貢がせて、ハニー!

わこ

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105.アヒルパニック

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 真っ昼間からベッドに寝そべっているのは、俺のせいじゃなくて瀬名さんのせいだ。

「ペンギンって見た目よりも足長いらしいですよ」
「マジか」
「折りたたんでるんだって」
「完全に騙されてた」
「露出してる部分少ない方が寒いとこでも生きやすいとかなんとか」
「可愛い顔して苦労してんだな」
「瀬名さんは寒いとこと暑いとこだったらどっちの方が住みたい?」
「どっちも嫌だ。ちょうどいいとこがいい」
「強いて言うなら」
「……暑いとこ?」
「虫多いですよ。バッタの大群とか」
「寒いとこがいい」
「情けねえなもう。アフリカにいる小さな哺乳類たちを少しは見習ったらどうですか」
「たとえば?」
「うーん……ケープハイラックス」
「誰だ」
「ケープハイラックスはどっちかって言うとゾウに近い生き物らしいです」
「ケープハイラックスを知らないからなんとも言えない」
「タヌキとネズミの中間みたいな」
「より一層想像がつかねえ」
「なんか可愛いモフモフです。あとうちのウソ子にもちょっと似てる。サイズ感とか」
「可愛いのは分かった」

 瀬名さんの帰宅時間が日に日に遅くなっている。昨夜は二十二時を少し過ぎたころ。お疲れなのは聞くまでもない。
 朝は早くに出かけて行った。弁当には片手間につまみやすい物を詰め込んだ。
 夕食はいらないと言われていたものの、念のため用意しておいたおかずと少な目の白いご飯。軽食よりはちゃんとしていて夕食にしては控えめなそれらをダイニングに入って目にした瀬名さんは、呆然としていた。なんというか無だった。一方で心なしか泣きそうな様子にも見えた。

 疲れていても疲れたとは言わないし、忙しくても忙しいアピールはしない。瀬名さんはそういう人だが、用意されていた晩ご飯を見て泣きかけるくらいには弱っている。
 一夜明けた土曜日の今日は朝からやたらとくっついてきた。休日出勤にならなければ映画にでも行こうと約束していたが、やっぱりやめようと言ったのは俺。
 今日は家でゆっくりしよう。そう提案したら一拍を置いてバフッと飛びつくように抱擁された。無言で俺に抱きつく瀬名さんは、なんだか本気で泣きそうだった。

 言うまでもなく相当に参ってる。働く大人は大変だ。
 今の時点で繁忙期の入り口くらいだろうか。去年はもっと遅くに帰ってくる日もあった。あの時も酷い顔をしていたが、ずいぶん我慢していたんだろうな。

 こんな状態で引っ付いてくる大人を引きはがせるほど鬼ではないから、結果として朝からずっとくっついている。着替え中もゴハンの時も、少々腰を上げただけの時でも。トイレに行く時までついてこようとするのはさすがに追い払っているが。
 昼飯を軽く済ませ、俺たちは怠惰な道を選んだ。食ってすぐに寝て牛になった奴を人生で見たことがないので、なんの心配もなくベッドに向かい、一緒にごろ寝することかれこれ一時間。

「お前サメ映画好きだろ?」
「好きです。B級含めてだいたい見てる」
「サメよりもココナッツの方が人間を殺してるという説がある」
「マジすか」
「根拠なく誇張されたまま広まった話ではあるらしいが」
「でも確かに打撃力は高そう」
「ココナッツを一家に一個置いておけば多少の防犯になるかもしれない」
「ケンカになったとき俺が瀬名さんに勝てる見込みも上がりますね」
「そこまで俺にイラついてたのか?」
「右足の小指に直撃するようにうっかり手を滑らせます」
「そこまでイラついてたんだな」

 役に立たない雑学大会だ。
 今のところ南極の鳥類ともサバンナの哺乳類ともお知り合いになれる予定はない。ココナッツが本当にサメ以上の殺戮ハンターだったとしても、少なくともこの国にいる限りにおいてココナッツが頭めがけて飛んでくる可能性は非常に低いと言えるはず。

