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120.見慣れた風景Ⅲ
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ショウくんが来たのはそれから三十分もしない頃だった。大き目でちゃんと甘いミカンが大量に入った箱とゴロッとしたじゃがいものお裾分けを持ってさっきのレンタカーでやって来た。
みかんを一個ガーくんにも献上して二人と一羽で遊んだ後は、ショウくんと二人で散歩に出かけた。文字通りのお散歩だ。
この辺には都会のあちこちにあるような遊び場がどこにもない。だから行き先は自ずと限られてくる。神社だとか田んぼだとか。
うちから程近い場所にある神社は規模が小さくてなんとなく質素。ごく稀に熱心な参拝者とすれ違うくらいでどちらかというと寂れている。
それでも俺が生まれる前からここにいらっしゃる神様だから一応はお参りをする。ご無沙汰しております、名も知らぬ神様。なんでもいいんで御利益ください。
バチ当たりな下心でもってカランカランしてから石段を降りてきた。いつだったか俺が中腹から転げ落ちた、そんなに長くない石段だ。
神様に手を合わせて挨拶した後は宛てのない散歩の続行。頭から突っ込んだ田んぼの前にもそのうちに通りかかった。
暖かくなって田植えが始まる時季まではほぼほぼ茶色で貧相な光景だ。そばにある用水路にいたザリガニをつついて指を引きちぎられそうになったのは今でもささやかなトラウマになっている。
もっと楽しい昔巡りをしたい。痛くなくて怖くもないやつ。
痛かったり悲惨だったりする思い出の場に出くわす度に、隣からしみじみとした目で生ぬるく見てくる人まで一名。なんでそんな逐一覚えているんだ。
「久々の地元だからってはしゃいで飛び回って転ぶなよ」
「俺をいくつだと思ってんの」
そういうのは小学生で卒業した。中学に入って半年くらいはまだちょっと抜けていなかったけれど、大人ぶった同学年の女子達にバカにされるのが悔しかったのでお陰様で落ち着けた。
ガキ臭さを隠すためには頑張って踏み消すしかない。そうしてめったに転ばなくなった頃には、ショウくんのことも記憶から消し去っていた。
「今さらだけど急に予定変えさせちゃって大丈夫だった?」
「ああ。家にいてもやる事は特になかったしな」
「大掃除とか」
「するように見えるか?」
かつて遊びに行っていたショウくんの実家は大きくて綺麗だ。でもショウくんの部屋だけはテスト期間が近づくにつれて散らかることが多々あった。
ホッチキスを探し求めて机の引き出しを何気なく開けたらうっかりエロ本と遭遇してしまうくらいにはゴチャッとしていた。
「帰りは一人で平気か?」
過激なエロ本を隠し持っていた兄ちゃんではあるが、優しいのは昔から変わらない。
ショウくんは仕事もあるから予定通りの日に帰る。俺は冬休みが明けるギリギリまでここに。そうしなければならなかった理由も、ここに来る前に伝えてある。
小さな子供ではない俺に、どうしてと詳細は言わずに一人で帰れるかと聞いた。俺もなんでとは聞き返さずに、ただありのままの事実を答えた。
「平気だよ五歳児じゃないもん。俺だってもうハタチになるよ」
「早ぇよなあ。あそこの林の一番高い木に登って降りられなくなってた遥希が……」
「なんでそんな覚えてんのほんとに」
しょうもねえ思い出ばかりが無駄にあるものだから、木登りしていて降りられなくなるドジな猫の気持ちが俺にはよく分かる。
見慣れた場所をかつての兄貴とともに目的もなくゆっくり進んだ。途中ですれ違うじいちゃんやばあちゃんは知っている人ばかりではないが、和やかに頭を下げ合いながら通り過ぎてまた進む。
知っているばあちゃんと時々出会うと、あれぇミッコちゃんとこのーとか、あれかいキヨちゃんのーおっきくなってぇとか、アンタどこんちの孫だよねという意味で気さくに話しかけられる。
これも田舎で良く見る光景じゃなかろうか。ミッコちゃんはショウくんちのばあちゃんでミツ子さんだからミッコちゃんと呼ばれている。キヨちゃんはうちのじいちゃん。清志郎だ。ここいら一帯のまとめ役みたいなことも生前はずっとしていた。
