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302.ヒエラルキー
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「ウチの大恩人様が本家にお越しだっていうからばあさん連れてすっ飛んできたんだよ。お前らなんだって連絡寄越さねえんだ。俺は隣のりっちゃんとこの倅から聞いたんだぞ」
玄関を開けるなりそこには大叔父の姿があった。
灰色の短髪で、大きく荒っぽいこの口調。昔からずっと変わらない。左目の横から頬にかけての痛々しい傷跡は、六年も前に作った。
母さんとともに三人で足を踏み入れながら、大叔父のそばに控える父さんと目が合った。うちのばあちゃんと依田のばあちゃんは向こうで食事を並べているのだろう。珍しく自ら玄関まで出迎えてきた大叔父は、瀬名さんに遠慮なく視線と言葉を向けていく。
「お客人てのはアンタかい」
「はい。瀬名と申します。ご挨拶もないままお邪魔しており大変失礼いたしました」
「いやあ何、俺は分家の人間だ。ここの当主はこちらの婿殿だからな」
粗暴な動作で横からパンッと、大叔父の手が父さんの背を叩いた。
「まあ立ち話もなんだ。なあ、孝志」
「ええ。……遥希。恭吾くん。手を洗ったら居間においで。ひとまず皆で食事にしよう」
それは父さんが俺達にくれた、少しばかりの猶予だった。
作戦を練るほどの余裕はない。大叔父との関係を掻い摘んで話せる程度だ。二人きりになれた僅かな時間の中で、古い蛇口の音を聞く。
「まさか来るとは……」
「ちょうどいい機会かもしれない」
「……すみません。巻き込んで」
「それは違う」
キュッと、瀬名さんが水を丁寧に止めた。
「これは俺たちの問題だ」
「……うん」
話し合おう。お互いに分かり合おう。そんな事を思うだけ無駄。
期待しても意味がないから、何を言われても口では必ず肯定を述べる。反論はしない。俺達はそうやって今までやり過ごしてきた。それが最善だと知っていた。
ひとまずは食事を。父さんの簡潔な意見に俺達も合わせた。
瀬名さんの好印象は大叔父にさえも通用したようだ。酒を勧められ、帰りに運転があるからと言って丁重に辞退しても一切の反感を買わなかった。
瀬名さんを気に入ったのは明らか。これじゃまるで昨日と同じ。しかし昨日と違うのは、相手が大叔父だということ。
依田のばあちゃんの横で気分よさげに食事をすすめる。自分も運転があるから酒は飲まず、不幸中の幸いはそれくらいだろう。酔っていればさらに手が付けられなくなる。酔っていなくても激怒するのは目に見えている。そうなる告白をする。
瀬名さんと隣同士目配せし、それが合図になった。俺達を見て、父さんも母さんもばあちゃんもきっと察した。
「ところでもう一つ、お伝えしておきたい事があります」
「おぉ、なんだい大恩人さんよ。遠慮せずに言ってみろ」
気前よく笑っていたのはここまで。そこから先は完全に、昨日と同じ空気に変わった。大叔父の隣で物静かに笑っていた依田のばあちゃんも、滅多にないような、驚いた顔をした。
普段の大叔父なら面白くない話を聞くなり声を荒らげ責め立ててくる。即座に反発してこない今は、呆気にとられたような、言葉も出ない様子だった。
「あ……?」
テーブル越しに俺達を交互に見比べ、意味が分からない。そうとでも言うように。
「今、なんつった……俺の聞き間違いか?」
思っていた反応ではなかった。前置きも何もなくとにかく激怒されるはずだと伝えておいた瀬名さんは、冷静なまま大叔父と目を合わせている。
「いいえ。間違いではありません。遥希さんとは恋人として、お付き合いしております」
「瀬名さんと一緒に帰って来たのは……これを家族に報告したかったからです」
唖然としつつも、俺の一言で大叔父は瞬時に気づいた。下から唸るような、低い口調を向けたのは俺達ではない。父さんだ。
「てことは何か……知ってたのか……知ってたのか、お前らは。あっ?」
「昨日知りました」
「知っててこれかっ? 知っててこんな、全員でメシなんざ囲ってんのかッ!!」
「はい」
