貢がせて、ハニー!

わこ

文字の大きさ
18 / 303

18. 好きな人Ⅲ

しおりを挟む
 ほとんど強引に連れ込んだようなものだった。俺があそこで食い下がらなければ瀬名さんはウチに来なかっただろう。帰って来てからせっせと作った夕食も無駄になる所だった。
 じっくり煮込んだ甲斐あって、バターと牛乳がしっかり馴染んだとろとろのシチューはいい出来だった。瀬名さんだってそう言った。美味いって、この人が。

 一昨日の夜に瀬名さんの部屋でグラタンをオーブンに入れたのは、そういうリクエストを受けたから。オムライスだとかグラタンだとか、瀬名さんは時々かわい子ぶってくる。
 それでグラタンを作っている最中に、クリームシチューも好きだなんて。またもやかわい子ぶった夕食のリクエストを受けてしまったから、今夜は早くもそれに応えた。

 瀬名さんのためだった。瀬名さんが好きだ言ったからじっくり白いシチューを煮込んだ。そうしていつも通りに夕食に招くはずだったのに、想定外の事態が起きた。
 一人暮らしの男の部屋に女の子を招き入れるか、瀬名さんが帰ってくる前に玄関の前で話を終えるか。それはもはや賭けだった。その賭けに俺は負けた。廊下でのあの出来事は、結局何も聞かれなかった。
 またもや見なかった事にされている。瀬名さんは俺の作ったシチューを残さずに食ってくれた。でもそのあとはいつもより、あっけないほど短かった。寝室のローテーブルの前で早々に腰を上げたこの人。

「じゃあな」
「……はい」

 怒っているのかと聞くのも変だし、聞かれてもいない事に言い訳なんてできないし。昨日までとなんら変わりないように見せかけて、瀬名さんがどことなくよそよそしい態度だったことには気づいた。
 いつものように玄関先で見送ったのは瀬名さんの後ろ姿。モヤモヤしたものはどうしても消えない。これを消せるのはあの人だけだ。

 大学の課題を黙々とこなして、汚れている訳でもないキッチンのシンクをゴシゴシ磨いて、どうにか時間をやり過ごしてから風呂に入ってゆっくり出てきた。それでも心の奥はサッパリせずに、残ったわだかまりを抱え込みながら答えの出ない中をさ迷っている。
 ベッドに腰掛け、斜め後ろを振り返った。目に入ったのはファンシーなクマ。そいつの頭をポンポンと撫でた。

 他に置く場所がないから仕方なく。あの人には以前にそう言った。だけど俺にはこのクマを、他の場所に移す事ができない。
 寝起きするたびに可愛いクマと目が合う。目が合った後はなんとなく頭を撫でる。ほとんど習慣みたいなものだ。習慣を覆すのは難しい。
 一緒に晩メシを食って、どうでもいいような話をする。そんなあの人との習慣を、今さら手放すことだってできない。

 水面下の気まずい状況が今後も続くのは嫌だった。すでに日付を跨いでいる。いるかどうかも分からないベランダに出て、手摺に近づいたところでふわりと感じたのは煙草のにおい。
 いた。そう思って、間仕切りを見る。その向こうには瀬名さんがいる。俺がここに出てきた事にはこの人も気付いたようだ。けむたい白煙はすでに空気から消えていた。

「眠れないのか」

 声をかけてもらえた。そんな些細なことにホッとしている。
 隣を見ても瀬名さんの姿は見えない。こんな仕切りがあるせいだ。こんな物があるせいで、瀬名さんと隔たりができている。

「……眠れません」
「それならヒツジでも数えてみろ」
「ずいぶん古典的ですね」
「俺はあれで眠れたためしがない」

 それを人に勧めてくんなよ。そう言いたいけど言い返せなかった。
 普段の瀬名さんだったら多分、それなら俺が添い寝でもしてやるって。そんなふざけた冗談を意気揚々と投げつけてきただろう。
 いつも通りだけどいつもとは違う。よそよそしい、とまでは言えないかもしれない。でもどことなく違和感がある。

