたくなくてそういうのはやめた。なのに。それなのにやりやがったこの男。俺だってされたことないのに。
なんてことだ。まさかこんな。俺の親とばあちゃんをたぶらかした男は、アヒルも簡単に手懐けた。
そこからは瀬名さんも普通に撫でるし、ガーくんも撫でられたところで全然嫌がらない。嫉妬心も芽生える一方、これならガーくんハウスに立ち入ったとしても威嚇されないだろうと思い至って、試しに案内してみた上等なおうち。
自分の家に瀬名さんが入っても思った通りガーくんは落ち着いていた。
「これが寝床になるんだな」
「ええ。ガーくんお気に入りの干し草です」
ベッドの用意を手伝ってもらう。俺たちの足元からガーくんが見上げてくる。
沸点低めのガーくんが上機嫌になるポイントはいくつかあるが、干し草の入れ替えもその一つ。細かい調整はガーくんが自分のくちばしで引っこ抜いたりなんだりしている。好みがうるさいお嬢様が優雅に眺めてくる中で、二人でせっせと寝床を整え、それから本人にも確認してもらう。
モサモサと干し草を踏みしめるガーくん。グワグワと満足げに鳴いて見せた。オッケーって意味だ。知らないけど俺はそう思ってる。チェックの厳しいアヒルのお許しを得てから、広いお部屋を後にする。
寝る時間にはまだまだ早いのでガーくんも一緒に出てきた。相変わらず後ろをフリフリくっ付いてくるのを振り返り、瀬名さんがしゃがみこんだので俺も隣でそうする。
「ガーくんの部屋が想像以上に上等だった」
「言ったでしょ。じいちゃんの力作です」
「人間の家の中にいるのは嫌な子なんだろ?」
「嫌っていうか、雪降った日とか家に入れると外ばっか恋しそうに見るんですよ」
育つにつれて生活の場が定まっていった。ヒヨコ時代を卒業するとガーくんはお外を選んだ。俺も実家を出るときガーくんを連れていきたいくらいだったが、たとえペット可の賃貸だとしても狭い部屋に閉じ込めるのは可哀想だ。
庭のある家で本当に良かった。ガーくんはお外が大好き。
俺たちの目の前までグワグワやって来たガーくんの頭を、指先でちょんちょんと撫でた。
「でもこっちとしても正直なとこ助かってはいるんですよね。完全に人間側の都合ですが」
「うん?」
「ガーくんおトイレがちょっとフリーダムなので」
ペタペタと数歩分動いたガーくん。絶妙なタイミングでちょうどプリッと、茶色い土の上に変化が。ガーくんの落し物がそこに。
「ね?」
「なるほど」
フリフリッと尾羽を揺さぶる。ガーくんは今日も元気だ。
***
夕飯にはまだいくらか早いので、散歩でもしてくることにした。
正面の出入り口とは違う方。こっち側から出ればすぐ田畑が広がる。今の時期はちょうど稲刈りでご近所中がもう大忙しだが、この時間帯なら田んぼからは撤収している。人と会うことはそうないだろう。
生垣と生垣の間には大人一人分が余裕で通れるくらいの出入口ができている。この生け垣もじいちゃん作だ。俺が生まれた時にはとっくにあったが。
昔はぐるりと一周偉そうな門を構えていたらしく、じいちゃんがそれを嫌って見晴らしのいい前庭に作り替えたそうだ。大昔の写真なら俺も見たことがあるけど、確かにあの壁は偉そうだった。
俺も今の方がいい。秘密基地みたいな幅のそこを一列にゾロゾロ通り、右に曲がりがてら振り返った。瀬名さんのあとからガーくんもペタペタとついてくる。
「ガーくん外出ていいのか」
「大丈夫ですよ。家族の誰かが一緒なら。アスファルトは足に負担かかっちゃうからあんま遠くへは行けませんけど」
舗装された道は所詮人間用。ガーくんにはやわらかい庭土がいい。それでも俺が呼べば来てくれるから、みんなでささやかな散歩に出発だ。
ガーくんを間に挟んで目的もなくゆったりと進む。オレンジの深くて濃い色が、辺り一面を覆いつくしていた。ガーくんの羽毛も今は黄金だ。
すぐにでももう日が落ちる。昨日まで、いや、今日だって。この人とこんな田んぼ道を、のどかに歩いていられるとはまるで思っていなかった。
「……なあ」