「馬鹿言ってんじゃねぇお前はこの家の婿だろうが! お前の倅は本家の長男なんだぞ!?」
「私達は二人の意思を尊重すると決めました」
「テメエ、この……ッ」
バンッと、テーブルが酷く打ち鳴らされた。掴みかかる勢いでいきり立ち、腰を浮かせるも、長くは続かない。怒りを露にさせた表情は急激にしおれて縮んでいった。
大叔父が次の怒鳴り声を上げなかったから、室内には沈黙が落ちた。徐々に俯き、文字通り頭を抱える。両手でぐしゃりと自分の頭を押さえつける大叔父の姿に、俺達もまた誰一人として何も言えない。
「なんでこうなった……なんだってまた……」
独り言のようにテーブルに向けてポツポツと零される。いつもの大叔父とは全く違う。信じられないほど弱々しい。
「変な野郎につけ狙われたかと思ったら、今度は……」
吐き出されたそれこそが、大叔父の心境の全て。男が男と恋仲になる。意味が分からないのだろう。
この大叔父は俺が同性からストーカー被害を受けた事さえ、口にも出したくないほど忌々しく思っていたはずだ。俺と瀬名さんの関係もそれと大した差などなく、どちらも頭のおかしい出来事なのだろう。
怒り狂うのも忘れるくらい、大叔父は意気消沈している。声のデカい、粗暴なじいさん。そんな印象ばかりが昔から強かったのに、顔つきも声も口調もみるみるうちにか弱くなっていった。
「…………俺のせいか」
そしてポツリと、呟き落とされた。聞き間違いかと、今度は俺が思った。
「……え?」
「俺のせいだな……」
顔を上げ、俺を見たその目は虚ろだ。こんな大叔父を一度でも見た事があったか。覇気がなく、空っぽで、今にも泣き出しそうに。普段ならお構いなしの大声が、細く小さく、微かに震えている。
「俺がお前から、兄貴を奪っちまったばっかりに……」
どうして今、その話を。
「そんな……何を……」
「兄貴なら……孫を立派に育てたはずだ。兄貴が生きてりゃ……こんなことには……お前をもっと、まともな男に……」
すっと、息を吸い込んだ。その次には身構えていた肩が少しずつ落ちていく。理解とか、そういう次元じゃない。男と付き合っている男のガキなんて、この人の目から見ればまともであるはずがなかった。
激昂される覚悟を決めていたから余計に、力が抜けていくのも早かった。大叔父の目に俺の姿は異質な化け物として映っているのだろう。まともじゃない、おかしな生き物だ。
「兄貴さえ生きてりゃ……」
「…………」
「兄貴は……」
大叔父が唯一、従う人物だった。大叔父の兄ちゃん。俺のじいちゃんだ。大叔父にとってじいちゃんは理想であって、だから俺にも求めた。じいちゃんみたいになるように。だから大叔父は俺が気に食わない。俺がじいちゃんに、似ていないから。
そのじいちゃんの話を急に出した。じいちゃんが死んでから大叔父は、じいちゃんの話をしなくなった。じいちゃんは。
「……俺が殺した」
またポツリと、俺を見て言った。家族はみんな黙ってた。誰も触れなかった事を大叔父が言った。この場では瀬名さんだけが、なんの話だか分からない。その話だけは俺もしなかった。
「俺のせいで……」
「……違うよ。あれは事故です。叔父さんのせいじゃない」
「兄貴はあの時俺を止めたんだよ。まだ母親が近くにいるはずだ……応援が来るまで待機しろって」
「だからそれは……」
「俺は聞かなかった。大丈夫だと言ったんだ。ちんたら待ってたらそれこそ母親が来ちまう。そんな事より早いとこチビを脅かしてやらなきゃならねえと思って」
「…………」
「その俺を、兄貴が庇った」
覚えてる。凄惨な光景だった。目に焼き付いてる。でもあれは、誰のせいでもない。
「兄貴を殺したのは俺だ。俺があの時、言う通りに従ってりゃ……」
再び俯いていった大叔父は、肘をついて完全に項垂れる。深い傷跡ごと顔面を両手で覆った。
「生き残っちまった俺にできる事なんざ、ここを守る事くらいだった。お前がこの家を継いだ時、誰にも文句は言わせねえように……」
蚊の鳴くような声でもこの耳は拾い上げている。それはこれまで戻ってくるのが当然の務めであるかのような、無言の圧力でしかなかった。その中にある大叔父の真意は、今知った。聞いたことがなかった。