 あっても無くてもいいような知識を披露しあうこと一時間。そこで唐突に邪魔が入った。しょうもないお喋りの最中に低く、ブーッブーッと耳障りに鳴る。
 瀬名さんは気にも留めないが俺はローテーブルの方に顔を向けた。小刻みに二度揺れ動いたその音。そこにあるのは俺のスマホだ。その時もう一度ブーッブーッと鳴った。
 寝転がった体勢からベッドの上でむくりと起き上がる。瀬名さんの体をよっこいせと乗り越え床に足を下ろしたら、後ろから不満そうに投げつけられた。

「……なんでお前はいつもいつも俺じゃない方を優先するんだ」
「鳴ったから」
「無粋な精密機器なんかよりも目の前の恋人のが大事だろ」

 鳴ったから。

「百歩譲って電話ならまだ分かる。今の違うだろ。メッセージかなんかだろ。後で見りゃそれでいいじゃねえか」
「はいはい。すみません。一瞬だけ」
「……遥希が遠い」
「大して距離ないですよ」

 一歩半もあれば辿り着く。

 健康な若い男なのでゴロゴロするのも少々飽きてきていたから立ったままスマホを拾い上げ、母さんからのメッセージだと確認。
 見て。それだけ一言。その下には一緒に動画もついていた。
 恨めしそうな視線を背中に感じつつ、ガーくんの頭部らしきものが映っているそれの再生マークをタップした。

「…………」

 中身はやはりガーくんだった。音量を小さくしてはいるものの、グワグワ騒いでいるのは分かる。短い動画は三十秒ほど。物凄く羽をバサバサさせていた。
 目に飛び込んできたその状況。衝撃だった。なんだ。なんだこれ。再生が終わったちょうどその時、もう一つピコンと届いたメッセージ。

「…………」

 そうだな母さん。俺もその意見に賛成だ。

「おい。遥希」
「母さんからです……」
「どうした」
「……ガーくんが……」
「ああ、ガーくんな。また変な倒れ方でも覚えたか。俺を押しのけてスマホを取ったことは許せねえがガーくんなら俺にも見せろ」
「……乱暴されました」
「あぁっ?」

 後ろでギシッと音がした。振り返れば瀬名さんも上体を起こしている。

「乱暴って……大丈夫なのか」
「命に別状はないって……」
「そうか……」
「…………」
「……誰にやられた。ノラ犬か。猫か?」
「…………アヒルです」
「……あ?」

 アヒルだ。犯人はデカいアヒル。動画にはアヒルが二羽映っていた。グワグワ泣き叫ぶガーくんと、それにもう一羽。見知らぬアヒルが。
 沸々と煮えたぎるような気分だ。なんてことだ、こんな屈辱。俺のガーくんがまさかこんな目に。
 大股でベッドに一歩分戻り、たまらずクワッと瀬名さんに掴みかかった。

「野蛮な雄アヒルがガーくんを強姦したんですよ……ッ!!」
「…………は?」

 忌まわしき動画をもう一度タップし、バッとスマホを突き付けた。ボリュームを上げると痛烈な悲鳴がグワグワと鮮明に耳に入ってくる。
 なんて惨い。思わず顔の向きを逸らした。これはもはやグワグワというよりほとんどギャアギャアの域だ。ガーくんのこんな声を未だかつて聞いたことがなかった。

 あろうことかガーくんの上に圧し掛かり、バサバサと乱暴に羽ばたきながら凌辱行為を行うクソアヒル。悲鳴を上げ続けているガーくんはどれだけ怖い思いをしたことか。
 三十秒の凌辱動画を瀬名さんも呆然と見ていた。映像が終了してもしばし無言。少ししてからようやく口を開いた。

「……お前の母親は何を撮ってるんだ」
「強制性交の確たる証拠です。もしまた次に現れた時はアヒル鍋の写真送ってやるってコメントも来ました」
「血の気の多い親子だな」
「許せねえこのクソ鳥類」

 俺も母さんの意気込みに同意だ。二度とこのツラ見せんじゃねえ。もしも来やがったら食ってやる。

「まさか野生のアヒルが入って来るなんて……」
「アヒルって野生化するのか?」
「俺が知るかよッ!? どっかから脱走して逃げてきたのかなんなのか知りませんけど……っ!!」
「落ち着け」