「はい?」
瀬名さんが静かに足を止めた。半歩遅れて俺も止まる。ガーくんもペタッとそこで足踏み。
「猫らしき誰かがいる」
目をやる。前方五メートル先くらい。どこからともなくトコトコ出てきた少々小柄なキジトラ猫が、道にペタンと寝転がると背中をウネウネくねらせ始めた。
背中がかゆいのか。単にアスファルトの質感が気持ちいいのか。何がしたいのか分からないけど遠目でも間違いなく可愛い。
「道変えた方がいいんじゃねえのか」
かわいい猫とかわいいガーくんを交互に見ながら瀬名さんは言う。その提案はガーくんが襲われる心配だろうか。それとも猫の身を案じているのか。
くねくねと背中を地面にしつこく擦らせているそいつは、俺たちを警戒する素振りを見せない。というか見向きもしない。自分の背中に夢中のようだ。
「あいつたぶん顔見知りの猫です。おっとりしてますし平気ですよ。俺らがいる前でわざわざアヒルに襲い掛かってこないんで」
「こっちが襲われんのはもちろん困るが、ガーくんあの猫よりだいぶデカいだろ」
どうやら猫の方の心配だった。
一般的にはアヒルの方が圧倒的にか弱い存在であるが、瀬名さんはガーくんの武勇伝をすでにいくつも聞き知っている。ウチに入ってきた野良猫を追い立て、獰猛に蹴散らしたエピソードも知っている。
「アヒルにも猫にも怪我してほしくない」
「ガーくんも家の外では人様に因縁はつけません。縄張り意識が普通よりもちょっと過剰気味なだけなので」
「ガーくん本当にアヒルでいいんだよな」
アヒルだ。なので少し距離は取る。一応相手は野生の猫だから、注意を引かないようやや大回りに歩いた。
俺にはガーくんを怪我病気その他から遠ざけて守り通す義務がある。ガーくんも賢い鳥だから、俺の足元にピッタリくっついて進んだ。
どこまでいってものド田舎の風景が続く。上の暗くなった橙の空に、稲刈りの跡が分かる田んぼに。真っ直ぐの、でも少しガタつく舗装済みの農道に。
途中ですれ違ったのは一羽のカラスだ。なぜか飛ばずにピョンピョンと徒歩移動するおかしなそいつ。あっちで背中の痒い猫とはち会ったとしても喧嘩せずに通り過ぎるだろう。
ただでさえのどかなのに、日中の生き物が姿を隠し始める頃合いだからシンとしている。風はいくらか冷たくなったか。どこかに帰る数羽の小鳥が、慌てた様子で頭の上を横切っていく。
「ガーくん疲れた?」
「ぐわっ」
上から呼びかけると返事をくれた。疲れたと答えたのか、まだまだ余裕だぜとでも言ったのか。分かんないけど元気そう。
「ガーくんの足が疲れないうちに戻りましょうか」
「そうだな」
「夕飯もいい感じにできる頃です。お客様はめっちゃ食わされますよ」
「覚悟しとく」
その覚悟はおそらく足りてない。ド田舎のおもてなしをナメてかかると痛い目にあう。
適当な所で角を曲がり、来た時とは道を一本ずらした。ぐるりと進行方向を変えたら、まだ真っすぐ行くと思って数歩進んでしまったガーくんが慌てたように駆け戻ってきた。
ドテッと寄ってくる。置いてかないから大丈夫だ。瀬名さんと顔を見合わせ、二人分の笑い声が澄んだ空気にやわらかく溶けた。
平和に過ぎるこの時間。それと同じくらいゆっくりした調子で帰り道を進んでいると、夕方特有の穏やかな、けれどもどこか、心なしか焦るような雰囲気に紛れ、横の道からサッと飛び出してくる。
急ぎ足な可愛い茶白の猫が、俺たちには目もくれずにトコトコトコッと駆けていった。
「かわいい」
「ケツがモフい」
「あんなに慌ててどこ行くんだろ」
「ディナーのお呼ばれに遅れそうなんじゃねえのか」
「瀬名さん時々メルヘンっすね」
「ロマンチックな大人の男に惚れとけ」
「ロマンチックな大人の男はケツがモフいとか言いません」
ガーくんの真っ直ぐなオッポもフリフリで可愛いので、ケツにばかり興味が湧く男の目からは俺がガードしなければ。
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