 問われなければ答えられない。聞いてくれなきゃ言い訳できない。さっき来ていた女は誰だ。たったそれだけでいい。たったの一言で構わないのに。
 それでも聞かない事が大人にとってのマナーならば、瀬名さんが大人であることを理不尽にも腹立たしく思う。こちらから切り出しでもしない限り、この大人は聞こうとしない。
 当然のような顔をしながらお互いの寝室にまで踏み込むようになってしまった。そうなる根本的な原因を作ってきたのは瀬名さんだった。なのに今は俺が必要とする原因を与えてくれない。どんなに待っても、おそらくずっと。この人は何も言わない。

「さっきの子……」

 だから俺が切り出した。少しの間を置き、瀬名さんも応えた。

「……ああ」
「あの子は別に、客じゃないです」

 ここでこのまま引き下がったら俺の中に住みついたモヤモヤはいつまで経っても消えなくなる。だったら自分からいくしかない。原因をくれないこの人に、聞かれてもいない質問の答えをこっちから伝えないとならない。

「あの子とはなんでもありません」

 弁明する必要のない事にかっこ悪い言い訳をしている。
 滑稽だった。何かを責められた訳じゃないのに。そもそも興味すら持たれていない。言い訳してみればしてみたで、虚しさだけが募っていく。

「……なんでもないんです」
「そうか」
「…………」

 冷たくも取れるそのひと言が、妙にぐっさり深くに刺さった。
 玄関前で女の子に抱きつかれた。その現場を見られた。それをなんでもないと説明したら、この人はただ、そうかと。
 そうか。そうかって。それだけで済ませられるような事だったか。そんなに適当な返事一つ。それだけで本当にいいのか。
 そんなはずはない。いいはずがない。違うだろ。あんたにとってはそれだけの事じゃない。それだけの事にされるのは嫌だ。

「……気にならないんですか」

 仕切り越しに呟いた。瀬名さんは黙ったままだ。

「俺がこんなこと言うのも、おかしいんですけど」

 目を逸らされたのがショックだった。関係がないとでも言うように、俺の前を通り過ぎた。
 あれは誰だと聞いてほしくて、だけどこの人は俺を責めない。何も言わずに一線を引かれ、俺はガキっぽくもがいている。

「言い訳するきっかけくらい、くれたっていいじゃないですか」

 夜の空気に自分の声がただただ虚しく散っていく。恥ずかしくなるほど惨めだった。おかしな事を口走り、残ったのは後悔一つ。
 隣同士のベランダに重苦しく落ちた沈黙。いくら待っても瀬名さんからの反応はなかった。これ以上待ってみて、それでも何も言われなかったら、俺は今度こそ恥も何もないような事をこの人に言ってしまう。

「ごめんなさい……。戻ります」

 そうなる前に手摺りから手を離した。明日の夜も瀬名さんは俺の部屋にいるだろうか。もう来ない確率が半分。全てなかった事にされる確率が残りの半分。
 俺達の関係がぺらぺらに薄いことは分かっているから、窓を開ける腕は重かった。ところがカラカラと音が鳴った直後、隣から少し強めに響いた。

「悪かった」

 足が止まる。振り返ったのは瀬名さんがいる方。声からは躊躇いが消えている。

「すまん。大人げなかった」
「……え?」
「いい年してみっともねえな」

 隣の存在を凝視した。そこには邪魔な仕切りがある。

「そっち行ってもいいか」

 瞬きを一度。そっちは、こっちだ。俺の部屋。

「顔を見て話したい」
「……どうぞ」
「すぐ行く」

 その直後には隣のベランダから窓の開閉音が聞こえてきた。すぐに行くって。瀬名さんがこっちに来る。鬱陶しい壁がなくなる。
 俺も慌てて部屋に戻った。
しおりを挟む
感想 50