「それがこのザマだ……俺がしくじったから……本家の長男が、こんな……」
「…………」
自分で自分を責める大叔父を見た事なんて一度もない。きっと俺だけじゃない。父さんも母さんも同じだろう。大叔父にとって俺達のこの関係は、自分を責めなければならないような酷い有様だった。
またしても俺の考えは甘かった。怒鳴られなかった。怒鳴る事すらできないくらい、大叔父から見て、俺は。俺達は。
「いい加減にしな、みっともない」
重苦しくシンとしていた部屋の空気を、バッサリ破くようにその声がそこで響いた。
一瞬だけ何が起きたか分からない。ウチのばあちゃんじゃなかった。もちろん母さんでもない。大叔父に向けて真っ直ぐ投げつけられた声の主は、依田のばあちゃん。全員の注目がそこに集まっている。
「本家だなんだと今どき騒いでんのはアンタくらいのもんだよこの化石ジジイ。つまらない石頭もちょっとはマシになってきたかと思ってりゃ全く」
大叔父の隣できちんと正座したまま、小さい背中をピンと伸ばしてツラツラと物申す。
耳を疑った。目も疑った。依田のばあちゃんが自分から目立つのも、こんなにはっきり主張するのも。そのうえ言葉を投げつける相手は、誰だろうと歯向かうのを決して認めない大叔父だ。そんな自分の亭主に真っ向から言ってのける。
「老いぼれて霞んだ目ぇ見開いてこの子達をよぉく見てみな。これのどこが立派じゃないのさ。お粗末なのはアンタだよ」
すごい言う。大人しいはずの妻から言いたいだけ言われる大叔父もなぜか言い返そうとはしない。ただ少し、気まずそうに顔を向けただけ。
周りが呆気にとられていようと気にも留めず、依田のばあちゃんは俺達に向き直り、そしていくらか頭を下げた。
「ごめんなさいねえ。キョウゴさん、とお呼びしていいかい?」
「はい……」
「私達にとってハルちゃんが大事なのは本当ですよ。だけどそれは本家の長男だからじゃない。この子だからだ」
俺を示してそう言うと、優しげに笑って見せる。その顔はよく知っている。依田のばあちゃんには昔から優しくしてもらってきた。
「あなたが今こちらにいらっしゃるのが、生半可なもんじゃない証拠なんでしょう?」
「はい。そのために伺いました」
問われ、瀬名さんは迷わず答える。昨日と同じように一つの躊躇もない。
俺と一緒に瀬名さんが今ここにいる。それが指し示す意味を依田のばあちゃんは言葉に表し、次の瞬間にはまたしてもジッと大叔父を睨みつけていた。
「聞いたかいジジイ。キヨちゃんがいなくなった途端に毎日情けなくメソメソメソメソ。鬱陶しくて堪ったもんじゃないよ。それを若者にまで押し付けるんじゃない」
物怖じせずピシャリと言い放つ。堂々たる振る舞いは、亭主の一歩後ろを黙って付いていくいつものばあちゃんとはサッパリかけ離れていた。
「クソジジイがクソなこと言うのはそろそろおよしな」
「お前……」
「分かんないのかい。この子達を見て、アンタが言うのはそんな事かい」
自分の意見と違う事をほざく奴は許さない。大叔父はそういう人だ。怒鳴りつけて従わせてきた。
そのはずだったが、妻からこれだけ言いたい放題言われようともいつものように激昂する素振りは見せない。怒るどころか飼い主に叱られた犬みたいな顔をして、居心地悪そうに目だけをチラチラ向けていた。
「だがよぉ……俺らの時代には……」
「自分達がしてきた苦労を次の子達にもさせなきゃ気が済まないのかこの老いぼれは。きちんと筋を通してるこの子達のどこに文句があるって言うんだ」
誰の反論だろうと必ず黙らせる大叔父が、妻から猛烈に非難されてぐっと押し黙った。
記憶のどこを振り返ってもこんな依田のばあちゃんを俺は知らない。しかも口が悪い。父さんと母さんの表情を見る限り二人とも俺と同じ心境のはず。二秒ほど盗み見たウチのばあちゃんの顔だけは、いつも通り平然としていた。
「……さて。お茶でも淹れてこようかね」
話に区切りがついただろうとでも言わんばかりにばあちゃんが腰を上げた。悪いわねえ、とのんびり言った依田のばあちゃんの隣では、大叔父が依然として縮こまっている。