実家の中でもすでに何度か思ったが外でもやっぱり思う。地元だ。これこそ俺のふるさと。なんもないけどそれも悪くない。
「そうだ。ハナちゃんも元気だった?」
「おう。さっきミカンやってきた」
白ヤギのハナちゃんもガーくんと同じくなんでも元気に食べる子だ。もう長いこと会っていないからショウくんがいる間に遊びに行こう。
稲刈りの時期ならトラクターがガコガコ走っている農道を歩きながら、日が昇ってくる方向をテクテクとのんびり目指した。低い位置を通る冬の太陽は俺たちの後方にある。もう少し行くと狭めの公道に出て、その道を挟んだ向こう側にあるお宅では去年から農家カフェを始めたらしい。
俺もショウくんもそれぞれ話には聞いていた。自分の畑でとれた野菜をふんだんに取り入れたフードメニューが人気だそうだ。採れたてベリーを使ったジェラート目当てに遠方からわざわざ来る人までいるとか。
ばえるんだよ。ばあちゃんが言ってた。
どんな店なのか詳しくは知らないから外観だけチラ見しに行きがてら、俺らの実家は変化がないよねとお互いしみじみ話し合う。
「ここ最近は帰ってくるたびに言われるのだって同じことだよ。そろそろ結婚しないのかってな」
ありがちだ。結婚したら結婚したでどうせ今度は子供はまだかと言われるようになるのが定番。
「そういうのっていつから言われるもんなの?」
「俺の場合は二十五過ぎた辺りからちらほら」
「彼女さん連れて来れば?」
「向こうも仕事あるからな」
「看護師さんだっけ?」
「おう」
F寄りのEの巨乳の人だ。
「夜勤もある人?」
「ああ。デカい病院勤めてる」
「じゃあ予定も合わせづらいか」
「まあそれもあるけど……親に会わせるとなると覚悟もいるだろ」
サラサラと耳に入っていた風の音が、その時一瞬だけ消えた気がした。肌には触れている。冬の風だ。静かに言ったショウくんの言葉の方が、風の音よりも強く残った。
覚悟がいる。そっか。覚悟がいるような相手なんだ。あのマンションに引っ越す前の俺なら、そこに思い至ることはなかった。
「結婚するなら、その人がいい……?」
思ったままを尋ねてみれば、珍しく驚いたような顔をするショウくんを見た。覚悟なんて言うくらいだ。念頭にもないのであれば、そんな言葉は出てこない。
フイッと目を逸らされるまでには、おそらく四秒もかからなかった。
「……もうやめよう。俺の話はいいよ」
「ショウくんでも照れることあるんだね」
「マセてんじゃねえぞガキ。それよりお前こそどうなんだ」
年上の幼馴染をちょっとからかったらそれとないジャブで返ってくるなんて聞いてない。
「いるんだろ? そういう相手」
「…………」
いる。言えない相手だけれど。俺だけが言えずにいるせいで、実家に連れてくることもできない人だ。
瀬名さんはどうだったのだろう。猫たちのいるあの家に、どういう気持ちで俺を連れて行ったのか。ご両親がご不在の実家とは言え、気軽に。まさか。そんなはずはない。
明るくてオープンなご家庭だったけど、あの人の性格からして決して軽くはなかったはずだ。二条さんなんかは笑って言っていた。とことん重い男だと。瀬名恭吾はとにかく重い。
とことん重いことを、俺にした。それは多分、瀬名さんの覚悟だ。
「ショウくん……」
真冬の空気は乾いていて冷たかった。それでも風はほぼ吹いていないから、太陽の暖かさを感じられる。
すっかり日の落ちた夜でもなければ、周りに誰もいない場所でなければ、俺は好きになった人と手をつないで歩くこともできない。この先ずっと、今みたいな太陽の下では、距離感を偽って過ごすことになる。
耐えられるだろうか。耐えていていいのか。瀬名さんは示してくれたのに。
家族に話すこともできないなんてそんなのはただの保身だろう。俺が瀬名さんにできることってなんだ。俺は本当は、どうしたい。
「俺いま……男の人と付き合ってる」
のんきに歩かせるだけだった足を、そこでゆっくり止めていた。ショウくんの足も止めさせたのは、俺の歩調と、俺の言葉と、どちらだろう。どっちもだろうか。俺よりも半歩分前からその顔を振り向かせてくる。