あなたにおすすめの小説

捨てられた生贄オメガ、魔王城で極上の『巣作り』始めます!~不眠症の魔王様、私のクッションで爆睡して溺愛モードに突入~

水凪しおん
BL
「役立たずのオメガ」として冷遇され、血も涙もない魔王への生贄として捨てられたリノ。 死を覚悟して連れてこられた魔王城は、寒くて硬くて、居住性最悪のブラック環境だった!? 「こんなところで寝られるか!」 極限状態で発動したオメガ特有の『巣作り本能』と、神業レベルの裁縫スキルが火を噴く! ゴミ同然の布切れをフカフカのクッションに、冷たい石床を極上のラグマットにリフォーム。 すると、不眠症で常にイライラしていた魔王ザルドリスが、リノの作った「巣」のあまりの快適さに陥落してしまい……? 「……貴様、私を堕落させる気か」 (※いいえ、ただ快適に寝たいだけです) 殺されるどころか、魔王様に気に入られ、気付けば城中がリノの虜に。 捨てられた生贄オメガが、裁縫一つで魔王城を「世界一のマイホーム」に変える、ほのぼの逆転溺愛ファンタジー!

最強βの俺が偽装Ωになったら、フェロモン無効なのに狂犬王子に求愛されました~前世武道家なので物理で分からせます~

水凪しおん
BL
前世は日本の武道家、今世は平民β(ベータ)のルッツ。 「Ωだって強い」ことを証明するため、性別を偽り「Ω」として騎士団へ入団した彼は、その卓越した身体能力と前世の武術で周囲を圧倒する。 しかし、その強さと堂々とした態度が仇となり、最強のα(アルファ)である第一王子・イグニスの目に止まってしまった! 「お前こそ俺の運命の番だ」 βだからフェロモンなんて効かないのに、なぜかイグニスの熱烈な求愛(物理)攻撃を受ける日々に突入!? 勘違いから始まる、武闘派β×最強王子のドタバタ王宮BLファンタジー!

届かない「ただいま」

AzureHaru
BL
いつも通りの変わらない日常のはずだった。 「行ってきます。」と言って出て行った貴方。1日が終わる頃に「ただいま。」と「おかえり。」を笑顔で交わすはずだった。でも、その言葉はもう貴方には届かない。 これは「優しさが奪った日常」の物語。

一軍男子と兄弟になりました

しょうがやき
BL
親の再婚で一軍男子と兄弟になった、平凡男子の話。

【8話完結】帰ってきた勇者様が褒美に私を所望している件について。

キノア9g
BL
異世界召喚されたのは、 ブラック企業で心身ボロボロになった陰キャ勇者。 国王が用意した褒美は、金、地位、そして姫との結婚―― だが、彼が望んだのは「何の能力もない第三王子」だった。 顔だけ王子と蔑まれ、周囲から期待されなかったリュシアン。 過労で倒れた勇者に、ただ優しく手を伸ばしただけの彼は、 気づかぬうちに勇者の心を奪っていた。 「それでも俺は、あなたがいいんです」 だけど――勇者は彼を「姫」だと誤解していた。 切なさとすれ違い、 それでも惹かれ合う二人の、 優しくて不器用な恋の物語。 全8話。

契約満了につき

makase
BL
仮初めの恋人として契約を結んだ二人の、最後の夜。

幻獣保護センター廃棄処理係の私、ボロ雑巾のような「ゴミ幻獣」をこっそり洗ってモフっていたら、実は世界を喰らう「終焉の獣」だった件について

いぬがみとうま🐾
ファンタジー
「魔力なしの穀潰し」――そう蔑まれ、幻獣保護センターの地下で廃棄幻獣の掃除に明け暮れる少女・ミヤコ。 実のところ、その施設は「価値のない命」を無慈悲に殺処分する地獄だった。 ある日、ミヤコの前に運ばれてきたのは、泥と油にまみれた「ボロ雑巾」のような正体不明の幻獣。 誰の目にもゴミとしか映らないその塊を、ミヤコは放っておけなかった。 「こんなに汚れたままなんて、かわいそう」 彼女が生活魔法を込めたブラシで丹念に汚れを落とした瞬間、世界を縛る最凶の封印が汚れと一緒に「流されてしまう。 現れたのは、月光を纏ったような美しい銀狼。 それは世界を喰らうと恐れられる伝説の災厄級幻獣『フェンリル・ヴォイド』だった……。

日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが

五右衛門
BL
 月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。  しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──

処理中です...