そろっと瀬名さんと視線を交わした。この状況はどう捉えるべきか。父さんと母さんとも無言のまま瞬きし合うも、普段の大叔父を知っている俺達の間に広がるのは動揺だけだ。
食後のお茶を用意してばあちゃんが戻ってくるまで、さっきまでとは微妙に異なる緊張感に覆われた。
玄関を開けるなりそこには大叔父の姿があった。
灰色の短髪で、大きく荒っぽいこの口調。昔からずっと変わらない。左目の横から頬にかけての痛々しい傷跡は、六年も前に作った。
母さんとともに三人で足を踏み入れながら、大叔父のそばに控える父さんと目が合った。うちのばあちゃんと依田のばあちゃんは向こうで食事を並べているのだろう。珍しく自ら玄関まで出迎えてきた大叔父は、瀬名さんに遠慮なく視線と言葉を向けていく。
「お客人てのはアンタかい」
「はい。瀬名と申します。ご挨拶もないままお邪魔しており大変失礼いたしました」
「いやあ何、俺は分家の人間だ。ここの当主はこちらの婿殿だからな」
粗暴な動作で横からパンッと、大叔父の手が父さんの背を叩いた。
「まあ立ち話もなんだ。なあ、孝志」
「ええ。……遥希。恭吾くん。手を洗ったら居間においで。ひとまず皆で食事にしよう」
それは父さんが俺達にくれた、少しばかりの猶予だった。
作戦を練るほどの余裕はない。大叔父との関係を掻い摘んで話せる程度だ。二人きりになれた僅かな時間の中で、古い蛇口の音を聞く。
「まさか来るとは……」
「ちょうどいい機会かもしれない」
「……すみません。巻き込んで」
「それは違う」
キュッと、瀬名さんが水を丁寧に止めた。
「これは俺たちの問題だ」
「……うん」
話し合おう。お互いに分かり合おう。そんな事を思うだけ無駄。
期待しても意味がないから、何を言われても口では必ず肯定を述べる。反論はしない。俺達はそうやって今までやり過ごしてきた。それが最善だと知っていた。
ひとまずは食事を。父さんの簡潔な意見に俺達も合わせた。
瀬名さんの好印象は大叔父にさえも通用したようだ。酒を勧められ、帰りに運転があるからと言って丁重に辞退しても一切の反感を買わなかった。
瀬名さんを気に入ったのは明らか。これじゃまるで昨日と同じ。しかし昨日と違うのは、相手が大叔父だということ。
依田のばあちゃんの横で気分よさげに食事をすすめる。自分も運転があるから酒は飲まず、不幸中の幸いはそれくらいだろう。酔っていればさらに手が付けられなくなる。酔っていなくても激怒するのは目に見えている。そうなる告白をする。
瀬名さんと隣同士目配せし、それが合図になった。俺達を見て、父さんも母さんもばあちゃんもきっと察した。
「ところでもう一つ、お伝えしておきたい事があります」
「おぉ、なんだい大恩人さんよ。遠慮せずに言ってみろ」
気前よく笑っていたのはここまで。そこから先は完全に、昨日と同じ空気に変わった。大叔父の隣で物静かに笑っていた依田のばあちゃんも、滅多にないような、驚いた顔をした。
普段の大叔父なら面白くない話を聞くなり声を荒らげ責め立ててくる。即座に反発してこない今は、呆気にとられたような、言葉も出ない様子だった。
「あ……?」
テーブル越しに俺達を交互に見比べ、意味が分からない。そうとでも言うように。
「今、なんつった……俺の聞き間違いか?」
思っていた反応ではなかった。前置きも何もなくとにかく激怒されるはずだと伝えておいた瀬名さんは、冷静なまま大叔父と目を合わせている。
「いいえ。間違いではありません。遥希さんとは恋人として、お付き合いしております」
「瀬名さんと一緒に帰って来たのは……これを家族に報告したかったからです」
唖然としつつも、俺の一言で大叔父は瞬時に気づいた。下から唸るような、低い口調を向けたのは俺達ではない。父さんだ。
「てことは何か……知ってたのか……知ってたのか、お前らは。あっ?」
「昨日知りました」
「知っててこれかっ? 知っててこんな、全員でメシなんざ囲ってんのかッ!!」
「はい」
「馬鹿言ってんじゃねぇお前はこの家の婿だろうが! お前の倅は本家の長男なんだぞ!?」
「私達は二人の意思を尊重すると決めました」
「テメエ、この……ッ」