徐々に視界は下へとずれる。気まずいばかりのこの感情は、俯きの加減に表れた。
瀬名さんの気持ちは二の次にしてきた。身を守ることを優先させた。それを許してくれるから、許されることに甘えてきた。
ショウくんの目はこっちに向いている。じっと見られているのが分かる。視線ははっきり感じるが、俺は顔を向けられない。でもショウくんは目を逸らさなかった。
「……あれか。お隣さん?」
「……うん……。…………え?」
ぱっと、だいぶ遅れて顔を上げた。そこで見た表情は至って平然と。
「やたらお菓子くれる人だろ?」
「……え」
「いい筋肉してるっていう元水泳部の」
「え……え……?」
冗談言うなと笑い飛ばされるでもなく、顔をしかめられるわけでもなく、ほとんど確信に近い顔をしてショウくんは小出しに投げてくる。
やたらお菓子をくれる人。いい筋肉してる。元水泳部。そして隣に住んでいるのは、間違いなく瀬名さんしかいない。しかしどうして迷いもせずに、なぜショウくんが第一声で、あの人のことを。
「なんで……」
「あんな顔して誰かの話する遥希を俺は見たことがない」
答えはすぐに与えられた。ついでにやわらかく笑われる。
言葉を失うのも当然だろう。まともなリアクションなどできるはずがない。それまでは存在すら忘れ去っていたのに、再会した途端にぶわっと蘇ってきた記憶のままの、優しくて頼りになる兄ちゃんの顔だ。
「お前と会うたびに毎回必ず一度以上はお隣さんの話が出てくる。お隣さんお隣さんってお前はいつもそればっかりだ。勘付くなって方が無理だろうよ」
「…………」
していた、だろうか。そんなに瀬名さんの話ばかり。
いい筋肉していて元水泳部でやたらお菓子くれるお隣さん。それを言った記憶はある。それ以外のことを、俺は話しただろうか。あんな顔ってどんな顔だ。
ショウくんは一発目で当てにきた。お隣さんか。ほぼ確信をもってそう聞かれた。
それができるということはつまり、俺はしていたのだろう。瀬名さんの話を。自分では気づいていなかっただけで、いやしかし考えてみれば確かに、あれこれ喋っていたような気もする。
「いい人なんだろ?」
いい人。そうだ。でもそうじゃない。いい人なんてもんじゃない。そんな程度じゃおさまりきらない。
そうやってどれだけ自慢したくなっても、それ以上は言えない。限界がある。
「……相手男だよ」
「ああ」
「普通ならもっと違う反応……反対とか……」
「そんな時代でもねえだろ」
「……そう思わない人もいるよ」
「俺はそう思う」
迷いのない返事を受けて、俺が迷って黙り込んだ。そう思わない人がどれだけいるか。そう思うだけで怖いから、言いふらしたいくせに隠そうとしてきた。
この人の恋人は俺だと周りに表明することもできない。この人は俺のだと言って自慢したいのを抑え込んできた。誰にも喋らなかった。それをいま初めて喋った。打ち明けた相手は家族みたいな人で、昔のまま優しい兄ちゃんの顔をして嘘のない笑みを見せてくる。
「お前は俺の存在忘れてたって言ってたけど、俺にとっちゃお前はいつまでも走り回る度にズッコケるような目の離せねえ弟だ。顔から田んぼに突っこんでくガキがいつの間にか大人になってた。それを喜ばねえ方がどうかしてる」
「…………」
ポンと頭に手が乗った。軽い力でポフポフされる。
「話聞いてる限りでは一緒にいて楽しいみたいだしな」
「それは……」
イライラするし面倒なことの方が多い。あの人は意外と根に持つうえに時々急にわがままで頑固だ。それでいてどうしたって大人だからこっちはコンプレックスばかりが膨らむ。だったら離れたいかと聞かれれば、それだけは絶対に無理だ。
喧嘩もしょっちゅうで楽しいばかりでは決してないのに好きにしかなれない。キライなところはポンポン浮かぶのにそれを覆い尽くすほどの何かをいつも必ず思いつく。その感情が明け透けになるくらいに、俺は何を話していたか。
気が抜けたのだろうか。ショウくんだから。肩ひじ張って必死になって隠そうとまでしなくても、大丈夫だと、どこかで思っていたのか。
「いつから気づいて……」
「ずいぶん仲のいいお隣さんだとはだいぶ前から思ってた。それで今お前がそう言ったから、なるほどそうかと」
