No morals

わこ

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第一部

7.1-Ⅶ

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 騒ぎ立てながら連れてこられたのは古いアパート。築年数と低家賃そうなボロさは俺が住む部屋といい勝負だ。
 周りにも家やらアパートやらが建っている住宅街。時間帯も深夜とあっては思うように喚き散らせない。
 ここまで来てしまったら止むを得ない。竜崎の部屋は一階のようだ。三部屋並ぶドアの一番左側の前で鍵を取り出した竜崎を見て、小さくため息をつきながらも招かれるまま部屋に上がった。

「適当に座ってて。今ビールくらいしかねえんだけどいるか?」
「いんねえよ。世間話に付き合わせる気なら帰るぞ」
「まあ世間話でもいいんだけどさ。まずは怪我の手当てからだな」
「あ?」

 そっちは洗面所だろうか。俺を残して死角に入った竜崎に首をかしげ、言われた通り適当な場所に腰を下して胡坐をかいた。
 ベッドしかないような殺風景な部屋の、ベッドの前。ラグなんかもない。本当になんにもない。
 慣れない他人の部屋に座り込んで室内を密かに見回すも、これと言って面白いものが目に入る訳でもなく。背の低い小さなテーブルの上に小型のノートパソコンが置いてある程度だった。

 すぐに戻ってきた竜崎の手には白いタオルが握られていた。俺の前に腰を下ろし、当然のように腕を伸ばしてくる。
 反射的に身を引こうとしたが竜崎の方が素早かった。濡れたタオルが、頬にピタッと。

「なんだよっ」

 ヒンヤリとした感覚が、押し付けられたそこに伝わった。

「ちょっと血が出てる。ここ。引っ掻き傷みたいなの」
「……いいって。怪我って程でもねえだろ」

 大したことのない傷のはずなのに、手当などと大袈裟に扱うこの男にげんなりしてくる。タオルをどけると今度は指先でその箇所をツツッとなぞってきた。

「傷残ったら大変」
「テメエ正気か。女じゃねえんだから気にしねえよ。大体この程度で傷なんか残んねえし」
「細けぇこと気にすんな」

 口元に弧を描く竜崎の真意はサッパリ読めない。俺が怪訝に眺めていたらこいつも手を放したが、とことん人を怒らせたいようで子供にでもするかのようにポンポンと頭を撫でてきた。
 引きつる頬。込み上げる怒り。それを宥めると見せかけて、ニコニコしながら撫で続けるこいつ。
 この野郎。イラ立ちとともに体を引いてよけようとすれば、それによって竜崎の指先が俺の額に触れる事となった。こいつも意図してはいなかっただろうがいくらか押さえつけるような加減。瞬間、その部分に痛みが広がる。鈍いそれにクッと眉間が寄った。

「ん?」

 竜崎も片眉を微かに上げた。
 触られるまで気付かなかったが、一度自覚してしまうとジンジンと痛覚を刺激してくる。自分の手のひらで額に触れると、ほとんど分からないくらいではあるが僅かに盛り上がっていた。

「あー……クッソ、テメエのせいで余計なもん思い出したじゃねえかよ」
「なにそれコブ? 頭突きでもした?」
「うっせえな両手塞がってたんだよ」

 額を押さえて悪態をつく。竜崎は俺の手を退かして濡れたタオルをそこに当ててきた。腫れた額には冷たさが心地よい。
 視線をわずかに竜崎に向ける。案の定こいつは愉快そうだ。

「役に立ったな」
「……ウゼェ」

 竜崎からタオルを引っ手繰って自分の手で額に当てた。人の家だがこいつんちだし、畏まってやるのも癪だから後ろのベッドに寄り掛かった。すると竜崎も同じようにして俺の隣に座り直した。寄るんじゃねえとでも言ってやりたいが、その気力は湧いてこない。

「しっかしまあ……顔に似合わねえケンカのやり方するんだな」
「はぁ? ケンカに似合うもクソもねえだろ。ブチのめせるか袋にされるかだ」
「へえ。やっぱ慣れてんだ。でもその顔で頭突きって」
「顔がなんだよ。関係ねえだろ」