バンッと、テーブルが酷く打ち鳴らされた。掴みかかる勢いでいきり立ち、腰を浮かせるも、長くは続かない。怒りを露にさせた表情は急激にしおれて縮んでいった。
大叔父が次の怒鳴り声を上げなかったから、室内には沈黙が落ちた。徐々に俯き、文字通り頭を抱える。両手でぐしゃりと自分の頭を押さえつける大叔父の姿に、俺達もまた誰一人として何も言えない。
「なんでこうなった……なんだってまた……」
独り言のようにテーブルに向けてポツポツと零される。いつもの大叔父とは全く違う。信じられないほど弱々しい。
「変な野郎につけ狙われたかと思ったら、今度は……」
吐き出されたそれこそが、大叔父の心境の全て。男が男と恋仲になる。意味が分からないのだろう。
この大叔父は俺が同性からストーカー被害を受けた事さえ、口にも出したくないほど忌々しく思っていたはずだ。俺と瀬名さんの関係もそれと大した差などなく、どちらも頭のおかしい出来事なのだろう。
怒り狂うのも忘れるくらい、大叔父は意気消沈している。声のデカい、粗暴なじいさん。そんな印象ばかりが昔から強かったのに、顔つきも声も口調もみるみるうちにか弱くなっていった。
「…………俺のせいか」
そしてポツリと、呟き落とされた。聞き間違いかと、今度は俺が思った。
「……え?」
「俺のせいだな……」
顔を上げ、俺を見たその目は虚ろだ。こんな大叔父を一度でも見た事があったか。覇気がなく、空っぽで、今にも泣き出しそうに。普段ならお構いなしの大声が、細く小さく、微かに震えている。
「俺がお前から、兄貴を奪っちまったばっかりに……」
どうして今、その話を。
「そんな……何を……」
「兄貴なら……孫を立派に育てたはずだ。兄貴が生きてりゃ……こんなことには……お前をもっと、まともな男に……」
すっと、息を吸い込んだ。その次には身構えていた肩が少しずつ落ちていく。理解とか、そういう次元じゃない。男と付き合っている男のガキなんて、この人の目から見ればまともであるはずがなかった。
激昂される覚悟を決めていたから余計に、力が抜けていくのも早かった。大叔父の目に俺の姿は異質な化け物として映っているのだろう。まともじゃない、おかしな生き物だ。
「兄貴さえ生きてりゃ……」
「…………」
「兄貴は……」
大叔父が唯一、従う人物だった。大叔父の兄ちゃん。俺のじいちゃんだ。大叔父にとってじいちゃんは理想であって、だから俺にも求めた。じいちゃんみたいになるように。だから大叔父は俺が気に食わない。俺がじいちゃんに、似ていないから。
そのじいちゃんの話を急に出した。じいちゃんが死んでから大叔父は、じいちゃんの話をしなくなった。じいちゃんは。
「……俺が殺した」
またポツリと、俺を見て言った。家族はみんな黙ってた。誰も触れなかった事を大叔父が言った。この場では瀬名さんだけが、なんの話だか分からない。その話だけは俺もしなかった。
「俺のせいで……」
「……違うよ。あれは事故です。叔父さんのせいじゃない」
「兄貴はあの時俺を止めたんだよ。まだ母親が近くにいるはずだ……応援が来るまで待機しろって」
「だからそれは……」
「俺は聞かなかった。大丈夫だと言ったんだ。ちんたら待ってたらそれこそ母親が来ちまう。そんな事より早いとこチビを脅かしてやらなきゃならねえと思って」
「…………」
「その俺を、兄貴が庇った」
覚えてる。凄惨な光景だった。目に焼き付いてる。でもあれは、誰のせいでもない。
「兄貴を殺したのは俺だ。俺があの時、言う通りに従ってりゃ……」
再び俯いていった大叔父は、肘をついて完全に項垂れる。深い傷跡ごと顔面を両手で覆った。
「生き残っちまった俺にできる事なんざ、ここを守る事くらいだった。お前がこの家を継いだ時、誰にも文句は言わせねえように……」
蚊の鳴くような声でもこの耳は拾い上げている。それはこれまで戻ってくるのが当然の務めであるかのような、無言の圧力でしかなかった。その中にある大叔父の真意は、今知った。聞いたことがなかった。
「それがこのザマだ……俺がしくじったから……本家の長男が、こんな……」
「…………」
自分で自分を責める大叔父を見た事なんて一度もない。きっと俺だけじゃない。父さんも母さんも同じだろう。大叔父にとって俺達のこの関係は、自分を責めなければならないような酷い有様だった。