 少なくとも現在うちのご近所にアヒル飼いのお宅はない。怒りがおさまらない俺を、ひとまず瀬名さんは隣に座らせた。

「お前んちの庭には動物避けの柵なりなんなり囲いはないのか」
「生け垣と塀はありますけどウチは基本的に往来自由です」
「逆に今までよく無事だったな」
「ガーくんすげえ強いんですよ。犬猫くらいなら自分で追っ払います。一回じいちゃんがガーくん用に柵の設置したこともあったんですけどガーくんがその日ブチギレてたんで撤去しました」
「下の子まで血の気が多い」

 自由を奪われるのを極端に嫌うアヒルだ。そして知らない奴に攻撃的だ。
 かつて庭でガーガーと異様な叫びを聞いて駆けつけてみたところ、ボロボロになって逃げ帰っていく野良猫の後ろ姿を目にすることになった。ガーくんの三倍はありそうなデカい犬が尻尾を丸めて逃げていくのを見たこともある。それくらい強い。
 羽毛がヒラヒラ舞い落ちる中、逃げ去る敵を無言で見送る精悍なその姿。それはもはや鳥類という概念を忘れ去るほど最高にかっこよかった。

「今まで誰にも負けたことなかったのに……」
「そんだけ好戦的な子がオスのアヒルを撃退せずに縄張りに入れたんだろ? てことはガーくんも発情してたんじゃねえのか」
「やめてもらえますか、そういうオス側のクソみてえな解釈」
「申し訳ない」

 瀬名さんはすぐに意見を引っ込めた。

「ガーくんは俺のダチですよ。ずっと一緒に育ってきたんです。自由にペタペタ歩いてますけどうちではお姫様みたいな存在なんですよ。それがこんなっ……」
「分かった、そうだよな。つらいよな。ひとまず落ち着け」
「可哀想に……。この野郎には慈悲ってもんがねえのか。どこのクソアヒルか知りませんけど今すぐこの手で絞めてやりたい」
「まあ落ち着け」
「クソ害鳥が……」
「落ち着け」
「一枚ずつ羽をむしり取ってやる」
「落ち着こうな」
「生きたまま炙って北京ダックにしてやるッ!」
「落ち着いてくれ頼むから」

 両手がワナワナする。やり場のないこの怒りを俺は一体どうすれば。初めて鳥をシメたいと思った。
 返されたスマホ睨みつけるが、たとえ再生していなくともあの映像が頭にこびりついている。

「……クソッ。これだからオスは」
「耳が痛い……」
「なに言ってんすか、あんたは俺にこんな事しねえだろ。優しくされた記憶しかないですよ」
「このタイミングで急に褒められて若干ビビってる」

 瀬名さんはおおよそ紳士的だがこのオスアヒルは極めて野蛮だ。
 絶対に許さない。呪ってやる。なんなら俺の部屋にいるかもしれないヤモリの力だって借りてやる。

「ああ……クソっ、信じられない。同種からの攻撃は想定してなかった。ごめんガーくん……」
「そう気を落とすな。これはお前のせいじゃない」
「世界中の雄アヒルを呪い殺してやる」
「関係ない鳥たちを巻き込むな。それにもしかしたらそのオスはアヒルじゃなくてマガモだったかもしれない」

 言われてはっとする。マガモ。いや違う。マガモのオスなら頭が緑色だ。羽毛が真っ白のマガモなんて俺は今までに見たことがない。
 しかしだ。しかし、地球上には、真っ白いトラとか真っ白いスズメとか真っ白いシャチだっているわけであって。

「…………」

 もしもあの雄アヒルの正体が白変種のマガモだったとして。マガモとアヒルを掛け合わせた場合に、誕生するベビーと言えば。

「…………アイガモが生まれたらどうしよう」
「ガーくんもう卵産む年齢じゃないんだろ?」
「あぁぁぁ……」
「悪かった、落ち着いてくれ。大丈夫だ」
「カモ……」
「心配するな。あのオスは間違いなくアヒルだった」

 頭を抱えてじっとりうなだれると瀬名さんの手が肩をポンポンしてくる。
 落ち着いている場合なんかじゃない。俺がガーくんを守れなかったせいでもしかすると誕生してしまう小さなアイガモのか弱いヒナたちはよその地域の米農家さんにドナドナされるかもしれない。

 バッと顔を上げた。瀬名さんは隣でちょっとビクッとなった。アヒル農法だろうとアイガモ農法だろうと、利用され終わった鳥たちの運命がどうなるのかを俺は知っている。
 他に掴みかかるものがないから、瀬名さんの両腕をガシッと握った。