 クスクスと笑い声を隠しもせずに、俺を見て竜崎は言う。頭からタオルを離して真隣を睨みつけた。
 細められる。この男の目。それが少し、不気味に思えた。

「そのツラで頭突きかまされるとはあいつらも思ってなかっただろうな」
「あ?」
「言われねえ? 綺麗だって」

 真っ直ぐ、目を見てそう聞かれていた。背筋には薄ら寒いものが走った。
 ピクピクと痙攣する俺の口元は素直な心境を表している。

「……テメエには俺が女にでも見えんのか」
「まさか。ちゃんと男に見えるよ。でもいるじゃん、男でも美人な奴って。お前みたいに」

 固く握りしめたタオルを竜崎の顔面めがけてブン投げた。そう言えば初めて会ったあの夜にも同じような事を言われた気がする。

「裕也は綺麗だ」
「ッ……」

 血がのぼるのも一瞬だ。床の上に投げ出された竜崎の両足を怒りのまま膝でまたぎ、ガッと勢いよく掴みかかった胸倉。
 ところが間近から睨みつけても、竜崎は慌てるどころかニコニコと余裕の微笑みを。日頃の恨みも積み重なっているからただでさえ苛立ちを隠せないのに、その態度は俺の怒りを倍増させるのに十分だった。

「っどれだけ人をコケにすりゃ気が済むんだテメエは!?」
「してねえよ」
「黙れッ」

 掴んだ胸倉を引っ張り上げて、背後のベッドにドンッと打ち付けた。それでも俺から一向に目を逸らさない竜崎の表情は余裕そのもの。右肘をベッドに預け、左手では俺の腕を撫でるように柔らかく掴んだ。

「なに。殴る?」
「当然だッ」
「この距離で? 確実に当たんじゃん」
「黙れっつってんだろ!」

 ヘラヘラした態度を崩さない。奥歯を噛み締める俺は滑稽だ。
 やる前から負け犬にされた。こんな奴は沈めてやらなければ。そのつもりで拳を握り締めたが、イラつく顔面をぶちのめす前に俺の腕に触れていた竜崎の手に、ぐっと、突如力が入った。

「でもさ」
「え……」

 掴まれた手首は宙に浮く。ガタンッ、バフッ。そんな音がしたその時にはもう、手首は左右ともシーツの上だ。竜崎の手によって縫い留められている。
 何が起こった。分からない。認識できるのは自分の体勢。寸前までの位置関係が、竜崎と俺とで入れ替わっていた。
 背中にベッドをつけて押さえ込まれているのが俺。俺を追い込んでいるのが竜崎。シーツに縫い留められた手首は、こいつの手の中で動かせない。

 呆気にとられつつ見上げた先にはニコニコしながら俺を見下ろす竜崎の顔。
 目を見開いたまま、言葉が出ない。なんでこうなった。やっぱり分からない。

「お前見てるとつくづく思うよ。暴力はホント良くない」

 部屋の電気が竜崎の顔を後ろから照らしているため、その表情は、影って見える。そうやって見るその笑顔には息をのむよりほかになかった。
 動物的な勘。そういうやつだ。何かがひたすら訴えかけてくる。この男は、危険だと。

「どうせやるなら痛いコトより楽しいコトの方がいいと思わねえ?」
「っ……!」

 こいつの笑み。底知れない雰囲気。情けなくも怯んだ瞬間、衝撃で全身が固まった。
 殴られてはいない。ひっぱたかれてもいない。蹴られてもいなければましてや頭突きでもない。
 俺が受けた衝撃はそういうのとは性質が違った。目にしたのは焦点が合わないくらいに、間近にあった竜崎の顔。感覚が集中するのは唇。触れられていた。キスだ。キスされた。

「っっっ……!!」

 ハッと目を見開いた。固まっている場合じゃない。ジタバタともがいて抵抗するも、両手は依然としてベッドの上だ。両足は竜崎の膝の間で挟み込むようにして押さえ込まれた。
 顔を背けようとすればするほどこいつは器用に追いかけてくる。上から重ねられた唇を、くすぐるように竜崎の舌がゆっくりとなぞっていった。

「ッ……」

 洒落にならない。頭に血がのぼる。唇を固く引き結んだまま首を左右に振って抵抗すると、竜崎は微かに唇を離した。

「なにすっ……んんッ……!」

 墓穴にしかならなかった。口はまたすぐに塞がれ、上下の唇の間からは強引に舌をねじ込まれた。
 驚愕どころの話じゃない。見開きすぎて目は痛い。口の中を舐め回されて、いいように舌を絡め取られ、ぴたりと口を塞がれたまま声にならない叫びを上げた。

「んーーーーッ!!」

 こんな。こんな、屈辱。なんでこんなこと。ありえない。ぶっ殺す。ブチ殺す。殺してやる。
 捉えられた舌先に熱い感触が纏わりつき、噛みついてやろうとすれば攻撃の意志はあっさり見抜かれる。顎にグイッと手をかけ押さえつけられ、それによってさらに深められたキス。自由になった左腕で竜崎の体をぶっ叩いたが、全然ビクともしなかった。