「…………」
「一瞬で腑に落ちた」
敵わない。
彼女さんの話をしていた時とは打って変わって余裕な顔で、ふっと勝ち気な笑みを見せるとショウくんはまた足を進めた。俺もそれについて再び隣を歩きだす。
バレていた。すでにバレそうになっていた皮一枚でつながるギリギリのラインを、そうとは知らずにマヌケな俺が自分でひょこっと踏み越えた。
瀬名さんになんて言おう。バレちゃった。いや。バラしちゃった。
なんだテメエって感じだろうな。二条さんのあの一件では散々にブチギレておきながら。
「しっかしまあ……俺のエロ本発掘して食い入るように見てた遥希がな」
「……えッ?」
瀬名さんへの事後報告内容を頭の中で巡らせる横ではショウくんが次なる爆弾を落としてくる。
「ガキが成長すんのは早ぇよ」
「え、え、え、待って、なんで……」
「あれはどう考えてもお前にはまだ早かった」
「ちょっと、ちょっと待って、なんでっ……えッ?」
「ドアの隙間から実はこっそり俺が見てたのをお前は知らない」
「言ってよ!」
これもバレてた。マジかよやめてよ。知っていたならその時言えばいいじゃん。瀬名さんより悪趣味な人がいたとは。
そもそもなぜ偶発的な事故でうっかり発見しちゃった俺じゃなくて自分の趣味を弟分に見られたショウくんの方が堂々としているんだ。
ショウくんは一瞬で腑に落ちたそうだが俺はいろいろと腑に落ちない。テクテクというかトボトボというか微妙な効果音がお似合いの心地で田舎臭い道をゆっくり歩き、さらにもう少し行った先にはチマッとした建物とかなり広めの駐車スペースがポンと開けているのが見えてくる。
おそらくはあれが冷やかしに行こうとしていた人気上昇中の農家カフェだ。
「今度会わせろよ」
農地の中にポコッと建っているなかなかオシャレっぽい当該カフェ。他にこれと言って見るものもないからその場所を眺めていると、隣から静かに言われて視線だけをチラリと向けた。
からかってる雰囲気は、残念ながらない。どうしたって頼りになる兄ちゃんだ。
「俺にもお前の相手くらいは見ておく権利あると思う」
「……うん」
うなずかずにはいられなかった。
紹介したいと言った瀬名さんの気持ちが、俺にも少し分かった気がする。
みかんを一個ガーくんにも献上して二人と一羽で遊んだ後は、ショウくんと二人で散歩に出かけた。文字通りのお散歩だ。
この辺には都会のあちこちにあるような遊び場がどこにもない。だから行き先は自ずと限られてくる。神社だとか田んぼだとか。
うちから程近い場所にある神社は規模が小さくてなんとなく質素。ごく稀に熱心な参拝者とすれ違うくらいでどちらかというと寂れている。
それでも俺が生まれる前からここにいらっしゃる神様だから一応はお参りをする。ご無沙汰しております、名も知らぬ神様。なんでもいいんで御利益ください。
バチ当たりな下心でもってカランカランしてから石段を降りてきた。いつだったか俺が中腹から転げ落ちた、そんなに長くない石段だ。
神様に手を合わせて挨拶した後は宛てのない散歩の続行。頭から突っ込んだ田んぼの前にもそのうちに通りかかった。
暖かくなって田植えが始まる時季まではほぼほぼ茶色で貧相な光景だ。そばにある用水路にいたザリガニをつついて指を引きちぎられそうになったのは今でもささやかなトラウマになっている。
もっと楽しい昔巡りをしたい。痛くなくて怖くもないやつ。
痛かったり悲惨だったりする思い出の場に出くわす度に、隣からしみじみとした目で生ぬるく見てくる人まで一名。なんでそんな逐一覚えているんだ。
「久々の地元だからってはしゃいで飛び回って転ぶなよ」
「俺をいくつだと思ってんの」
そういうのは小学生で卒業した。中学に入って半年くらいはまだちょっと抜けていなかったけれど、大人ぶった同学年の女子達にバカにされるのが悔しかったのでお陰様で落ち着けた。
ガキ臭さを隠すためには頑張って踏み消すしかない。そうしてめったに転ばなくなった頃には、ショウくんのことも記憶から消し去っていた。
「今さらだけど急に予定変えさせちゃって大丈夫だった?」
「ああ。家にいてもやる事は特になかったしな」