「生まれてくる命に罪はない」
「今度はどうした」
「ドナドナなんてさせません」
「ドナドナ?」
「俺が育てる。全員立派なアイガモにしてみせるッ!」
「アイガモ生まれてくる前提で話進めんな。大丈夫だから安心しろ。そして落ち着け」
「ガーくん……」
「よしよしよし、大丈夫だ。お前のせいじゃない。ガーくんも無事だ」

 オスとはなんと野蛮なケダモノだろう。人間はなんて傲慢な生き物だろうか。いのちに感謝とか言っていないで己の所業くらいは認めないと。

「…………」
「遥希……?」
「……俺はとても罪深い生き物です」
「情緒不安定にも程があるだろ」

 泣きそう。









***









 数日後。遅めの夕食にて。キャベツと鳥のササミのサラダを食いながら瀬名さんが言った。

「そういやその後どうなったガーくんは」
「母さんが気にして様子見てくれてましたがなんともありません。いつも通りグワグワ言ってるそうです。卵産む気配もないし」
「そうか。よかったな」
「まったくですよ。役立たずのオスがいきりやがって」
「心が痛い……」

 瀬名さんがなんだか雄アヒルサイドだ。

 母さんはあの後オスアヒルの素性をご近所さんに聞きまわって調べたそうだが身元は結局分からずじまい。野蛮なあのオスがどこから来てどこへ向かってヤリ逃げたのかは一向に謎のままだ。人類に捕まって食われちまえ。
 ガーくんはオスアヒルにいじめられたことをすっかり忘れたような顔をして庭をペタペタ歩いているらしい。とは言えあんな事件があった訳だし、さすがに見かねた母さんたちが柵の設置に再トライしてみたそうだ。案の定ガーくんがブチギレたので即日撤去したと言っていた。

 ガーくんは今日も自由に庭を散歩していたことだろう。明日も朝になって目が覚めればモリモリご飯を食い尽くす。
 ガーくんは俺をちゃんと覚えているかな。年明けに帰った時に威嚇なんてされたら悲しい。実家にいた時のようにガーくんとかくれんぼして遊べたら、俺を探しに来てくれるところの一部始終を映像に残して瀬名さんに自慢してやろう。

「メシそれで足ります?」
「ああ。ありがとう。充分だ」

 瀬名さんの帰りは今夜も少し遅かった。しばらくはこの調子が続くだろう。軽食よりはちゃんとしていて夕食にしては控えめなゴハンを用意し、帰りを待つ時期がやって来た。
 食い終わる頃を見計らい、お茶を淹れるために腰を上げた。その時カサッと、微かに感じる。右側の後ろポケット。紙だ。手紙。差出人の書いていない、白い封筒がまた届いた。

 この前にも見たのと同じ。差出人不明な以外はなんの変哲もない洋型封筒。ポストを確認してこれが入っていたから、一度は自分の部屋に置いてきた。
 こっちで瀬名さんの分の食事の用意を済ませ、風呂とか課題とかも色々終わって、まだ帰ってきそうにないから自分の部屋に戻って手紙を手に取り、そこで確認したこの中身。
 隣でドアが開く音がしたのは、一行だけの短い文を見下ろしたちょうどその時。瀬名さんが帰ってきたことに気づいて慌てて手紙をポケットに突っ込み、遅れて俺もこっちに戻ってお帰りなさいと後ろから言った。

 同じだった。前回と同じ一言。愛してると、印字でそれだけ。
 これの犯人は浩太ではなかった。先日の手紙を受け取った翌日、ふざけんなと詰め寄ったら何がと困惑した顔をされた。それでそれとなく探りを入れてみても本当に思い当たらないようで、反対に大丈夫かと問われて適当にはぐらかした。

 封筒が入っているポケットに一瞬だけ気が逸れる。それ以上は気にしない事にして、鍋をコンロの火にかけた。

「お茶と紅茶とコーヒーどれがいい?」
「あー……紅茶」
「三千度ね」
「俺の食道を滅ぼそうとするな」

 この人ではない誰かに言われた。二度もこんな手紙を寄越して来やがった。
 腹の立つだけの紙切れは、破って燃えるゴミに出してやる。
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