 抵抗する俺を戒めるかのように上から体を押し付けてくる。ぐぐっと体重をかけられて、肩をドンドン叩いて暴れたが全くと言っていいほど効果はない。
 キスだけが延々と続く。ちゅくっと濡れた音が立ち、いよいよ死にたくなってきた。
 容赦なく、こいつは絡めてくる。ねっとりと。舌を。

「ンッ……」

 鼻から声が抜けていく。それが自分のものだと信じたくない。怒りよりもむしろ情けなくていっそ泣きたくなっていると、顎にかけられていた竜崎の手が、そっと頬に添えられた。
 逃げるには絶好のチャンスなのに。できない。力がうまく入らない。右手は竜崎の服を握りしめるだけで限界だった。唇の間に時折わずかな隙間をふっと作ると同時に、顔の角度を変えてはその都度執拗に貪ってくる。

 水っぽい音が耳につく。聞きたくないけど耳は塞げない。だから代わりにきつく目を閉じた。けれどそれは失敗でしかなかった。口内を這う舌の動きを、より鮮明に感じとる。
 うまい。正直な感想はそれ。そんなことを考えている場合では決してないが、合わさった舌を撫でるように吸われ、竜崎の服をキュッと握りしめた。

「……はっ、ぁ……」

 解放はあっけなく、ゆっくりと舌が出ていく。上から重ねられていた唇も同時にチュッと音を立てながら離れた。
 呆けた。そりゃそうだ。野郎にキスされた。
 理解しがたいこの男を至近距離から固まったまま見上げる。フッと口角を上げた竜崎は、そこでようやく俺の手を放した。

 何が起こった。何をされた。視線だけで竜崎を追う。勝ち誇ったその顔を見つめ、次第に思考が戻って来る。
 ハッとして手の甲で口を拭った。ごしごしと痛いくらいに擦りつけ、ドンッと押し返したその体。

「な……に、考えてんだテメエはっ……!」

 慌てて逃げだし、足を立たせてベッドから離れた。
 唇に残る不快な感触は紛れもない現実だ。怒りだかなんだかも分からない感情でいっぱいでとにかく顔が熱い。

「正気じゃねえ……嫌がらせにも程があんだろ……ッ」

 竜崎もゆっくりと立ち上がった。警戒して一歩下がる。真正面から向けられるのは、得体のしれない、その笑顔。

「こっちの方が楽しいじゃん」
「ッ狂ってんのかテメエ!?」
「俺はすごく楽しかった」
「っ……んの、ヘンタイッ、寄るな!」

 詰め寄ってくるのが恐ろしい。その顔面を殴り飛ばそうと拳を振り上げたが無駄だった。この至近距離にもかかわらず、竜崎は難なく俺をかわした。
 突き出した腕は反対に引っ張られ、力の差を見せつけられる。抱きとめられた。ぎゅっと、その胸に。背と腰にはガッチリ両腕を回されてしまって身動きが取れない。

「っテメ……!」
「ほんとクセんなる、この抱き心地」
「ッ放せクソが……!」

 逃げられないから必死で叫んだ。無様でもなんでももうどうでもいい。
 思いつく限りの罵詈雑言を並べたてて懸命にもがく。俺を拘束する腕はそのままに顔だけ離した竜崎は、至極楽しそうな表情をはっきりと見せつけてくる。
 ぞっとしている間もなかった。後頭部にはこの男の右手。笑って近づいてくるその顔を見て、またキスされると、その考えが脳にはたらきかけるよりもはやく、反射だけで体が動いた。

「っ……」

 今度は竜崎が眉を寄せた。ガッと踏みつけたのはその足の甲。それで一瞬の隙ができた。絡まれる経験もうんざりするほどで喧嘩にはすっかり慣れしてしまったが、今ほど場数をこなしておいてよかったと思ったことはない。
 わずかに弱まった拘束の中、ガッチリ握りしめた拳で竜崎のみぞおちに一発入れた。ドスッと、重くのめり込む。目元を微かにきつくさせた竜崎から距離を取り、同じ箇所をめがけて続けざま膝を蹴り上げた。

 綺麗に入った。拳にも膝にもそれだけの重みがあった。これでオチない奴はいない。
 とどめにその胸倉を掴んで苦々しく睨みつけ、今度こそ渾身の力をこめてその頬を殴り飛ばした。