「大掃除とか」
「するように見えるか?」
かつて遊びに行っていたショウくんの実家は大きくて綺麗だ。でもショウくんの部屋だけはテスト期間が近づくにつれて散らかることが多々あった。
ホッチキスを探し求めて机の引き出しを何気なく開けたらうっかりエロ本と遭遇してしまうくらいにはゴチャッとしていた。
「帰りは一人で平気か?」
過激なエロ本を隠し持っていた兄ちゃんではあるが、優しいのは昔から変わらない。
ショウくんは仕事もあるから予定通りの日に帰る。俺は冬休みが明けるギリギリまでここに。そうしなければならなかった理由も、ここに来る前に伝えてある。
小さな子供ではない俺に、どうしてと詳細は言わずに一人で帰れるかと聞いた。俺もなんでとは聞き返さずに、ただありのままの事実を答えた。
「平気だよ五歳児じゃないもん。俺だってもうハタチになるよ」
「早ぇよなあ。あそこの林の一番高い木に登って降りられなくなってた遥希が……」
「なんでそんな覚えてんのほんとに」
しょうもねえ思い出ばかりが無駄にあるものだから、木登りしていて降りられなくなるドジな猫の気持ちが俺にはよく分かる。
見慣れた場所をかつての兄貴とともに目的もなくゆっくり進んだ。途中ですれ違うじいちゃんやばあちゃんは知っている人ばかりではないが、和やかに頭を下げ合いながら通り過ぎてまた進む。
知っているばあちゃんと時々出会うと、あれぇミッコちゃんとこのーとか、あれかいキヨちゃんのーおっきくなってぇとか、アンタどこんちの孫だよねという意味で気さくに話しかけられる。
これも田舎で良く見る光景じゃなかろうか。ミッコちゃんはショウくんちのばあちゃんでミツ子さんだからミッコちゃんと呼ばれている。キヨちゃんはうちのじいちゃん。清志郎だ。ここいら一帯のまとめ役みたいなことも生前はずっとしていた。
実家の中でもすでに何度か思ったが外でもやっぱり思う。地元だ。これこそ俺のふるさと。なんもないけどそれも悪くない。
「そうだ。ハナちゃんも元気だった?」
「おう。さっきミカンやってきた」
白ヤギのハナちゃんもガーくんと同じくなんでも元気に食べる子だ。もう長いこと会っていないからショウくんがいる間に遊びに行こう。
稲刈りの時期ならトラクターがガコガコ走っている農道を歩きながら、日が昇ってくる方向をテクテクとのんびり目指した。低い位置を通る冬の太陽は俺たちの後方にある。もう少し行くと狭めの公道に出て、その道を挟んだ向こう側にあるお宅では去年から農家カフェを始めたらしい。
俺もショウくんもそれぞれ話には聞いていた。自分の畑でとれた野菜をふんだんに取り入れたフードメニューが人気だそうだ。採れたてベリーを使ったジェラート目当てに遠方からわざわざ来る人までいるとか。
ばえるんだよ。ばあちゃんが言ってた。
どんな店なのか詳しくは知らないから外観だけチラ見しに行きがてら、俺らの実家は変化がないよねとお互いしみじみ話し合う。
「ここ最近は帰ってくるたびに言われるのだって同じことだよ。そろそろ結婚しないのかってな」
ありがちだ。結婚したら結婚したでどうせ今度は子供はまだかと言われるようになるのが定番。
「そういうのっていつから言われるもんなの?」
「俺の場合は二十五過ぎた辺りからちらほら」
「彼女さん連れて来れば?」
「向こうも仕事あるからな」
「看護師さんだっけ?」
「おう」
F寄りのEの巨乳の人だ。
「夜勤もある人?」
「ああ。デカい病院勤めてる」
「じゃあ予定も合わせづらいか」
「まあそれもあるけど……親に会わせるとなると覚悟もいるだろ」
サラサラと耳に入っていた風の音が、その時一瞬だけ消えた気がした。肌には触れている。冬の風だ。静かに言ったショウくんの言葉の方が、風の音よりも強く残った。
覚悟がいる。そっか。覚悟がいるような相手なんだ。あのマンションに引っ越す前の俺なら、そこに思い至ることはなかった。
「結婚するなら、その人がいい……?」
思ったままを尋ねてみれば、珍しく驚いたような顔をするショウくんを見た。覚悟なんて言うくらいだ。念頭にもないのであれば、そんな言葉は出てこない。
フイッと目を逸らされるまでには、おそらく四秒もかからなかった。