またしても俺の考えは甘かった。怒鳴られなかった。怒鳴る事すらできないくらい、大叔父から見て、俺は。俺達は。
「いい加減にしな、みっともない」
重苦しくシンとしていた部屋の空気を、バッサリ破くようにその声がそこで響いた。
一瞬だけ何が起きたか分からない。ウチのばあちゃんじゃなかった。もちろん母さんでもない。大叔父に向けて真っ直ぐ投げつけられた声の主は、依田のばあちゃん。全員の注目がそこに集まっている。
「本家だなんだと今どき騒いでんのはアンタくらいのもんだよこの化石ジジイ。つまらない石頭もちょっとはマシになってきたかと思ってりゃ全く」
大叔父の隣できちんと正座したまま、小さい背中をピンと伸ばしてツラツラと物申す。
耳を疑った。目も疑った。依田のばあちゃんが自分から目立つのも、こんなにはっきり主張するのも。そのうえ言葉を投げつける相手は、誰だろうと歯向かうのを決して認めない大叔父だ。そんな自分の亭主に真っ向から言ってのける。
「老いぼれて霞んだ目ぇ見開いてこの子達をよぉく見てみな。これのどこが立派じゃないのさ。お粗末なのはアンタだよ」
すごい言う。大人しいはずの妻から言いたいだけ言われる大叔父もなぜか言い返そうとはしない。ただ少し、気まずそうに顔を向けただけ。
周りが呆気にとられていようと気にも留めず、依田のばあちゃんは俺達に向き直り、そしていくらか頭を下げた。
「ごめんなさいねえ。キョウゴさん、とお呼びしていいかい?」
「はい……」
「私達にとってハルちゃんが大事なのは本当ですよ。だけどそれは本家の長男だからじゃない。この子だからだ」
俺を示してそう言うと、優しげに笑って見せる。その顔はよく知っている。依田のばあちゃんには昔から優しくしてもらってきた。
「あなたが今こちらにいらっしゃるのが、生半可なもんじゃない証拠なんでしょう?」
「はい。そのために伺いました」
問われ、瀬名さんは迷わず答える。昨日と同じように一つの躊躇もない。
俺と一緒に瀬名さんが今ここにいる。それが指し示す意味を依田のばあちゃんは言葉に表し、次の瞬間にはまたしてもジッと大叔父を睨みつけていた。
「聞いたかいジジイ。キヨちゃんがいなくなった途端に毎日情けなくメソメソメソメソ。鬱陶しくて堪ったもんじゃないよ。それを若者にまで押し付けるんじゃない」
物怖じせずピシャリと言い放つ。堂々たる振る舞いは、亭主の一歩後ろを黙って付いていくいつものばあちゃんとはサッパリかけ離れていた。
「クソジジイがクソなこと言うのはそろそろおよしな」
「お前……」
「分かんないのかい。この子達を見て、アンタが言うのはそんな事かい」
自分の意見と違う事をほざく奴は許さない。大叔父はそういう人だ。怒鳴りつけて従わせてきた。
そのはずだったが、妻からこれだけ言いたい放題言われようともいつものように激昂する素振りは見せない。怒るどころか飼い主に叱られた犬みたいな顔をして、居心地悪そうに目だけをチラチラ向けていた。
「だがよぉ……俺らの時代には……」
「自分達がしてきた苦労を次の子達にもさせなきゃ気が済まないのかこの老いぼれは。きちんと筋を通してるこの子達のどこに文句があるって言うんだ」
誰の反論だろうと必ず黙らせる大叔父が、妻から猛烈に非難されてぐっと押し黙った。
記憶のどこを振り返ってもこんな依田のばあちゃんを俺は知らない。しかも口が悪い。父さんと母さんの表情を見る限り二人とも俺と同じ心境のはず。二秒ほど盗み見たウチのばあちゃんの顔だけは、いつも通り平然としていた。
「……さて。お茶でも淹れてこようかね」
話に区切りがついただろうとでも言わんばかりにばあちゃんが腰を上げた。悪いわねえ、とのんびり言った依田のばあちゃんの隣では、大叔父が依然として縮こまっている。
そろっと瀬名さんと視線を交わした。この状況はどう捉えるべきか。父さんと母さんとも無言のまま瞬きし合うも、普段の大叔父を知っている俺達の間に広がるのは動揺だけだ。
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