「くたばれッ!」

 ここまでほんの数秒間。肩を上下させつつ吐き捨てた。最後の一発で床の上にバッと薙ぎ倒したものの、呻き声の一つさえも上げないこの男はまさしく、異常だ。
 ここまでしてもまだ動けるようだった。それどころか全く平気な顔をして、ベッドにキシッと右手をつきながらゆっくりと立ち上がった。
 その時の。竜崎の、目。
 口元では笑みを作っているのに、ぞくっとしたものが背筋に走った。

「ってぇ……。おっまえ、ここまでやる? ちょっとフザけただけだろうよ」

 腹を押さえて痛がる素振りを見せてはいるが、嘘だと分かった。おそらくさほど効いてはいない。ケロッとして喋る竜崎に、勝てない事を理解させられた。
 いま、こいつは身構えもしなかった。殴られるのは分かったはずなのに。まともな奴なら、反射で目をつぶるなりなんなり、それくらいの反応は当然にある。だがこの男にはそれすらもない。
 異様だった。この男は。竜崎は、普通じゃない。

「な、んだよ……」

 情けないがこれは本能。目にした狂気に言葉がつかえそうになる。にじり寄ってくる竜崎から一歩ずつ後ろに下がった。

「くち」
「は……」
「切れてねえ? 痛いんだけど」

 トンっと、そこで背中に当たる。背後はすでに行き止まりだった。俺の肩の位置で壁に手をつき、ほとんど密着しそうな距離で追い詰めてくる。逃げ道は、ない。
 竜崎の口の端には出血も何も見られなかった。それくらいの自覚はできるだろうに、あえてたずねてきたこの男。そこでニッと、口角を上げた。

「確かめて」
「な……ッ」

 むぐっと口が塞がる。唇を舐められた。咄嗟に振り上げた手も捕まった。さっきと同じようにして今度は壁に押さえつけられ、足元を蹴りつけてやる事もできない。壁との間で挟み込まれて逃げる事はおろか動けなくされた。
 入り込んできた舌先が上顎をゆっくり舐めた。必死に首を左右に振ると唇をやわらかく噛まれ、肩がビクッと揺れている。
 さっきのとは、少しだけ違った。確かめるような丁寧なキスに、どんどん惨めにされていく。

「ん、っ……」

 生温かい、濡れた感触。舌が絡まり、撫でられる。合わさった唇を食むように動かされ、舌先で執拗に口内を犯されて足が今にも震えそうだった。
 もっていかれる。どうしたって、うまい。
 ゆっくりしているのにそれでいて激しい。目を閉じてしまうと舌の動きが鮮明になる。耳に入る水音は、官能的とでも、言えばいいのか。

 耐え切れなかった。目は開けたくない。この状況を、捉えたくない。
 よく分かっている。喧嘩と同じだ。力が強いとは言えない俺が、こうやって一度押さえ込まれてしまえば抵抗するのはほとんど不可能。文字通り手も足も出ない。それどころか今は、口も。

「んん……」

 俺の手首を撫でていたその手は、這うようにして手のひらに伸ばされた。指が絡まる。互い違いに。この男の考えが読めない。
 チュクチュクと舌を吸われる。顔を背けて逃げようとすると、それを竜崎が追ってくる。余計に深く口付けられて、押さえつけてくる力はそのままなのに、きゅっと、優しく手を握られた。

「ん、ぅ……」

 頭の中はとっくに真っ白。それに反して顔は熱い。
 これ以上はまずい。キス、長い。女とだってこんなふうにした事なかった。しつこいキスには免疫がない。
 どうしたってせり上がってくるのは、悔しいけど快感でしかなかった。理性で舌をひっこめようとしても竜崎がそれを許さない。逃げれば簡単に捕らえられ、ねっとりと舐め上げられる。
 だめだ。これ。限界だ。

「っ……」

 その場でズルッと崩れ落ちた。膝はガクガク言いそうだった。震える両足に耐えかねた。
 それによってようやくキスも終わる。空気に触れた唇を今度は手で拭う事もできず、無様に床に座り込んだままなけなしのプライドで睨み上げた。
 濡れた唇でいかがわしく笑みをつくったこの男。俺の手をそっと放して、見下ろしてきた。勝ち誇った顔で。