「……もうやめよう。俺の話はいいよ」
「ショウくんでも照れることあるんだね」
「マセてんじゃねえぞガキ。それよりお前こそどうなんだ」
年上の幼馴染をちょっとからかったらそれとないジャブで返ってくるなんて聞いてない。
「いるんだろ? そういう相手」
「…………」
いる。言えない相手だけれど。俺だけが言えずにいるせいで、実家に連れてくることもできない人だ。
瀬名さんはどうだったのだろう。猫たちのいるあの家に、どういう気持ちで俺を連れて行ったのか。ご両親がご不在の実家とは言え、気軽に。まさか。そんなはずはない。
明るくてオープンなご家庭だったけど、あの人の性格からして決して軽くはなかったはずだ。二条さんなんかは笑って言っていた。とことん重い男だと。瀬名恭吾はとにかく重い。
とことん重いことを、俺にした。それは多分、瀬名さんの覚悟だ。
「ショウくん……」
真冬の空気は乾いていて冷たかった。それでも風はほぼ吹いていないから、太陽の暖かさを感じられる。
すっかり日の落ちた夜でもなければ、周りに誰もいない場所でなければ、俺は好きになった人と手をつないで歩くこともできない。この先ずっと、今みたいな太陽の下では、距離感を偽って過ごすことになる。
耐えられるだろうか。耐えていていいのか。瀬名さんは示してくれたのに。
家族に話すこともできないなんてそんなのはただの保身だろう。俺が瀬名さんにできることってなんだ。俺は本当は、どうしたい。
「俺いま……男の人と付き合ってる」
のんきに歩かせるだけだった足を、そこでゆっくり止めていた。ショウくんの足も止めさせたのは、俺の歩調と、俺の言葉と、どちらだろう。どっちもだろうか。俺よりも半歩分前からその顔を振り向かせてくる。
徐々に視界は下へとずれる。気まずいばかりのこの感情は、俯きの加減に表れた。
瀬名さんの気持ちは二の次にしてきた。身を守ることを優先させた。それを許してくれるから、許されることに甘えてきた。
ショウくんの目はこっちに向いている。じっと見られているのが分かる。視線ははっきり感じるが、俺は顔を向けられない。でもショウくんは目を逸らさなかった。
「……あれか。お隣さん?」
「……うん……。…………え?」
ぱっと、だいぶ遅れて顔を上げた。そこで見た表情は至って平然と。
「やたらお菓子くれる人だろ?」
「……え」
「いい筋肉してるっていう元水泳部の」
「え……え……?」
冗談言うなと笑い飛ばされるでもなく、顔をしかめられるわけでもなく、ほとんど確信に近い顔をしてショウくんは小出しに投げてくる。
やたらお菓子をくれる人。いい筋肉してる。元水泳部。そして隣に住んでいるのは、間違いなく瀬名さんしかいない。しかしどうして迷いもせずに、なぜショウくんが第一声で、あの人のことを。
「なんで……」
「あんな顔して誰かの話する遥希を俺は見たことがない」
答えはすぐに与えられた。ついでにやわらかく笑われる。
言葉を失うのも当然だろう。まともなリアクションなどできるはずがない。それまでは存在すら忘れ去っていたのに、再会した途端にぶわっと蘇ってきた記憶のままの、優しくて頼りになる兄ちゃんの顔だ。
「お前と会うたびに毎回必ず一度以上はお隣さんの話が出てくる。お隣さんお隣さんってお前はいつもそればっかりだ。勘付くなって方が無理だろうよ」
「…………」
していた、だろうか。そんなに瀬名さんの話ばかり。
いい筋肉していて元水泳部でやたらお菓子くれるお隣さん。それを言った記憶はある。それ以外のことを、俺は話しただろうか。あんな顔ってどんな顔だ。
ショウくんは一発目で当てにきた。お隣さんか。ほぼ確信をもってそう聞かれた。
それができるということはつまり、俺はしていたのだろう。瀬名さんの話を。自分では気づいていなかっただけで、いやしかし考えてみれば確かに、あれこれ喋っていたような気もする。
「いい人なんだろ?」
いい人。そうだ。でもそうじゃない。いい人なんてもんじゃない。そんな程度じゃおさまりきらない。
そうやってどれだけ自慢したくなっても、それ以上は言えない。限界がある。
「……相手男だよ」
「ああ」
