貢がせて、ハニー!

わこ

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272.白いアヒルの猛撃

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『アンタちょっと来月に帰っておいで』

 母さんからの突然の電話はそんな用件だった。

 思わず顔をしかめている。ソファーに腰かけ、後ろに寄りかかった。
 元々小ざっぱりとした母親ではあるが、それにしたってサッパリしすぎだ。

「……なに突然」
『暇でしょ』
「暇ではないよ。知らないのかもしれないけど俺も一応就活生だからな」
「人様のご迷惑になるような真似さえしなければ何したって構わないからとりあえず帰っといで」
「なんなの」

 それが就職を控えた息子に言うセリフか。

『一日二日くらい時間作んなさい』
「そんな急に無茶な……」
『いいから予定空けといて。それでハゴロモ食べに来な。今年はきっと大量に採れるから』
「え?」

 ウチのハゴロモは鳥に盗まれる。それがここ数年の宿命だった。まさかじいちゃんの方針を破って鳥を撃退し始めたのだろうか。ないな。宗教勧誘と飛び込み営業には冷徹なまでに手厳しいけど野生動物にむごい仕打ちをする家族では決してない。
 そこまで意地汚くはないだろう。そう信じた俺が裏切られる事はなく、母さんは先を続けた。

『実はさ、あんたが帰省して戻ってった辺りからガーくんが時々テンニョを気にするようになったのね』
「へえ」
『蕾になる前には本格的なお気に入りになってたみたいで、他の鳥がちょっと枝にとまって休んでるのも許さないんだよ』
「そうなの?」
『あれはもう鉄壁だね。飛んでくるのを察知すると突進してって威嚇するんだから』
「ガーくん……」

 いくつになってもヤンチャだな。昔もじいちゃんが作った納屋に寄り付く鳩を異様に敵視していたことがある。ガーガーと喚き上げて執拗に追い回すものだからさすがの鳩も逃げまどっていた。
 じいちゃんも俺達もテンニョに群がる鳥を追い払わない。ウチで唯一それを許されるのが、連中と同じ鳥類。ガーくんだ。

 ガーくんが対抗したいならガーくんに任せる。散歩しに来たハトには負けなかったが食事目当ての野鳥の群れには勝てるだろうか。ガーくんなら勝ち抜きそう。
 敷地内に入ってこようものならカラスだろうと野良猫だろうと勇猛果敢に挑みに行くアヒルだ。

『あの調子だと収穫が終わるまで見張り番しててくれそうだから、たぶん今年は私達も食べられる』

 母さんは断言した。それだけ厳重なガードをしてくれているのだろう。
 俺の帰省後からテンニョの守りを固めているという事は、蕾の頃からハゴロモがずっと無事であったということだ。母さんの口振りからして、摘蕾もきちんとできたに違いない。

 縄張り意識高めのガーくんはしかしながら飽きっぽいので、来年にはテンニョに見向きもしなくなっているはず。今年いっぱいの見張り役だろう。来年からはまたヒヨドリの餌場だ。
 でもどうやら今年は珍しく、人間側の勝利が実現されそう。

「ハゴロモかあ……」
『ここまでの豊作予想は近年稀に見るよ。春もあったかかったから味も抜群だろうし』
「ちょうどこの前も瀬名さんと話してたんだよ。外に出回らない果物があるって。瀬名さんも食ってみたいってさ」
『ああ、じゃあ連れてきたらいいじゃない』
「…………え?」

 そこで止まった。後ろに凭れさせた背中が、ザワッと毛羽立つ。
 ゆっくりと姿勢を元に戻し、浅く座り直したところで自分の中に走った緊張を自覚した。伝わらないようにほんの小さく、止めていた息を吐く。スマホを少々離せばそれで済むのに、そんなことも忘れている自分に、吐き出した後で、ジワリと気づいた。

『結局なんのお礼もできてないままだから、一度ちゃんとお会いしておきたいとは思ってたの。ずっとお世話になりっぱなしだし。呼びつける形になるのは申し訳ないけど、瀬名さんのご予定聞いといてちょうだい』
「あ……いや、瀬名さんも、仕事とか……急だし……」
『そりゃ無理にとは言わないよ。でも聞くだけ聞いといて』
「でも……」
『いいから。忘れないでよ?』
「…………」
『二人でハゴロモ食べに来な』





***





 あのあと母さんと何を話したのか、ほとんど何も覚えていない。
 瀬名さんを連れて来いと言った。もてなすために。もてないしたいと母さんが望むのは、俺の恩人であるためだ。

 親切な元お隣さん。気前のいい現同居人。どちらもその通りだけれど、それだけでないのを母さんは知らない。だから瀬名さんを招きたがっている。
 その通りのその人物像に、もう一つ付け足して伝えたら。俺との関係の、名前を伝えていたら、同じように迎えたがっただろうか。




「ただいま」
「っ……」

 ハクっと、心臓が大きく跳ねた。

 すぐそば、後ろから声をかけられ、パッと振り返ったそこに瀬名さんがいた。タイはしているがジャケットは着ていない。その手には黒いビジネスバッグ。朝と同じ格好で、会社から帰って来た大人の男だ。

「あ……すみませ、……お帰りなさい」
「……大丈夫か?」
「え? ええ、はい。ぼーっとしてた」

 コクコクとうなずいて見せる。全く気付いていなかった。
 お湯がグツグツしている鍋の前。一枚ずつ剥がして広げておいた、豚肉を手元に寄せた。

「今日は冷しゃぶです」
「さすがだ。ちょうど冷しゃぶ食いたい気分だった」
「あなたは夕べもちょうど揚げナス食いたい気分でしたもんね」
「心を読んでくれてありがとう。俺達は常に通じ合ってる」
「受信拒否設定したくてもさせてもらえないみたいです」

 一昨日の夜の瀬名さんはちょうどカレー食いたい気分だった。カレーかぁ、とか言われるよりはいい。

 沸騰している中に塩を適量。肉のくさみ消しに酒も加える。
 少しでも涼し気になるよう、冷しゃぶを乗っけるためのサラダはたっぷり用意してある。冷蔵庫に入れてあるタレは胡麻と迷って醤油ベースで作った。

「着替えてきて。あとこれだけなんで、もうすぐできますよ」
「ああ。分かった」

 そう言って寝室に行く、その後ろ姿を盗み見た。

 親切な元お隣さん。気前のいい現同居人。お隣さんの時から、今もずっと、俺の恋人。それが瀬名さんだ。
 年上の男の人と付き合っている。言えるはずがない。言えずにいたら、二人揃って実家に呼ばれた。一緒においでと言われたそれを、瀬名さんに。

「…………」

 どう伝えたら。
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