「悪いな、気のせいだった。切れてねえや」
「てっめ……ッ」

 白々しいその態度。沸々と怒りが込み上げてくる。
 俺の前でスッとしゃがみ込んだ竜崎は、目の位置をぴたりと合わせてきた。

「腰抜かすほどよかった?」
「ッ……!」

 フルフルと震える体は怒りのせいか、それとも屈辱のせいなのか。
 今にも感情が爆発しそう。顔面からは熱が引かない。

「っ……こんなことしたきゃ女とヤレよ!」

 どうして俺がこんな目に。男なんかと、しかも竜崎と、こんな事をしなければならない。この男はくすくす笑うだけで、俺が怒れば怒るほど、こいつが喜ぶことになる。
 まだ湿ったままの唇に指先でツツッと触れられ、バッとその手を俺が払っても竜崎はやめなかった。またもや掴まれたのは手首。グイッと顔の距離を近づけ、こいつは目を細めて笑った。

「お前とする方がいい」
「ああッ!?」
「きっと俺達は合うんだよ。相性ってやつが」

 骨ばった指が、形をたどるように俺の唇をなぞっていく。

「裕也」
「……っ」

 名前を呼ばれた。耳元で。男が男に囁くにしては随分と熱のこもった声色だった。
 足が立たないとか腰が抜けたとか、そういう物理的な問題ではなく、とにかく動けなくなっている。体は強張る。だが竜崎はどかない。その手は俺の、頬を包んだ。

「なあ」
「寄るな……」
「惚れたかも」
「……は……」

 直視され、まっすぐに伝えられ、簡潔なその一言が頭の中を駆け巡った。嘘か冗談かではなく、そもそもの前提を間違えている。
 俺は男だ。こいつも男だ。こいつは俺を男だと分かっている。しかし竜崎に容赦なんてものはなく、ご丁寧にも言い直しやがった。

「お前に惚れた」
「…………」

 可能性の一言を断定に言い換えられても俺の動揺は変わらない。俺も竜崎も同じ男。そんな相手にこんな事を、言われる準備はできていない。

「お……お前、やっぱおかしい……っ」
「おかしくねえよ。目の前に好みの奴がいたら惚れちまうのも仕方ねえだろ」

 全く話が通じない。硬直する体を叱咤し、鳥肌が立ちそうなのを堪えて竜崎の肩をドンッとはねのけた。
 しかしこのくらいじゃ竜崎は引かない。手首は未だにこいつの手の中。いい加減嫌になって力任せに振り回したら、ギリッと握力を加えられ、強い圧迫をそこに感じて思わず顔を歪めていた。

「っ……」
「あ、ごめん。暴れるからつい」

 ふっと、すぐに力が緩んだ。けれど解放はしてもらえない。

「放せクソが……ッ」
「あーもーったく、綺麗な顔してるくせしてホント手に負えねえんだから」
「ンだとコラ……ッ」

 今度こそなりふり構わずぶんぶん腕を振り回していれば、竜崎は呆れたような半笑いでようやく俺を解放した。やれやれとでも言いたげに、肩をすくめて零された溜め息。溜め息を吐きたいのは俺の方だ。頭の血管がブチ切れそう。

 どうかしている。こいつは変だ。やることなすこと全てがおかしい。
 これ以上この部屋にいたら何をされるか分からない。全身とも解放されている今こそ竜崎から逃げだすチャンス。敵の動向を警戒しつつ、少しずつ距離を取って一目散に玄関を目指した。

「あのさあ裕也」
「っせえな、もう帰んだよ!」

 呼び止められて、声を張り上げて返した。一刻も早くここから逃げたい俺に余裕なんて残っていない。たかがワンルームから脱出するのにこんなにも苦労する事ってあるか。
 竜崎と思いきり視線が絡む。少し、真剣な表情にも思えた。この男にしては、珍しく。

「本気だから」
「はっ……?」
「本気になった」
「…………」

 いつものあの、イライラする笑顔で言われた方がまだマシだったかもしれない。
 何を突然。そうとしか言えない。予想などできるはずがない。
 だってそうだろう。どう考えても、こんなことは有り得ない。

「明日も店行けよ」

 こういう時に限って真面目な顔を見せてくる。笑顔の一つも浮かべずに。

「待ってる」
「……知るか。そんなの俺の勝手だろ」

 早く逃げたい。これ以上この男と話していたらこっちまでおかしくなる。
 冷たく聞こえるように言い返しながら、竜崎に背を向けて玄関に歩いた。数メートルという僅かな距離を進むだけでも、背中に視線が突き刺さってビリビリするような錯覚を起こした。

「裕也」

 ドアノブに手をかけた瞬間、その場から俺を呼んだ竜崎の声に動きが止まった。
 振り返りはしない。だからその顔も見えない。けれど、見つめられているのはわかる。

「好きだ」
「ッ……」

 心臓が跳ねた。単純に、驚いた。
 慌てて重いドアを開け、ワンルームから走って逃げた。
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