No morals

わこ

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第三部

98.出会いと遭遇の裏側Ⅰ

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 自分でも意外でしかないが、パチ屋のバイトは継続中。肉体改造には使えないと分かってもなお続けるのはなぜか。一つ、時給が魅力的。そしてもう一つ、トラブルを起こしていない。新たにバイト先を探して新たに面接を受けて新たに仕事に慣れるまでの一週間を過ごすのも面倒。それもまた一つの理由だ。
 なんとなく流れで続いているが、ギャンブルとは言えいっぱしのアミューズメント。お客様第一。誠心誠意。ヤクザと煙の世界であるのは一応表向き昔の話だ。
 お客様には心からの満足を。あなた様に最高のひと時を。ご立派な理念を堂々と掲げるこの店は、俺にとって何よりも耐え難い部分を重視している。接客だ。





「おぉ、待ってにーちゃん」
「はい?」

 担当列で赤く点った呼びつけランプに従い駆けつけ、客の元で用を済ませると空のドル箱片手に戻ってきた。そして控えの通路に戻ろうとしていたところ、席の後ろを通った俺を呼び止めたその男性客。
 この店に入って以来、それはそれはそれは厳しく、幾度となく言い聞かせられてきた。心を込めた接客をしましょう。
 内心では小馬鹿にしつつも金のためと思えばまあ安い。教育された通りに客の傍らで腰を屈め、視線をやや低くしながら用件に耳を傾けた。

「いかがなさいましたか?」
「ゆーべ野球見た?」
「……は?」
「野球。どっち勝った?」

 耳になじみのないイントネーション。俺と台とを交互に見ながら想定外の事を聞いてくる。
 平日。快晴。真っ昼間。そんな日のそんな時間帯にスーツを着ながら玉を弾いているその男性客。ネクタイはすでにしていない。シャツのボタンもゆるく外されて、だいぶラフなその格好。そういう人に話しかけられた。

「見てへん?」
「あ……はい。すみません」
「そーかあ、まあええよ。兄ちゃんどこのファン?」
「え……?」

 不愛想でムスッとした客よりも親し気な様子の客の方が一見すると扱いやすそうだが案外そうでもなかったりする。
 この手の客は対応が面倒だ。通り過ぎる店員にあえて関わってこようとする客も稀にいることはいるが、馴れ馴れしさの度合いはそれぞれ。この人はマックスの予感がする。

「ファン……」
「好きなトコおらんの? 野球見ないん?」
「はあ……。あんまり……」

 客はそこで再び台に目を向けた。和やかなその口元を見る限り気分を害した様子はない。
 ところが突如、その人の目はカッと大きく開かれた。かと思えば次にはけたたましく音を立てる台にバッと両手でかじりついた。
 落ちていく玉の動き。直径十一ミリの小さな球体にハラハラと顔色を変えている。

「あーッ、アカン!!」

 バシッと今度こそ台に張り付き、タマの行方を見守った末に気落ちしてドサッと座り直した。
 声をかけるべきか否か。困惑してただ横に控えていると、台から手を離したその客はフイッと俺に目を向けた。

「あーもーアカンよ兄ちゃん、ここ玉出ぇへんやん!」
「…………スミマセン」

 面倒事はごめんだからとりあえず心にもない謝罪。棒読みのこれを上司や先輩に聞かれたら確実にうるさく言われた。しかし目の前の客からは言及もなければ非難もない。しばし俺を観察しながら、面白そうにふはっと笑い出した。

「ジョークやって謝らんでよ! こいとこイチャモン付けてきよるの多いんやろ? 兄ちゃんも苦労してんなあ、若いのに。兄ちゃんいくつ?」

 忙しい客だ。呆気に取られながらもつい口を開いた。

「……二十五です」
「二十五? えーなあ、ピッチピチ! 三日くらい寝ぇへんでも元気?」

 それはない。

「俺もほんのちょっと前までは二十代やってん。ほんのな、ほんの。なんの貫禄も出えへんくせに足腰にはモロに来よってなあ。切ないわ」
「……はぁ」
「兄ちゃんそこフォローして! 頷いたらアカンよ俺ヘコむから!! 貫禄あるよーとかまだまだ若いよーとかどっちか言ってえな!!」
「……スミマセン」

 よく喋る。豪快に声を上げながら、再度謝る俺を笑い飛ばした。上からパシパシと肩を叩かれ、呆然としそうになりつつ無言で客の顔を見上げた。

「おもろいなあ兄ちゃん。えーと……宮瀬くん?」
「あ……はい」

 胸に付けたネームプレートを覗き込み、客は俺の顔を見た。

「宮瀬、何くん? あ、ナンパとかちゃうよ? おもろい人の名前知りたいやん。怪しいおっちゃんと違うから教えてや」

 テンポもすごいが圧もすごい。俺が言葉に詰まっている隙にこの人がひらめいたように先に言った。

「人に名前聞くんやったらまずは自分から名乗れやいう話やね。俺なあ、赤城言うねん。赤城和明。覚えといて?」
「はい……」
「で兄ちゃんは? 下」
「……裕也、です」

 非常に躊躇しつつも答えれば、その顔に浮かぶ笑みの種類が若干、どこか変化した気がした。目元も口元も変わらず和やか。しかしどことなく、鋭くなったと言うか。
 一度まばたきをしたその間に雰囲気もすっかり元に戻っている。気のせいか。よく分からない奴らがいつも周りにいるからつい。ニコニコと笑顔を見せている客はその間もずっと俺を見ていた。