「普通ならもっと違う反応……反対とか……」
「そんな時代でもねえだろ」
「……そう思わない人もいるよ」
「俺はそう思う」
迷いのない返事を受けて、俺が迷って黙り込んだ。そう思わない人がどれだけいるか。そう思うだけで怖いから、言いふらしたいくせに隠そうとしてきた。
この人の恋人は俺だと周りに表明することもできない。この人は俺のだと言って自慢したいのを抑え込んできた。誰にも喋らなかった。それをいま初めて喋った。打ち明けた相手は家族みたいな人で、昔のまま優しい兄ちゃんの顔をして嘘のない笑みを見せてくる。
「お前は俺の存在忘れてたって言ってたけど、俺にとっちゃお前はいつまでも走り回る度にズッコケるような目の離せねえ弟だ。顔から田んぼに突っこんでくガキがいつの間にか大人になってた。それを喜ばねえ方がどうかしてる」
「…………」
ポンと頭に手が乗った。軽い力でポフポフされる。
「話聞いてる限りでは一緒にいて楽しいみたいだしな」
「それは……」
イライラするし面倒なことの方が多い。あの人は意外と根に持つうえに時々急にわがままで頑固だ。それでいてどうしたって大人だからこっちはコンプレックスばかりが膨らむ。だったら離れたいかと聞かれれば、それだけは絶対に無理だ。
喧嘩もしょっちゅうで楽しいばかりでは決してないのに好きにしかなれない。キライなところはポンポン浮かぶのにそれを覆い尽くすほどの何かをいつも必ず思いつく。その感情が明け透けになるくらいに、俺は何を話していたか。
気が抜けたのだろうか。ショウくんだから。肩ひじ張って必死になって隠そうとまでしなくても、大丈夫だと、どこかで思っていたのか。
「いつから気づいて……」
「ずいぶん仲のいいお隣さんだとはだいぶ前から思ってた。それで今お前がそう言ったから、なるほどそうかと」
「…………」
「一瞬で腑に落ちた」
敵わない。
彼女さんの話をしていた時とは打って変わって余裕な顔で、ふっと勝ち気な笑みを見せるとショウくんはまた足を進めた。俺もそれについて再び隣を歩きだす。
バレていた。すでにバレそうになっていた皮一枚でつながるギリギリのラインを、そうとは知らずにマヌケな俺が自分でひょこっと踏み越えた。
瀬名さんになんて言おう。バレちゃった。いや。バラしちゃった。
なんだテメエって感じだろうな。二条さんのあの一件では散々にブチギレておきながら。
「しっかしまあ……俺のエロ本発掘して食い入るように見てた遥希がな」
「……えッ?」
瀬名さんへの事後報告内容を頭の中で巡らせる横ではショウくんが次なる爆弾を落としてくる。
「ガキが成長すんのは早ぇよ」
「え、え、え、待って、なんで……」
「あれはどう考えてもお前にはまだ早かった」
「ちょっと、ちょっと待って、なんでっ……えッ?」
「ドアの隙間から実はこっそり俺が見てたのをお前は知らない」
「言ってよ!」
これもバレてた。マジかよやめてよ。知っていたならその時言えばいいじゃん。瀬名さんより悪趣味な人がいたとは。
そもそもなぜ偶発的な事故でうっかり発見しちゃった俺じゃなくて自分の趣味を弟分に見られたショウくんの方が堂々としているんだ。
ショウくんは一瞬で腑に落ちたそうだが俺はいろいろと腑に落ちない。テクテクというかトボトボというか微妙な効果音がお似合いの心地で田舎臭い道をゆっくり歩き、さらにもう少し行った先にはチマッとした建物とかなり広めの駐車スペースがポンと開けているのが見えてくる。
おそらくはあれが冷やかしに行こうとしていた人気上昇中の農家カフェだ。
「今度会わせろよ」
農地の中にポコッと建っているなかなかオシャレっぽい当該カフェ。他にこれと言って見るものもないからその場所を眺めていると、隣から静かに言われて視線だけをチラリと向けた。
からかってる雰囲気は、残念ながらない。どうしたって頼りになる兄ちゃんだ。
「俺にもお前の相手くらいは見ておく権利あると思う」
「……うん」
うなずかずにはいられなかった。
紹介したいと言った瀬名さんの気持ちが、俺にも少し分かった気がする。
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