「宮瀬裕也くんね。一生忘れんどこ。あ、ナンパちゃうよ?」

 念押しに思わずふふっと零れる。それに気を良くしたのかニッコリ笑われ、ぎこちなく頷いてから適当にやり過ごした。
 こういうときに限って客の出入りはまばら。混雑していればそれを言い訳にここを離れられそうなものだが、あいにくそこまで忙しくはない。今すぐこの場を立ち去らなければならない程の理由もなかった。
 お客様のお話には快く応じましょう。七十八十を超えた老人でさえパチンコ店に足を運ぶとは言え、店の方針には心底参る。

「兄ちゃんはバイトさん? 社員さん?」
「え? あ、バイトです……」

 客は完全に玉弾きを放棄。椅子に腰かけたままクルリと俺に体ごと向けた。

「バイトさんな。偉いなあ」
「……それが何か?」
「次いつおるか思て。遅番ある?」
「あ、いえ……あまりないです。シフトほとんど今の時間なので」

 夜の方が時給はいい。本来なら毎回でも遅番で組みたい。しかし夜は空けておかないと、うるさい人間が一人いる。

「せやったら昼間来たらええねんな。明日は?」
「いえ、明日は……次に入るのは明後日です」

 ここまで応えるべきなのかどうか。分からないが適当にはぐらかして後日クレームでもついたら困る。俺の答えにこの人はにこりと愛想のいい顔をして、二度三度首を縦に振った。

「兄ちゃんおる時また来るから相手してなー。若いコと話すのやっぱええわ。刺激になるよ」
「そうですか……?」
「そうやん! 兄ちゃんおもろいしっ」

 どこがだ。自覚できるほど不可解な表情を出してもこの人は押してくるが、そんな時にふと、ガッツリ来ていたその視線が俺から離れてやや下に向いた。
 その人が無造作に手を突っ込んだのはジャケットの内ポケット。スマホだ。店内の騒音によって音も何も聞こえなかったが、その表示を見た途端にこの客は鬱陶しそうな顔つきに変わった。

「……あーもう。るっさい。かなわん。なあ、酷いと思わん? 人がせっかく楽しい時間過ごしてるのに戻ってこい言うねんで」

 メッセージだろう。画面をスクロールさせながら確認しつつ、あからさまに嫌そうな様子で不満を大声で吐き出している。

「仕事ですか?」
「んーそう、部下。口うるさいヤツでなあ。昼間に玉打ってて何が悪いんじゃ。つーかなんでバレんねん!!」

 この口振り。常習犯か。スマホに向かって悪態をついている。
 部下にメールで怒られる上司というのも珍しいが、それよりもこの客は人の上に立っている人間なのか。

「……お仕事は何を?」
「せやなあ、外回り? 渉外業務みたいなもん。俺おってもする事ないんや。この煩い部下に任せとけば穏やかにことが流れる」

 そう言う客は返信を終えたようでスマホをさっさとしまい込んだ。相手の部下という人は優秀そうだ。

「まあ、しゃーない。行くか。明後日、日曜やんなあ。休日忙しい?」
「そうでうすね……ぼちぼち」
「今日みたく兄ちゃんと話せへんよね。あーあ行きたない。あいつ絶対俺に恨みある」

 部下への不満をタラタラ漏らしながらもその客は気だるげに腰を上げた。それに合わせて俺も腰を上げ、自分よりもいくらか背の高いその男を見た。
 心情的にも物理的にも腰を低くしていたものだから、そのせいかと思った。しかし違った。真向かいに目を合わせても感じる。この、それとない、威圧感。

 面白おかしく話をすすめる和やかな口調とは裏腹の、深い所を見定めてくるような。そんな気配は勘違いではなかったようだ。確かにそれは存在している。
 底知れない、どうとも言えない雰囲気。さっき、この客に呼び止められて、応じたその時。一瞬だけ浮かんだ。

 あいつ。あの顔。ほんの少し、どこかが似ているように思えた。ペラペラと話し込まれてすぐにそれどころではなくなったのだが。

「……あ、お持ちします」

 なにを馬鹿なことを。自分の考えを適当に押しやり、一つだけドル箱を手にしたその客に声をかけた。しかしカウンターへ足を向けたその人は笑顔で振り返って言った。

「ええよ、これだけやし。今日はもう俺の負けや」
「……スミマセン」
「ウソやって! 兄ちゃんのおかげで楽しめたよ。おおきに」
「……どうも」

 ありがとうございました。接客向きとはお世辞にも言えないだろう心のこもっていない挨拶でその客を送り出した。
 無駄話の多さや仕事への態度からダラけた歩調を予期したものの、その後ろ姿には、隙がない。いささか緊張感を覚えさせられる程度には。そしてそれもまた、あいつと重なる。

「…………」
「またね」

 にこやかに言い置き、自動ドアをくぐってとても静かに去っていく客。総合して受けた印象は、不思議としか言いようがない。
 陽気なようでいてそれとは正反対。あの目。鋭く、全て見透かすみたいな。背中から感じ取れたあの威厳だって、きっと俺の錯覚ではない。

 帰ったら、竜崎に。思って、すぐあとに思い直した。関西の方に知り合いはいるか。そんな事を軽はずみに聞いてみて、万一あいつの顔色が変わったら。そうしたら俺は、どうすればいい。
 あの男の身辺がどうなっているのか俺には分からない。今までどんな事をしてきて、どんな人間と知り合ってきたのか、その程度でさえ話題にはできない。仮に俺が聞けばあいつは口を割ると思うが、その時はきっと目を合わせてもらえず、能天気なあの顔を歪めさせるだけだろう。

 聞かなくていい。知らないままでもいい。あいつがどこにも行かないならそれで。
 パッと赤く点った台上のランプによって、時給分の仕事をするべく足をその方向に向けた。
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